第3045日目 〈静岡県沼津市、駿河湾波高し。〉 [日々の思い・独り言]

 日曜日の夕刻であります。沼津市内のドトールにてよそ見しながら、電子辞書に逃げながら、カウフマンの〈だれも寝てはならぬ〉にうっとりしながら、最終日に触れた原稿を書いている。隣では連れがミラノサンドに齧りつき、その向こうでは見知らぬ輩が連れの横顔をじっと見ておる。なんだ、君もミラノサンドが食べたいのか。ならばお金を持ってレジへ行き、「ミラノサンドのA、くださいな」というてくればよい。
 家を手入れし、駿河湾に釣り糸垂らし、内浦港のそばで定食を食べる。それが終わるとバスに揺られて沼津駅まで出掛け、デパートで買い物して、再びバスで帰宅する。行けばこの数ヶ月、判で押したような生活の繰り返し。それなりにバタバタしているため、充実しているか、と訊かれれば、まぁそれなりに、と答える──けれど、それは嘘。心はここにあらず。箱根の向こうの生まれ故郷に飛んでいる。
 今夜の最終で横浜へ帰るが、次にここへ来られるのはいつなのかな。いや、本気でこちらに住むことを考えているのか? それはあの子のキャリアを潰すことにならないか、あの子に夢(野心)を諦めさせることを強要するだけではないか? 本人の答えは訊くまでもないから、余計に悩ましいのである……。◆

第3044日目 〈『BOOKMAN』という雑誌があった。〉 [日々の思い・独り言]

 朧ろ気な記憶でしかないけれど、昭和から平成にかけてこの国には種々雑多な雑誌が、シャボン玉のように漂い現れては儚く消えてゆくことを繰り返していたように思える。
 この時代、『FMレコパル』と『サウンド・レコパル』と『テレパル』てふ小学館のオーディオ・ヴィジュアル雑誌を耽読し、『ロードショー』や『スクリーン』で洋画の泥沼にはまり、『週刊少年チャンピオン』で小山田いく作品を殊に鍾愛し、『New Type』では永野護描くお伽噺的SFの世界に耽溺した。『幻想文学』でホラーやファンタジーもじゅうぶんアカデミックな研究対象になると知って小躍りさえした。そうして、ほぼ同時期に書店の外国文学の棚に刺さっているのを発見した薄い雑誌のことを、30年経った令和の時代に書こうとしている。
 その雑誌を『BOOKMAN』という。本好きの、本好きによる本好きのための雑誌で、毎号書名の左上に踊った惹句は<本の探検マガジン>(※1)であった。

 書誌データを簡単に。
 刊年月;1982年10月〜1991年6月(※※)
 編集人;武谷進(第1〜2号)→本谷裕二(第3〜4号)→瀬戸川猛資(第5〜30号)、
 発行人;本谷裕二、
 刊行;株式会社イデア内イデア出版局(第1〜4号)→株式会社トパーズプレス(第5〜30号)。(※2)
 企画協力;株式会社トパーズプレス(第1〜2号)
 編集協力;株式会社トパーズプレス(第3〜4号)
 判型;B5版
 ページ数;平均69.6ページ(第1-10号まで64ページ、第11-30号まで72ページ。但し第20号のみ80ページ)
 表紙;矢萩喜従郎
 刊行ペースは隔月刊という触れこみであったが、不定期刊というが相応しく、第25号で終刊宣言がされ(※3)、第30号にて宣言通りに終刊。有終の美を飾った。

