第2906日目 〈生きている間に読みたい本、感想を書きたい本。〉 [日々の思い・独り言]

 いろいろ片付けをしていると、この本まだ持っていたんだ、処分してしまったかと思っていた、と懐かしい再会をすることがしばしばで、そんな本を見附けるたびに腰を落ち着けて読み耽ってまったく片付け作業が進んでいない、となるのはおそらく蔵書家あるあるの1つであろう。この場合の蔵書家、というのは単に本が多い人、そんな意味で取ってもらって構わない。
 じつは今回、プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』(神西清・訳 岩波文庫)の感想を書くつもりでいたのだが、なにかと集中できず、おまけに原稿を投稿予定であった今日月曜日は風邪をこじらせてわずかの時間を除いては床にあるため、それが満足に書きあげられていない。そんな次第で方針転換、まだ元気である間に10代20代にであってもういっぺん読んでみたい本、就中それは感想を書いておきたい本にもなるのだが、それの書名と簡単なコメントらしきを記して表面上の責を果たしたい。では、──

○福原麟太郎『読書と或る人生』(新潮選書)、小泉信三『読書論』(岩波新書)
 福原博士の名前をどこで知ったのか覚えていないが、たぶん渡部昇一の本ではなかったか。その時分に読んでいた本に、福原麟太郎の名前を出してその業績など搔い摘まんで話すものはなかったように記憶するから。
 わたくしはこれを、神保町白山通りの古本屋で買った。確か道路向かいにある日大の学生御用達の店の、店頭見切り棚である。500円玉でお釣りが来るような金額であったが、それを買うことで昼飯代が足りなくなり、靖国通りへ出ることなく帰りのJRのなかでさっそく読んだ。これに端を欲して著者の本を探して歩くようになって一時は高田馬場まで足を伸ばしたが、なかなか見附けることができず、けっきょくわたくしが博士の代表作『チャールズ・ラム伝』を手に入れたのは、講談社文芸文庫に収められた版に於いてであった。とはいえ、トマス・グレイの研究書や非売品の書簡集を手にしたのはこの時期であったし、そうした点では収穫に恵まれていたのかもしれない。
 福原麟太郎『読書と或る人生』、これをわたくしは昨年の大掃除のとき、ずっと廊下に放りっぱなしだったダンボール箱から見附けたのであるが、爾来机の上にあってブログその他の原稿に書き倦ねたとき、単純にちょっと疲れたとき、そんな折節に手を伸ばして、適当に開いたページに目を落として読んでいる。支那の地名の話、蔵書票を鉛筆で記録する理由、ロンドン留学の際芭蕉の俳文を薬草としてどうにも相応しい英語が見附からず「もうこれは良しとしましょうや」と諦めた話、師・岡倉由三郎とのかかわりで生まれた挿話群、翻訳についての持論、などなど、読んでいない間でもずっと記憶と心の奥底に澱のように溜まっていた話が、巻を開くと次々にあふれてくる。懐かしさを覚えると同時に、自分がなにに感じてなにに感じなかったか、そんなのを改めて確認することも、ある。
 わたくしのなかで読書論の規範としてあるのは、福原博士のこの本と、渡部昇一の『知的生活の方法』正続(講談社現代新書)、それと小泉信三の『読書論』であった。ここに紀田順一郎の『黄金時代の読書法』(蝸牛社)と『書斎生活術』(フタバブックス)、『現代人の読書』(三一新書)が加われば、最強の布陣といえる。
 渡部昇一が小泉信三の『読書論』の一節を引用して、自身の図書館住まいの経験をお話しているが、それに先立ってわたくしは小泉信三の名前を知っていた。祖父を通じてその人を知っていたのである。というてもむろん、直接の面識があったわけでは、ない(だから、名前を知っていた、と書いた)。詳細は自分の素性を曝すに等しいので、省く。知りたくば直接わたくしにいうてこられよ。幾らでも、お話しよう。
 『読書論』は岩波新書の永遠のロングセラーというてよい。一時はカタログから姿を消していたようだが、だいぶ以前に復刊されて大きな新刊書店ではいまでも取り扱いがある。わたくしがこれを見附けたのは、いまはもうない伊勢佐木町の先生堂という古本屋さん──2代目店長で後に伊勢佐木書林を立ちあげた飯田さんのインタビュー記事を、最近ネットで目にした。もう古本社業は廃業されてしまったのだろうか? 先生堂と伊勢佐木書林、各刻堂のことなど、別に書いておきたい──の、トイレに行く途中にある新書を集めた棚のいちばん上の段であった(下2段は読み捨てられたペーパーバッグで、ウェスタンやミステリ或いはロマンスなど随分と発掘した)。掃除が行き届いた店であったから本の天にホコリの類が乗っかっていることはないけれど、それでも薄汚い姿であった。いまにして思えば、先生堂では、すくなくとも岩波新書は発行されたときの番号順に並べていたのかもしれない。まだ新書のジャンルに新規参入してくる出版社はなく、岩波と中公、講談社の他は既に活動を止めたレーベルの刊行物であった。
 小泉の経験と理想を語り尽くした『読書論』の白眉といえば、なんというても、理想の書斎について述べた一節であろう。ここは渡部の本でも紹介された箇所であるが、比較的有名な一節でもあるので省くとしたい、──今日の読者は原典にアクセスするのさえ面倒臭かったりそこに辿り着く方法をそもそも知らない方もおられようけれど、ここは是非この文章を発憤材料として旧仮名旧漢字の本書に挑戦していただけると嬉しいな。
 まさにこれは理想で、未だ実現されない理想である。読書家にとって、物を考える人書く人にとって、このような書斎があることは誇りであり、武器であり、汲めどもけっして尽きることなき井戸である。外界の音にさえ邪魔されなければ、1つの話題、論点について多種多様な解釈や推理が望め、やがて到達するであろう結論も当初からは考えられもしなかったものとなるに相違ない。書物こそ書斎の生命であり、静寂こそ思索の根幹。小泉の説く理想の書斎とは、そんな両者が調和した一種の桃源郷というてよいのだろう。とはいえ、こんな書斎を本当に持っていたらそこから一歩たりとも出る気にはならず、会社勤めも怠けてたちまち印刷物のモルグと化すこと請け合いである。実現されない方がいい理想もある、ということか。やれやれ。
 
