第3000日目 〈ベルリン・フィル創設100周年コンサート / カラヤン=BPO;ベートーヴェン交響曲第3番《英雄》を観ました〉。 [日々の思い・独り言]

 ようやく迎える第3000日目の内容をどうすべきか、ずっと考えていました。あらかじめ決めていたのは、これまでの延長にはしないこと。聖書のことでも小説のことでも日常のことでも読書感想文でもなく。
 第3000日目が明確な形で視界に入ってきた先月後半から、本腰を入れて考えてきました、これしかない、これ以外になにがあるのか、という話題を見附けてからというもの、それに向けて準備を始めています。ずっと目の前にあったのに、むかしから馴染んできたのに、どうしてそれに気持ちを向けることがなかったのか……。まったく以て疑問であります。
 それでは──いわずもがなのマクラはここまでとして、では始めましょう、コンサートを。
 

 どんな商売でも100年続けば老舗である。況んやそれが腕利きの演奏家たちが集まるオーケストラであれば、なお。現役にして最古のオーケストラとは旧東ドイツの都市、ライプツィヒに本拠を構えるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。創設は1743年3月11日、王侯貴族から独立した市民階級が自主運営するオーケストラとしては世界最古を誇る。勿論、現役のオケである。
 それより下ること約140年、旧西ドイツはベルリン市に団員52名から成る、同じ市民階級によって自主運営されるオーケストラが誕生した。オーケストラはビューロー、ニキシュ、フルトヴェングラーという当代を代表する大指揮者をその指揮台に迎えて、主としてドイツ=オーストリア音楽について歴史に残る名演奏を繰り広げる。第二次大戦中はナチスに翻弄されること頻々であったが戦後はボルヒャルト、チェリビダッケを中継ぎにふたたびフルトヴェングラーを戴いて占領軍の闊歩するベルリンの街によみがえり、活動の場を戦前同様ヨーロッパ諸国に広げた。そうしてフルトヴェングラーの死後、終身指揮者/芸術監督の座に就いたのが、“帝王”ヘルベルト・フォン・カラヤン。ベルリン・フィルはカラヤンの下で国際的なオーケストラに飛躍、世界中を駆け巡ることになる(カラヤン退任後は融和と平等のアバド時代、「なんだかなぁ」なラトル時代を経て、いまは新時代の息吹と刺激たっぷりなペトレンコ時代を迎えている)。
 そうして1982年、ベルリン・フィルは創設100周年記念コンサートをカラヤンの指揮で挙行する。それは2日にわたって行われた。初日の4月30日のプログラムは前半がモーツアルトの交響曲第41番《ジュピター》、メインとなる後半がベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》であった(本来であればこの日演奏されるのは同じベートーヴェンの《合唱》であった由。但しマーラー9番という話も聞く)。
 本当の100周年にあたる2日目、即ち5月1日にはマーラーの交響曲第9番が演奏された。こちらの映像があることはついぞ伝わってこないから、最初から収録されていないのかもしれない。録音も正規では残されていないようだが約5ヶ月後の9月30日、ベルリン芸術週間の際演奏されたものはいまでもカラヤンの代表盤/名盤として流通している。
 駄弁が過ぎた。
 この日のカラヤン=BPOによるベートーヴェン《英雄》は、当時進行していた映像による2度目の全集とは勿論、別の映像である。あちらと決定的に違うのは100周年記念コンサートの方は作為的な演出とは無縁の、カラヤンにしてはまったく以て珍しいほぼ正真正銘のライヴ映像であること。「ほぼ」というのはヴァイオリン奏者が横一列になって弾くカットなど、自然なようでいて喉に小骨が引っ掛かったような不自然さを(個人的に)覚えるせいだ。
 が、それは些細なことである。なによりも重要なのはここには生身のカラヤンがいる。実際のコンサート会場で聴衆が目にする、なりふり構わず腕を振り髪を乱し背を屈め半身を丸め表情時に鬼神の如く時に御仏の如くして、最上の音楽を作りあげることだけを己が使命と自認してひたすら敬虔なる楽聖の使徒となり、音楽の神の忠実なる使徒となって奉仕するカラヤンがいる。
 感情を剥き出しにしてオーケストラと聴衆の間に立つカラヤンの姿を、残された映像のなかで見ることは殆どない。1960年代に撮影されたヴェルディ《レクイエム》あたりではともかく、1970年代になるともう人工的としかいいようのないカラヤンしか、映像のなかには存在しなくなる。そうした意味では1982年といえばカラヤン最晩年にさしかかる頃であり、ベルリン・フィルとも例のザビーネ・マイヤー事件を契機に関係悪化がもはや世間の目を欺くこと不可能なところまで進んでしまった時期であるから、そのあたりの事情も却ってこうした自然体のライヴ映像が残されたことと無関係ではないように思われる。
 とまぁ、そんな背景はともかくとしても、この100周年コンサートでの《英雄》は素晴らしい。映像でも数多残されている同曲異演のなかでも群を抜いている。こうまで生命力漲り推進力爆発した《英雄》を、当時のカラヤン=BPO以外のどのコンビが演奏し得たであろう……贔屓の引き倒しであることは重々承知。むろん、100周年というメモリアルが作用しているであろうことも。が、古今に存在する《英雄》の映像のなかでどれをベスト・ワンに選ぶか、と万人に問うたらこの100周年記念コンサートの映像に票を投じる向きは相当数あると思われる。
 なによりもカラヤン政権のベルリン・フィルを支えたスター・プレイヤーがまだ皆首席奏者の座に在った頃の映像でもある。ヴァイオリンのミシェル・シュヴァルヴェ(第一コンサートマスター)とトーマス・ブランディス、チェロのオトマール・ボルヴィツキー、クラリネットのカール・ライスター、オーボエのローター・コッホ、ホルンのゲルト・ザイフェルト、等々枚挙に暇がないというか、その様綺羅星の如きというか、ソリスト級の奏者が一堂に会して帝王の棒の下で楽器を演奏していたとは、とてもじゃぁないが今日のベルリン・フィルからは想像できない。ラトル以後のBPOのサウンドにもはや、昔日の面影はその片鱗すら残っていない。時代の趨勢を考慮に入れれば仕方のないことだし当然のことである、加えてそれが単なるノスタルジーと揶揄されるのも致し方ない。
 が、われらの世代はカラヤンのいるベルリン・フィルをリアルタイムで享受してきた世代でもあるのだ。かのプレイヤーたちが腕を競い、帝王とぶつかり、音楽の神と作曲家たちに献身する様子に触れてきた身には、あの時代こそベルリン・フィル、という意識が刷りこまれて消えないのだ。
 この映像で実はいちばん記憶に残るであろう箇所は、第4楽章の最後で渾身の力をこめて腕を振りおろしたあとのカラヤンが手で額の汗を拭い、メンバーに投げキッスを送り、コンマスのシュヴァルヴェと抱擁してオーケストラを讃える一連の場面であった。そこに27年に及ぶ両者の共同作業の頂点を、わたくしは見る。かれらが遺した数ある名演奏の最高峰を、この《英雄》と断ずる。蜜月はこの日を以て終焉に向かい、終わりの日を迎えるのだ。
 なお、この映像はYouTubeで観ることができるが、カラヤン没後30周年の2019年、没した7月にはBlu-rayでも発売された(ようやく!)。再生環境があるならば是非にも塔あたりで円盤を購入して、この史上最強の《英雄》を存分にご堪能いただきたく思う。◆

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