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第1088日目 〈エレミヤ書第1章:〈エレミヤの召命〉with同期が去った……。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第1章です。

 南王国ユダが王位にヨシヤ王を戴いて13年目の或る日、ベニヤミンのアナトトの祭司の家に生まれて育ったエレミヤに、主の言葉が臨んだ。即ち預言者エレミヤの誕生である。

 エレ1:4-19〈エレミヤの召命〉
 その日に主はエレミヤを聖別し、預言者として立てた。エレミヤは自分の若さゆえに尻込みし、民に向かって語る言葉を持たぬために固持した。が、かれらを恐れるな、かならずわたしが共にいて救い出すから、と主は答えて、ここに預言者エレミヤが誕生した。かれは主によって、ユダのみならず諸国に対して立つ者となった。
 「見よ、わたしはあなたの口に/わたしの言葉を授ける。/見よ、今日、あなたに/諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。」(エレ1:9-10)
 召命後、初めてエレミヤへ臨んだ預言━━それは北から迫ってくる脅威についてだった。王都エルサレムを含むすべてのユダの町に対して敵陣が敷かれる、なぜならば北からの脅威は即ち、主なる神、聖なる主への信仰に立ち帰らず、カナンの地に残った異神をあがめて献げ物をささげ、かつ悪徳に耽るイスラエルの民へ、主自身が降す裁きであるからだ。
 主はエレミヤに命じた、立って腰の帯を締め、わが言葉を民に告げよ、と。かれらの前におののくな、あなたは堅固なる存在としてすべての人々に立ち向かうわが僕である。かれらはあなたに戦いを挑んでも勝つことができない、わたしがあなたと共に在るからだ。

 「主の言葉がわたしに臨んだ。/『エレミヤよ、なにが見えるか。』/わたしは答えた。/『アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。』/主はわたしに言われた。/『あなたの見るとおりだ。/わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと/見張っている(ショーケード)。』」(エレ1:11-12)

 エレミヤの出身地アナトトは南北国境に近いベニヤミンの地にある、と昨日述べましたが、ここで補足を一つだけ。ダビデ王の跡を襲わんとして、ハギトとの間に生まれたアドニヤとバト・シェバの間に生まれたソロモンの間に王位継承の諍いが起こったことがありました(王上1〈王位継承の争い〉)。このとき、アドニヤを支持した者に祭司アビアタルがいました。ソロモンの即位後、かれは追放されました。その地がアナトトであったのです(王上2:26-27)。もっとも、アビアタルはそれ以前からアナトトに耕地を持っていたようですが。
 「北からの敵(脅威)」は聖書本文ではこうあります。エレミヤの台詞、「煮えたぎる鍋が見えます。/北からこちらに傾いています」(エレ1:13)と。これがやがてユダ王国を支配下に置き、やがては滅ぼすことになる新バビロニア帝国であることはいうまでもありません。が、エレミヤはバビロニアのみならず、更に北方の騎馬民族スクテア人やキンメリア人への警告も、活動の初期にはしています(エレ4)。エレミヤの活動期が常に情勢不安に曝され続けた時代であったことが、端的ながらよくわかります。
 引用した部分は暗に主の堅固なる意志を示していますね……。
 なお、先月末に書いたノートはそれ程出来が良くなかったので、パソコンに一旦打ちこんだあとで手を加えました。すこしだけですが、見栄えは良くなったようです。時間が経てば粗が見えてくる、というわけです。もっともそれ以上に、やや締まりのない文章で「どうにかしなくては……」と思っていたこともあります。現時点ではこれでいいと思います。


 同期が辞めちまったよッ!! 2週間以上休んでいたから覚悟はしていたが……まぁ、健康上の理由なら仕方ないか。でも、周囲もなんだかおいらのこと仲間と認めてくれているようで、それがうれしい。さびしいけれど、やってゆくしかないよなぁ。
 明日は休み、これから<絹の贅沢>を飲みながら録り溜めしておいた映画を観ます。◆

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第1087日目 〈「エレミヤ書」前夜〉 [エレミヤ書]

