第2476日目 〈久世光彦『一九三四年冬──乱歩』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 著名な探偵小説作家の失踪というと、まずはアガサ・クリスティが思い浮かぶ。揣摩憶測様々囁かれたけれど、真相は藪のなか。自伝にもはっきりしたことは記されなかった。一方、日本の場合は誰がいるかな、と見渡してみれば、われらが江戸川乱歩がそこにいる。かれはたびたび姿をくらませたが、クリスティと異なって行方不明の間はどこでなにをしていたのか、そもなぜ失踪してみたのか、そのあたり細大漏らさず自身の手で書き留めている。書き留めているのだけれども、第三者の想像が入りこむ余地は残されていた。そこへ着目して夢うつつの綯い交ぜになった、乱歩を主人公とするに相応しい浪漫的な物語を仕立ててみせたのが、久世光彦『一九三四年冬──乱歩』である。
 1934(昭和9)年冬、江戸川乱歩は連載中の小説『悪霊』を放り出して、初めてではない失踪をした。小説の行く末に暗雲が立ちこめるや持ち前の厭世癖が頭をもたげてきて、それに抗うことなく最低限の荷物をトランクに詰めて自宅からさして離れていない麻布坂上のホテルに身を寄せた。ホテルの名は<張ホテル>、その地に実在した長期滞在客向けのホテルだ。ちなみにそこから然程離れていない麻布市兵衛町には<偏奇館主人>こと永井荷風が住まっており、本書第三章では乱歩が荷風と思しき人物をホテルの窓から目撃するシーンがある。
 序にいうと、『断腸亭日乗』に拠ればその翌年即ち昭和10年、その偏奇館へ、後に破門を喰らう平井呈一が足繁く通い始める。その平井は戦後、乱歩と組んで東京創元社を根城にして数多の怪奇小説、幻想文学の傑作、隠れたる名作を江湖へ供することになるのだが、これはまた別のお話。歴史にを持ちこむならば、もしこのたびの乱歩の失踪が昭和10年であったならば<張ホテル>界隈で平井とニアミスしていたかもしれない。久世の小説にも、窓から目撃した荷風の傍らに平井の姿を見出す場面があったかもしれない。──まぁ、それはさておき。  このホテルの客となり、202号室に落ち着いた乱歩は、美貌の中国人青年、ボーイの翁華栄やティファニー商会東京駐在員の妻リー夫人と専ら関わりながら、やがて幾つもの不可解な出来事に遭い、翻弄されることになる。大概の出来事はすぐに謎解きされるのだけれど、隣の201号室には未だ怪しい点があって──誰がこの空室に出入りして、乱歩の部屋を覗き、或いは物音を立てたり悩ましげな声をあげるのか──、乱歩、翁華栄、リー夫人の3人はそれぞれの推理を披露こそすれ真相は不明なまま。かれらは、では今夜改めて自分たちの考えを持ち寄り201号室の謎を解き明かしましょう、と約束するも本書はそこにまで話が進むことなく幕を閉じる。あたかもこの物語に於いて201号室の謎解きはあくまで添え物で、主軸は乱歩がこのホテルで書き始めた短編「梔子姫」の創作日録である、とでもいいたげに。  その「梔子姫」は久世光彦の創作である。しかし、実際一読いただくしかないのだけれど、その背徳的で妖艶、デカダンの気配を濃厚に塗りこめた「梔子姫」は、たしかに乱歩が好んで書きそうな物語である。  中国は福建省の町から日本の娼館へ売られてきた梔子姫は、3歳の頃から「一日一合、梔子の花弁を浮かべた酢を欠かさず飲まされ」(P87)、日夜飲み続けることで「体内の骨という骨が次第に撓みはじめ、娘の体は三年で真後ろに反り返って頭が床につくようになり、五年で首がほぼ百八十度振り向くことができ、七年経つと体中の関節を自在に外せるまでに」(同)なった、という。また7歳の時に蒼い水銀を嚥まされて声を失った。まさしく、「男の邪な悦楽のため造られた体」(同)となったのだ。作中作の語り手は友人に誘われていった私娼窟で彼女に出会い、愛し合い、海が見たいてふ彼女を連れての逃亡を決意する──。  梔子姫と語り手のまぐわう場面はむろんあるのだけれど、それがとってもエロティックで、美しいのだ。でもそちらの方へ筆が走ることは当然無く、全体を支配するトーンは極めて切なげである。たとえばこんな描写──、  「最初の夜こそ梔子姫は私の思うがままに白い体を委せているだけでしたが、二度目に訪ねた一週間後の満月の夜、押せば押したで熱く滑る海綿体のようにどこまでも潜りこみ、引いたら引いたで一分の隙もなくこっちの皮膚に吸い付いて、放っておけばそのまま私のなかにしみこんできそうな肌に驚いた私が、夢中になってその脚を折り曲げ、腕を捩り、胴を畳んでいるうちに、梔子姫が差し渡し一尺五寸ばかりの絖光る球形の塊になって深紅の夜具の上に転がっているのを目にしたとき、私は悪い夢を見ているのだと思いました。」(P140)  或いは、──  「崩れこんで布団に坐り、震える手で梔子姫の塊を押してみました。裏側の何処か下の方で小さな吐息がこぼれます。そのままゆっくり転がすと、私の顔の前にそれまで向こう側に隠れていた球面が現れ、そこに梔子姫の小さな顔と殆ど隣接して薄杏色の、女のもう一つの貌が見えたとき、私はあまりの怪異に思わず失禁してしまいました。気が遠くなるような長い、長い失禁でした。」(P141)  ……できれば本書を一度読了したら、最初に戻って「梔子姫」のパートだけを読み返してみるとよい。語り手と梔子姫の間に交わされた歓びと、2人が共有した哀しみと、絶望の向こう側に見出した久遠の平安を、初読のときにもまして感じ入ることだろう。  かつて著者は単行本刊行時のインタヴューのなかで「梔子姫」について訊かれた際、本編と同時進行で書き進めていた、と答えている。「梔子姫」ありきではなく、あくまで張ホテルに滞在する乱歩と同じ状況で筆を進めていったのだ。となれば、本編の随所に見受けられる執筆にあたっての乱歩の悩みやら喜びやら悶えやらはそのまま、久世光彦のそれであった、というてよいのやもしれぬ。むろん、ラスト近くで提示される2種類の結末案についてもだ。やはりそんな意味でも本書は創作日記の側面を持った<乱歩奇譚>である、といえるだろう。  また、本書はエドガー・アラン・ポオを巡るエッセイとしての、『The Tragedy of Y』の著者バーナビー・ロスの正体を推理するゲームとしての一面をも内包していることを、蛇足かもしれないが触れておく。  本書『一九三四年冬──乱歩』は江戸川乱歩の著作を典拠としたことで、またかれの著作へ存分に耽溺することで生まれた、久世光彦的クリティカル・ノヴェルである。いみじくも著者は第二章で斯く記す、「憐愍が愛情に変わるなら、愛情は模倣に変わるものらしい」(P115)と。この思いを実作へ昇華させたのが本書である、とは、過ぎた発言ではないだろう。  本書は1993(平成5)年12月に集英社から単行本が出た後、1997(平成9)年2月に新潮文庫に加えられた。解説は井上ひさし。現在は創元推理文庫から戸川安宣の解説、著者と親交あった俳優、翁華栄の書き下ろしエッセイを付して2013(平成25)年1月、発売されたものがある。わたくしが読書と感想の執筆に用いたのは新潮文庫版、よってページ数もそちらへ準拠する。◆

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