 『BOOKMAN』では毎号、なにかしらの特集が30ページ前後で組まれていた。特集によっては増刷に次ぐ増刷の号もあれば、初動鈍くそれはいっかな解消されることなかった号もあった由。
 該誌にて組まれた特集を、以下にそのタイトルをサブタイトル付きで列記する。
 創刊号/第1号 なぜか今、岩波文庫が読みたくなった!
 第2号 見えない図書館──恐怖のブックハンター列伝!!
 第3号 書棚から消えていった作家たち!!
 第4号 完全版・神田古書店カタログ
 第5号 岩波&中公・新書ハンドブック
 第6号 おお探偵小説大全集──早川ミステリVS創元推理文庫
 第7号 ザ・ベストブック1983──読書のプロが選んだこの一冊
 第8号 HOW TO 洋書──読み方・集め方の徹底探求
 第9号 一生の読書計画──「黄金の12冊」を決める
 第10号 書斎の秘密──文筆家の書斎テクニック
 第11号 ザ・ベストブック1984──何がいちばん面白かったか
 第12号 幻の探偵雑誌「宝石」を追う──ある雑誌の生涯(復刻綴じ込み;大坪砂男『天狗』)
 第13号 これが決闘文学だ!──胸騒ぐデスマッチ小説を耽読する
 第14号 ザ・ベストブック1985──面白い本がなかったなんて本当ですか
 第15号 「辞書」はすばらしい──切磋琢磨の熱中ガイド
 第16号 SF珍本ベストテン──謎の名作・噂の怪作
 第17号 読書術・秘中の秘──ベストブック1986付
 第18号 みんな欲しかった中国名著カタログ
 第19号 本物のホラーを!──エセ恐怖ブームを斬る
 第20号 ブックマンたちに捧げる特別号
 第21号 東京古本屋帝国ベスト店──地図とガイド
 第22号 読書日記をつけましょう
 第23号 関東古本屋帝国ベスト店──東京・横浜・千葉・埼玉
 第24号 世の中、マンガ──’80年代精選傑作漫読大会
 第25号 BM式必携文庫目録──絶版時代がやってくる
 第26号 秘密のベストセラー──[硬派]の売れ行き
 第27号 本への”熱視線”──ヴィジュアル読書の時代
 第28号 よくわかる現代詩──〈知られざる世界〉の面白さ
 第29号 オール未発表企画──終刊前の「特集」サービス特集
 終刊号/第30号 〈いい本〉とは何か──最後のメッセージ
 ──以上である。
 読書家ならば食指が動くこと必至なのでは? 企画自体はメジャーながらも『BOOKMAN』が手掛けるとひと味もふた味も違う、いま読んでもじゅうぶん刺激的かつ養分たっぷりな特集の内容であることに驚きを隠せない。
 『BOOKMAN』の特集が他とはあきらかに一線を画した硬派かつ辛口、加えて高品質であったのは企画力もさることながら、書物にまつわることならなんでも来いな猛者が一堂に会した結果だ。それゆえに『BOOKMAN』は奇跡の雑誌というてよい。約30年の歳月を経て全冊を読み返したわたくしの偽らざる実感だ。んんん、それは即ち、創刊前から本誌にかかわった瀬戸川猛資の<人間力>に帰結する、ということか。
 第4号、第21号及び第23号の首都圏古本屋ガイドは逆にどれだけの店がこんにち生き残っているかを炙り出す史料と化している部分あるが、それでもこれらの特集号がいまなお古本屋に通って本を買うことの情熱を燃えあがらせてくれることに間違いない。
 第9号「一生の読書計画」や第10号「書斎の秘密」などは真の読書好きならば熟読玩味、羨望しつつ、自分の参考になるような術はないか、と目を皿のようにする姿が目に浮かぶ。
 またその一方で、第12号「幻の探偵雑誌「宝石」を追う」や第2号「見えない図書館」のオタク気質炸裂の特集に唸り声をあげ(しかし第2号は壊滅的に売れなかったらしい)、第26号「秘密のベストセラー」に夢中になるあまり気附けば電脳空間にてヤフオク!や日本の古本屋サイトで紹介された出版社の刊行物を血眼になって捜し回っていたりする(わたくしである)。
 なお余談ながら第23号「関東古本屋帝国ベスト店」横浜編にて紹介された当時県下最大床面積を誇った先生堂の写真の一枚に、当時まだ高校生であったみくらさんさんかが後ろ姿で映っております(※5)。2代目店主で後に伊勢佐木書林の店主であった飯田さん、お元気なのかしらん。因みに先生堂の入っていたオデヲンは現在、ドンキになっておる(でも5階だったから売り場にはなっていないんだよね)。