 ここまで書いたのを読み返して、書名を挙げるのと、簡単なコメントで済ますはずだったが、どうやら目論見は外れてしまったようだ、と反省している。
 現在読書中のドストエフスキーの作品について感想を書くのは勿論、そのあとに読むつもりの田中英光と坂口安吾(極めて一部)、佐藤春夫、田山花袋などは置くとして、やはりいまのうちに若いときに読んだ教養書類に関しては、無様な出来になろうとも当時のことと併せて記し留めておきたい。そんな希望を持っているのは、たとえば以下のような本である。順不同で、──
 ○清水幾太郎『この歳月より』、『わが人生の断片』
 ○チェスターフィールド『わが息子よ、君はどう生きるか』(三笠書房)
 ○ハマトン『知的生活』、『知的人間関係』、『ハマトンの幸福論』(講談社学術文庫、他)
 ○ヒルティ『幸福論』(岩波文庫)
 ○家永三郎『日本文化史 第二版』(岩波新書)
 ○カー『歴史とはなにか』(岩波新書)
 ○安田章生『西行と定家』(講談社現代新書)
 ○紀田順一郎・編著『『大漢和辞典』を読む』(大修館書店)
──というあたりか。生田耕作先生の『黒い文学館』、『紙魚巷談』、『卑怯者の文学』、『卑怯者の天国』、『鏡花本今昔』、『ダンディズム』、『るさんちまん』などあるが、正直なところ、これらについては冷静に書けるようになるまでまだまだ時間を要す。おそらくあまりに烈しい影響を被って良くも悪くも人生をねじ曲げた一連の書物であるからだ。

 熱が上がってきたようだ。そろそろ床に戻らせていただきます。◆

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第2905日目 〈旧約聖書続編「トビト記」再読。──目標、1回1,200字以内!〉3/3 [トビト記]

 といいますのも、義父の懇願を退けて故郷へ戻ったトビアは、実の両親とその最期の日まで生活を共にします。サラも──語られない部分で様々愚痴や不平不満を夫に洩らすことあったでしょうが、大波を立てることなくそれなりに順調に、歳月を共に過ごした様子。トビアの両親と夫の愛にサラは応えて、嫁として舅姑にかいがいしく接し、妻として夫に尽くし子供を育てたのであります。サラはルツと違う意味で聖書に登場する貞女と讃えられて然るべきではないか、と思うてやまぬのですが、どんなものでしょう。
 とまれサラは嫁して義両親に尽くした。時代や国が違えても結婚は家と家の結びつきに他ならない。片方の家への義務──配偶者の両親への献身が果たされたあと、では残るもう一方の家に果たすべき務めはないか。むろん、ある。トビアとサラの場合、共に独りっ子であるから、務めが付き纏うのは尚更だ。そうして2人はそれを果たした。では、如何様にして? つまり、こういうことです、──
 112歳になったトビトは己の死のみならず、同時に国に訪れるであろう風雲急さえ予感していた。かれは息子に告げて曰く、かつて預言者ナホムによって語られたニネベ滅亡は実現する、都と国は他国によって踏み荒らされる、ゆえお前はわれらが死したる後は妻子を連れてメディアへ逃れよ、そこで暮らす方がここに留まるよりずっと安全だ、と。トビアはそれを諾い、父を母を弔ったあとエクバタナへ移り、サラの両親を「ねんごろに世話し」(トビ14:13)て2人を看取った。
 これは老親の面倒を見る、同居する、という未来から逃れられぬ夫婦には、一種の福音もしくは方策の1つといえるのではないでしょうか。すくなくとも参考にはなると思います。自分がこの問題に悩まされるのがいつの日か、わがことながら不明ですけれど、まず自分の両親を最後まで世話して見送る、そうしたあとで配偶者の両親を同様に世話して看取て弔う、というやり方を「トビト記」で知り、成る程、と膝を叩いた覚えがあります。
 勿論、このように順調に(?)事が進むばかりではないでしょう。というよりも、そうでない場合の方が圧倒的に多いのは重々承知。それを承知した上でなお、わたくしはこのトビアの選択、トビトの助言を<是>と思うのです。まずは片方に能う限りの力を注いで(全力でやったらたぶん、2人共にぶっ倒れます。或いは夫婦間がギスギスするか)幸福に、思い残すことなく後悔することなく過ごして最期の日を迎えたらば然るべき行事を済ませた後、気持ちを切り替えてこんどは配偶者の両親について同じように接すればいい。
 聖書を読んで人生折節の指針を探る、得る。それはとても素晴らしいことですが、概ね信仰上の問題であったり、人生に迷いが生じたりした際のそれであることが専らのように見受けられます。が、「トビト記」で語られるのは、1つに結び合わされた夫婦がやがて直面する家庭の問題にどう対処するか、という非常に現実的なそれであります。この書物はキリスト者であれ非キリスト者であれ、繙いて<親との同居・世話をする>問題の参考にされると宜しいのではないでしょうか。◆

