第2937日目 〈『CSI:マイアミ』カリー・デュケーンの言葉。〉 [日々の思い・独り言]

 昨年末からAXNにて『CSI:マイアミ』S1 #1から二カ国語版が絶讃リピート放送中。HDDの容量を相当に喰いつつも毎日録画して、1週間分をまとめて視聴しております。
 覚えているエピソードや場面、台詞等が思っていた以上にありました(逆にいえばどれだけ過去に飽きることなく繰り返し観て、淫していたか、という証左になる)。意外なところで記憶に残っていた台詞に出喰わして、「お、この台詞はこの回だったのか」と確認させられることも。
 今回久しぶりに、「『CSI:マイアミ』の台詞の紹介」として筆を執ったのも、今日偶々観ていて懐かしさと悲しみから是非取り挙げたい、と思うた台詞であります。
 『CSI:マイアミ』S1 #17「似て非なる殺人」から、では、──

 ジョン・ヘイゲン(殺人課)「奴の行く道は孤独だぞ」
 カリー・デュケーン(CSI)「だから一緒に歩くの」
 ──否応なく記憶に刻みつけられる台詞であります。古今東西のドラマから名セリフ・ベストなんてものを編むとしたら、個人的にはトップ5に推したい。さて、そこに「俺は繊維の神様だ」は入るかどうか。
 戯れ言はともかく、はじめて聞いたときよりもいまの方がずっと心に、ぐさり、と突き刺さってきます。それも相当に深いところまで……。今回この台詞に接して、知らず涙腺がゆるみましたよ。羨望と憧憬と絶望の衣をまとった思いが、自分のなかで暴れまわっているように感じます。
 ホレイショ・ケインの歩く道は、その正義ゆえに孤独である。理解者得ること少なく、組織の上層からけっして歓迎されないかれは、まさしく孤高の存在。そこにカラヤンの姿を重ねてしまっている、とは余計なお喋りでありますが、僭越ながら敢えて白状するとわたくしはそこに自分自身の姿、行く末をも重ねてしまっているのであります。
 自分がこれからもずっと独りなのは承知している。隣に誰もいないまま最後まで生きることも知っている。だからこそ、カリーの台詞が深くわたくしを抉る。(いまはまだ)同僚たる****さんがいてくれれば良いのに、というのは妄想でしかない。あなたしか求めていないのに、欲していないのに、愛していないのに。
 「だから一緒に歩くの」
 そういって、信じて付いて来てくれる人がいるホレイショは、その正義を理解して全力で支えてくれる人がいるホレイショは、とても幸せだ。『CSI』シリーズの主任としてはいちばん部下からの信頼が篤い人物ではないか、ホレイショ・ケインは。まァ、対抗馬はマック・テイラーしかいませんね。
 「奴の行く道は孤独だぞ」
 「だから一緒に歩くの」
 ……わたくしは人生の最後まで独りぼっちだ、歩いてくれる人が欲しかった。そんな人を探していたら、いつの間にやら黄昏時だよ。◆

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