第3014日目 〈渡部昇一『日本史から見た日本人・鎌倉編』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 太平洋戦争、明治維新、応仁の乱の前にも国家存亡の危機を孕んだ戦争を2つ、日本は経験した。1つは元寇、1つは建武の中興である(関ヶ原は単に徳川方が豊臣方に対して政権運営の是非を天下に問うた下克上の戦に過ぎぬ)。いずれも鎌倉時代に起きているのは歴史の偶然か必然か小首を傾げたくなるところだが、どれもが北条幕府の瓦解を白日の下に曝す事件であったことは疑いない。そうしてそれが渡部昇一いう<日本型行動原理>の源流にもなったことを、興味深く感じるのである。
 そもそも近代化を迎えるまで日本は常設の軍隊を持たない国であった。鎌倉武士を言い表す言葉の1つである「いざ鎌倉(すは鎌倉)」はそれを如実に示すものであって、国家の大事が起こったら幕府が全国の御家人に招集を掛け、敵の討伐にあたらせる、という、悪くいえば寄せ集めの軍隊に頼ることを意味した。幕府が最初に御家人を招集して大がかりな戦闘にあたらせたのは承久の乱であったが、このときの幕府軍は異常なまでのまとまりを見せ、北条泰時を総大将に西へ進軍、付け焼き刃の技術しか持たぬ後鳥羽上皇方の軍を押し返して一気に京都を占領、3人の上皇を問答無用で島流しの憂き目に遭わせた。
 このときの北条幕府に利があったのは、単に軍事行動に馴れていたからだけではない。源平合戦の余韻が残り当時の戦闘経験者が多数存命していたこと、執権北条義時の権力と人心掌握術が極みを見せ、かつ北条政子の劇が御家人たちの心を揺り動かしたからである。頼朝の恩恵を承けて所領を得た者たちの報恩の念が結集されて、軍事素人後鳥羽上皇の<錦の御旗>を掲げた京都方を粉砕することとなったのである。
 が、その威光が薄れ、鎌倉武士たちの間に一種の怠惰が漂った頃日本は──実に7世紀の白村江の戦い以来の──外国との戦闘を余儀なくされた。それが、2度にわたる元寇である(文永11/1274年<文永の役>、弘安4/1281年<弘安の役>)。
 このときの執権は北条時宗であった。が、ここで農耕民族と騎馬民族の戦闘に違いのあることが、誰の目にも明らかとなったのである。即ち前者の戦闘が名乗りによって始まるのに対して、後者の戦闘は一撃必殺・先手必勝のそれであったのだ。つまり、名乗っているうちにやられて「卑怯者」なんていっている暇はない、これまで経験したことのない戦闘の仕方に対する対応が求められたのである。けっしてそればかりが理由ではないが、武器の違いや戦略自体にも両者は異なるところがあった。
 そうこうしているうちに元軍は壱岐と対馬を落とし、北九州博多付近に上陸した。抵抗するも敗北必至な幕府軍(日本軍というた方がよいのか)を救ったのは、古代から令和の今日に至るまでわれら日本人には来て当たり前になった季節の風物詩、即ち台風の訪れである。夜になると元軍は海上の母船に戻るのが常であった。これが元軍の壊滅を招いた──荒ぶる海に船は呑まれ、兵士は溺死し、わずかに難を免れた船はもはや日本攻撃を諦めて撤退した(元軍のなかでの意見対立もあったようである)。再度の元の襲来のときにも、台風が日本を救った。<神風>思想の誕生である。
 北条幕府が瓦解するきっかけを作ったのが、元寇であると先に述べた。というのも、必死になって戦ったにもかかわらず御家人たちはじゅうぶんな恩賞を得ることができず、また幕府はそれを与えるだけの財政基盤・経済システムを持っておらず、御家人たちの不満を抑えることは<徳政令>の発布を以てしても抑えることができなかった。また、功労を判断するための裁判も遅滞を極め、個々の御家人の活躍に応じたじゅうぶんな恩賞を決定することができなかった。こんな不満が積もり積もった自分に起きたのが、後深草天皇の私情に端を発した南北朝分裂である。
 後嵯峨天皇は第2皇子(後の亀山天皇)を寵愛し、これを皇位に就かせることを望んだ。皇位継承にまつわる紛糾は古代から幾度となく勃発してきたことである。しかし、今回は事情が違った。史上初めて皇統が分裂したのである。後にも先にもこんな出来事が起きたことはない。後深草天皇の持明院統、即ち後の北朝と、亀山天皇の大覚寺統、即ち後の南朝とに、分裂した以上、では誰が、いつ、どんなタイミングで皇位に就くことになるのか、が両統の関心事だったが、これは結局幕府の調停によって10年交替と定められた。
 とはいえ、こんなシステムがきちんと機能するはずはない。やがてこのシステムにきしみが生じてきた頃に登場したのが南朝の後醍醐天皇である。後醍醐天皇は政権を武士の手から奪取し、かつての如き天皇親政・王政復古の世を実現させようとして事を起こし、一旦は失敗したが楠木正成というマルスの如き武士が味方にあったことで復権、宋学の理念に囚われて<建武の中興>を実現させたのだった(<建武親政>とも。建武1/1334年から建武3/延元1/1336年)。
 が、これにもいつしか歪みが生じる。その原因はやはり、自分のために戦った武士たちへの恩賞配分の不公平であった。戦わなかったものに過分の報酬が行き、命懸けで戦った武士には雀の涙程の恩賞しか与えられなかった。面白く思わぬ人が続出するのは当然である。かれらの多くは源氏の正統である足利高氏(尊氏)の側に付いて戦った。楠木正成だけは最後の最後まで南朝側にあって、孤立無援の状態になっても獅子奮迅し、遂に湊川にて自刃したが、そのときに弟正季との間に交わされた言葉が、ずっと後の太平洋戦争に於いて軍人たちの間でスローガンのようになった言葉、即ち<七生報国>である。
 後深草天皇の私情に始まった二統迭立、つまり南北朝分裂の時代はその発端から数えれば約140年後に、足利幕府第3代将軍義満の老獪な交渉によって再統一され、いまに至るも皇統は万世一系を保って存続している。

 ──と、渡部昇一『日本史から見た日本人・鎌倉編 「日本型」行動原理の確立』(祥伝社 1989/05)の感想を書くつもりが大きく軌道を外れて、斯様な文章ができあがってしまった。が、これは書かれるべきものであったかもしれない。中世史を繙くにあたって自分の理解が及んでいなかった出来事について、歴史を俯瞰することがようやっとできたからである。実はこれ、感想文を書くに際してもネックになっていて、筆を執ってしばらくするとなにがなにやら分からなくなってしまったのだ。本書に於いていちばんわたくしが納得させられた部分は、後醍醐天皇と楠木正成の行動理念についてである。
 如何に北条幕府が衰退していたからとて後醍醐天皇があすこまで倒幕に熱心になり、王政復古に固執していたのか、どうしてそれを実現させて天皇親政の世に戻し得たのか。また、大義なき戦争に突入していたにもかかわらず楠木正成ともあろう武人が機を見て敏に動くのではなく、失われた大義のために一族挙げて奮闘して最後には自刃するに至った、その行動を支えた理念はなんであったのか。これがまったく分からずにいた。分からないから敬して遠ざける、という悪循環が本書を読んで断ちきられた思いである。
 後醍醐天皇の場合はそれが「正統に対する信念」(P79)である、楠木正成の場合のそれは<所領ではなく自分の信じた大義に従った>(P66)である。渡部昇一はそう説く。この一点を突破口にしてようやく、わたくしは日本史の大転換期に於けるこの2人の特異な人物について知ったように思う。
 殊正成に関しては、社会人なればこそ共鳴するところ大である。渡部昇一は楠木正成の行動原理(ビヘイビア・パタン)を整理して曰く斯く、──
 「一、天皇第一主義であって、その天皇がリーダーとして適格であるかどうかは問わないで、忠誠を尽くす。
 二、武将としては有能であるが、最高の政治的な決定を左右することはできない。
 三、意見を述べるが、通らないと「今はこれまで」とあきらめて玉砕する。
 四、七生報国という理念、つまり「後に続くものを信ず」という考え方を残した。」(P109)
と。
 今日なお日本人のなかに息づく、というかDNAのなかに組みこまれている行動原理の多くが鎌倉時代に作られている、という点について触れることができなかったことを反省点として、これに特化する形で明日以後に新たに文章を起こして本稿の補遺編としたい。
 なお、本書に収められた論考は『マネジメントガイド』という雑誌に1976年01月号から1976年12月号(編:産業能率短期大学・出版:技報堂)まで連載された。◆

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第3013日目 〈耳鳴りが邪魔をする。〉 [日々の思い・独り言]

 耳介、というのは要するに耳たぶの内側である。じかい、と読む。そこから外耳道という通路を通って鼓膜へ至る。
 中耳炎を患った際、鼓膜にチューブを通して空気の抜けを良くし、音の伝わりもそれによって改善されたと喜んだのもわずか2年ばかし。今度は今年の2月頃か、外耳道を綿棒で掃除していたら鼓膜に強くぶつかり、その拍子でだろう、チューブがずれて鼓膜とチューブの間に隙間が生まれて、そこに水が入りこんでしまった。現在右耳の聴力が著しく低下してこのたび検査という名目で入院と手術を行った、その原因である。
 いまは耳介のあたりで高い耳鳴りが始終して、地唸りのような低い音が通奏低音のように聞こえている。これで仕事をちゃんと続けているんだから、或る意味でわたくしの魂も精神も怯懦ではないね。えっへん。
 とはいえ、この耳鳴りには気が狂いそうだ。これが邪魔してあなたの声がずいぶんと遠くから聞こえる。集中力も欠き、本を読み続けることも、原稿を書くことも、一定時間以上が難しい。精々が1時間程度かな、限界は。それでも日中はまだ無理が利く。が、その反動は目に見えて悲惨である。弱った私を叩いて葬るなら、あなた、この機会を逃すなんて事しちゃ行けませんよ、それはただの阿呆です。
 昨日は退院してから一旦帰宅したあと、送ってくれた吉野町の友どちに頼んで有隣堂の本店に連れていってもらい、本をたくさん買ってきた。会計で2万円以上を払ったのなんて、久しぶりのことでした。
 耳鳴りがひどくなってきたので、今日は筆を擱きます。これからしばらくの間、こんなテイストの文章が続くやもしれませんがご寛恕ください。どんなに苦しんでも、あなたを手に入れられない苦しさにくらべれば物の数ではないけれど。ちゃお。◆

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第3012日目 〈夢うつつのなかで昭和史を企てる。〉-23/59 [日々の思い・独り言]

 数多喧しい狂言卑語に抗うこと限界と感じて幾つかの事業を放棄して、さてこれからどうしようか、と考えている。
 どちらを向いても闇ばかりで、どちらを見ても仄めく僥倖さえ見えない。今日は安息日にさせていただきます、というご挨拶で済ませるつもりが想定外な方向へ走り出そうとしている。是正を兼ねてここで問う、曰く、──
 自身や親が生きた昭和和という時代を、貴方は第三者に語ることができるか? 語り得る者はすべからく教場へ出席し、各々規定の場所に坐して正座、沈思黙考せよ。
 貴方が日本史を紐解き研究するにあたり、生涯に執ねく絡みついて自身の身分と命を賭けて略奪愛に踏み切る男の行為を、法令の観点から論述せよ。
──以上。
 嗚呼、それにしても病院での独り寝は辛いものがありますよ。持参した本は殆ど紐解くことないまま就寝時間前に熟睡して夢の世界に遊び、翻弄され、裁かれ哀しみを経験して、間もなくわれらは第一線から身を引くべき時が来ているのだ……いま一度、昭和史の総括と平成史の再点検、令和の時代の理想を語るべき時なのであろう。◆

第3011日目 〈薬のせいで頭がぼんやりしています。〉 [日々の思い・独り言]

 ただいまみくらさんさんかは、一泊二日の小旅行に出ています。月明かりに照らされた駿河湾がとっても綺麗です。やっぱり<この街>に還ってきたいなぁ。人脈作りはこれからだけれど、子供時代のいちばん幸せな頃を過ごしたこの街が、伊豆半島の付け根にある第二の故郷で、生涯を閉じたいな、って、そう思っています。もしそんなことが現実になったら、あなた、わたくしはこの世に神というものが存在すると信じますね……はい、すべて夢です。その夢は午睡の時間に見たものだった。目が覚めたらなんだかね、目許が濡れていましたよ。
 夢というても妄想の類の夢ではなくレム睡眠のとき見るあの夢ね。この前【WAOサイエンスパーク】というサイトを見ていたら、レム睡眠の際見る夢を説明して「情報処理に伴ったノイズ」と解説していて(金沢大学 桜井武教授)、のけ反りながらも成る程と膝を打ったことがある。
 目が覚めたらそこは自分の部屋ではなかった。今朝から病院に入っている。COVID-19対応で病床にゆとりがないとて、まさか個室に入れられるとは。入院の名目は検査だが実際は手術だ──良くなることは、決してない。本ブログはわが敵もお読みになっている様子なのでこれ以上の情報公開は控えるとしよう。
 個室とわかった途端、ラッキーと心中叫んでしまうた。夜中まで電気つけて本読めるじゃん、小説書けるじゃん、気が向いたら筋トレできるじゃん、なんとラッキー……と。が、考えてみれば前触れなしで看護師や担当医が出入りするわけだし、たぶん疲れで電気が消えたら自動的にこちらも眠りに落ちることになるんだろうな。
 とはいえ、所詮は一泊二日の入院である。結局L.L.Beanのリュックに収めた本は、──
 渡部昇一『日本史から見た日本人 昭和編 「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎』(祥伝社)
 滝澤ななみ『宅建士の教科書 2021年版』(TAC出版)
 ──と、こうなった。これでじゅうぶん。どちらの本も睡眠誘導剤代わりにもなるだろうし。他にモレスキンのノートと筆箱、MBA、iPhoneとiPad、充電器……
 薬が効いているのか、さっきから結構頭がぼんやりしている。幸福なことに耳鳴りは幾分なりとも収まっているように感じる。嗚呼、この状態が維持されますように。それにしてもさっきから部屋の片隅でこちらを見つめるぼんやりした影が見えるんだが、あれはやっぱり幽霊とかいわれるものなんだろうな。いることに不思議は感じないけれど、面識も所縁もない者のところに出て来るの、マジやめてくれ。迷惑だ。アンタが俺の立場だったらどう感じるか、考えような。それとも幽霊になったら脳ミソも思考力も無くなるのかな。
 まぁいいや、そんな輩。無視だ、無視。部屋の片隅にいるのが亡き婚約者だったら、寝るまでベッドの脇にいてほしい。が、この世の者ならざる者にしてわたくしと無念の輩などまっぴら御免だ。
 眠い。もう寝る。マジで。現在の時刻;21時39分。◆

