第2758日目 〈太宰治『晩年』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 昭和11/1936年は二・二六事件が起こった年である。年表を概観するだけでわかるように、この年を境に日本は軍国主義が本格的に台頭、5年後の太平洋戦争へと舵を切った。太宰治『晩年』は社会が不穏な空気に覆われつつあるその年の6月、上野桜木町に当時あった砂小屋書房から刊行された。同年3月刊行予定だったのが、二・二六事件の影響でずれこんだ由。
 この本を出版するまでの間に太宰は、じつにたくさんの習作を物し、その数は原稿用紙5万枚、作数100に余る旨太宰本人が書き残している。ここに収められた全15編はいずれも商業雑誌や同人雑誌、校内新聞に発表された。遺書のつもりで出版したこの作品集へ作品を収録するにあたり、作者がどう基準を設けてどう定めたか、真相は不明。加えて書かれた作品のどれだけが公にされたか、寡聞にしてわたくしは知らない。が、収録作のいずれもが昭和8年から11年にかけて雑誌へ載ったことから推して、雑誌に掲載された作品=編集者に評価されて、読者の目に触れて読まれるに足る作品=作品集に収めるにふさわしい作品、と太宰が判断したと考えることに、なんら不都合なことはないと思われる。
 さて、先行して「彼は昔の彼ならず」の感想を書いた。今回は『晩年』全体の感想を記すに留める。流石続けて2度目の読書となるとさして感想など変わるまい、と高を括っていたが然に非ず、変動の激しかったことに驚いている。これを当方の読書の浅さと取るか太宰文学の懐の深さと取るか、或いはそれ以外なのか、その判断は読者諸兄にゆだねよう。さて。
 このなかからなにかしらの形で琴線に触れたのは9作、但し実質7作。読了して数日が経ったいまでも殊に記憶に残るは「道化の華」と「ロマネスク」、続けて「思い出」と「魚服記」、「地球図」と「雀こ」、「めくら草子」であった。他の小説? いやぁ、わたくしにはどうもよくない。
 しかし、わが国近現代文学史を瞥見して『晩年』程、その鮮烈な存在感を放っている処女作品集があるだろうか? 否、としか申しあげようがない。比肩するもの仮にあるとすれば、さてなんだろう、戦前戦中を見渡しても該当しそうなものはない。相当に目を凝らした末に変化球となるが、山崎俊夫『童貞』(大正5/1916年 小川四方堂)を挙げられる程度。むしろ戦後に安岡章太郎『悪い仲間』(昭和28/1953年10月 文藝春秋新社)と吉行淳之介『驟雨』(昭和29/1954年10月 新潮社)があるのが救い。あとはダメ。等しく。あくまで個人の所感。
 ──寄り道したが、『晩年』と上記作品集の共通項を見附けるとなれば、類い稀なる文章力と描かれた世界の陰翳のくっきりした様子、そうして退廃の気配を潜ませた雄編が揃う点、となろうか。とはいえ、もしかすると<収録作品の質>という点から俯瞰すれば、じつは『晩年』がいちばん足並み揃わずばらけているように思われる。「道化の華」と「ロマネスク」を頂点にして、山嶺と谷底にたいへんな高低差がある。
 ここで意識は最前の、「太宰は如何なる基準で以て収録作品を選択したか」という話に飛ぶのだけれど、それはひとまず置いておく。新潮文庫版『地図』をも俎上に乗せねばならぬ話だからだ(ついでに当然、全集も)。
 蓋しいえることは、太宰がどれだけ作品に対して執着を持っていたか、執筆の動機や作業過程並びに推敲等に於いてどれだけ心に去来することが大きかったか、そうした心理的理由が大きく作用していたのではなかったか。太宰のなかで、書かれた作品は余程のものでない限り、等しく自身の「青春のまたとない記念」たり得たものばかりだった。それゆえに悩みを重ねて──時に愛着、執心が選択眼に迷いや澱みを生じさせたかもしれない──、現在あるが如き形で『晩年』は成った。すべてに<自分の言葉>が、<自分の訴え>が、<自分の考え>が塗りこめられている。これでよし、とおそらく太宰は胸のうちで呟いたことだろう。
 最後にいわずもがなの余談を綴って、本稿の最後を汚すとしたい。「ロマネスク」は昭和9/1934年8月初旬、静岡県三島市の坂部武郎宅滞在中に執筆したというが、この時期のことを描いた好短編が「満願」である。『ビブリア古書堂の事件手帖』第6巻では太宰文学の愛好家3人が会を結成して「ロマネスクの会」と名乗った。また、「道化の華」は『二十世紀旗手』(新潮文庫)所収の「狂言の神」「虚構の春」と合わせて<虚構の彷徨>三部作を構成し、実際昭和12年/1937年に短編「ダス・ゲマイネ」を併録して新潮社より刊行された(他の太宰の刊本同様、日本近代文学館からの復刻本がある)。

 「ロマネスク」は初期太宰文学の高峰である。贔屓の引き倒しになるかもしれないが、もし太宰が『晩年』1冊で消えていたとしても、この1編あることでかれの名前は文学史に刻まれていたに相違ない。わたくしはそう信じる。それだけ「ロマネスク」には太宰の語りの自在さ、素材の生かし方、明朗な文章、人生の悲喜交々や陰翳を巧みに捉えて昇華させる類い稀な想像力、などなど、いわゆる太宰文学の特質とされる諸点が遺憾なく発揮されているのだ。◆

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