 木田献一『エレミヤ書を読む』の表紙に、ミケランジェロ描くエレミヤ像があしらわれています。元はシステーィナ礼拝堂にある天井画の一部だそうですが、そこに描かれたエレミヤの姿に思わず胸が潰れそうになりました。かれは一人椅子に座し、背中を丸めて、左手を足の間にだらんと垂らし、右手を顔の下半分にあてています。そうしてその表情は愁いに沈んでいます。悲しみに囚われた表情のようにも見えます。いましも嘆きの訴えが堰を切ったようにして、手の陰に隠された口から流れ出すかにも……。わたくしはこの表情こそが、かれエレミヤを外題役(タイトル・ロール)とする「エレミヤ書」の内容を、それとなく示しているように思われるのであります。
 エレミヤはユダ王国がマナセをその王位に戴いている時代に生まれ、ヨシヤ王の御代になって13年目に預言者として召命されました。自分の若さを理由に固持しようとしましたが、主の説得によってその役に就きました。ここからエレミヤの辛苦に満ちた人生が始まりました。最後にかれはエジプト流離を経験しますが、実は本書は他の預言書と異なり、預言者の半生をおおよそその書物によって知ることができる、珍しい一冊でもあります。
 かれが生まれ育ったのは南王国ユダのベニヤミン地方、アナトト。南北の国境からは50キロ程度しか離れていない、地方聖所のある小さな都市でした。エレミヤの父はその地方聖所の祭司を務め、町の人々から尊敬される立場にあったようです。が、時はヨシヤ王の御代、地方の祭司を取り巻く状況が大きく変化しようとしている時代でした。王下22:8にある如く修復中の神殿から律法の書が発見され、同23に詳しく記されるような(律法の書に基づく)宗教改革を断行した王の政策は、そのまま聖所を擁す地方都市にまで波及しました。既に南王国領となっていた旧北王国南部のサマリアも含めて、そうした町々にあった“聖なる高台の神殿”をことごとく廃除することになったのです。不満の声も相当あがったことでしょう。就中アナトトではそれを上回る騒動に発展しました。というのも、エレミヤがこのヨシヤ王の宗教改革に賛同する態度だったからです。それがためにかれは故郷の人々に怨まれ、暗殺されかけるのですが、これについては当該章で再び触れることといたします。
 エレミヤは新バビロニア帝国の台頭を主なる神の意志、と捉えていました。それゆえに帝国の王ネブカドネツァルを主なる神の使い、と捉えてもいました。かれが預言者として生きた時代、ユダは外敵の脅威を最も肌身に感じるべき時代でした。その頃ユダを取り巻く列強国には、お馴染みのアッシリアがありました。勿論、エジプトもシリア・パレスチナを勢力下に置くのを狙っていました。そうしてなによりも東には新バビロニア帝国が控えておりました。この三国のうちでオリエント地方に覇者として君臨したのは、いうまでもなく新バビロニア帝国であります。この新バビロニア帝国がメディアと同盟を結んでアッシリアを倒してシリア・パレスチナへ侵攻、エジプトの進撃を退けて遂にはユダを支配下に置き、やがてこれを滅亡させたのでした。エレミヤはそんな時代にあって、いまなお主への背信を続けるユダの民に悔い改めて主の道へ立ち帰るよう説き、専ら初期には北からの脅威に備えよ、と、国家を脅かす外敵の襲来を警告したのでありました。ただかれが親バビロニア、親ネブカドネツァルであったことは知られていたようで、前586年のエルサレム陥落、第2次バビロン捕囚の折は厚遇されたようであります。これについても当該章で触れるつもりです。
 なお、「イザヤ書」もそうであったように記憶しますが、預言はかならずしも時系列に並んでいるわけではないようです。その理由として一説には、いったん書きあげられた預言書(原「エレミヤ書」)の一部が事情によって失われ、後になって補筆されたからだ、といいます。
 第一イザヤの約100年後に預言者として召命されたエレミヤは、ユダが危難にあった時代に生き、なおかつ祖国の消滅を目の当たりにしなくてはならなかった、旧約聖書に名が載る預言者たちのなかでひときわ悲しみに彩られた生涯を送った人です。それはおそらく、“試練の連続”なんていう生易しい言葉では片附けられないものだったでしょう。━━多くのハンデを負わされ、周囲の無理解に悩み、それでも自分に課せられた役割を全うすべく生きねばならなかった宿命の存在(ひと)。わたくしはそんな風にエレミヤを見ております。また、それらのゆえにかれを楽聖ベートーヴェンになぞらえている、などというたら、果たして一笑に付されるでしょうか。もっとも、想像するに二人が性格の面で一致、或いは調和することなどないのでしょうが……。
 明日からあなたといっしょに読んでゆく「エレミヤ書」は、前の「イザヤ書」に次いで長い書物となりますが、どうぞよろしくお付き合いください。◆

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