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第3010日目 〈昭和から平成へ。──遺言ではないけれど、これだけは話しておきたいのです。〉 [日々の思い・独り言]

 前著に引き続き渡部昇一『日本史から見た日本人・昭和編 「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎』(祥伝社 1989/05)を読んでいる。なかなか読み進まないのが悩みなのだが、逆にいえばそれだけ本書が取り組み甲斐ある1冊で、歯応えじゅうぶん知識の詰まった分厚い書物であることを意味する。自分の不勉強、無知も露わになって、赤面しつつ読んでいる。
 その一方で、明日から1泊2日の入院・手術だものだから、これをお伴に……とは思うているのだが、たぶん睡眠誘導剤の役目しか負わないのではないか、と内心懸念していたりね。
 人生最初の改元に接したのは勿論、昭和から平成へ。冬期合宿という名目で剣道と柔道の寒稽古をどっかの施設に寝泊まりしていた日だ。たしか大講堂のような場所に生徒全員が集められ、昭和の終わりを教官から告げられた。その重大さに感覚は鈍ったが、それでも大変なことが起こったという事実だけは脳ミソが認識した(その場で公衆電話の受話器を摑み、自宅に電話してここ数日と明日以後の新聞を棄てないでほしい、と頼んだことを覚えている)。
 遡ること約半年程前から昭和天皇の御病態の報道は連日新聞に載りニュースで流れ雑誌の記事になった。誰もが1つの時代が間もなく終焉を迎えることを、口にはしないが肌で感じていたのが、昭和63年の秋から年が変わって松の明けた昭和64年1月7日までの日本の上を覆っていた空気だったのだ。たぶんその深刻さと不安感は今日のCOVID-19と双璧をなす。1月7日に昭和天皇崩御、皇位は明仁親王(現上皇陛下)に引き継がれて、同時に小渕恵三官房長官(当時)によって新元号が「平成」と発表、翌る1989年01月08日から平成時代が幕を開ける。
 125代天皇に明仁親王が即位、美智子妃殿下が皇后となったのに伴い良子皇后は皇太后(平成12/2000年6月崩御に伴い同年7月香淳皇后と追号)となり、大喪の礼が挙行され(2月24日)、昭和天皇のご遺体を収めた霊柩は武蔵陵墓地内に造営中の武蔵野陵に収められた。
 そうして同年11月、天皇陛下は皇位の継承と即位を正式に内外へ宣言され(即位の礼)、続いて皇室祭祀最大級にミステリアスな大嘗祭が11月23日の深更に厳かに催された。これを以て天皇を視点に見た場合の昭和は完全に終わり、平成が正式に幕が開いたと考えてよい。
 余談であるがこの年、1989年はヨーロッパと日本の政治が大きな変化に見舞われた年となった。
 1985年に旧ソ連の共産党書記長に就任したゴルバチョフが<ペレストロイカ>を推し進めるなかで<プレジネフ・ドクトリン>を撤廃、衛星国家である東ヨーロッパ諸国では民主化運動が大きな潮流を作り出してゆく。オーストリアと国境を接するハンガリー・シュプロンからオーストリア経由で旧西ドイツへ亡命者が大量に流れた<ヨーロッパ・ピクニック>に端を発した東欧解体はその後、急速な展開を見せて、わずか数ヶ月で共産党政権はドミノ倒しのように崩壊して民主化の道を辿った。東欧解体は11月の東西ドイツの<ベルリンの壁>崩壊(ドイツ再統一)とチェコスロヴァキアの<ビロード革命>という大きなトピックを経て、12月の<ルーマニア革命>に雪崩れこみ収束する。このルーマニア革命はチャウシェスク・ルーマニア大統領夫妻の処刑で幕を閉じたが、これは東欧での一連の民主化革命の過程で、軍事衝突と流血という悲劇を伴った唯一のケースであった。
 日本ではリクルート事件や消費税導入等をめぐって自民党は激しい非難に曝され、国政選挙ともなれば常に劣勢に立たされていた。そんな自民党の前に立ちはだかったのが、55年体制確立以来野党第一党として相対してきた日本社会党である。<おたかさんブーム>と<マドンナ旋風>に後押しされた土井たか子率いる日本社会党はその年の参院選にて大躍進、その結果、自民党を過半数割れに追いこみ、所謂<ねじれ国会>が出現した。参院選開票速報での土井党首の言葉は有名である、曰く、山は動いた、と。なお、これから4年後の1993年の衆院選に於いて自民党が安定多数の議席を獲得できなかったことから下野し、代わって細川連立政権が樹立。これを以て55年体制は崩壊した。
 余談はさておき。昭和から平成へ、である。
 元々が歴史好きで当時既に三島由紀夫とか読んでましたから──新潮文庫の三島は高校時代にほぼすべて読みましたよ。並行して古本屋を店から店へと移動して角川文庫とか集英社文庫とかで買い集めましたね。三島自決を特集した雑誌やその死に衝撃を受けた高校生たちの声を集めた新書とかも買いこんだっけ、そういえば──、まぁ気持ちは若干なりとはいえ右寄りの考え(思想だなんて、とんでもないッすね)を持った10代でしたね、わたくしは。高校も海軍で将校やってた人が創った学校だったしね。進学先の学校での講義が退屈だったものだから、うとうとしながらぼんやりと、個人の体験を中心にした昭和史を書いてみたいな、と考えた。昭和史とはいえ実際は自分が生まれた以後の昭和史──大学紛争とか連合赤軍とか日本国内を揺るがしていた大きな事件が一段落して、なんとなく世間が落ち着きを取り戻した(といわれている)頃からバブル経済に至るまでの、昭和史。
 (あらかじめお伝えしておくけれど、昭和30年代とか経験していないからね。<3丁目の夕日>なんてフィクションだから憧れられるのであって、現実にその時代の生活なんていまのいったい誰が満足し得るというのか。ケータイの基地局もなければインターネットも無いんだぜ? SNSなんて当然だ。わたしゃあ、御免だね。生きるなら平成と令和ですよ)
 さて、昭和史の本ね。これについては胸を張って答えるけれど、はい、当然まだ書いていません。えっへん。でも、書きたい気落ちはありますよ。自伝なんてものではないけれど、やはり人間という奴、それなりの時間を生きてくると自分の足跡というものを残したがる生き物らしい。経産婦なら自分のDNAを次に伝える子供が或る意味作品だからいいだろうけれど、男はねぇ……DNA鑑定をしない限り、それが自分の子だなんて断言できないんッすよ。やれやれ。
 20代初めに退屈な哲学の講義を窓縁の席で聞きながら抱いたふとした思い付きというか企みが、その後ずっと心の奥底で眠り続けていたのはわれながらびっくらぽんですけれど、歴史の流れのなかに自分を置いて所謂<神の視点>から俯瞰してみる或いは目を凝らして観察してみる、という行為は、正しく時間の過ぎ行く残酷さと歴史の意思を理解するには必要なことといえるのではないでしょうか。
 うん、でも、渡部昇一の件の本を読んでいなかったら、いまこのタイミングで自分が生きた昭和の歴史を書いてみたいな、なんて思わなかっただろうね。これは歯応えじゅうぶん取り組み甲斐ある書物であると同時に、思い出しと気附きの書物であった。ちかごろのわたくしには昭和という時代が不思議と愛おしく思えてきてならないのですよ、モナミ──。
 そういえば生田先生最後のインタヴューのタイトルも、「昭和から平成へ」であったと記憶する。これは僕の遺言書だからね、と近くに侍る何方かに仰っていたと聞く。わたくしの昭和史も、それぐらいの覚悟で筆を執るかぁ。◆

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第3009日目 〈ブログのメンテナンスを行います。〉 [日々の思い・独り言]

 表題の件、ご報告致します、──
 本ブログもそれなりに長い期間継続している関係で、様々な面で齟齬が生じたり乱れたりするところが目立ってきた。そうした不整合な箇所の修正に今年度は注力したいのだ。
 メンテナンスの対象になるのは過半が初期の記事で、内容はタイトルの修正とレイアウトの統一である。
 前から考えていたことだが、やるとなるとマジ億劫でねぇ……ちょっと手を着けたらそのたびに放り出してきた。アクセス解析なんかでむかしの記事を見て、気になる部分あれば直したりするのが関の山。特に「修正した」という記録というか履歴は残していないのがこれまでやったなかでは殆どだったから、さぁて、どの記事に1回でも修正の筆を入れたのやら。
 いちばんわかりやすいのはタイトルを見ることなんだけれど、これとてやはり心許ない。チェックした記事のすべてのタイトルを、後のそれと同じように直しているかまるで記憶にないのだ。聖書読書ノートとPP分離しがたきエッセイを、タイトルでは「with」で接続することにしていたが最初からこうだったわけでは当然なく、「with」に落ち着くまでは「&」でつながれ、その前に至ってはエッセイ部分のタイトルすらなかった。内容を直したらタイトルも正す、それが修正済みか否かの判断材料となるよう、今回のメンテナンスでは心掛ける。
 タイトルの修正に併せて原稿のレイアウトにも留意しよう。これは旧約の預言書以後ではっきりと確立した記事全体のスタイル──「[書名]第[何]章〈小見出し〉(・/・)です。」に始まり、最後は一行あけてわたくしの感想を、その日の聖書記事の終わりに置く。そこからまた3行あけて、件のPP分離しがたきエッセイを付け合わせのように添えて、「◆」で〆る。書かれた内容に手を加えるのではなく、あくまで全体のレイアウトを統一するのが目的なのだ。
 今度は挫折したり、抛り投げたりしないで、全体の7割程度までは完了させられたらいいな。◆

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第3008日目 〈今宵是善夜〉 [日々の思い・独り言]

 出勤前の小一時間こそ小さき災いに見舞われることありけりと雖も、今日は極めて善い1日と感じて〆括ることができた。ひさかたぶりに安らぎと静穏を心の底から満喫してそれが維持された1日であった。
 斯様に気持ちの浮き立つまま終わる1日なぞ、滅多にない。敵の影だになく味方と信じ好いた人だけがいる世界の、なんと悦ばしき哉。或る意味に於いて桃源郷の現出というてよい。酒、人、会話、どれを取ってもパーフェクト。生田先生のエッセイの一節をいま引いて本稿の幕を閉じても構わぬと思えるぐらいの善き日であったよ。曰く、「好かぬ奴の顔は見ず、手笏で一杯きこしめし、」の世界だ。
 はて、今日はいったいなんの日だろう? あのときそこには本当にかれらしか居なかったのか? 嗚呼、それにしてもモナミ、文章で魔方陣を作ることのなんと至難な業であることか。◆

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第3007日目 〈Walking with the Kids.〉 [日々の思い・独り言]

 北欧の立憲君主国にわたくしの全資産と全著作権の相続人がいる。知己の人の娘で現在19歳と17歳。わたくしがいちばん可愛がり、手塩にかけて育てあげた子らだ。
 新型コロナウィルスことCOVID-19の蔓延して未だその収束見えぬいまの世界で、地球の反対側にいるこの子たちと会う機会著しく減り些か淋しい思いをしていると雖も彼女たちの在ることは希望だ。いつ自分に如何なる災いが降りかかろうとてすべてを失うわけではない。
 どうやら脳ミソの足らぬ衆が無い知恵搾り役に立たぬ法曹を雇って義侠心から此方を葬ろうと息巻いている様子だが、かりにそれが(一時的にも)功を奏して此方を逼塞させられたとしてもすべてを奪うことは不可能事である。どうやらわたくしは相当舐められているらしい。「人を呪わば穴二つ」をわが身に被ることを覚悟したか、見切り発車で行動を起こした昭和の軍部の如き勇み足か。どちらにせよ、如何なる事態が起こってわが身を滅びに追いつめたとしても、すべてを根こそぎ浚い取ることはできない。力なき者が力に頼ると却って力に倒されると知れ。
 何度か国際的に通用する遺言書を書き直して、ようやくそれが今日(昨日ですか)できあがった。それをわたくしはただただ純粋に、喜びを以て受け取り、その仕上がりに満足した。受け取った脚で横浜駅近くの取引先金融機関へ向かい、担当者に会って遺言書を貸金庫にしまった。それを北欧の立憲君主国に住まう子らの母へメールで伝え、当人たちには学校から帰宅したあと伝えられる算段である。
 すべての準備は整った。ここ数日キナ臭い内容の原稿が目立った点については反省したいが、すべては今日の原稿に流れこむ話なのである。そうしてこれら一連の原稿は<ログ>として今後、機能することになる。空しい戦いであることは承知だ。が、進むべき道はなくても進まなくてはならない。もはや猶予はない。剣の下にすべては滅びるのである。◆

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第3006日目 〈因果応報に搦め捕られて死地へ赴く人。〉 [日々の思い・独り言]

