第2771日目 〈永井荷風/金阜山人「四畳半襖の下張」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 平井呈一を入り口に永井荷風の文学へ深入りしていった人は、どれだけいるのだろう。わたくしの世代であれば紀田順一郎か荒俣宏の著作物によって、平井翁と荷風散人の関わりをゆくりなくも知ることとなり、「来訪者」と『断腸亭日乗』を繙き、症状次第で2人の関係が破綻する引き金となった金阜山人名義の春本「四畳半襖の下張」を捜しまわる。これはわたくしの場合に他ならないのだが。
 とはいえ、一時期は制約が厳しかったと仄聞する「四畳半襖の下張」の閲覧も、いまでは容易だ。21世紀の現在では週刊誌に全文が掲載されたこともある。わたくしがそれを読みたくて立心偏をたぎらせていたのは1990年代の後半だったけれど、東京都中央図書館であっけなく掲載誌(裁判沙汰になった”あの”雑誌である)のコピーができたのに拍子抜けして、近くに住む友どちの家に転がりこんで鼻息荒くして廻し読みしたことも良い思い出だ。
 生田耕作先生曰く、荷風はあの春本を書くにあたって江戸時代の艶本を片っ端から読み漁って研究した上で「四畳半襖の下張」を書いた、だから分量も描写も「江戸時代の春本の模造品」というてよいが、一流の文章家である荷風の手に掛かると仕上がりの見事さは芸術品としか言い様がない、と(「いま再びワイセツを論ず」『卑怯者の天国 生田耕作発言集成』P164-5 人文書院 1993.9)。
 江戸時代の艶本類は岡田甫や林美一といった在野の研究者が牽引役となって発掘や翻刻研究が進み、いまでは堂々と新刊書店の棚に、雑誌の特集や新書として紹介する本が並ぶ始末。良き哉、良き哉。その岡田甫や林がかかわった江戸艶本の集成ともいうべきが『秘籍 江戸文学選』全10巻(日輪閣)である。すずらん通りに当時あった薄暗い古書店の、エロ雑誌やコミックが並ぶ平台の奥、帳場の横の棚に赤い函入りで全巻がばら売りされているのをいいことに、毎週1冊ずつ買ってその面白さに夢中になり、その後も林美一の艶本研究書や翻刻と研究で構成される『江戸枕絵師集成』(河出書房新社)と一緒に耽読すること多々。
 こうした作品群に触れた上で生田先生の言葉を踏まえて「四畳半襖の下張」を読むと、まさしくその通りなのである。ただ一つ異なる点あるとすれば、特に<江戸三代奇書>と称された『阿奈遠加之』、『藐姑射秘事』、『逸著聞集』に顕著な掛詞、枕詞、典拠、本歌取りといった古典文学ではおなじみの手法が「四畳半襖の下張」では影を潜めていることだろうか、その分、先生が話題に上した『春情妓談水揚帳』や『双蝶々千種花』といった、もう少し砕けた文章で書かれた艶本が荷風の目にかなったというのは面白い。つまり、はじめから荷風は男の下半身と女の性欲を刺激する気満々で、それらを範として当世風擬古文を駆使、超猥褻ながら一世一代の最高傑作を物したのである。これに較べれば、他の荷風作品の私家版にある色事の場面など温い方であるまいか。
 ──わたくしは平井呈一をきっかけに荷風散人の小説を知った。地元の図書館から借りた『現代日本文学体系』(筑摩書房)の荷風の巻に、偶然「来訪者」が収まるのを見附けて読み耽り、当時参加していた関西の同人誌にこれを題材にしたエッセイを書いた程だ。その後、生田先生の荷風好きに導かれて、岩波文庫に入る荷風作品を読破して(そのなかには復刊されたものもあり、また古書店で数千円を叩いて買うたものもある)、全集をも数年かけて読破した──最後の一押しは、荷風が教鞭を執った三田の、自分が学生であったこと──。
 ここで再び冒頭の問題;果たして平井呈一を入り口に荷風散人の作物へ耽溺した者どれだけありや?
 すくなくとも1人は確実にここにいる──のだが、ここ10年ばかりは手にすることもなく過ごしてきた。が、幸いにも今年2019年は荷風生誕140年、没後60年のメモリアル・イヤー。岩波文庫と中公文庫から荷風の小説・随筆が刊行されている。岩波文庫からは「来訪者」が、「花火」など戦前戦中に書かれた作品を集めた1冊のなかに収められて、出た。他にも数冊、新刊があったように記憶する。中公文庫からは戦前の作品集『麻布襍記』と戦後の作品集『葛飾土産』が文庫化、また私淑した森鴎外に言及した文章を柱に据えた『鴎外先生』が下の安岡章太郎の文庫と同じタイミングで出版された。
 関連書目として中公文庫から、安岡章太郎の『私の濹東綺譚』も増補新版が今月、というか今日(昨日ですか)発売された。こちらは新潮文庫版を底本に未収録だった評論を加え、かつ荷風の『濹東綺譚』を全文収録するという、快挙というか盲挙というか、取り敢えず喝采を送りたい体裁である。
 今年ももう1ヶ月半しか残っていないが(おお、なんと!?)、幾らメモリアル・イヤーとはいえ荷風の本がこう何冊も出るというのは、驚きであり、一方で納得である。とどのつまり、みんな、荷風が好きなんだ。あの生き方に羨望覚えぬ者があるか? 時勢に従わずして恒産あるがゆえに斯く生き、斯く書くことができたのは指摘するまでもないが。むろん、いま売らねばいつ売るのか、という商魂あってこその話でもある。
 とはいえ、まだまだ手ぬるい。世人は荷風の業績をもっと知るべきである。そんな次第で中公文庫編集部は春本「四畳半襖の下張」出版の英断を、是非。◆

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