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第2904日目 〈旧約聖書続編「トビト記」再読。──目標、1回1,200字以内!〉2/3 [トビト記]

 メディアの王都エクバタナに住まうサラは、既に7人の男に嫁いだ女性でしたが、相手は例外なく初夜の晩に変死して果てた。というのも悪魔アスモダイの手にかかったためでした。アスモダイはゾロアスター教の、色欲を司る悪魔であったようです。なにゆえ此奴がサラの夫を死に至らしめたか、動機は本人に訊かねばわからぬところながら、まぁ彼女には悪魔さえたぶらかす色香があったのかもしれません。
 ちなみにゾロアスター教はキリスト教の形成に影響を与えた、イランを発祥地とする世界最古の宗教でしたが、イスラム教の浸透に歩を合わせるようにして衰退してゆきました。
 それはさておき、このサラが、トビアの妻になります。トビアがメディアにやって来たのは、父が旧知にあずけた銀を受け取ってくるよう依頼されたことに由来する。人間に化けて同じナフタリ族のアザリアと名を騙る天使ラファエルの導きでかれは、道の途中にあるエクバタナにてサラと出逢い、結婚することに。ラファエルの策士ぶりが際立って語られ、恋のキューピッド役に励む天使の人間臭さに心中喝采を送りたくなる場面であります。
 で、問題の初夜の変事ですが、ラファエルの知恵でトビトは助かり、エジプト目指して逃げ出したアスモダイはラファエルに追っ掛けられて囚われる(この一文の背景には前述の初期キリスト教がゾロアスター教の教義を取りこんでゆく過程が窺えます。アスモダイを捕らえたというのは、初期キリスト教会によるゾロアスター教吸収の成果のプロパガンダに読み取れます。穿った物言いでしょうか)。
 翌る朝、人々はトビトの死を疑わず(7件もの前例がある以上、仕方のない話です)かれの墓を掘ったあと、新婚夫婦の寝所を除いて仰天する羽目に──死んだと思うている人物が、新妻とぐっすり一つ床で眠っていたのですから。確認してからお墓造れよ、とか、だからというて寝所を覗きに行くなよ、とか、2人が朝から励んでいたらどうするんだよ、とか突っこみドコロは多々ありますが、夫婦が健やかであればそれでよろし。いずれにせよ、一つに結び合わされた夫婦はその縁、絆を分かたれることはなかったのでした。
 前回、「トビアの結婚と親の面倒を見る一連の場面に心惹かれ」る旨最後に書きましたが、それはこういうことであります。
 ──このあとトビアとサラの婚姻の祝宴が、14日簡にわたって催されます(主催者:サラの父ラグエル)。いちどは娘を送り出すと決めたものの日が経つにつれて淋しさが募ってきたのでしょう、あろうことかラグエルはトビアにメディアに留まり一緒に生活するよう懇願します。むろん、トビアはそれを退けて故郷へ帰還するのですが、ここに相手の親との接し方、折り合いの付け方の難しさが窺えませんでしょうか。
 日本人夫婦の場合はたいがい、妻が夫の両親と同居し、その老後の面倒を見ることになるようであります。自分の両親、周囲の夫婦を観察していると、その割合は圧倒的に高い。そんな次第でいえばこの「トビト記」、現代日本の夫婦が直面する<親との同居>問題について一石を投じ得る書物といえるでしょう。□

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第2903日目 〈旧約聖書続編「トビト記」再読。──目標、1回1,200字以内!〉1/3 [トビト記]