 人を呪わば穴二つ、といいます。誰かを恨み誰かを陥れたら、その報いはかならず自分に跳ね返ってくるよ、という意味です。呪いの藁人形を打ちつけている光景を見た者には不幸が降りかかるというのも「人を呪わば」の類というなら、これ程傍迷惑な言葉もないけれどね。
 これは迷信ではない。誰かの足を引っ張れば引っ張った人もかならず同じ目に遭い、誰かの不幸を笑った人はかならず自分も笑われるようになり、つまらぬ義侠心から誰かの庇護を買って出た者はかならず法と力に足許掬われその後の人生を歪めて生きることになり、姦淫・泥棒・殺人、犯した人はかならず自分もその報いを受けるのです。政治家を見よ、芸能人を見よ、醜き魂の<社会人>を見よ。三面記事に載る事件の発端から本当の結末まで追いかければ、そこにも人を呪わば穴二つの構図は見え隠れしている。
 とはいえ、それを理解していながらも、誰かに不幸をもたらす行為を決行せざるを得ない人がいる。それが自分の未来に損益しか与えられないと承知していても、一歩を踏み出すことを躊躇の末に決断する人がいる。それは一種の戦争行為である。
 「人を呪わば穴二つ、またの名を因果応報。それをよくわかっていながらも再び、殺るか殺られるかの場に自分を置かざるを得ない。おそらく殺られて葬られるのだろう。が、殺られても独りで倒れるのは御免だ。戦争を仕掛けた側がのうのうと生き残るなんて、救い難く信じ難い未来だ。肉を斬らせて骨を断つのが理想。相手も同じだろう。いわゆる刺し違えですな。いずれにせよ、もう行き着くところまでいくしかない争いだ。戦犯の汚名を着せられても汚名を雪ぐ機会を、辛抱強く待ちますよ。復権の時が来たらばいっきに巻き返して急所に匕首突きつけますので、<裏ボス>よ、そのときはどうぞ宜しく」とのこと。
 メッセージは確かにお届けしました。イラクで結ばれた同盟は永遠にわれらを結びつけると信じます。◆

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第3005日目 〈いったいなんだ、「民主主義」って鵺みたいな奴は?〉 [日々の思い・独り言]

 渡部昇一『日本史から見た日本人・鎌倉編 「日本型」行動原理の確立』(祥伝社 1989/05)を読了、これからいよいよ「現代史を洞察した〝衝撃の書〟とも言うべき」『日本史から見た日本人・昭和編 「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎』(同 1989/05)を繙いてゆくことになるのだが、それに先立ってフト、民主主義について勉強してみたくなった。
 中学高校の社会科の授業、〈公民〉でそれについて教えられたはずだが、ではそれは何ぞや、と問われると答えに窮して然るべき回答が思い浮かばないのが本音である。戦後しばらく経った頃から幾度となく、「民主主義の危機」が識者の間から叫ばれたのは知識として知っている。それは朧ろ気な記憶をたぐり寄せ、戦後史の本や映像で補強してゆくと、政治がなにかしらの形で行き詰まりを見せたときに決まって聞こえてくる怨嗟の声に聞こえてくる。
 書店の棚を眺めているうち「民主主義とは?」を問う基本的な、或いはもうちょっと踏みこんだ内容の本を見附けたこともあり、それらを吟味の上買いこんで机の上に積みあげたところだ。手許に置いておきたい基本書はあと3冊ばかしあるけれど、それは既にネット書店に注文済みで明日到着予定ということだから、1冊目を読み終える時分には届いてあとは読書に集中すれば良いだけ、という算段になるね。
 偶発的ながら機会のもたらされた今回、改めて、いまわれらが当たり前の享受しているけれど実は本来の有り様から変質しているてふ日本型民主主義について、勉強してみたい。
 とりあえず今日、JR桜木町駅改札前の小さな書店で40分ばかし店内をうろうろしていて、レジへ運んだのはこんな顔触れの書籍である。曰く、──
 文部省著/西田亮介編『民主主義』 幻冬舎新書 2016/01
 池上彰『これが「日本の民主主義」!』集英社文庫 2021/01
 池上彰/佐藤優『ニッポン 未完の民主主義』中公新書ラクレ 2021/02
 『会社四季報 2021年2集 春』東洋経済 2021/04
──である。
 池上さんの本が多いのは、んんん、社会の出来事について学ぶとき、いちばんわかりやすく対象の基礎知識を授けてくれ、<考える視点>を常に供してくれるのが池上さんの著書だからに他ならない。別に他意はありません。
 うぅん、なんなんでしょうね、この民主主義とかいう鵺みたいな奴は? 大学時代のテキストも引っ張り出して、しばらくは『日本史から見た日本人・昭和編』の読書と並行してこの民主主義についてもちゃんと勉強し直そう、っと。◆

邪淫の妄執、そこから先は修羅の道。覚悟を。未来は幸福と愛情と焦燥と恐怖に充ちている。

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第3004日目 〈経済再生成ったいま、再びの勝負はこれからですよ。〉 [日々の思い・独り言]

 新卒で就職先も決まっていたのに、入社日前日に内定取消を喰らったみくらさんさんかです。バブルが弾けて不況の波が最初に押し寄せた世代でしたから、これ、実はけっして珍しい話ではない。仕方ありません。まぁ、そんなものだよね。そんなこともあるよね。……っていうのは、勿論現在だからいえること。当時の心境を、当時の映画のタイトルを拝借すればこうなります。曰く、「バカヤロー! わたし怒ってます」と。それはともかく。
 それにしてもバブルの恩恵に与ったほぼ最後の世代がそのまま平成不況の煽りを喰らう最初の世代になったことは、経済史の観点から見ればなかなか興味深いことではありますまいか。誰か、われらのところへインタヴューに来いよ。当時の庶民層がどんだけ迷惑被り、その後たくましく生きて財を築いたか、語ってやるぜ。えっへん。
 当時の平均睡眠時間、約4時間。アルバイト雑誌や伝手を頼って見附けた3つのバイトを掛け持ちして、うむ、いまにして思えばよく倒れなかったものであるな。倉庫内作業と港湾労働、そうして某通信会社の総務事務。肉体労働は体力作りと精神鍛錬、注意力、観察力を養ってくれたから、いまでも当時の同僚や上司には感謝している。むろん、実際に働いているときはこれ程厭な仲間もなかったけれどな。お金を貰う以上は我慢、我慢。ひたすら忍耐であります。
 (因みにそのバイト先、同じ或いは隣接するエリアではなかったものだから、移動も大変でねぇ。交通費だけで1日4,000円近く飛ぶような場所にありましたもの。もっとも、実際に支出していたのは2,000円程度かな、交通費負担の会社で助かりました。それでも結構な額ですがね)。
 斯様な時代の荒波に揉まれて(おお、初めて使ったぜ、この表現)今日まで生きてきて、経済面でいちばん幸いだったのは既に渡部昇一の著書で本多静六博士の<四分の一天引き法>を知り、実践し始めていたことでありましょうか。これ、最初はキツかった。トータルで30万近くは稼げていましたが、それでも1/4を貯蓄して残り3/4ですべてを賄うことには苦労した。実家住まいであっても、出てゆくものは出てゆくんですよ。そう、3ヶ月で挫折しそうになりましたもんね。
 でもですね、ふしぎと100万円貯められると、そこから先は楽になるんですよね。<四分の一天引き法>のある生活に馴れたから、という事実はありますが、それ以上にお金を貯めることが楽しくなってくるんです。守銭奴になったわけじゃあ、ない。貯金がゲームのように思えてくるんですよ。貯まったお金でなにをするか、なにを買うか、考えられるようになる。即ちそれ、心にゆとりが生まれた証拠であります。
 もう婚約者は身罷っていましたので誰かとの結婚や家庭を持つなんて希望、完全に棄てていました(最近までは!)。だからこそ、余計にゲーム感覚となり、なにをするか、なにを買うか、について考えられたのでしょうね。
 それから今日まで、えーと何10年経ったんだ? 一時的に経済危機に見舞われて崖っぷちに立たされたこともありましたが、いまはなんとか持ち直して負債も完済。さぁ、改めての勝負はこれからだ、と息巻いております。
 幸福なことに体はまだまだ頑丈、出せるものもまだ多く濃くて活力はある(とのこと)。さて、60歳でリタイアしたあと、どこで、どう生きるか。独り身の気楽さでのんびり考えています(65歳まで働く自分が想像できない)。悠々自適という言葉とは縁遠い生活にはなるだろうけれど、好きな人と、好きな所で、好きな仕事で食べていきたいなぁ。◆

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第3003日目 〈次の1000日を目指して。〉 [日々の思い・独り言]

 大事なこと、くだらないことを書いて早……13年? 実質的には11年ちょっとぐらいだろうけれど、よくもここまで書いてきた、続けてきたな、とわがことながら感心している。そんなに粘り強くもなければ、一所懸命の精神で事にあたる性格でもない。大きなものをコツコツと、時間をかけて作りあげてゆく計画性も辛抱強さも、わたくしは持ち合わせていない。
 にもかかわらず本ブログを2008年から続けてこられたのは、どうしてなのだろう? 友どちもこれに関しては小首を傾げている。わたくしという人間をよぅく知るかれらには、足掛け13年も一つのことに取り組み続けて斯様なメモリアルな日を迎えられた事実に、驚きを隠せないのだ……曰く、「ねぇ、あのブログを書いているみくらってぇのは、本当に俺たちが知っているみくらなのかい?」と。
 当の本人が数字で実証された揺るがし難い事実を信じていないのだから、友とはいえ第三者が信じたくても信じられない、っていうのは仕方のないことですね。でも、まぁ、数字は嘘をつかないから。事実に相違することを数字が示したならばそれは数字の責任ではなく、運用する人間の側に問題が生じているからに他ならない。然り、数字は嘘をつかない。
 しかし、とわたくしは思うのである。今日までの継続はきっと、本ブログの根幹が──出発点が聖書読書ノートブログであったせいだ、と。7年目の<9.11>を前にして、その年のわたくしの心はざわめいていた。そのとき聖書へ手を伸ばして読み始めたのは、きっと偶然ではない。心のざわめきを覚えたのは当時、再開発も最終局面に入っていた六本木一丁目の界隈を歩いていたときだったのだから;即ちプロテスタントであった亡き婚約者の墓参の帰りの出来事であったのだ。そうして何や彼やの末に旧約聖書を読んで書き留めたメモや疑問を、ブログで記録してゆこう、というのが本ブログ誕生前夜の経緯である。
 13年も経ったんだね……長かったなぁ。でも、充実していた。その歳月を通じて書くことがどれだけ好きなのか、性に合っているのか、骨身に染みついて調伏し難き道楽であるのか、よくわかりました。
 書く話題を思い浮かばなかったり、原稿が書けなかったり/まとまらなかったり等々の理由で嫌気がさしたことも間々ある。が、毎日書き続けていれば発想の井戸は一時的に干ばつの危機に見舞われることあれど、雨を待たずに乾いた大地のひび割れたところから地下水が染み出してきて、いつしか汲みあげ掬い取ることのできるだけの水が、井戸の底に溜まることもあるのだ。不思議な事象だが、それは現実なんだ。特にアウトプット、インプットを意識したわけでもないのにね。
 この度こうして節目の第3000日を迎えたことで、本ブログを続けてゆく気になれたよ。トラタヌかもしれぬが、このペースなら4年後には第4000日目を、8年から9年後には第5000日目を迎えられる目算。こうして書き続けてきたからこそ、ネタ詰まりになって閉鎖の危機に直面しても「なんとかなるさ」と楽天的に構えて乗り切ってこられた。そんな風に捉えれば、上述の第4000日目、第5000日目の到達時期の予測もわりと現実味濃厚ではないでしょうか。そうか、第5000日目が朧ろ気ながら視界に入ってくる頃、本ブログは開設20周年を迎えもするわけか……そう考えると、やっぱり継続することって偉大であるな!
 そのとき私生活に於いては隣にいてほしいなぁ──いや、考えちゃダメだ。これ以上思うことはあなた、罪ですよ、修羅の道ですよ。まぁ、それでも構わないけれどね。◆

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第3002日目 〈日記の補訂作業に勤しむ。〉 [日々の思い・独り言]

 毎日のブログ原稿のほかに、ライフログとして日記を書いている。厳密な意味での日次の記録ではないが、書くべき出来事、書くべき思いがあるときには筆を執り、自由気ままに書き連ねている。必要であれば知人とのLINE、手紙を挿入し、金融機関との契約内容をメモとして残したりもする。ゆえに日記は書く度毎に圧倒的な長さで更新されてゆく。
 ちなみにいえば契約中のクラウド容量の過半はブログ原稿とこの日記で占められており、小説はその足下にも及ばぬというのが哀しいところである。そんな話はどうでもいいか。
 その日記を読み返していて、結構日が空いていることに気が付いた。上述したようなLINEや手紙、ガイドラインの挿入等を怠っていたせいだ。しかも書くべき事柄があるにもかかわらず、サボっていたせいでもある……、こっちが主原因?
 斯くして知らぬ間に公休日となっていた今日、ちまちま当該期間のLINEなどサルヴェージしていた次第だが、流石にへたばりました。為、本日の当ブログはお休みとさせていただきます。安息日にしたわけでもないのに「お休みします」とは珍妙極まりないけれど。呵呵。◆

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第3001日目 〈本ブログは続くよ。いつまでだい?〉 [日々の思い・独り言]

 一つの節目を迎えたと雖もまだ本ブログは続くのである。いつまで? うぅん、おそらく痴呆になるか突然死(事故含む)するか、なにかしらの理由でICUに担ぎこまれて意識戻らぬまま日を過ごすかするまでは、おそらく。
 それを望む向きもいまのわたくしの周囲にはあるが、連衆には本ブログの更新が停まっても1年程度は安堵しない方が良いですよ、というておく。過去にそれぐらいの未更新期間はあり、唐突に再開している例があるからね。歴史に学べ。そういえばちかごろ、わたくしの身辺をこそこそ嗅ぎ回っている輩がおるが、其奴とその依頼主にはいまのうちから注意勧告をしておきます。歴史に学べ。
 そんな些末なことはさておき、第3000日目をぶじ迎えてわたくしはかなり気が呆けていたらしい。すっかり原稿を書くことも予約投稿することも忘れていた。昨日は退勤後、人生後半で最重要クラスの面談が実施され今後の方向性について検討し合い、その後は夜更けまで享楽の時間を過ごしていたからである。むろん、それだけが理由ではない。まぁ、忘れていました、っていうのがいちばん事実に近いですね。えへ。
 第3002日目は定時更新となります。それにしてもこの時間に、しれっ、と本日分お披露目したが、果たしてどれだけの方が読んでくださるだろう?◆


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第3000日目 〈ベルリン・フィル創設100周年コンサート / カラヤン=BPO;ベートーヴェン交響曲第3番《英雄》を観ました〉。 [日々の思い・独り言]

