第2594日目 〈横溝正史「女怪」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 いやぁ、このタイミングで読むべきではなかったかもしれない、と猛烈な反省を自らに強いたのが、一昨日昨日と読んでいた横溝正史「女怪」であります。
 例によって金田一耕助シリーズの一編ですが、こいつが他と較べてちょっと異色なのはこの名探偵が想いを寄せた女性が渦中の人となる、その点に於いてであります。金田一が懸想した女性はシリーズ全作を通じて僅かに2人、1人は『獄門島』の鬼頭早苗、もう1人が本作の持田虹子であります。
 どちらについても(当然)想いが報われることはありませんでしたが、それでも敢えて類推を試みれば金田一の心により深く、かつ癒やし難い思い出を残したのは、この持田虹子の方であったでしょう。
 虹子からの依頼によって彼女の身の回りに起こっている事件を捜査する金田一。その過程でかれは、これまで知ることなしに過ごしてきた現実──即ち虹子の来し方と否応なく向き合い、そこへ塗りこめられた彼女の「かなしみ」と「るさんちまん」に気附かされ、閉ざされた闇のなかから浮かびあがった真相を他ならぬ虹子本人へ報告せねばならぬ立場に置かれる。
 おそらく金田一としても、できるならば伝えずにおきたい、かりに伝えるとしても虚偽の報告を提出したい、と願うたことでしょうが、しかし金田一耕助の職業は「探偵」、白日の下に明らかとなった事実を報告する義務が課されているのでした。断腸の思いで真相を報告した金田一は折り返し届いた虹子からの手紙によって、すべてに終止符が打たれたのを知るわけですが、その際かれを襲ったであろう喪失感と後悔の思いは如何ばかりであったろう! 泉鏡花の「夜行巡査」の如く、私情に従うことままならぬ立場の者は職務と割り切る他ないとすれば、余りに惨めであります……。
 さて。冒頭にて「このタイミングで……」と呻いたのは、恋する相手の将来/幸せを願うと一歩引いて見守ることを選んでしまう金田一耕助に、事件が解決したあと人前から姿を消して放浪の旅に流離う金田一耕助に、嗚呼と嘆息してわが身になぞらえてしまうたがゆえのことでした。まぁ一言でまとめれば、生傷に塩を塗られたのみならず刃物で容赦なく抉られたような気分なのであります。ぶるぶる。
 読後にちょっと調べて知ったのですが、──いまはどうだかわからないけれど──以前はこの「女怪」という短編、どうにも評価の芳しくない作品だったようであります。というのも金田一耕助があろう事か恋をして、挙げ句に傷心旅行に出てしまう点を、どうにもお気に召さぬ愛読者たちが存在していたらしい。
 金田一耕助を女性の手から守る会、なんて組織があったとも仄聞しますので「女怪」の評価がよろしくないことも納得ですが、なんだかこうした点に、金田一耕助がシーンの最前線で活躍する現役の名探偵であった時代、どれだけの人々がかれの探偵譚に熱を上げ、それを求め、また人気を博していた、その一端を知るようでわたくしは興味深くかつ面白く思うのです。『ストランド』誌で連載されていた時分のシャーロック・ホームズ譚とそうした点ではじゅうぶん比較対象の研究材料になると思うのですが、もうこのような研究はされているのでしょうか。
 とまれ、『獄門島』と「女怪」というシリーズ初期の2作に於いて金田一耕助からは以後<恋愛>の要素は省かれましたが、その他の点で人間味をどんどん増してゆきながら、舞いこんだ数々の事件にかかわってゆき、名探偵として江湖にあまねく知られる存在となってゆくのでした。結果的に生涯独身を貫いた様子の名探偵・金田一耕助ですが、シリーズ終盤にあたる、たとえば『悪霊島』や最後の事件『病院坂の首縊りの家』の時期にもう1人ぐらい、かれに烈しい恋心を抱かせるような女性があっても良かったのではないかな、或いは鬼頭早苗とひょんなことから再会するなんてエピソードがあっても良かったのではないかな、なんて勝手な物思いから妄想が膨らみもするのですが……二次創作の領域に踏みこむことになるこの話題、袋小路に迷いこむ前に切りあげるとしましょう。
 金田一耕助の思いがけぬ姿が露わとなった「女怪」、短編のなかでは「百日紅の下にて」と同じぐらい重要な位置を占める作品ではないでしょうか。◆

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