 メシアだ信仰だ、律法だ戦争だ、とさわいでいた聖書が思い出したように、家族の絆や親子夫婦の愛にスポットをあてたエピソードを提供してくるときがあります。読んでいるこちらとしては──就中非キリスト者である者は、そんなエピソードのあることに安堵し、それゆえになのか、件の書物へひとかたならぬ愛着を持つようになります。
 旧約聖書では「ルツ記」と「雅歌」、新約聖書では「「コリントの信徒への手紙」の一部がそれに該当する。いずれもおそらく今日に至るまで、聖書各巻のうちで最も(部分的であれ全体であれ)読み返すことの多かった書物であります。では旧約聖書続編では該当する書物はないのか、となりますが、いえいえ、そんなことはありません、勿論存在します。それが「トビト記」であります。
 かつて北王国イスラエルのティスペに、「生涯を通じて真理と正義の道を歩み続けた」(トビ1:3)トビトという男が住んでいました。ティスペは、上ガリラヤにあるケディシュ・ナフタリの南にある町。かれは同胞といっしょに北王国滅亡の折、アッシリア軍によってその帝都ニネベへ連行されてくるのですが、トビトは捕囚となる前に同族の娘ハンナを娶り、一人息子トビアを授かっていました。旧約聖書続編の巻頭に置かれた「トビト記」は、トビアの嫁捜しと結婚の物語でもあります。
 さて、トビトは或る日、不幸に遭いました。中庭の塀にとまっていた雀があたたかな糞を、塀の下で昼寝していたトビトの目に落としたのです。それが原因でかれは以後4年、失明して暮らすことになります。失明してしばらくは、その状態になれていないトビトの気持ちは猜疑に駆られることしばしばで、ハンナとの間にはしばしば口論が生じたと考えられます。
 わたくしはこれ、よくわかる気がするのですね。失明ではないが、体の感覚に一部と雖も狂いが生じて日々を疲れて過ごすようになったからです。病に罹った直後、まだ心身がそれに馴れていないときは、絶望と不安から周囲に対して猜疑心や被害者意識が芽生えて自制が効かぬのです。うまくコントロールできる人もあるだろうけれど、そんな強靱かつ寛容な精神を持つ人間がそうやたらと居るわけではありません。
 ハンナが機織り仕事の駄賃代わりにもらって連れ帰った子山羊の鳴き声を聞いてトビトは、どこかから盗んできたのに違いない、と妻を責めて彼女の話に耳を傾けようとしません。ハンナ答えて曰く、「あなたの憐れみはどこへ行ったのですか。どこにあなたの正義があるのですか。あなたはそういう人なのです」(トビ2:14)と。
 それに続くトビトの祈りは、神への信仰が根本にあるとはいえむしろ純粋に、自分を諫めてくれた妻への感謝が滲み出た悔い改める者の等身大の言葉、とわたくしには思えてなりません。牽強付会といわれてしまえば返す言葉もありませんが、うん、わたくしはそう読んでいるのです。
 ──ちかごろはいろいろ悩まされているせいか、トビトの子トビアの結婚と親の面倒を見る一連の場面に心惹かれます。
 といいますのも、……と行きたいところですが、申し訳ない、紙数が尽きようとしている。続きは次回。□

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第2902日目 〈綺想社ハワード作品集の登場を喜ぶ。〉 [日々の思い・独り言]