 ようやく迎える第3000日目の内容をどうすべきか、ずっと考えていました。あらかじめ決めていたのは、これまでの延長にはしないこと。聖書のことでも小説のことでも日常のことでも読書感想文でもなく。
 第3000日目が明確な形で視界に入ってきた先月後半から、本腰を入れて考えてきました、これしかない、これ以外になにがあるのか、という話題を見附けてからというもの、それに向けて準備を始めています。ずっと目の前にあったのに、むかしから馴染んできたのに、どうしてそれに気持ちを向けることがなかったのか……。まったく以て疑問であります。
 それでは──いわずもがなのマクラはここまでとして、では始めましょう、コンサートを。
 

 どんな商売でも100年続けば老舗である。況んやそれが腕利きの演奏家たちが集まるオーケストラであれば、なお。現役にして最古のオーケストラとは旧東ドイツの都市、ライプツィヒに本拠を構えるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。創設は1743年3月11日、王侯貴族から独立した市民階級が自主運営するオーケストラとしては世界最古を誇る。勿論、現役のオケである。
 それより下ること約140年、旧西ドイツはベルリン市に団員52名から成る、同じ市民階級によって自主運営されるオーケストラが誕生した。オーケストラはビューロー、ニキシュ、フルトヴェングラーという当代を代表する大指揮者をその指揮台に迎えて、主としてドイツ=オーストリア音楽について歴史に残る名演奏を繰り広げる。第二次大戦中はナチスに翻弄されること頻々であったが戦後はボルヒャルト、チェリビダッケを中継ぎにふたたびフルトヴェングラーを戴いて占領軍の闊歩するベルリンの街によみがえり、活動の場を戦前同様ヨーロッパ諸国に広げた。そうしてフルトヴェングラーの死後、終身指揮者/芸術監督の座に就いたのが、“帝王”ヘルベルト・フォン・カラヤン。ベルリン・フィルはカラヤンの下で国際的なオーケストラに飛躍、世界中を駆け巡ることになる(カラヤン退任後は融和と平等のアバド時代、「なんだかなぁ」なラトル時代を経て、いまは新時代の息吹と刺激たっぷりなペトレンコ時代を迎えている)。
 そうして1982年、ベルリン・フィルは創設100周年記念コンサートをカラヤンの指揮で挙行する。それは2日にわたって行われた。初日の4月30日のプログラムは前半がモーツアルトの交響曲第41番《ジュピター》、メインとなる後半がベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》であった(本来であればこの日演奏されるのは同じベートーヴェンの《合唱》であった由。但しマーラー9番という話も聞く)。
 本当の100周年にあたる2日目、即ち5月1日にはマーラーの交響曲第9番が演奏された。こちらの映像があることはついぞ伝わってこないから、最初から収録されていないのかもしれない。録音も正規では残されていないようだが約5ヶ月後の9月30日、ベルリン芸術週間の際演奏されたものはいまでもカラヤンの代表盤/名盤として流通している。
 駄弁が過ぎた。
 この日のカラヤン=BPOによるベートーヴェン《英雄》は、当時進行していた映像による2度目の全集とは勿論、別の映像である。あちらと決定的に違うのは100周年記念コンサートの方は作為的な演出とは無縁の、カラヤンにしてはまったく以て珍しいほぼ正真正銘のライヴ映像であること。「ほぼ」というのはヴァイオリン奏者が横一列になって弾くカットなど、自然なようでいて喉に小骨が引っ掛かったような不自然さを(個人的に)覚えるせいだ。
 が、それは些細なことである。なによりも重要なのはここには生身のカラヤンがいる。実際のコンサート会場で聴衆が目にする、なりふり構わず腕を振り髪を乱し背を屈め半身を丸め表情時に鬼神の如く時に御仏の如くして、最上の音楽を作りあげることだけを己が使命と自認してひたすら敬虔なる楽聖の使徒となり、音楽の神の忠実なる使徒となって奉仕するカラヤンがいる。
 感情を剥き出しにしてオーケストラと聴衆の間に立つカラヤンの姿を、残された映像のなかで見ることは殆どない。1960年代に撮影されたヴェルディ《レクイエム》あたりではともかく、1970年代になるともう人工的としかいいようのないカラヤンしか、映像のなかには存在しなくなる。そうした意味では1982年といえばカラヤン最晩年にさしかかる頃であり、ベルリン・フィルとも例のザビーネ・マイヤー事件を契機に関係悪化がもはや世間の目を欺くこと不可能なところまで進んでしまった時期であるから、そのあたりの事情も却ってこうした自然体のライヴ映像が残されたことと無関係ではないように思われる。
 とまぁ、そんな背景はともかくとしても、この100周年コンサートでの《英雄》は素晴らしい。映像でも数多残されている同曲異演のなかでも群を抜いている。こうまで生命力漲り推進力爆発した《英雄》を、当時のカラヤン=BPO以外のどのコンビが演奏し得たであろう……贔屓の引き倒しであることは重々承知。むろん、100周年というメモリアルが作用しているであろうことも。が、古今に存在する《英雄》の映像のなかでどれをベスト・ワンに選ぶか、と万人に問うたらこの100周年記念コンサートの映像に票を投じる向きは相当数あると思われる。
 なによりもカラヤン政権のベルリン・フィルを支えたスター・プレイヤーがまだ皆首席奏者の座に在った頃の映像でもある。ヴァイオリンのミシェル・シュヴァルヴェ(第一コンサートマスター)とトーマス・ブランディス、チェロのオトマール・ボルヴィツキー、クラリネットのカール・ライスター、オーボエのローター・コッホ、ホルンのゲルト・ザイフェルト、等々枚挙に暇がないというか、その様綺羅星の如きというか、ソリスト級の奏者が一堂に会して帝王の棒の下で楽器を演奏していたとは、とてもじゃぁないが今日のベルリン・フィルからは想像できない。ラトル以後のBPOのサウンドにもはや、昔日の面影はその片鱗すら残っていない。時代の趨勢を考慮に入れれば仕方のないことだし当然のことである、加えてそれが単なるノスタルジーと揶揄されるのも致し方ない。
 が、われらの世代はカラヤンのいるベルリン・フィルをリアルタイムで享受してきた世代でもあるのだ。かのプレイヤーたちが腕を競い、帝王とぶつかり、音楽の神と作曲家たちに献身する様子に触れてきた身には、あの時代こそベルリン・フィル、という意識が刷りこまれて消えないのだ。
 この映像で実はいちばん記憶に残るであろう箇所は、第4楽章の最後で渾身の力をこめて腕を振りおろしたあとのカラヤンが手で額の汗を拭い、メンバーに投げキッスを送り、コンマスのシュヴァルヴェと抱擁してオーケストラを讃える一連の場面であった。そこに27年に及ぶ両者の共同作業の頂点を、わたくしは見る。かれらが遺した数ある名演奏の最高峰を、この《英雄》と断ずる。蜜月はこの日を以て終焉に向かい、終わりの日を迎えるのだ。
 なお、この映像はYouTubeで観ることができるが、カラヤン没後30周年の2019年、没した7月にはBlu-rayでも発売された(ようやく!)。再生環境があるならば是非にも塔あたりで円盤を購入して、この史上最強の《英雄》を存分にご堪能いただきたく思う。◆

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第2999日目 〈『伊勢物語』第4段をそっと愛す。〉 [日々の思い・独り言]

 春らしくない春である。天気のずっとぐずつき気味なるが因といえようが、大地から萌え出づるような生命のゆらめきを感じることも、心はずみ新しいなにかに胸をワクワクドキドキさせる予感の訪れも、今年はなかった。とても淋しく、生活の節目に相応しくない春。
 職場のそばに東京湾に注ぎこむ河がある。その河口付近の両岸には桜の樹が植わって例年はここの風景を写真に収める人、足を停めて魂奪われたように眺め入る人が目立つ。花散る頃になると花びらが河面を寸分の隙間なく埋めて(陳腐な表現で済まないが)ピンクの敷物と化す。
 が、今年はその河面を埋めて東京湾に流れこむ桜の花びらを見ることがなかった。桜が咲いても咲いていることに気附かぬまま散ってしまったようだ。自分は昨年と同じ自分なのに、自分のまわりの世界は無情に変化してしまって、昨年と同じなど、と一笑に付されてしまう。在原業平が廃屋となった御殿の柱に背中をあずけてこの季節、夜更けの月を見あげながら詠んだ歌が否応なく心の奥底から頭をもたげる。曰く、──
 月やあらぬ春やむかしの春ならぬ わが身一つはもとの身にして
 『伊勢物語』第4段を初出としてその後、『古今和歌集』に収められた一首である(巻15「恋歌」5/747)。
 『伊勢物語』を通して読んだのは19歳のときだった。いまは亡き恩師から土曜日の午前、学院のいちばん小さな教室で明治書院の素っ気ないテキストを一段一段、じっくりと、亀の歩みにも似たスピードで素読して先生や生徒が現代語訳して、先生が解説される、という講読スタイルの講義であった。他の学生はどうであったか定かでないが、わたくしは背筋がゾクゾクする程の興奮を覚えた。
 殊にこの第4段。極めて高貴なる女性を愛した業平が官位と命を賭けて略奪愛に踏み切った心の内を想像して憧憬にも似た想いを抱き、然るにその後は迫る権力の前に抗うことも逃亡を続けることも叶わなくなって膝を屈してかの人とは生きながらに永久の別れを余儀なくされた業平の姿にこの上なく共感した。
 それから何10年も経った令和のいま、かの貴人の哀しみと物狂ほしさと口惜しさをわが身が経験することになろうとは、流石に思わなかったけれどね。嗚呼、恩師よ、読者諸兄よ、いまならわたくしは追いつめられて思いつめた業平の心境が、よくわかります。朝目が覚めた瞬間から夜眠りに落ちるそのときまで、心のなかにいる女性がもう手の届かぬ存在になっていて、生きていると知っていながらけっして逢うことができないとは、あなた、もはや生き地獄でありますよ。来世に望みを繋ぎましょうか……逢える保証はないけれど、かならず探し出します、って。
 ──在原業平からは少し遅れて活躍した人ですが、激しい恋に生涯を送って官能的な歌を残した女性がおります。和泉式部、というのがその人の名前です。『小倉百人一首』に撰ばれた一首が、業平の歌同様わたくしを深い哀しみと絶望に誘います。曰く、──
 あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな
 藤原定家が『百人秀歌』の選定を経て編んだ『小倉百人一首』の56番目に撰ばれ、4番目の勅撰和歌集『後拾遺和歌集』(巻13「恋歌」3/763)と私家集『和泉式部集』に載る。病気でもう死を意識した詠み手がせめてもう1度あの人に逢いたい、と切々とながら、されど情念と官能の燠火を最後の気力で燃え立たせた一首であります。この歌もまた、いまのわたくしの心の代弁者のように思えてなりません。
 ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ、なんて諦念の想いで去りゆく春を感じることができる日は、いったい来るのだろうか(紀友則[三十六歌仙・『古今集』撰者・紀貫之いとこ] 古今和歌集巻2「春歌下」84/小倉百人一首33)。◆

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第2998日目 〈雨音混じりの焼き場に、牧師さんの祈りの声が低く響いている。〉 [日々の思い・独り言]

 プロテスタントの牧師さんが焼き場でお祈りを捧げている光景は、とても場違いな風にわたくしの目には映った。坊主ならともかく牧師さんですからねぇ。いちど従兄弟の葬儀で焼き場に行ったとき、神主様が故人のため祝詞をささげている場面に出喰わしたことがあるけれど、違和感という意味では今回の方がはるかに優る。
 が、神々しさ、神聖さ、という点に限っていえば、どうか? 神主様よりも牧師さんに軍配をあげる。理由? 知らなーい。えっと、冗談です。
 その光景を間近に見てそろそろ12時間になろうとしている、その間それについて折節考えてきたけれど答えは出ない。自分の疑問にすとん、と腑に落ちるような回答はその片鱗すら摑めていない。それは所謂、答えのない質問なのだ(アイヴスのこの曲、良いよね)。されど今日見たこの光景──違和感を完膚なきまでに拭い去ってなお余りある程に牧師さんが祈りをささげている今日の光景は、いつまでも記憶の片隅で残り続けるに相違ない。
 牧師さんの祈り;死者と生者に慰みを与える声は、雨音混じりの焼き場に静かに響いた。
 祈りの一言一句に耳を傾けながら思い出される死者の思い出は、悔恨と憎悪と哀しみに彩られている。いずれにせよ、これで30年以上にわたる確執の時は終わった。さらば、義母よ。◆

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第2997日目 〈1980年代、テレヴィはドラマとアニメで花盛り。〉2/2 [日々の思い・独り言]

