第2471日目2/2 〈江戸川乱歩『算盤が恋を語る話』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 創元推理文庫で江戸川乱歩の短編集を刊行順に読むのを企むと、本書『算盤が恋を語る話』は3冊目に手にする文庫となる。ここには乱歩が探偵小説作家として地歩を固めるべく奮闘、独創的トリックと語り口から成る短編小説を世に送り出していた大正12(1923)年7月から同14(1925)年7月までの作物を録す。
 本書を指して傑作集か、名作集かと問われれば、然に非ず、と答えよう。一流品は先行する『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩』と『D坂の殺人事件』に収録されており、本書で読めるのはどちらかといえばそれらより(やや)見劣りする作品だ。が、イコール読むに値しない小説というのではない。名作、傑作が光芒を放ち続けるのを陰で支える脇役的作品で、いずれともそれなりの味わいがあり面白みがあるのだ、とは申し添えておく。
 本書にはデビュー作「二銭銅貨」と同時期に書かれ、それと一緒に『新青年』誌編集長森下雨村宛てに投稿された「一枚の切符」を始まりとして、小さな恋と愛らしい錯誤の小話というべき「日記帳」と表題作「算盤が恋を語る話」、盗まれた大金を巡っての右往左往がまことにコメディチックな「盗難」、現代では使い古されたけれど当時としては画期的であったろうトリックを採用した、そうして犯人と目された主人公の心理に思わずわがことを重ねてしまう「夢遊病者の死」など、全10編が収められる。内、個人的に気に入っているのは「恐ろしき錯誤」と「盗難」、「夢遊病者の死」で、巻末の「自註自解」を見ると乱歩自身の評価はけっして高くないようだが、わたくしはこういう小説が好物なのだ。
 その上で敢えて一編を選べ、と酷な命令を受けてそんな殺生な……とぼやきつつそれでも選ぶとするならば、やはり「恐ろしき錯誤」に軍配を挙げよう。火勢盛んなる自宅へ舞い戻って死んだ妻の復讐を企み、犯人に相違なしと断じた級友を計算ずくの話術で追いこんでゆく男の話である。自身が火災現場を経験した者はよく知っているだろうが、人はその場面に遭遇したとき、自分がいちばん大切と思うものを運び出し、或いは救おうとする。一旦は逃げ果せた妻を燃え盛る自宅へ舞い戻らせたものはなにか。目撃者の談に拠れば火勢衰えぬ家の前で心配顔、不安顔で行きつ戻りつする妻へ近寄り、何事かを耳許で囁いてすぐにその場を立ち去った者があるという。それは誰であったか。やもめとなりし男、北川氏というのだが、その北川氏は事故後に聞いた幼な子へ語りかける亡妻の声と避難先である友人越野氏の証言(前述の目撃者が越野氏なのだ)から事件の全体像を捉え、既に述べたように級友の野本氏を火事のあと初めて会うた折に事故を回顧しつつ、事件を推理しつつ巧みに追い詰めてゆくのだ。
 犯人はやはりこの旧友野本氏でした、真相は北川氏の推理した通りだったのです、で幕を閉じたらまるで二時間ドラマである。つまらない。安っぽいメロドラマだ。この先から乱歩一流のドンデン返しとなるのだが、北川氏、肝要のところでドジを働いた。練りに練ったはずの計画を自らの詰めの甘さでオジャンにした。野本氏との会談のクライマックスで北川氏は亡妻の残した写真入りペンダントを旧友に渡して辞去する。それには野本氏の写真が入っていて、妻はずっと君を想っていたのだ、野本くん君はそれを知らずただ長い歳月自らの内にくすぶらせ続けた嫉妬から妻を殺したのだよ、といわんばかりに──旧友よ自分の所業を悔いて生きてゆけ、そんな引導を渡して北川氏は旧友宅を辞去するのだが、実はそのペンダントに入っていた写真の主は野本氏ではなく……。わたくしはこれ以上の暴露を望まない。本編を未読の読者諸兄があらば、是非ともご自身で北川氏がしでかした<恐ろしき錯誤>をご確認いただきたい。
 しかし「恐ろしき錯誤」には乱歩の別の作品とリンクする要素がある。2つの作品それぞれの内容と両者をつなぐ要素がわかると、「恐ろしき錯誤」に於ける妻の死を北川氏の推理とは違った視点で見ることになろう。それ即ち避難先となった友人越野氏の存在である。本作には初出時にあって後の単行本収録に際して削られた乱歩自身による「付記」があったのだけれど、幸いと創元推理文庫版「解説」ではこの「付記」全文が紹介されている。「乱歩の別の作品とリンクする要素」にかかわるのはこの一文だ、「この話には全体に亙って越野氏の事件に関する伏線が敷かれてある」(P240)と。続けて、今回触れられなかった越野氏の事件はいつか「赤い部屋」と題して書かれることになるだろう、とも。
 勿論、「付記」に載る「赤い部屋」と後に書かれた「赤い部屋」がまったく同じ意図の下に書かれたてふ乱歩側の証言はないが、それでも越野氏と「赤い部屋」の語り手T氏は同一人物であるとみて差し支えあるまい。「赤い部屋」でT氏は<罪に問われることなき犯罪>を計画、実践しており、自分の望むように相手を意図的に動かし、そのなかには殺人の実行も含まれる。「恐ろしき錯誤」にて北川氏の妻の耳許で何事かを囁いて彼女を死に至らしめたのが越野氏である可能性はじゅうぶんにあるのだ。「恐ろしき錯誤」では妻の死がいわゆる殺人なのか、現場で目撃された(と越野氏一人だけが話す)人物が誰なのか、明らかにされていないが、件の「付記」を念頭に置いて本作と「赤い部屋」を続けて読めば、真相に肉薄できるように思うのだ。
 未だ探偵小説の読者としては門前の小僧であるわが身なれど、本書のみを捉えても作者が創作に関して試行錯誤の段階にあったことは明白である。それは同時に、探偵小説というジャンルの確立と間口を広げてゆこうとこれ努める、<日本のポオ>、<日本のドイル>たらんとした乱歩の刻苦精励の跡でもあった。先行する2冊の短編集──『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩』と『D坂の殺人事件』──が実った穂だとすれば、本書(と『人でなしの恋』)は実りの時を迎えることなく地上に落ちた穂である。しかし吟味すれば、双方の間に然程の隔たりはないのだ。
 事実、わたくしは「二銭銅貨」と「一枚の切符」を読んで後者により強い魅力を感じた。たぶん余計な雑味を排除して寄り道することなく真相へ近付いてゆく筋運びと、どことなくホームズ譚を想わせる雰囲気を好ましく感じたのだろうね。◆