 顧みるまでもなくわたくしは、<剣と魔法の物語>の良い読者ではなかった。これまでに読んだこのジャンルの作物で楽しんで読んだといえば、精々がフリッツ・ライバー《ファファード&グレイマウザー》シリーズぐらいである。これとて当時の環境が斯く為さしめたに過ぎず、ゆえに本心から<剣と魔法の物語>を悦びのうちに歓迎したわけではない。
 ではわたくしが初めて<剣と魔法の物語>に触れたのは、誰の作品であったか。王道の展開ではあるが、ロバート・E・ハワードの《コナン》シリーズなのだ。ただし、それが初めて読んだハワード作品ではない(ややこしい話で済まぬ)。その作品がなんであったか、どう思い出そうとしても定かでないのは、時期が非常に接近しているためだ。が、これらのうちのいずれかであるのは間違いない……即ち、──
 候補その1;「暗黒の種族」 『ミステリ・マガジン』(早川書房)1973年11月号「アーカム・ハウスの住人たち」 仁賀克雄・訳
 候補その2;「影の王国」(キング・カル) 『ウィアード・テールズ』第2巻(国書刊行会) 三崎沖元・訳
 候補その3;「はばたく悪鬼」 『ウィアード・テールズ』第3巻(国書刊行会) 今村哲也・訳
この、いずれか。
 いずれもアンソロジーの1編として読んだせいか、読後感は稀薄で、当時ハワード作品を読み耽ってこれらの作品を未読であった知己にコピーを送る際添えた手紙につらつら感想など認めたはしたけれど、実際にどんな言葉を書き連ねていたか、まるで覚えていない。書簡ファイルを引っ張り出せば、すぐにここに引用できるのだが……。とまれ、四半世紀後まで覚えている程あざやかな読後感は抱かなかった、というのが実際のようだ。
 じつは高校時代の部活の後輩たち(いまは皆、良き生涯の友となっている。サンキー・サイ)と上述の知己はいずれ劣らぬ<剣と魔法の物語>のファンで、殊ハヤカワSF文庫から出ていた荒俣宏・訳《コナン》シリーズを愛読して、その熱中は聞かされているこちらをして思わず引いてしまうぐらいであったよ。わたくしは残念ながら終ぞそれらに魅力を感じることができず、かれらの熱中熱狂に付いてゆけぬところがあったのも手伝い、生島遼一のフローベールの講義を聞いていた時分の生田耕作先生よろしく、「そんなもの、どこが面白いんですか?」としらけた気分になっていたのが正直なところである。
 <剣と魔法の物語>についてはあれから今日に至るまで、基本的なスタンスは変わっていない──読めば面白いな、と感じはしても、それが持続可能な情熱へと変質することはなく、一時的な気晴らしに止まっているのだ。加えていえば、《ファファード&グレイマウザー》に優った<剣と魔法の物語>に出会えていないという時点で、積極的にこのジャンルを開拓してみる気になっていない証拠ですね。もう10年ぐらい経つのか、創元推理文庫から新訂版《コナン》シリーズが刊行されて発売日の度毎に購い揃えていったが、これとて実を申せば、資料として都度買い集めていたのが殆ど正解である。
 もっとも、ファンタジー小説なる代物を敬遠していたわけでは断じて、ない。上述の新訂版《コナン》シリーズを揃えていた頃には既に、不幸な形ではあったが真に優れたファンタジー小説の偉大なる回復力と想像力へ敬意を表し、またそれらに治癒されていたところでもあったから……(このあたりのことは改めてお話するが、もしかするとそれは現在書き進めている自伝的なエッセイの一部になるかもしれない)。にもかかわらず、件の新しい《コナン》シリーズを通読することがいまに至るもなかったのは、自分のなかの<なにか>がハワードの代名詞たる冒険ファンタジーの巨編を拒んでいるからなのだろう。そのくせ、かれの怪奇小説は幾編かなりとも妙に心惹かれ、読み返すこと両手の指をすべて折って数えてもたらぬ程なのは、まぁわたくしの興味嗜好が奈辺にあるかを示す良き証左といえようか。
 斯様なことはありながら、それでもハワードの小説をもっと読んでみたい、と思い思いして過ごしてきたのもまた、否定できぬ事実なのだ。前述の「アーカム・ハウスの住人たち」や那智史郎・宮壁定雄『ウィアード・テールズ』別巻(国書刊行会)で素っ気なく触れられる、不況下のアメリカにあってハワードが生活のために種々のパルプ・マガジンへ書き散らした多彩なジャンルの小説群──就中《船乗りコスティガン》に代表されるユーモア・ボクシング小説、スティ−ヴ・ハリソンを主役に据えた探偵小説、立ち寄る港毎に女を置くワイルド・ビル・クラントン主演のスパイシー(お色気)小説、ウェスタン小説を。嗚呼、読みたや読みたし。
 バブル崩壊の煽りを直接喰らって就職浪人をしていた20代前半は、或る意味で時間だけは有り余っていたものだから、学生時代にもまして神保町や高田馬場、地元横浜や横須賀、鎌倉、藤沢で洋書専らペーパーバックを扱う古書店を巡回して、怪奇小説やロマンス小説、ウェスタン小説を漁るのを日課のようにしていたが、そんなときでも目にするハワード作品は<剣と魔法の物語>に属する物語ばかり。いずれも却下、俺が読みたいハワードはヒロイック・ファンタジーにあらず。……いまにして思えば随分と勿体ない猟書であったな。もしかしたらフラゼッタが表紙絵を描いた本だって、そこにはあったかもしれないのにね。呵呵。