 1980年代はドラマだけでなく、アニメも毎日放送されていました、と言ったところで前回は終わりました。今日はその続きから。
 あの時代、いったい何百本のアニメが作られたのか、まるで見当が付きません。OVAが本格的に市場へ参入してきたことも併せるとその数、有象無象、星の数程もある、としか言い様がない。1980年代のOVAで後世に爪痕を残した作品といえば、『メガゾーン23』と『幻夢戦記レダ』、そうして『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を挙げる。
 『メガゾーン23』と『幻夢戦記レダ』は時期を接してVHSソフトで、1984年か翌年頃に発売されたように記憶する。当時のクラスメイトでかなりのアニメ好きが『メガゾーン23』を、そうしてわたくしが『幻夢戦記レダ』を購入したからだ。このあたりでお互いの嗜好がはっきりと見て取れます、即ちクラスメイトがSFを好み、わたくしがファンタジーを好んだ──もしかするとこのあたりが萌芽となって、後のトールキンやRローリング他の名作群に触れていったのかもしれませんね。
 『メガゾーン23』はその後、監督を代えて都合3作目まで作られた。1作目の設定は今日ならば陳腐の一言で片附けられるだろうが、当時としてはじゅうぶんに衝撃的だったね。自分が信じていた世界が実は、コンピュータに支配された巨大な宇宙船のなかに作られた半径数キロが精々の街でしかなく、海外はおろか国内の旅行体験もすべて情報管制された世界のなかで作り出された仮想現実でしかなかったのだから。はじめて件の知人の家で観させてもらったときは開いた口が塞がらなかったなぁ。その3年後ぐらいにフィル・ディックの小説に遭遇したときの奇妙な既視感の源はおそらく、『メガゾーン23』だったのだろうね。
 一方で『幻夢戦記レダ』であるが、これは『聖戦士ダンバイン』と並んでいまでいう<異世界転生もの>の走りというてよかろう。片想いの少年とすれ違ったときに異世界に入りこんだ少女が伝説の戦士となって世界を救う、という、冷静に考えたら「なんだかなぁ」と言いたくなる定番ストーリーなのだが、これを観てなんとなくではありますが自分のなかで創作に於ける趣味嗜好が、その方向性が固まったように思う、という意味でわたくしにはこの作品、或る意味で生涯を決めた映像作品の1つとなります。
 OVAが市場に参入してタイトルが徐々に増えてきたとはいえやはり、まだまだそれは1タイトル1万円以上の高嶺の花的存在。10代の子供に買えるはずがありません。従ってこの時代はやはりドラマ同様、テレヴィ放送される作品に関心が集中し、記憶に焼きつく作品と出会う機会多くなるのは致し方ないこと。というよりもアニメの主戦場はまだまだテレヴィだったんですよ。
 21世紀というか令和の時代になっても放送されているアニメについてお話する必要が、果たしてあるだろうか? 『サザエさん』『ドラえもん』『アンパンマン』『クレヨンしんちゃん』あたりを思い浮かべてもらえれば宜しい。わざわざわたくしが話す必要、ないよね?
 では、ここで語るべきトピックはなにか。このブログ原稿書くよ、というたときに、私『ミンキーモモ』とか『クリーミーマミ』とか観てたぁ、と返事してきた女性がおった。そういえば1980年代の女の子向けアニメって、スタジオ・ピエロ制作の魔法少女シリーズが定番で、1年単位で新しい作品が放送されていたね。ごめん、わたくしは男だからハマらなかったけれど、幼馴染みの女の子はめちゃくちゃハマってたっけ、<沼ハマ>という程では勿論なかったけれど。でもこの系譜の先に『カードキャプターさくら』があるのは良しとしても、まさか『まどか・マギカ』のような作品が登場してくるとは、流石に当時は考えられなかったなぁ……。
 今一度、問う。ここでみくらさんさんかが語るべきトピックはなにか。『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ? うん、それは『光子帆船オーディーン』含めて別の機会にたっぷり語りたいね。『マクロス』に始まる<超時空>シリーズ? これもまとめて別の機会に語ろう。え、じゃあ『ガンダム』シリーズ? すまん、『ガンダム』は『Zガンダム』までで良い。『ZZガンダム』は最後までついてゆくことができなかった。『ウラシマン』とか『ムテキング』のような未来警察もの? いや、そのあたりは守備範囲じゃなかったんだ(ってかあんた、相当マニアックだな!?)。『とんでモンペ』や『さすがの猿飛』『うる星やつら』、そのあたりは本当に好きな人が書くべきことだ。じゃぁ、いったいなんなんだよ!? おお、どうか君よ、キレることなかれ、──
 とはいえ、話を引っ張るのもそろそろ限界だ。お話しよう、それは『重戦機エルガイム』という1984年に放送されたロボットアニメである。いや、ロボットアニメ、とは乱暴な括りだな。富野由悠季が新人育成に作品を私物化した、なんて陰口も一時期出た作品だが、逆にそうした作品がなくてどうやって次代のクリエイターが生まれるというのか。そんなことを許容できるぐらいにはまだ、テレヴィが元気な時代だったのだ。
 まぁそんなわけで、『エルガイム』からは多くのクリエイターが羽ばたいたわけだが。その最右翼というべきは永野護を措いて他にない。この人は作品の世界観の構築からキャラクター・デザイン/メカニカル・デザインの両方を担当した人。アニメに目の肥えた人にもそうでない人にも、永野護の手から生み出される登場人物が纏う服やかれらの駆る兵器のデザインは圧倒的な新鮮さを以て迎えられた。言い換えれば賛否両論あった、ということにもなる。
 元々この作品、メイン・シナリオライターの渡邉由自に拠れば、単純明快な青春ドラマになるはずだったのが途中で路線転換、貴種流離譚に化けて主人公が滅亡した王朝の忘れ形見で、両親と国を滅ぼした敵のボスに対抗して反乱軍を組織化、その先鋒に立って戦う、という図式のそれに変更された。
 これで良かったと思います。当初のストーリーにこだわっていたらきっとツマラナイ作品になっていたと思う。すくなくとも自分のなかで何10年もフェイヴァリット・アニメとして残ることも、永野護のその後の作品をコミックといわずイラストといわず設定資料集といわず追いかけることはなかったはずだから。
 幸いと昨年から今年にかけて『重戦機エルガイム』はCSにて全話放送された。勿論、バッチリ録画した。が、観返しても当時の熱は戻ってこなかった。作品の内容が風化したわけではない。こちらの身長が伸びたからだ、と言い訳する気はない。でもなんだか、むかしはあれほど熱中したのに今度はまるでのめり込むことができなかったのだ。結構客観的にストーリーを眺めていたような気がする。
 最終回、主人公が義妹を連れて故郷へ帰還する場面を見届けたとき、やっとその理由に思いあたった──たとい路線転換してもやはり『エルガイム』は青春ドラマであった。登場人物たちが織り成す向こう見ずな情熱と押しとどめようのない感情がぶつかり合う様に、わたくしはきっと疲れてしまったのだ。もはや自分にはゆめ戻ることなき青春の残滓。それが『エルガイム』には詰まっている。加えて、いちばん武勲あって新しい世界の構築の先頭に立つべき者が自らその座から退き、たった1人の女性の面倒を見るために若くして隠遁生活を送ることを選択したその姿勢に、わたくしは言い知れぬ同類意識を抱いたのだ。かれの未来がそのまま自分自身の未来に重なるような思いで、それを見たのだ。斯くて円環は開き、斯くて円環は閉じる。
 わたくしが1980年代最高のアニメを『重戦機エルガイム』と断ずる根拠は、案外とそこにあるのかもしれない。◆

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第2996日目 〈1980年代、テレヴィはドラマとアニメで花盛り。〉1/2 [日々の思い・独り言]

 1980年代、テレヴィはアニメとドラマだけしか流れていませんでした。ヴァラエティ番組、ですか? ビートたけしと萩本欽一、志村けん(一時期まではザ・ドリフターズと言い換えてもよい)とみのもんたがかかわる番組ぐらいじゃないですか、放送されていたのって。いまのように芸人が乱立してどんどんテレヴィがつまらなくなってゆく時代とは逆行していたんですよ、バブル経済に支えられた日本のテレヴィ番組は。本気にしないならご両親に訊いてみたら如何だろう。
 ドラマは話題になったものしか観なかったですね。『スチュワーデス物語』も『愛しあってるかい!?』も、『男女7人夏物語/男女7人秋物語』も『ふぞろいの林檎たち』シリーズも、『西部警察』も『金八先生』シリーズも、わたくしには無縁の世界であった。観ていなかったわけではない。初回から最終回まで通して観たことがなかった、というだけの話だ。でもそれって、観たことがない、と同義だよね!?
 正直にいえば、当時ちゃんと最後まで観ていて、なおかつその後も自分のなかでフェイヴァリット・ドラマとなり得ている当時の日本のドラマは、んんん、『セーラー服通り』と『あぶない刑事』、『ベイシティ・コップ』の3作かなぁ。いずれもCSで放送されると録画して、Blu-rayに焼きましたよ。それ以後『セーラー服通り』と『ベイシティ・コップ』は再放送されたという記事を目にしたことがないから、或る意味貴重ではありますな。
 1980年代のドラマといえばわたくしにはむしろ海外ドラマであった。就中アメリカ・ドラマが毎日観られる恩恵たるや! テレビ東京が夜8時ぐらいの時間帯で流していた(火曜日だったっけ?)海外ドラマでいちばん覚えているのは、『ブルーサンダー』です。映画版とはがらりと雰囲気を変えて、ロス市警の特別チームを主役に据えて、ブルーサンダーのパイロットとナヴィ役の青年(チビ助、と呼ばれていた)の他に2人組の地上支援班が別にいるのが印象的だった。ストーリーは、1980年代のアメリカらしく脳天気だけれどちょっぴりわさびの利いた、明るい雰囲気に満ちた、1回完結型。どうでもよいことですが、もし読者諸兄でこの番組を未見であるならば、先に映画版を観ましょう。その方がおそらくドラマ版を落ち着いて観ることができます。
 1980年代のアメリカ・ドラマって、ヴェトナム戦争帰りの元軍人を主役に据えた作品も目立ったように思います。その代表格というべきが、『特攻野郎 Aチーム』。土曜日の昼2時ぐらいから放送されていたので、いやぁ、学校が終わったら走って家に帰って手を洗うのももどかしくテレヴィの前に陣取ったりしてね。
 でも、進学してから気が付いたのですが、1980年代のドラマで描かれたヴェトナム戦争って、なんだかやけに明るかった。それを負の遺産として背負いこむのではなく、そのときの経験を用いて事態をプラスの方向に持ってゆく、というパターンの作品が多かったかな。『Aチーム』はまさしく、という感じの作品でした。とても楽しく、頭を空っぽにして、ハンニバルやフェイスマン、クレイジー・モンキー、コングたちの活躍に一喜一憂して、勧善懲悪がなされるのを胸のすく思いで眺めていた。
 他にも勿論、大量の海外ドラマを観てきましたよ。わたくしと同世代の方々ならば、量の差こそあれ思いは同じなはず。どれを取っても日本のドラマとまったく違った。ストーリー展開の早さ、流れるようなカメラワーク、なによりも会話の軽妙さが海の向こうとこちらとでは全然違う! NHKで日曜日の夜だったかしらん、シビル・シェパードとブルース・ウィリス(あのブルース・ウィリスですよ)の探偵ドラマ『こちらブルームーン探偵社』はこれらのすべてが詰まった、この類の作品をクリエイティヴする人は皆々必見の作品と断言しますね。頼りにならぬ私見によれば、20世紀最後の20年でこれ程までにロマンティックでエスプリの効いたサスペンス・コメディはなかった。双璧? その候補すら、ない。
 いちばん記憶にあるのは、ホテル内で犯人を追いかけていたブルース・ウィリスが途中で転んでそれを見失ったとき、カメラに向かって「犯人はどっち行った? あっち? (ここでカメラが縦に揺れる)よし、ありがと」と言って追跡を再開する件(吹き替えの声優は荻島真一)。これを観たときは本当に衝撃的でしたね、小説では絶対に再現できない場面だったからです。シビル・シェパードとの男女のウィットに富んだやり取り(所構わぬマシンガントークともいう)も違う意味で刺激的だったけれど、これを実現させたシナリオ・ライターもまた凄い。
 どうでもよいお話ですが、1960年代に活躍したザ・ロネッツという、フィル・スペクターがプロデュースした女性ヴォーカル・グループがあるのですが、その代表曲「ビー・マイ・ベイビー」が2人の珍しいベッド・シーンで流れたのがやけに記憶にぐっさり突き刺さりましてな、その数年後、ザ・ロネッツのCDでその曲を聴いた途端、『こちらブルームーン探偵社』の件の場面がいきなり甦ってきてねぇ、いや、びっくりしましたよ。
 日本のドラマで『こちらブルームーン探偵社』の類縁を求めるなら、『あぶない刑事』に指を折ります。というよりも、他に類縁と呼ぶべきものが、ない。とはいえ、『あぶない刑事』自体がアメリカの刑事ドラマや映画などから随分と影響を受けて作られた、と仄聞しますので、この対比もあながち間違いとは言い切れないと思います。
 そういえばNHKでは他にも海外ドラマを多数放送している。というよりも、NHKこそむかしから海外ドラマを日本の家庭に途絶えることなく供給してくれた、海外ドラマ・ファンには恩人ともいうべき存在なのであります。自分が夢中になってみていたドラマの半分ぐらいはNHKで放送されていた番組でしたね、綜合・教育の別を問わずで……『頑固じいさん孫3人』『名犬ファング』『アルフ』『フルハウス』『大草原の小さな家』『ジェシカおばさんの事件簿』『ビバリーヒルズ高校白書/青春白書』『マイコン大作戦』『ダウリング神父の事件簿』、そうして忘れちゃいけない、グラナダ版『シャーロック・ホームズの冒険』!!!
 そうして民放に目を転じれば、『V』に『新スパイ大作戦』『エアウルフ』『ナイトライダー』『悪魔の手触り』『特捜刑事マイアミバイス』『俺がハマーだ!』『私立探偵レミントン・スティール』そうして、『ファミリータイズ』。これは「全米熱中テレビ」と副題がついておりましたね。
 1990年代に入ってからもNHKと民放は多くの両作を電波に乗せてくれましたし、わたくしもその恩恵には多分に与った者ですが、済みません、本稿、あくまで1980年代のドラマに限定しているので。そうじゃなければ、『ツインピークス』とか挙げてますよ、当然のことながら!
 また、ちょうどテレヴィ局各局が深夜放送をレギュラー化し始めた頃でもあり、むかしの海外ドラマが時間の穴埋め的に放送されたのも慶事としかいいようのない出来事だった。それでなかったらどうして10代の多感な時期に、創作意欲も読書欲も旺盛で、目にするもの読むものすべてを創作に取り入れようとしていたあの時代に『ミステリー・ゾーン』の衝撃を受けようか。毎週VHSのヴィデオ・テープに3倍速で録画して、それこそ擦り切れる程に観返したドラマなんて後にも先にも『ミステリー・ゾーン』だけですよ。現在CSで全シーズン全エピソードがHDリマスター版で毎日放送されていて、仕事帰りの晩酌時に観るのが習慣になっています(勿論、Blu-rayに焼いている。願わくば第2次、第3次『トワイライト・ゾーン』並びに『四次元への招待』の放送を!)。むかし放送された回については案外とストーリー展開やオチ、次に誰がしゃべるか、どんな台詞を言うか、意外と正しく記憶に残っていてわれながら驚きであります。
 そうそう、1980年代はアニメも毎日放送されていました、と言いましたね。が、ちょっとこのままでは際限なく長くなること必至なので、キリも良いことですし一旦ここで筆を休めて、アニメについてはまた明日の話題とさせていただきます。久しぶりに、胸を張ってこう書くことができます。即ちそれってこういうこと、曰く、”to be continued”と。◆

