第3591日目 〈【再掲】これから書いておきたい聖書・ユダヤ教・キリスト教関係のエッセイ。【一部加筆等あり】〉 [日々の思い・独り言]

 正月の喧噪も落ち着いてきました。昨年にあった諸々の整理も、確定申告関係と1つのことを除けば概ね終わりました。そろそろ、かねてから検討していた古典と聖書にまつわる種々のエッセイの筆を執る時が来たかな、と思うております。
 そこで今日は、第3230日目1/2でお披露目した、聖書やユダヤ教/キリスト教で今後書いておきたい(書いてみたい)エッセイの企みを、少しく手を加えた上で再掲することに致しました。別稿間に合わざるがゆえではありますが、どうかご寛恕願いたく思います(今後、聖書〈前夜〉で同じく再掲も多くなりましょうし)。
 その企み、すなわち、──

 静かな年末年始の時間の流れるなか、久しぶりに聖書を耽読した。すると、書いてみたい聖書・ユダヤ教・キリスト教関係のエッセイのネタが、幾つも浮かんできた。
 ──と思うて過去のエッセイを検めてみたら、まるで変わるところがないのには吃驚仰天。当時は、過去に列記したものと被る題材もあれば、此度新たに加わった題材もあったけれど、いまはまるでその頃からこちらの読書や思考は進んでいない事実を突きつけられたような気持だ。
 気を取り直して話を進めれば、──まず、懸念事項としてずっと心のどこかに引っ掛かっていた題材として、<ペテロの殉教>と<死海写本>がある。
 <ペテロの殉教>に関しては5,6年程前に書いたかれとパウロの殉教に触れたエッセイの、ペテロ部分の訂正と聖霊降臨後の活動をまとめ、殉教の様子の出典・典拠を可能な限り追及し、そこから出発して第5代皇帝ネロ治世下のローマ帝国に於けるキリスト教迫害史をスケッチしたい。
 <死海写本>に関してはまだまだ勉強が終わらないのでなんともいえぬが、たぶんナザレのイエスとエッセネ派/クムラン宗団の関わりを述べつつ、死海文書についてこれまで数多の解説書が取りあげてきた内容をわたくしなりにまとめ、管見を述べる、といった具合の文章になるだろう。
 また、上記死海写本についてのエッセイを書く過程でおそらく、エジプトで発見されたナグ・ハマディ文書(と『ユダの福音書』)とグノーシス思想に関しても同様なエッセイを書くだろう、と予想している。もっとも、こちらも以前から書こうとしている題材であるから、なんの目新しさもない。──ああ、そうか、新共同訳や聖書協会訳、フランシスコ会訳が収めない<旧約聖書外典>と<新約聖書外典>、<使徒教父文書>もあったか!!
 そうして此度「マカバイ記 一」の再々読をしてゆく過程で、やはり<聖書の翻訳史>と<古代オリエント・地中海世界の歴史>についてもまとめておくべきだ、と考えた。
 <古代オリエント・地中海世界の歴史>当たり前の話ではあるけれど「マカバイ記」はけっきょくのところ、ユダヤの側から見た前4-2世紀(アレクサンドロス大王の東征からシモンのハスモン朝成立まで)の歴史しか述べていない。
 セレコウス朝シリア側の歴史と事項──対プトレマイオス朝・対ローマ・対ユダヤ外交や軍事行動、時の国主と御代の出来事の一覧、王位を巡る内紛など──をまとめておくのは必要だ、と、痛感する場面は再々読の過程で幾度も感じた。このあたりがきちんと頭に入っていないと、大雑把でも流れを把握していないと、読んでいて「あれ?」と思うことが多々あったのだ。
 同じようにローマが共和政を経て帝政に移行し、併せて外交がどのように成されたのか、という点も、力のおよぶ限りでまとめて1つの文章に遺しておきたいのである。
 勿論、パレスティナの東方地域に勃興して栄華を極め、滅んでいった国家についても、なにかしらの形で触れ、かつ書く必要がある。メディアや、ペルシアのことである。
 <聖書の翻訳史>に関しては、これは完全に趣味と実益を兼ねたエッセイになる。或る特定の出版物の歴史や伝播の仕方を調べるのが好きなのだ。書誌学に興味を持って反町茂雄や森銑三、林望や中野三敏の著作を耽読したことでそのまま沼に嵌まったせいだろう。
 ヘブル語、アラム語、70人訳聖書を出発点にヒエロニムスのウルガタ訳が出来、ルターのドイツ語訳が出来、日本を含めて各国語がそれぞれの歴史のなかで然るべき人物によって作られてゆき、いまや聖書の翻訳は地球上で確認できる言語の過半を網して菜緒新たな翻訳が宣教師や学者たちによって作られようとしている。
 これまで日本語で読める聖書翻訳史とは上述したヘブル語、アラム語、70人訳からウルガタ訳、ドイツ語訳に至る歴史を語るか、日本語聖書の翻訳史の解明のいずれかであるのが専らでなかったか。
 が、わたくしが知りたいのは他言語による聖書翻訳史なのである。勿論、400字詰め原稿用紙10数枚のレジュメ程度で結構だ。さいわいとロシア語とスウェーデン語、ヴェトナム語については知る人の協力さえ得られれば自力でもなんとかなるような気がするけれど、他は、ねぇ。フランス語とかスペイン語とかスワヒリ語とか、中国語とか韓国語とかフィリピン語とか、もうお手上げだ。

──以上。
 このうち、2023年中にどれだけが実現できるか、或いは、どれ1つとして書けないかもしれない。斯様なことになったとしても、上記のあれこれについて考えを巡らし、本を読んだりメモを作ったりして、勉強している事実にはまるで変わりはない。
 最近は聖書や概説書、註釈書から進んで(?)、神学の本を囓ったり、日本人キリスト者の本もちょっとずつ読んだりしているのですよ……。それらについて、昨日一昨日のエッセイのように書けたら良いですね。◆

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