 いや、でもね、聞いてくださいってば。あの頃の銀座イエナや日本橋丸善、東京泰文社、北沢書店、先生堂その他諸々見掛けるハワード作品は軒並みあの手の小説ばかりだったんですよ、ホントに。それこそ、またかよ、と呻きたくなるぐらいに。まぁ、本気で探していたかと訊かれれば、「否」といわざるを得ない。軍資金不足という如何ともし難い大きな理由により。
 歳月は流れ、自分自身と取り巻く環境も大きく変化し、世紀と元号が新たになり、今日に至る。そうして今年2020年、ハワード小説をめぐる事態は一変した。一変した、というのはあくまで個人レヴェルの話である。つまり、──
 1月、ひょんなことからわたくしは、1冊のペーパーバックを手に入れた。GLENN LOAD編『THE BOOK OF ROBERT E.HOWARD』Barkley 1980;だいぶ前にと或る個人ブログで紹介されていたのを思い出して、勇を鼓して求めたものである。ハワードの文業を多方面からアプローチするに好適の1冊で、これまで読みたいと思うていた《船乗りコスティガン》やウェスタン小説、探偵小説他が1作ずつ、ここには載せられていたのである。
 さっそく一読して唸らされた。質にムラがあるというが、わたくしにはどれも面白く感じた。むろん、探偵小説に食い足りぬ読後感があったり、肩すかしを喰らわされた1編だってある。なんというてもこのジャンル、ハワード自身が「読み通すこともできないのに、ましてや書くことなど」と白状している程だ。推理というものに向いていなかったハワードの創作スタイルですが、じゃぁなんで書いたのか、となると前述の通り生活のためあちこちのパルプ・マガジンに売りこまざるを得なかったから。が、それでもそこそこ面白いと感じてしまうのは、こちらの脳ミソの単純さはこの際棚にあげておくとして、どんな物語でもつまらなく語ることができないハワードの天賦の才能ゆえであろう、とひとまずは結論づけたい。
 調べてみるとGLENN編のこのハワード作品集には、続刊がある由。『THE SECOND BOOK OF ROBERT E.HOWARD』がそれであるが、この人にはハワードの伝記もあるのね。あわせてAmazonで注文しておこう。そんな次第で、未だ本丸攻略に至らざるなり、の感は否めぬが、ハワードの作品をかつてよりも面白く読めるようになったのは事実だ。こうなると、もう駄目だ。次に心奥に生まれるはこれら知られざるハワードのオモシロ小説を、誰か日本語で読めるよう尽くしてくれないか、ということ。やはり辞書の助けなく物語に入りこみたいよ。が、そんな期待は同時に諦めを伴って立ち現れる。いったいどこにそんな酔狂漢がいるというのか、と。
 嗚呼、わたくしはこのときまだ知らなかったのだ。既に斯様な人物が存在しており、その人が訳業の上梓に向けて自費出版の準備を進めていることを。件の期待と諦めが落ち着きを取り戻した頃、TwitterのTLに流れてきたツイートを目にしたときの驚きは、いまでも覚えている。──ロバート・E・ハワードの、ワイルド・ビル・クラントン主演のスパイシー小説を集めた『地獄船の娘 ─竜涎香の秘寶─』が綺想社から出版、書肆盛林堂にて販売されるというのだ。頒価、4,500円也。
 胸は高鳴り、心に迷いはなかった。そのとき既に書肆盛林堂のHPで幾冊か予約注文していたものだから、これ以上の出費は正直避けたかったのだけれど、この機会を逃したらかならず後悔する、と嫌になる程骨身に染みてわかっているので(ダンセイニ卿『ロマンス』や山田一夫『初稿 夢を孕む女』などでの苦い経験から)、お金の算段はあとでつけるとしてとにもかくにも確保を優先とした……つまり、「カートに入れる」ボタンをポチり、購入手続きを済ませたのである。そうして次の次の休みの日、西荻窪へ出掛けてかの1冊を手にしたときの無上の喜び──I sing the body electoric!
 喜びはなお継続する。綺想社からのハワード作品集の出版はこの1冊にとどまらず、今月8日にはソロモン・ケインを主人公とする、コナンと並ぶハワードの人気ヒロイック・ファンタジーの作品集全2冊のうち第1分冊が発売された。勿論、既に予約済みだ。いまから引き取りに行くのが楽しみでならない。
 願わくばこのムーヴメントが綺想社のみのそれに止まることなく、その筋の出版社が食指を動かし作品集の上梓実現を果たしてくれますように。何度も繰り返して恐縮だけれど、《船乗りコスティガン》シリーズ、シリーズ・ノンシリーズ不問でウェスタン小説の数々の小説が、上質の訳文で個々に編まれて、詳細な解題を含めて出版されることを、わたくしは切に期待する。また、これを契機にアトリエ・サードのナイトランド叢書からも新しいハワード怪奇小説傑作選が編まれることも、併せて。