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第2995日目 〈耳が聞こえているうちにしておきたいことはありますか?〉 [日々の思い・独り言]

 医師の問うに曰く、耳が聞こえているうちにしておきたいことはありますか、と。いや、そんなこと言われてもねぇ……。その日が来るのはわかっちゃいたが、いざ目の前に可能性として突きつけられるとね、はて……? としか返事のしようがないわけですよ。
 ここ数日で聞こえる音域が狭まったように思う。それまで聞こえていた音域がカットされて、それを視覚化して映像の画面比率にたとえるならば、健聴であった頃が画面比率4:3のスタンダードサイズ、突発性難聴と滲出種性中耳炎を発症してからが画面比率16:9のワイドサイズ、そうしてここ数日が画面比率2.35:1のシネスコサイズ、となろうか。健聴時とくらべていまはその半分ぐらいしか聞こえていない、とも言う。
 耳を聾さんばかりの高い耳鳴りに加えて、ここ2年ぐらいは聞こえなかった地唸りのような音までが復活して、正直なところ、結構辛い。朝起きるのも家を出るのも仕事に行くのも、最初の一歩を踏み出すまでがやたらとしんどい。まぁそれでも行ったら行ったで仕事は好きだし、まぁ、日によっては逢えるわけだし、厭なことばかりなわけではないのだけれど。……仕事の始め方と一緒で最初の一鍬が大事なのだ……。
 それでもわたくしの耳はまだ世界を感じることができている。わたくしの耳はまだ好きな人の声を聴き取ることができている。それはとっても素晴らしいこと、感謝すべきこと。たとい聞こえる音域が狭くなったとはいえ、まだ失聴したわけではない。わたくしはけっして絶望しない。最後の一音が聞こえるだけになったとしても、わたくしは希望を棄てない。
 病院からの帰り道道、まわりの車や自転車、歩行者を避けるため裏道を歩きながら、ぼんやりと考えた。耳が聞こえているうちにしておきたいことはありますか? ある、とわたくしは答える。第3000日目のブログ原稿と、本ブログ最終日のための原稿を完全な状態で用意しておくこと。耳が聞こえなくることで人間関係には大きな支障が生じるだろうから、そのときの悲しみに備えておくこと。。
 わたくしは毎日、自分のなかで自分の一部がすこしずつ死んでゆくのを感じています。◆

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第2994日目 〈これを手抜きと思ふ者にこそ憐れみあれかし。〉 [日々の思い・独り言]

 隣にぬくもりを感じる。白絖の雪のやは肌かすかにもぬくもり残りなほなほこひし
 いつまで留まらなければならないのか? 迎えを一日千秋の思いで待っているのに。◆

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第2993日目 〈渡部昇一『日本史から見た日本人 古代編』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 改めていう、本書初刊は昭和48(1973)年に産業能率大学出版部から出版された。この世に産声をあげて間もなく半世紀。その間、判型を変えて読み継がれてきたとは既に何度も触れたこと。今回読書に用いたのは思い入れ深い平成元(1989)年刊の祥伝社版である。初刊から実に10数年経た後の堂々の復刊、しかもその際続編の『鎌倉編』と併せて現代編ともいうべき『日本史から見た日本人 昭和編』も刊行された。この3冊が背表紙見せて横浜駅東口ポルタ地下街にあった丸善の棚に居並ぶ光景は、高校生のわたくしに畏怖を抱かせるにじゅうぶんであった……。
 という昔ばかしはここまでにして。本書のいちばん特徴的な点はなんというても、英語学者が書いた日本史の本、というところを第一とせねばならない。執筆のきっかけは『クオリティ・ライフの発想』(講談社文庫)と『知的生活の方法』(講談社現代新書)等で記されている。
 煎じ詰めれば著者がドイツ留学中に日本の歴史や民族、日本語のことを考えるうち、「(日本史学者の書いた本のなかの)納得のいかないところ、あるいはこうしたところを見落としているんじゃないかというところにもいろいろ気づく」(『クオリティ・ライフの発想』P123)ことがあった、それらがだんだんと自分のなかに溜まってきたときに勧めを受けて刊年の夏休み、一気呵成に書き下ろしたのが本書である由。執筆の傍ら資料を繙いて書き進めてゆくことはせず、自分の思考が捉えた日本の姿、歴史の流れを大切にして、かつ折節外国の歴史や政治、文化と日本文明を比較しながら筆を進め、史料については「専門家が専門家向きに出版したものを使うようにした。……原典にあたっている偉い先生方の出版した史料的なものは、私たちも近づけるわけだから、疑問があったらそれで確かめるということにした」(同P124)という。
 本書は出版以来様々な歴史学者、読書家から江湖に迎えられて好評を博した。その評言は多く「ユニーク」てふ言葉を用いたそうだが、そのユニークなる点の理由を、著者は『知的生活の方法』で明かしている。即ち、漫然と読書するなかで「面白いな」「これはいったいどういうことだ」「なんだか矛盾した話だな」などと思うたことを片っ端からカードに書き留め、卓上ファイルへ放りこんでいた、というのだ(P138-9)。それはけっして業績目的の資料収集でなければベストセラー狙いの魂胆からでもなく、依頼をこなすための一気呵成の史料博捜でもない。興味の赴くままに作ったカードが自然と溜まり、著者の歴史観や異質な視点が焦点を結んだときに書き下ろされた本なのである。そのユニークという点こそが、本書を半世紀近く生き永らえさせてきた原動力であったろう。
 実際、『日本史から見た日本人 古代編』は平成・令和に書かれた日本史のどの本と較べても見劣りしない。日本の国体の変化が過去に5回あってうち3回が武家社会成立までに起きている、しかも国体がどれ程変化しようと王朝解体の意識はまるでなく奇妙な二重権力がその萌芽も含めて古代よりあったこと。仏教伝来という宗教戦争の発端となってもおかしくない出来事があったにもかかわらず、唐の文化・法律を巧みに換骨奪胎して日本化したと同じ方法論でカミとホトケの奇妙な同居を実現させたこと。日本人の生活習慣や皇室信仰が神話時代から連綿と続く世界的に稀有なる民俗(フォークロア)であり、日本の独自性は神話の独自性に由来すること。「中国」という国名が如何に不遜で厚顔無恥かつ一知半解の結実で、逆にその国を「シナ」と呼ぶことが強い正統性を持っていること。
 いったいどんな歴史の本に斯様な発見が盛りこまれているでしょうか。その発見に揺るぎなきエビデンスを与えているというのでしょうか。暴言吐くが、あったらお目に掛かりたい。
 本書を語る際、かならず引き合いに出されるのが<和歌の前に日本人は平等>。学生時代の恩師の1人は産業能率大学出版部から本書の初刊が出た際、この1章を読んで衝撃を受けたと酒の席の戯れに話してくださった。既にお話したように本書通読は今回が初めての経験だったが、この<和歌の前に日本人は平等>の章だけは本屋さんで立ち読みしていた自分がこれを真実と、本心から感じ入ったのはその後1年半あまりで万葉八代十三代集を読破した直後のことであった。
 たしかに勅撰和歌集は後になればなる程、ただの権威でしかなく、威厳も誉れもそこにはなかった。そこに選ばれる歌人たちは政治的意味で採用されるケースも多々あったけれど、しかし、身分の上下、過去の所業や家柄、そんな枝葉末節に振り回されることなく和歌の出来映えによってのみ個々の集に名を連ねた人々である。『万葉集』ならいざ知らず、天皇の一大事業、歌人の名誉というべき勅撰二十一代集に歌が選ばれるということは、貴賤不問の名誉であり、と同時にそれは神代から続く和歌の平等を再確認させることでもあった。
 ──その後陸続と刊行されてゆく渡部日本史だが、その出発点は本書にある。以前にいうたことだけれど、渡部昇一の日本史の本を読むならまずはこの『日本史から見た日本人 古代編』からだ。然るべき人によって書かれると日本史は斯くも命漲るものとなり、触れると斬れるような鋭さを持ち、抑え難き熱情が渦巻くのだ。
 ちなみにもう1つ、最後に本書の凄い点を挙げるなら、産業能率大学版出版部から祥伝社NONSELECT版までの間、本書は多少の章立ての変更、図版の入れ替えこそあれ、本文はただの一度も手を加えられていない、という点か。つまり昭和48年から著者没する平成29年まで、渡部昇一はここに書かれた内容について絶対の自信を持ち、もし新しく発言することあった場合や改める点小さきと雖もある場合は常に次の本、次の本で更に展開、深化させていったということを、最後に述べておきたい。◆

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第2992日目 〈日本史の面白さを感じさせる座右の本。〉 [日々の思い・独り言]

 とかく歴史は面白い。歴史の面白さとはなにか、といえば、そこに蠢きその日を生きた人々の姿を見ることだ。その謦咳に触れ、その行動を敬い、その信念に胸震わせることだ。そうして<時間>の無情と残酷と慈悲と平等を痛感することである。
 古来より歴史書程玉石混淆なジャンルもない。洋の東西不問で、血湧き肉躍り、時間のうねる様、人々の巻きこまれてゆく様を俯瞰して描いた歴史書が、どれだけあったというのか。もっと時間を絞ろう、それは即ち、近代以後を指す。加えて煩雑になるのでこの国の歴史書に絞る。時間の淘汰を受けたものだけが生き残る。その後、どれだけ研究が進み、かつての定説が覆されて新説に取って代わろうとも、それがどうだというのか。そこに史書の執筆に賭けた気概と情熱と信念があったならば、それはどれだけむかしに書かれたものであろうとかならず後世に発見されて、新たな読者を獲得して更なる命を得ることになろう。
 思いつくままに例を挙げる。内藤湖南『日本文化史研究』、原勝郎『日本中世史』と『日本通史』、平泉澄『物語日本史』、徳富蘇峰『近世日本国民史』、大川周明『日本二千六百年史』、ちょっと変化球になるかもしれないけれど和歌森太郎『学習漫画 日本の歴史』全18巻(集英社)、ぐらいでじゅうぶん。これまで幾つもの日本通史というべき本を読んできたけれど、今日に至るまで繰り返し巻を開いて読み耽る本といえば、いまも書架に収まるこれらだけだ。
 実はこうした通史を読むきっかけになったのは、渡部昇一の著書に触れて以後である。手始めに湖南に手を出してこれが案外と自分好みであったものだから、渡部氏が著書で触れる歴史書は片っ端から読んでみよう、と企んだ。幸いと当時のわたくしはまだ学生で(いや、そういう年齢だったんだよ?)、学舎のある場所はお茶の水の高台……つまり、本郷の古本屋も使えれば高田馬場へ足を伸ばすのも容易な地域──そうして勿論いうまでもなく、坂の下は世界最強の古本屋街たる神保町だ。つまり、足を棒にする覚悟と丹念に古本屋を覗く体力と多少の軍資金があれば、状態さえ気にしなければ上に挙げたような本は探し当てることはそれ程難しくなかったのだ。もっとも、蘇峰だけは端本で我慢しなくてはならなかったけれどね(全100巻を購入できたのは、ついこの間のことです)。
 いまも耽読する歴史書を上に挙げた。書架から引っ張り出したそれらを戯れに開いて目を通していて、いまさらながらそれらに一本筋が通っていることに気が付いた。渡部昇一も含めて上で名前を挙げた人たちのなかには和歌森太郎を除くと、当然ではあるけれど今日的意味での歴史観を持った人っていないのね(和歌森太郎は戦前から活躍していたにもかかわらずリベラルな歴史学者として知られる)。平泉澄の歴史観は皇国史観であった。
 おまけにここに名を連ねる人たちで平泉澄以外は皆、異業種出身であることが興味深い。内藤湖南はシナ学者だったし、原博士は西洋史を専門とし、渡部氏は英語学者であり、蘇峰はジャーナリストであり、大川は思想家であった。この大川周明は民間人としてただ1人、東京裁判にA級戦犯として出廷した人でもある。裁判のとき前の席に坐る東條英機の後頭部をスリッパだか素手だかで叩いて当の東條を失笑させた、というエピソードも持つ。
 座右に侍り続ける(侍らせ続ける、というのが正しいのか)日本通史の著者たちが揃ってプロパー学者ではなかったから、こんな風に時代を超えて読み継がれるような歴史書が生まれたのかもしれない。異なる視座で歴史を俯瞰するとこうなる、という……。
 さて、本来ならば渡部昇一『日本史から見た日本人 古代編』の感想文を書く予定だったが、思いの外枕に予定した部分が長くなったことで独立した稿と相成った。よって感想文については明日以後のお披露目とさせていただく(けっして「明日」といわないあたりがね)。◆

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第2991日目 〈事件記者、モルチャックが行く!(その3)〉 [日々の思い・独り言]