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第2471日目1/2 〈2017(平成29)年のごあいさつ。〉 [日々の思い・独り言]

 2017/平成29年が静かに幕を開けたばかりなこの時間、皆様どのようにお過ごしですか。
 旧年中は読者諸兄皆様のご支持のお陰で、怯懦になるときありと雖もどうにか最後まで走り続けることができました。心から、ありがとうございます、と感謝いたします。
 そうして、本年も皆様の変わらぬご支持とご愛顧の程宜しくお願い申しあげます。
 旧約(含続編)・新約聖書、全81巻の読書が終わった昨秋以後は、なんだかすっかりだらけてしまい──というよりは、それまで機械的に行ってきた読書と執筆と詩作(ぷぷ)の営みがなくなってしまったことで、虚脱感に囚われてしまいました。会社と自宅の往復しかしていない毎日は無機質で、退屈です。砂を噛むような、ぬるま湯に浸かっているような、なにをしていても中途半端で生きている実感がまるでないのは、正直現在も感じていることであります。
 長編小説の連載がされている間は本の感想やエッセイを書き溜めたり、或いは棚上げしていた小説執筆の再開を模索したり、といろいろやっていますが、以前のようにはすんなりと仕上がらなくて、困っている。中途で放棄した文章、推敲してお披露目できる状態に持って行くまでもない程度の文章ばかりがずいぶん溜まり、頭を抱えているのであります。
 今年はそんな怯懦と無気力に挫けないよう、「文章の質の維持」と「毎日(定時)更新」を目標に掲げましょう。(定時)とカッコしているところが卑怯だな、と思わなくはないですが、まぁ大目に見て。えへ。
 現時点でのお話をさせていただきますと、実は、小説の連載が終わったあとのことがなにも決まっていません。毎日更新します、と公約に掲げたばかりですから、毎週もしくは毎月特定日に更新、なんてことにはしないよう極力努めますが、如何せん予定が決まっていない、というのはなかなか困った事態なのでした。さて、どうしようかな。
 これからみくらさんさんかはクライバーの《こうもり》を観ながら日本酒を飲み、本ブログの今後の行く末について真剣に考えてみる心づもりであります。とはいえ、なんだか眠くなってきたよ……。◆

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