 現在、21時34分。既述のスターバックスにわたくしはまだ陣取っている。同じ席で。閉店時刻(22時30分)まで1時間を切ったが、さっきとお客さんの数は然程変化していないように見受けられる。気のせいか、否、事実だ。
 みなとみらい — 桜木町の一帯に今年、約1,000頭(匹?)からなるピカチュウ軍団は”大発生”しない。どこを見ても黄色い奴がニッコリしていた、場合によっては大行進していたり日本丸の傍らでダンスしている光景を、今年はコロナ禍により見ることができない。いればいたでウザいが、いないとなると途端に淋しくなる。
 そんな身勝手なことを思いながら、さて、それではそろそろ腰をあげて帰宅の途に就くとしよう。明日は久々の休みだ。親戚の新盆で贈るお供え物を買いに出掛ける他は、特になんの予定もない。この文章を書いて触発されたからではけっしてないけれど、午後は『地獄船の娘』から未読の2編と、『失われた者たちの谷』収録の何編かを、ベッドに寝っ転がって読もう。
 Let’s call it a day.◆

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第2901日目 〈横浜ランドマークタワー1階のスターバックスが新装オープンしました。うれしい。〉 [日々の思い・独り言]

 先達てのゴーゴリに続いていまは、ドストエフスキー初期作品再読・初読の予習がてら──いったい『未成年』にはいつ取り掛かるのか、という内なる声はひとまず無視して──、プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』(岩波文庫)を読んでおり、今日はその感想文をばお披露目させていただきたく……といいたいのは山々ながら本稿タイトルをご覧いただければおわかりのように、そんな話ではないのである。
 さて、なんのお話をしようか……。

 そういえばわたくしは現在、リニューアル・オープンした横浜ランドマークタワー1階のスターバックスに陣取っている。10数年前、向かいのビルのコールセンターで顧客獲得の性に合わぬ仕事で神経すり減らして過ごしていた時分、昼休みと退勤後に駆けこんで脇目も振らず読書し、また聖書読書ノートを綴っていた、本ブログにも当時度々登場していた店舗だ。コロナの影響で休業を余儀なくされた春から梅雨明けの頃までの間を使い、再開を期して工事が進められていたのが終了してようやく今月3日から新装オープン、新しい歴史が幕開いたのである。
 むかしの面影をほぼ一掃した開放的な内装と、床面積が倍に拡大されたことの2つに、びっくりしている。スターバックス横浜ランドマーク店が今春いったん休業するまで、ここの隣にどんなお店があったのか、よく覚えていない。記憶は朧ろである。
 and now.店内は以前よりも空間の作り方がうまく、ずいぶんとゆったりした様子だ。席もすべて一新され、カウンターもアイランド型になり、往時とは似て非なる店舗へ変貌してしまうた。気のせいか、客とバリスタの距離も隔たりが生まれたように感じる。まだリニューアル・オープンから日が浅く、バリスタもかつてここにいた人たちばかりでないことが作用しての印象であろうか。このあたりについてはまだ経過観察を試みないと、なんともいえぬ部分である。
 とはいえ、店内が明るくなったのはけっして照明ゆえばかりでなく、壁紙や床材の色調、計算された空間設計などすべてが綜合されてのことだ。加えてコロナの影響で席と席の間隔は最初から離してあるので、そうした意味では収容人数の割に店内はゆったりしている。不謹慎を承知でいえば、殊この店舗に関する限りコロナ禍に直面して試行錯誤した成果が良い方向へ作用し、結果、以前よりも居心地の良いサードプレイスが誕生したわけだ。向こう1週間と経たぬうちにわたくしはふたたびここを<巣>として活用し、読書と原稿執筆に勤しむようになるだろう。
 今日は土曜日、19時15分。席は2/3が埋まり、天井のスピーカーからはスムージーなジャズが流れている。思い思いの席に坐る人々の談笑はジャズと渾然一体となり、心地よいBGMと化す。適度な音量の音楽と適度な声量の話し声;この2つが調和すると得もいわれぬ<トリップ>感に襲われて、至福を感じるのだ。
 そんな気分を味わいながら、壁一面のガラス窓(これはさすがにむかしと変わらない)の向こう側を眺めている。いまわれはわが影を鏡をもて見る如く見るところ朧ろなり(For now I see my shadow through in a grass,darkly.)。◆