 何年振りかのモルチャック・レポートである。どうやらみくらの野郎はオレの存在をすっかり忘れていた様子だ。これを書き始める直前にオレの妻に電話してきて、モルチャックってどんな顔してたっけ? とか訊いたらしい。まったく憤慨ものだ。妻はそれを聞いて唖然とし、そのあと大笑いしていたらしいが。これもまた憤慨ものである。旦那の背中を思い切り叩いて、あんた本当に存在感がないんだね、って、……。ちぇっ。
 いまオレは、横浜みなとみらいのスタバにいるんだが、いつの間にやら店は大きくなり、更に居心地が良くなった。相も変わらず外気が入りこんできて寒い席があるのは、もはやビルの構造が関係する話だから、ぶーたれたって仕方ない。
 そういえば前回のモルチャック・レポートも同じみなとみらいの別のスタバであったが、お断りしておく、オレはスタバを事務所代わりにしているわけでもなければ仕事場にしているわけでもなく、クライアントと会う応接場にしているわけでもない。レポートの舞台が7割の確率で全国津々浦々のスタバになるのは、……そりゃあみくらの野郎が大のスタバ・フリークで、かつここで原稿書いたり本を読んだりするのが習慣になっているからさ。奴の筆先から生まれてくるオレが、レポートの舞台についてドーノコーノ言える立場でないのは仕方ない話だ、ってことだ。
 ああ、さて。
 レジ・カウンター裏に四脚並ぶテーブル席のいちばん端っこで、オレはぼんやりコーヒーを飲みながら渡部昇一『日本史から見た日本人・鎌倉編』(祥伝社)を読んでいる。これは実におもしろい日本史の本だ。こんな刺激的で卓見に満ちた、語る視点が独創的な日本史の本が50年近く前に、しかも英語学者の手によって書かれていたことは驚きである。時の淘汰に流されて消えてゆく本が圧倒的に多いなか、版元を変え判型を変えて本書は生き延びてきた。
 壁際のテーブル席に、男と女が向かい合っている。ジャミラとピグモンのような2人が、前のめりになって喋っている。その内容は周囲にまで丸聞こえだ。女の声があらゆる音塊を突き抜けて、轟き渡っているからだ。レジ・カウンターのなかのバリスタさえもが聞き耳立てているのがわかる──が、お客の注文はちゃんと聞こう? 当然、耳に難を抱えるわたくしにさえ、その内容は聞き取れる(あ、ごめん、いまのわたくしは事件記者モルチャックであったな。失敬、失敬)。
 まぁ、要するにだな。ジャミラとピグモンが痴話喧嘩をしているのさ。ジャミラがピグモンの普段の言動を非難し、夜の生活を罵倒し、職場での態度を詰り、経済弱者であることを嘆き、不貞を責め立てる。
 だいたいこんな順番でジャミラの話は展開していった。思わず耳をそばだててしまったとしても、否、はっきり言おう、耳をダンボにしてしまっても誰がその人を非難するというのか。聞きたくなくても聞こえてくるのだから仕方ないよな、恋愛二等兵? とはいえ、武士の情けで会話の詳細を記録することはしない。武士の情けって、モルチャックはどこの国の人なのか、と君はいまさら訊くのか?
 ジャミラがまくし立てて責め立てる一方、ピグモンは結局最後まで防戦一方。時々繰り出すジャブの勢い持つパンチもなまくらで、何度パンチを出しても相手に有効打を与えることができない。わたくしがここに来てかれらの痴話喧嘩を聞くようになって、既に27分が経過している。その間、ジャミラの口撃が途切れることはなかった。ジャミラの口から言葉が止まることはなかった。ジャミラの温度感がさがる気配はいっこうに窺えなかった。ジャミラの怒りのボルテージがわずかなりとも目減りすることは、ただの一刻もなかった。ジャミラの怒りが収束に向かう或いは言いたいことを吐き出してしまったあとに来るあの空虚な瞬間が訪れることは、なかった。然り、最後の最後まで。
 嗚呼、ジャミラを駆り立てたものは、果たしてなんであったのか? ピグモンはどんな不貞をやらかしたのか。
 要約すれば、知り合って1年程度の2人が結婚の約束をして同棲して、いまが独身時代でいちばん幸せな頃にもかかわらずピグモンが他に女を作って深入りし、ジャミラに別れを切り出したというのが話の出発点、そうして核であるらしい。
 見ればピグモン、そんな芸当をやってのけるような男には映らないんだがなぁ。ジャミラも世間相応に可愛い部類に入ると思う。ピグモンに不貞を働かせる程の要素も傍目には見当たらないのだが。
 どうやってこの男が二股掛けて、出逢って2ヶ月足らずの不貞の相手と結婚するまで思いこんだのか、オレは是非にも知りたいと思った(スタバは取材ネタの宝庫である)。かれらが席を立つまでオレは本を読む振りをしていよう。そうしてかれらが1人になったらピグモンに近附こう。最近はデカイ仕事ばかり追っ掛けてきたせいで、こうした市民的なネタを深掘りして記事を書いてみたい。まぁコロナ禍で長期間、家を空けて取材することもできない御時世だしな。それに妻もオレが家で仕事をしていることで安心するようだ。その名目が<監視>っていうのがチト解せないが。
 それはさておき。
 ……男と女って難しいね、なんとなくで付き合い始めた2人の絆って結婚の約束をして強固な風に見えても、外圧に曝されれば案外脆くて弱いものなんだな。いやぁ、怖い、怖い。オレも妻には絶対忠誠を誓って尻に敷かれて掌で転がされて、村上春樹いうところの<小確幸>を噛みしめながら、妻と一緒にいられる日々に感謝して過ごそう。
 斯くして、モルチャック・レポート第3回、完。◆

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第2990日目 〈邪な願望を抑える努力。〉 [日々の思い・独り言]

 いろいろと考えてしまうのです。2度と逢うことのできない人と残された時間をどう過ごしてゆけばよいだろうか、と。抱える想いは久遠に在り、色あせたりしぼんだりはしない。況んや消えてなくなり滅びたりをや。
 今月いっぱいはここにいる、とあの女性は言った。しかし、そのあとはわからない、と。こちらを引き払い、婚約者との新しい生活を始める、とも。あなたは自分の前にまっすぐ伸びた道を歩いてゆく。が、わたくしはきっとここに立ち止まったままだ。生命活動を停めるわけにはいかないから、進むべき道はなくとも進まなければならない辛さはあるけれど。
 邪な願望を言おう、──その人を奪いたい。幸せを祈る一方で、どうにも折り合いの付けられない気持ちがそんなことを企ませる。わたくしには奪うだけの価値ある人。成文法に触れようと慣習法に反しようと、世間様が偏見と同調圧力で形成した<道徳>を敵に回そうと構わない。だからなんだ、というのだ。
 出逢う順番を間違えただけなあなたへの想いは棄てられない。どんな経緯を辿り、どんな結末を迎えたとしても、どんな誹謗中傷を浴びたとしても、わたくしはあの人のいる人生をひたすら希求してしまう。仕方のないことだ、これが嘘偽りなき本音なのだから。
 むろん、あの人の被る心の傷を癒やす必要もある。むしろこちらを最優先すべきだろう。わたくしはあなたを守る、と告げた。略奪という行為の結果としても、否、斯様な行為の結果だからこそ、わたくしはあなたを、世界中の人が敵と化しても盾となって鎧となって剣となって、あなたを守り、あなたのために戦う。満身創痍になっても構わない。
 とはいえ幸いなことにいまのわたくしは、自分のなかのあちこちからどうにか掻き集めた良識に則って、そんな悪巧みの実行を思い留まることができている。サンキャー。
 [自主削除]
 ──些かであるが不穏かつきな臭い話題になってしまった。申し訳ない。書き始めたときは特定の話題が浮かばなかったこともあり、もっと鬱々悶々とした内容になる、と思うておった……とはいえ、本稿を読み返してみると、ううむ、やはり鬱々悶々としておりますな。呵呵。
 それでは頭を切り替えよう。あの人と一緒に過ごせる残りわずかな時間を如何に悔いなく過ごすか。今生の別れの瞬間を迎えるその<時>まで、わだかまりも含みもない会話を重ねて、1つでも多くの思い出をあの人から貰うか。あちらがそれをどう思っているか判じかねるが、すくなくともわたくしはこれからも、いままでと同じようにあの人のことを第一に考えて行動しよう。◆

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第2989日目 〈ちかごろのコミカライズ作品には良作が多いよね。〉 [日々の思い・独り言]

 その日に購った本は、なにもコミカライズ版『十角館の殺人』ばかりではない。漫画を何冊も買い(※下記参照)、何作も小説を買い(※下記参照)、オバマ元アメリカ大統領の伝記と安倍前首相の本を買い、『会社四季報』春版を買い(※下記に参照に該当する箇所どこも無し)……と極めて至福の日であった。が、その一方でTwitterでフォロー中な北海道の女子大生が取材された雑誌は見附からなかった。無念。
 今日は珍しく書くネタに詰まったので、ただのお買い物リストでお茶を濁す。昔読んだスティーヴン・キング論に、キングはその気になれば洗濯物のリストでさえベストセラーにできる、と言うた人がおったけれど、うぅん、羨ましいお話である。わたくしもそうなりたい。どうやったらそんな技術、身に付けられるんやろか? これこそたくさん書いて書き散らして、体得してゆくより他ないことなのかな。
 まぁ、それはさておき。
 『十角館の殺人』を買う前に横浜駅西口の某メガバンクへ足を運んだことは既に書いたけれど、軍資金の豊かなることに気持ちを大きくしたわたくしはその足で地下の有隣堂に出掛けた。斯くしてコミック売り場で平台に載った追っ掛けているコミックの続きの巻を次々に見出して、矢も楯もたまらず片っ端から摑んでレジへどん、と積みあげたのである。対応した店員が一部で有名な省エネ女子で、もうその塩対応ぶりには馴れたとはいえ、もうちょっと大きい声で喋ってくれないかなぁ、なんて思ったりしたよ。
 払った金額には口をつぐむとして、えぇとね、買った漫画は上述の『十角館の殺人』の他は以下の通り、──
 さと『神絵師JKとOL腐女子』第3巻(ヒーローズ ヒーローズコミックス)
 水瀬マユ『いとなみいとなめず』第5巻(双葉社 アクションコミックス)
 若木民喜『結婚するって、本当ですか』第3巻(小学館 ビッグコミックス)
 山崎零『恋せよキモノ乙女』第7巻(新潮社 バンチコミックス)
 H.G.ウェルズ/原作=横島一/画=猪原賽/脚本『宇宙戦争』第3巻(KADOKAWA ビームコミックス)
 ──等々。馴染みの作品ばかりでクオリティやストーリーに関しては絶対の安心を寄せられるのだが、一方で新しく読む漫画を開拓しようと思うても単行本派のわたくしにそれはなかなかギャンブル性の強い作業である。当たればラッキーだが外れたときにはねぇ。
 それにしても『宇宙戦争』は近年稀に見るコミカライズの傑作であった。原作小説を夜を徹して読んだ子供時代の興奮が甦ってきましたねぇ。読書という行為の愉しさ、奥深さを改めて思い知ったことであります。コミカライズは余計な足し算引き算をすることなく破綻や中弛みを感じさせることなく圧巻であると共に皮肉なクライマックスに、読者を導いてゆく。全3巻というのは妥当な長さだけれど、よくもまぁここまで原作にリスペクトした作品に仕立てあげられたなぁ、と感心しているのだ。
 とはいえ、近年は小説のコミカライズには目を瞠る作品が目白押しだ。この『宇宙戦争』は勿論、昨日感想文をお披露目した『十角館の殺人』然り、田辺剛のラヴクラフト作品然り、柳広司/原作=仁藤すばる/画『ジョーカー・ゲーム』然り、綾辻行人/原作=清原紘/画という『十角館の殺人』のコンビが手を組んだ最初の作品『Another』然り。探せば他にあるだろうし、ラノベにまで範囲を拡大すればそれなりの数が出て来るだろう。が、残念ながらわたくしはそこまでをテリトリーとしていない。済まないね。
 もっとも、完結するか/しているか、という不安はオリジナルのコミック作品よりも多く付き纏うことになる。『宇宙戦艦ヤマト2202』のコミカライズは漫画家の都合で打ち切りになったし、『ラブライブ! サンシャイン!!』に至ってはいつ第4巻が出るのやら、という為体だ。あれ、両方ともKADOKAWAじゃん。やれやれ、だね。あ、因みに『宇宙戦争』は完結しているよ、……とはもう書いておったか。自分の物忘れにはイヤんなっちゃうよ、まったく以て、♪オッペケペッポー、ペッポッポー♪ だ。
 いずれにせよ、原作が好きであればある程、コミカライズへの目は厳しくなる。わたくしだって例外ではない。それでも上に挙げた作品群については本当に良く描かれていて、惚れる、ってこういうことを言うんだろうな、と変なことを考えている。いやぁ、ラヴクラフトのコミカライズ単行本に関してはPHPの幻滅するような作画のものがありましたからねぇ……いやはやなんとも。
 さて、読者諸兄は果たして覚えておいでだろうか。本稿は、本来ならばお買い物リストになるはずだったことを? 筆を擱こうかと考え始めた段になってわたくしがようやく気付いたのだから、お忘れになっていても責めはしない(オ前ハイッタイ何様ダ)。どんな小説を買ったのか、についてはまたこの先いずれ、ネタ切れになったときの話題として温存しておこう。むろん、そのときには賞味期限切れであること、じゅうぶん承知しているよ? だから、なに?◆


神絵師JKとOL腐女子 (3) (ヒーローズコミックス ふらっと)

神絵師JKとOL腐女子 (3) (ヒーローズコミックス ふらっと)

  • 作者: さと
  • 出版社/メーカー: ヒーローズ
  • 発売日: 2021/03/15
  • メディア: Kindle版




いとなみいとなめず : 5 【特典イラスト付き】 (アクションコミックス)

いとなみいとなめず : 5 【特典イラスト付き】 (アクションコミックス)

  • 作者: 水瀬マユ
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2021/03/27
  • メディア: Kindle版




結婚するって、本当ですか(3) (ビッグコミックス)

結婚するって、本当ですか(3) (ビッグコミックス)

  • 作者: 若木民喜
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2021/03/12
  • メディア: Kindle版




恋せよキモノ乙女 7巻: バンチコミックス

恋せよキモノ乙女 7巻: バンチコミックス

  • 作者: 山崎零
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2021/03/09
  • メディア: Kindle版




宇宙戦争 3 (ビームコミックス)

宇宙戦争 3 (ビームコミックス)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2021/03/12
  • メディア: Kindle版




Another(1) (角川コミックス・エース)

Another(1) (角川コミックス・エース)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2012/09/01
  • メディア: Kindle版




十角館の殺人(1) (アフタヌーンコミックス)

十角館の殺人(1) (アフタヌーンコミックス)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/11/22
  • メディア: Kindle版




クトゥルフの呼び声 ラヴクラフト傑作集 (ビームコミックス)

クトゥルフの呼び声 ラヴクラフト傑作集 (ビームコミックス)

  • 作者: 田辺 剛
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/12/20
  • メディア: Kindle版



