第3660日目 〈入院生活7日目のモノローグ。〉 [日々の思い・独り言]

 九州北部と中国地方西部は線状降水帯の発生で酷い事態になっている。なによりも自分と、家族の命を守るための、最前の行動を取ってほしい。周囲に惑わされず、正しい情報に基づいて、行動してほしい。
 そんな文章を綴っているわたくしのいる横浜は、今日も朝から晴れている。日中や夜半など降雨もあるらしいが、旱天の慈雨には到底ならず、焼け石に水、なんて表現も的外れだろう。とまれ、今日も今日とて横浜は晴れている。晴れている、とはかなり生易しい表現だ。さきほどからスマホは横浜市全域に対して、熱中症アラートを表示しまくっている。NHKだけでなく、気象庁や自治体、お天気アプリ等々から発令されているアラートだ。
 ……が、申し訳ない。わたくしは現在入院中の身である。一日中空調が完備された病院内で、窓の外の世界をぼんやり眺め、TwitterやNHK防災・ニュースアプリで外の世界の事情を知るが精々なのだ。
 入院して一週間が経過、本日は日曜日である。リアルタイムで報道番組に接していないこともあって、気分はまるで浦島太郎。そうしてこの状況は、まだもう少しだけ続く模様なのだ。
 今月3日(日)午後に救急搬送されて、この病院で厄介になるようになったわたくし。ここに到着したときの状態は、われながら非道いものだった。右肩が上がらない、力が入らない(維持できない)、鉛筆を持つことはできても力が入らず字を書くことができない、言葉の呂律が回らない、唇を「イー」とやると右側の口角が左に較べて鋭角的で一直線に上がっている(普通は左右同じようになだらかな曲線を描いて、ほうれい線ができる)、といった具合。
 正直なところ、もうダメかな、と考えた。母の逝去からどうにか立ち直り、相続やらなにやらの作業も最終局面に差しかかろうとしていて、生活も新しい規範を作り出すことができて、新しく見附けた仕事も軌道に乗ってきたところだというのに、どうして……というのが本音だった。
 いや、神も仏も呪いましたね。どうして天はわたくしに斯様な試練を与えるのか、どうしてわたくしにだけこのような惨い仕打ちを与えるのか。殆ど旧約聖書のヨブみたいな気持ちですわ。ヨブは神とサタンによって信仰の強さ、誠を試されたわけだが、いったいわたくしの場合は……。
 それでもどうにか前向きになれたのは、これまでいろいろのことがあったことでいつの間にか、自分の心は逞しくなっていたせいかもしれない。挫けるよりも早く、治すんだ、治して早く家に帰り、摑みかけた新しい生活に戻るんだ、と云う気持の方が強かったものな。
 さすがに始めの2日程は、そんなポジティヴ思考と、前述のネガティヴ思考が相克していたのは認めざるを得ない事実だ。日が経ち、看護師さんや作業/理学療法士の方々、そうして担当医と話したり、周囲を見て自分が軽症であること、早めに連絡して最悪には至らずに済んだ幸運を噛みしめているうちに、再び、早く退院してそれまでの生活に戻らなくては、という願望と熱意が胸のなかに宿ってくるのを感じた。それからのわたくしは、その願望と熱意に加えて、ずっと(基本的に)ベッドと病室内で検査のない時間を過ごすことへの忍耐力を支えにして毎日を過ごした。
 そのお陰か、いまでは午後はのんびりと過ごしている。ベッド横サイドテーブルに載るテレビも視る気にならず(テレビカードを買おうとすると1階外来まで降りてゆかねばならぬのだが、外来診察中の時間帯は降りてゆくこと叶わず、結果としてカードを買うことなくテレビの電源を入れることなく、今日まで過ごすことになった)、ネットも意識的に切り離してデジタル・デトックスを実現し(元より配信とかとは無縁だし)、ただスマホだけは電話のみならずメール、Twitter、LINEの確認等があるので身辺から遠ざけられないが、それでも入院前に較べてスマホを手にする時間、使っている時間は著しく減少しているはずだ。
 検査とリハビリがいまではもう午前中に終わってしまうから、午後は──腹蔵なくいうてしまうと、暇、である。テレビを視ない、ネットも遠ざけている、スマホも殆ど使っていない、となると、では午後お前はなにをしているのか、という話になるが、……読書以外になにがある?
 1日の過半を読書に費やすのは、何年振りのことだろう。なににも煩わされることなく、ひたすら活字を追い、ページを繰ることにだけ集中できるというのは、こんなに幸福で、こんなに心躍る営みだったろうか。濃密な読書体験、もう二度と斯様な時間を過ごすことはできないだろう体験を、わたくしはここですることができた。
 読んでいる本は、ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』。ずっとリュックのなかにあったがなぜか読むことなくそのまま入れっぱなしにしていた文庫の上巻を、『検証 安倍政権』に収められた論考の文章のあまりの拙さと内容への一知半解を理由に投げ出したあとに読み出した。入院して3日目、2階から3階病室に移ってきてのことである。
 他にすることがないから読書に耽り、他に読む本がないからヒルを読み続けてきた、というのは事実だ。否定のしようがない。が、わたくしはこれを、非常に良いタイミングで読むことができた、と考えている。これまでの自分を見つめ直して強烈な反省を促され、今回を最後のチャンスと捉えて残りの人生をいかに実り豊かな物にするか、そのためにいま自分はなにをすべきか、新たに富を築くために自分が為すべきことはなにか、その優先順位は……? など考え、検証し、イメージングするのに、入院はまたとない機会であった。読むことばかりでなく、それについて考える時間、自分を捉え直す時間を得ることができたからだ。何事もポジティブに捉えなくては、このナポレオン・ヒルやデール・カーネギー、ジョゼフ・マーフィー、本多静六博士が開陳してみせるような成功哲学は誰も実践し得ない。「望みだけで富を手にすることはできない」(ヒル『思考は現実化する』下巻P39 田中孝顕・訳 きこ書房 2014/04)
 実は今年の始めに立てた、文筆上の目標の1つだったのが、この成功哲学、について書かれた一連の書物を読み倒し(すべてではない、古典とされるものに少しの最近書かれた物を加えて)、エッセイを書く、というものだった。母が亡くなってからはグリーフケアや死後の生、政治と歴史の本が主軸になっていた感があり、成功哲学について本を読み文章を書くというのは忘れていた部分があったのだが、図らずも今回の入院でその端緒を摑むことができた寸法だ。
 上巻は既に読み終わり、現在は下巻。昨日からだが、既に半分を読んだ。退院までには全部、もしくは余すところあと1章、というところまで進められるかもしれない。帰宅したら色々することが山積みだから(仕事も再開せねばならんし)、最後まで読み果せたらいいいな、と思う。
 ……え、退院? そう、退院である。今日の昼間、日取りと時間が決まったのだ。この病院のお世話になるのも、あと少しだ。名残惜しいが、いつまでもいるような場所ではない。とても良いスタッフの方々に恵まれたので、去るのは後ろ髪引かれる思いだが、仕方ない。
 退院後にすること、やらなくてはならないこと、やりたいこと、等々リストアップして優先順位を付ける作業を始める傍ら、ヒルの読了に近附けるよう時間を無駄にすることなく残りの日々を過ごさなくては。◆

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