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第2900日目 〈ゴーゴリ『外套・鼻』(平井肇・訳)を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 高2のGWであったか、祖父が遺した世界文学全集の不揃いを見附けて、その後の数ヶ月を読み耽って過ごしたのは。
 河出書房(新社にあらず)のグリーン版全集は造本も良く、手頃な大きさで、解説と年譜が充実した、訳者も月報寄稿者も一流どころが並んだ素晴らしい文学全集であった。わたくしが横田瑞穂の訳でゴーゴリ「外套」を読んだのは、このグリーン版全集に於いてであった。そうして此度はドストエフスキー読書の中休みというか予習というかで手にしたのが岩波文庫の、平井肇・訳『外套・鼻』である。学生時代、ロシア文学のゼミで読んだような気もするのだが、いずれにせよ本が手許になかったのは事実ゆえ、職場近くの本屋さんで買い直し。
 ──斯くして感想を認めるに至る。
 果たして本作は、古典や名作と様々謳われてきた本作は、ではロシア文学史に如何なる位置を占めるか。「わたしたちは皆、ゴーゴリの『外套』から生まれた」と本当にドストエフスキーがいうたかはともかくとして、元来無意識にあったロシア文学の特質、傾向が、「外套」によって表面化し、人々の意識へ訴えかけ、以後のロシア文学の方向を決定附けることになったのは間違いあるまい。いわばロシア近代文学の原点、出発点となったのがこの、ゴーゴリが1840年に発表した「外套」なのだ。
 いまもむかしも「外套」は、淋しく哀しく、またたまらなく愛おしい作品である。
 とはいえ、淋しく哀しいのはいまとむかしでは質が異なることを白状せねばなるまい。学生時代に読んだときは、ずっと観念的で浪漫的な気持ちで読んでいた。主人公の食うや食わずの生活やかれを突然見舞った災厄に触れて抱いた淋しさや哀しみは、敢えていうならば舞台の上で演じられる芝居に胸打たれて襲い来たった漣のような感情であった。絵空事であるのをじゅうぶん承知して、それでもなおステージ上での演技に感動して終演後は喝采を送るような感情の揺らぎであった。
 ならば、いまは? ここに描かれるすべてに共感できる。
 出世の見こめぬ九等官という官等に甘んじて十年一日の如く一ツ仕事に日を送り、その職場にあっては<見えない人間>のように扱われるか或いはからかいのターゲットぐらいでしかなく、愉しみはといえば毎晩持ち帰る書類の浄書──しかも仕事で持ち帰った書類ではない。単に高名の人物に宛てられた文書であるから、とか、その書体筆跡に麗しいものを感じるから、という程度の理由で持ち帰ったに過ぎぬ──と翌日はどんな書類を書き写す仕事が待っているのだろう、胸ときめかせながら就寝すること。そうしてボロキレ同然になるまで1着の外套を着続けなくてはならぬ程貧に窮し、わずかの給金もあらかじめ使途が決められており贅沢はおろか1つとして無駄無用の出費は慎まなくてはならず、為、遂に外套を新調せねばならなくなった際はどうにか修繕で済ませられないか仕立屋相手に必死の抵抗を試みるのだ。挙句に仕立てられた外套をかれはとってもとっても大切にし、まるで宝物のように扱うのだけれど、それゆえに夜更けの広場で外套を剥ぎ盗られると半狂乱になり、あまりものショックから頓死し亡霊と化してペテルブルグの街行く人々の前に現れ消えるに至る結末までわたくしは、共感しか覚えることが出来なかった。
 学生時代と現在の間に厳然として存在する約30年という歳月と経験が斯く思わしむるのだ。正直なところを告白すれば、わたくしはこれまでロシア文学を読んでその人物へ真に共感し、自分を重ね合わせるまでに愛おしむような存在に出会うたことが殆ど、ない。その数少ないケースが本作の主人公、アカーキイ・アカーキエヴィッチである。かれを取り巻く環境、為人、経済事情、生活を切り詰めてまで手に入れた生活必需品を大切にする気持ち、それが失われたときのショックと悲しみ、死して後まで<それ>に執して夜の街を彷徨うその姿と心情、いずれも自分が経験してわが身わが心にしっかりと刻みこまれて拭い去ること能わざることばかりだ(もっとも、まだ死だけは経験できていないが)。もし、自分に近しい文学上のキャラクターを映し出す魔法の鏡があるならば、その前に立つわたくしを映して鏡が見せるのは──すくなくとも幾人かの候補の1人にアカーキイ・アカーキエヴィッチがいるのは想像に難くない。
 ──「外套」にかまけて併収のもう1編、「鼻」についてはなにも触れることができなかった。独立させたり、他のゴーゴリ作品の感想と一緒にするか迷うたが、そもそんな機会があるのかわれながら甚だ疑問であるから、この文章の片隅に綴らせてもらう。
 「鼻」は奇天烈な小説だ。発表された当時(1836年)としては相当新しかったのだろうな、と推察できる。「外套」がロシア・リアリズムの嚆矢とするならば、この「鼻」は奇想と笑劇というロシア文学もう1つの潮流を確立させた前衛作品といえないだろうか。
 しかしわたくしは、この小説を読んで腹を抱えて笑い転げたのだ。或る日突然所有者コワリョフ氏にお暇告げて家出(?)した<鼻>をめぐるドタバタ喜劇──スラップスティック・コメディとして読んだからだ(気塞ぎの折など良き心の清涼剤となるに相違ない)。殊八等官コワリョフの目の前で着飾った<鼻>が颯爽と馬車から降り来たる場面、伽藍の堂内で礼拝する鼻にコワリョフがおそるおそる話しかける場面、想像するたび吹き出してしまう。
 <鼻>は或る朝突然本来の所有者たる八等官コワリョフの許を去り、街のあちこちをほっつき歩いてコワリョフをきりきり舞いさせた挙句ふたたび或る朝ひょっこりコワリョフの顔に戻ってきた。察するにきっと<鼻>は、コワリョフの所有物としてあちこち帯同させられることを潔しとせず、神様にずっと束の間の自由を願い続けていたところが思いがけなく実現したことでここは一つ物見遊山と洒落こんでペテルブルグの街を散歩して回っていたのだろう。
 今年コロナ禍で自宅に在ることを余儀なくされていた時分、久しぶりに件の世界文学全集を引っ張り出して偶さかゴーゴリの巻へ手を伸ばして横田瑞穂の訳で「外套」を読んだ。そうしてもっとコンパクトな文庫で本作を読みたいと望み、平井肇の翻訳を持ち歩き時間あるたび開いて過ごした。その結果、ゴーゴリ作平井肇訳『外套・鼻』(岩波文庫)は、2020年の夏に見附けた惜愛の1冊になったことを最後にご報告したい。本稿はそのささやかな産物である。◆

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