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第2988日目 〈綾辻行人:原作=清原紘:漫画『十角館の殺人』第3巻を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 某メガバンクにて融資申込に必要な口座開設を済ませた休日。久しぶりに本屋さんに寄って、たくさん本を買った。至福の一刻、されど帰れば空間逼迫顔色真っ青。本気で蔵書保管のために引っ越すこと考えんとアカンなぁ。
 それはさておき。
 ようやく綾辻行人:原作=清原紘:漫画『十角館の殺人』第3巻(講談社アフタヌーンKC、2021/03)を手に入れた。お見舞い相手が寝ている脇で読むのに相応しい作品ではない。されど、一刻も早くシュリンクを破いて読み耽りたい欲望は抑えられようはずがない。
 実はいちばん興味があったのは、事件直前の中村青司と紅次郎が交わした、原作小説では新装改訂版で追記されたあの会話──我々は新たな段階を目指す、大いなる闇の祝福を受けて──が再現されているのか否か、であった。『暗黒館の殺人』を承けて改訂された部分の1つだが、コミカライズが原作小説から如何に離れ、如何に再現しているか、その判断の試金石となる部分でもある。
 結果は是非本巻をお読みいただき確認されたい……といいたいところだが、本ブログの読者が皆、綾辻行人ファンというわけはなかろうし、このコミカライズを第1巻から最新巻まで通して読まれるわけでも(残念ながら)ない。為、この箇所についてだけ触れてしまうと──件の台詞は残されていたっ! ここを読んだときの背筋の震え、歓喜を伴った興奮、コミックを読んでいたこんな感じを味わう経験なぞ、そう滅多にあるものではない。
 こうなったらシリーズ内時系列では事実上の出発点となる『暗黒館の殺人』全巻を完全コミカライズしなくちゃ、ダメですね。だってこの作品ありきの中村青司の台詞ですから。背景を知った上で読むのと知らずに読み流すのとでは、まったく面白みが異なります。原作小説の分厚いボリューム(新書版で上下巻、文庫版で全4巻)に負けた人の多いらしいことは、某巨大マーケットプレイスの評価コメント欄を見れば明らか。ならばコミカライズで読破して、この異様な世界を堪能していただきたい。ダリアの宴……。
 コミカライズ版『十角館の殺人』第4巻は今年の秋頃の発売という。全巻が出揃った暁には改めて、本作の感想文を認めましょう。◆


十角館の殺人(3) (アフタヌーンコミックス)

十角館の殺人(3) (アフタヌーンコミックス)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2021/03/23
  • メディア: Kindle版




暗黒館の殺人(一) (講談社文庫)

暗黒館の殺人(一) (講談社文庫)

  • 作者: 綾辻行人
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/08/15
  • メディア: Kindle版




暗黒館の殺人(二) (講談社文庫)

暗黒館の殺人(二) (講談社文庫)

  • 作者: 綾辻 行人
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/10/16
  • メディア: 文庫




暗黒館の殺人(三) (講談社文庫)

暗黒館の殺人(三) (講談社文庫)

  • 作者: 綾辻 行人
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/11/15
  • メディア: 文庫





暗黒館の殺人(四) (講談社文庫)

暗黒館の殺人(四) (講談社文庫)

  • 作者: 綾辻行人
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/08/15
  • メディア: Kindle版




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第2987日目 〈長編小説『ザ・ライジング』の補足です。〉 [小説 ザ・ライジング]

 『ザ・ライジング』まとめ記事の補足です。本当ならもうすこし早くお披露目すべきなのだが、どんどん原稿が溜まってゆき、それを片っ端から予約投稿している関係で、必然的に本稿の公開は後ろ倒しになってしまう。ご寛恕いただければ幸甚と存じます。
 では、なにを補足しようとしていたか? 音楽の話であります。
 そも主人公が吹奏楽部に所属していることでヒンデミットの《交響曲ロ短調》や、友人が合唱部のためハウエルズやブリテンの合唱曲に言及している。また、先日長瀬智也が事務所を退所したことで新たなステージに上ることを余儀なくされたTOKIOなど、まぁいつものわたくしの小説通り細部を埋める役回りで、幾つかの固有名詞を散りばめてゆくことになりました。本作のタイトルにもなったブルース・スプリングスティーンの「ザ・ライジング」については、改めて申すまでもありません。
 が、いまここでわたくしが補足として取りあげたい音楽とは、作中で取り挙げられたそれのことではなく、いわば執筆中の場面に流れたと或る一曲のこと。或る意味でこの曲がなければ、本作のクライマックスを構築することは難しかったかもしれません。それぐらいに重要な曲であります。
 その曲とは、シベリウスの交響曲第2番ニ長調Op.43。第5章で主人公が海上にあがってき、亡き婚約者の影を見る場面があるのですが、その場面の背景にわたくしは勇壮なこの交響曲の、第3楽章から第4楽章へ移行する箇所をBGMとして流したのです。
 残念ながらそのBGMが、誰の演奏であったかは覚えていません。わたくしは北欧音楽オタク、シベリウス・マニアでしたから、様々な指揮者とオーケストラの第2番が記憶のなかに宿っている。されどいま件の場面を読み返してみていちばんしっくりするのは、バーンスタインとVPOのDG盤かなぁ、と思うたりしております。カヤヌスやバルビローリの演奏も良いけれど、サカリと渡邊暁雄も捨て難いけれど、映像の後ろに流れるに相応しいテンポや恰幅のよさなど考えればやはり、レニー=VPOの右に出るものはありません……。
 これがクライマックスに流れる音楽であるわけですが、あともう1曲。映画でいえばエンドロールに流れる歌が椎名へきる「PROUD OF YOU」だとだけ、最後に添えておきたい。この歌、椎名へきる史上最高にして無二の1曲ではある。異論があることは重々承知、それでもわたくしはそう信じて疑わない。どうしてこの歌であったのか、それを語るには必然的に<あの日>とそれに続く日々の出来事を語らなければいけない──が、それはいくらわたくしとて語るを控えたい出来事でもある。為、ここを以て擱筆。◆

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第2986日目 〈春は別れの季節なり。〉 [日々の思い・独り言]

 先日、天皇陛下の皇太子時代のことを書いたら「不敬者!」なんて言われたんだけれど、いったいいまはいつのなんていう時代なんだ。まったくもう。が、これにめげるみくらさんさんかではない、読者諸兄も既にご承知の如く。ゆえに、本日のエッセイの書き出しも、こんな風にさせていただく、──
 オックスフォード大学留学時代の陛下の部屋の鏡に、柏原芳恵のブロマイドが貼られていた、という話をしたけれど、その柏原芳恵に「春なのに」という名曲がある。この時期になるとどこかしらの音楽番組で流れることしばしばで、非常に情感のつまった詞にメロウな歌声が調和した一聴して忘れ難き曲だ。
 いまの時期は別れの季節である。学校であっても会社であっても、それに限らず人集う場所に己を置くならばそこには斯様な愁嘆が生まれるのは、避けられぬことだろう。そんな場に自分があるとき、条件反射のように脳裏によみがえるのは、他ならぬこの「春なのに」の一節;♪春なのに、お別れですか。春なのに、涙がこぼれます♪ これがまた別れの感傷を更に増幅してくれて……いやぁ、時として身の処し方に困ってしまう程だ。
 此春のわたくしはいつの年にも増して、<別れ>を痛烈な思いで受け止めている。いったいなんなんだろうな今年は──。
 逐一それを報告する義務はないので、詳細は省く。
 ただ、思い出を消えてゆかぬようにするため書き留めたい人があるとすれば、ジムでお世話になったトレーナーの男性とカウンターの女性かな。このお2人とははじめてジムを訪れたその日、お目にかかったのである。
 説明を聞きに行っただけなのに、その約1時間後には入会していた。別に攻勢を掛けられたわけではない。いまなら何十パーセントオフで入会できますよ、とか、この魅力的な特典が付けられるのはいまだけですよ、とか、そんなことは一度もいわれていない。いや、マジさ。
 女性の説明が丁寧でわかりやすく、こちらの質問に明確かつ的確に答えてくださったこと。ご本人にも昨日(03月29日/最終出勤日)お伝えしたことだが、この女性が担当してくれなければ、たぶんわたくしはジムへの入会を決めていない。また、トレーナーの男性がこちらの希望を聞いてトレーニング方法と日常生活で心掛けるべきことなど限られた時間で真剣に向き合ってくださったこと。そうしてジム全体の見学を終えるときには入会を決めていた……結局のところ、決め手になるのは<人>なんですよね。
 そんなお2人とも今月03月でお別れ。ゴタゴタが立て続けにあった今月だけれど、時間を作って最後にご挨拶できて本当によかった。寂しいけれど、心残りはない。サンキャー。
 おまけにカウンターの女性については新しくパーソナルトレーニングを担当してくださる方と草野球チームで一緒とのことだし、トレーナーの男性についても異動というだけでまたいつかお会いできる日があるかもしれない。そんな淡い期待を胸にして、お2人とお礼の挨拶ができたのは、本当によかった。寂しいけれど、後悔はない。サンキャー。
 ──職場についてもやはり時期的に別れと無関係ではいられないが、コールセンターである以上人の出入りが烈しいのは当然のこと。ならば、それについて一々涙流すとか感傷的になるなんて、どんだけ覚悟なしでここに来たんじゃ? と問いたい。自社コールセンターであるならともかく、クライアントありきのアウトソーシング企業であればクローズ/解体は必至であろう。加藤恵嬢ではないが、なんだかなぁ、である。キョン氏ではないが、やれやれ、である。丸い頭の男の子とその飼い犬(!)である世界一有名なビーグル犬ではないが、good grief、ですよ。交際しているのかもあやふやであったのに突然婚約者に互いが昇格した摩訶不思議なあの方については……まぁ、い、いいか(ポーズか否かはあなたの判断にお任せしよう)。
 最期に、懇意にしている和尚の台詞を書き留めたい。曰く、「季節の変わり目は人が多く死ぬ時期。別れを嘆くな、天命だ」と。生者であろうと死者であろうと、これは変わりがないですね。◆

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第2985日目 〈今日はなんの日? 結婚しました。〉 [日々の思い・独り言]

 みくらさんさんかはこの度、一般女性と入籍致しました。謹んでここにご報告させていただきます。お前も一般人だろ! なんてツッコミはなしな。つまらぬ。
 顧みればその人とわたくしは随分と長い時間を、(結果的に)一緒に過ごしてきた。有楽町で再会して以後は即かず離れずの関係を保ち、共通の知己に声を掛けられて出向く飲み会でたまに会っては近況報告をする程度の間柄だったのが(まだ成人前の女子大生だった! 歳月が流れるのは早いね)、いつの間にやらこうなりました。だってはじめて逢ったとき、彼女はまだ中学2年生だったんですよ?
 どうしてだろうねぇ……。彼女がかつてわたくしが在席していた旧財閥系グループの中核をなす総合商社に新卒入社し、配属先の直属上司がわたくしのグループ同期だった<偶然>てふ名の縁はあっても、彼女がわたくしを知る者となったらあることないことまぁこれが様々吹聴するったらない。事後報告されて多少なりとも憤慨したとはいえ、まぁ年下で新卒で可愛い女の子とどうにかして話題を作ろうと努力(=空回り)した結果なんだろうね、と恩赦を与えたのは実は2度や3度では済まされない。それはともかく。
 入社から数ヶ月してブラジルへ赴任するというとき、はじめて朝から晩まで2人きりで過ごした。詳述はしないが、有楽町で再会してから3年という時間が経っていた。そうして日本へ帰国したその日、飛行機が空港に到着して入国ゲートから出て、さて会社に行こうかな、とタクシーを探してうろうろしていたとき、大きな揺れが成田空港を襲った。2011/03/11/1446──あちこちに電話しまくってようやくつながったのが、なんとわたくしのケータイであったという。彼女の第一声はいまでも覚えている、曰く、あ、つながった……ねぇなんでよりによってみくらさんなの? と。失礼な話である。「よりによって」とは、むしろわたくしの台詞ではないか。失礼こいちゃう話だ。
 その後も彼女がロシアに赴任したり、わたくしもまぁ流転の時を過ごしたけれど、なんだかお互いに随分と回り道をしたように感じます。収まるべきところに収まったね、といってくる者もあれば、まだ結婚してなかったの、と真剣に小首を傾げてきた者もある。いつかそのうちこうなると思ってた、という人もあれば、ストレートに「キモい」と喚いてきた輩もある(オ前ナンカ結婚式ドコロカ二次会ニダッテ呼ンデヤルモンカ! 呵呵)。
 昨年のクリスマス・イヴから正月3が日までほぼ一緒に過ごし、<昼は淑女で夜は娼婦>をたっぷり堪能させていただいた。夜更けに食べるお手製のビーフシチューはとても美味しかった。本場仕込みということもあり、ボルシチは勿論、ペリメニやビーフストロガノフ、ザックスカ、ピロシキ等々ロシアの家庭料理は文句の付けようがない程の美味。元から料理上手とはいえ、ロシア料理に加えて和洋中にエスニックまでなんでもござれな彼女の手料理を、これからは毎日食べられるのかぁ、と思うと、ジムに通ってどれだけ脂肪や体重を落としても幸せ過摂取によりリバウンドが大きすぎるのではないか、なんて懸念を早速抱えているのだ……とは贅沢な発言か。
 お断りしておくが、過度に情を交わして愛をぶつけ合ったとはいえ授かり婚ではない。向こうが焦りを感じて適当に相手を見繕ったらたまたまわたくしが餌に引っ掛かったわけでもない。互いの合意によって縁を結んだのだ。「信仰と希望と愛、この3つは最後まで残ります。そのなかで最も偉大なるは、愛です」(一コリ13:13)
 ──さて、ここでわたくしは読者諸兄に問いかけたい。本稿のタイトルは、果たして何であったか。わたくしは読者諸兄に語りかけたい。今日までのブログの流れをとく顧みよ、と。その上で導き出される結論は、なにか? ここに書かれたことがすべてフェイクであるという、これ以上はないぐらい明瞭な事実。つまり──エイプリル・フールおめでとう。そうして、ごめんなさい。
 ところでわたくしは本稿の数ヶ所に、われながらかなり技巧を凝らしたと自負するかなり挑戦的かつ内部告発的なメッセージと、わたくしの文学的思考を知る者ならばすぐに読み解ける信条告白的なメッセージの2種を塗りこめてみた。このメッセージありきで本稿は、エイプリル・フールのジョーク記事は書かれている。解読できたらば、君よ、ここに隠された場所で会おう。河を渡れ。◆

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