 勿論、雑誌は特集だけで成り立つものではない。以下に各連載記事を号別に掲げる。
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 第1号
 本野虫太郎 書物の解像 第1回:仮綴じ本のこと
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第1回
  神谷正嗣、松坂健、平七郎、中野康太郎、白井久明
 BMエッセー
  山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第1回:島田清次郎と『地上』
  森卓也 ビデオ地獄亡者の戯れ
  大橋嘉彦 西行論・往生の夢、あるいは散りゆく花
 PB(ペーパーバック)ランド
  深野有 ペーパー・コネクション 第Ⅰ回:PB版・熱狂リーグ、開幕、開幕!!
  宅和宏 ペーパーバック映画館 第Ⅰ回:ブレードランナー
  PBブレンド 第Ⅰ回:八島大学、大久保新、池田博子
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第Ⅰ回:フレーズを並べてみたら、みんなでサイエンス・マガジンというお話と若干の不満表明
 書店のページ:文鳥堂書店四谷店 「本の新聞」編集マル秘話(木戸幹夫)
 荒俣宏 本朝幻想文学縁起拾遺編 巻之一:明治期異人、「破邪神霊」ノ要ヲ論ズ。
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 第2号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第2回
  増木近夫、深野有、平七郎、中野康太郎、白井久明
 BMエッセー
  山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第2回:加能作次郎と『乳の匂ひ』
  甲斐栄次 第40回将棋名人戦に思う★幻の3二金
  柴隆夫 時節外化猫譚
 PB(ペーパーバック)ランド
  深野有 ペーパー・コネクション 第2回:西暦2022年の”俳句” またはあるSF奇本についての一部始終
  宅和宏 ペーパーバック映画館 第2回:民衆の敵
  PBブレンド 第2回:三雲正博、大久保新、池田博子
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第2回:あらゆる紙は限りなく本をめざす(上)
 荒俣宏 本朝幻想文学縁起拾遺編 巻之二:巷談妖術考、其一
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 第3号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第3回
  増木近夫、松坂健、平七郎、白井久明
 BMエッセー
  山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第3回:アルツィバーシェフとサーニン(特集内)
  加瀬義雄 読書人として知っていれば役に立つとは限らぬ図書館の話あれこれ!!
  園部実 ひがみ読み食味本毒味控え
 PB(ペーパーバック)ランド
  深野有 ペーパー・コネクション 第3回:ペーパーバックスの珍種 エース・ダブル・ブック(1952〜1965)の残したもの
  宅和宏 ペーパーバック映画館 第3回:ラグタイム
  PBブレンド 第3回:三雲正博、大久保新、小林武
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第3回:あらゆる紙は限りなく本をめざす(下)
 書店のページ:三省堂新本店(丸山政利)
 荒俣宏 本朝幻想文学縁起拾遺編 巻之二:巷談妖術考、其二
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 第4号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第4回
  増木近夫、松坂健、平七郎、中野康太郎、白井久明
 BMエッセー
  山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第4回:メレジュコーフスキイの三部作『キリストと反キリスト』
 PB(ペーパーバック)ランド
  深野有 ペーパー・コネクション 第4回:紙でできたブラウン管
  宅和宏 ペーパーバック映画館 第4回:バンデットQ
  三雲正博 洋書人登場 第1回:ニュー・ヨーク古書事情
  大久保新 P・Bア・ラ・カ・ル・ト 第1回
  PBブレンド 第4回:等々木渓、池田博子
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第4回:テレビ・マガジン・ウォーズ
 荒俣宏 本朝幻想文学縁起拾遺編 巻之二:巷談妖術考、其三【五行順にして天下治まる】
―――

 第5号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第回
  神谷正嗣、松坂健、平七郎、中原涼、白井久明
 BMエッセー
  竹内博 来日西洋人の墓を訪ねて──その始末記
 PB(ペーパーバック)ランド
  宅和宏 ペーパーバック映画館 第5回:シャドーとフラッシュダンス
  洋書人登場 第2回:インタヴュー 洋書ビブロスの村山正志氏
  大久保新 P・Bア・ラ・カ・ル・ト 第2回:コレクター&マニア大辞典
  PBブレンド 第5回:田中文雄、三雲正博
  PBエッセー 石上三登志 ペーパーバック版映画ガイドブックを採点する
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第5回:周作人──その人と文学
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第1回:いま、「良書探求」の手がかりとして
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第5回:読書家の憂鬱
 荒俣宏 本朝幻想文学縁起拾遺編 最終巻:陰陽博正、出世を語る事
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 第6号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第6回
  増木近夫、松坂健、平七郎、中野康太郎、白井久明
 BMエッセー
  砂川しげひさ 歌謡曲は低俗だ、クラシックを聴き給え
 PB(ペーパーバック)ランド
  宅和宏 ペーパーバック映画館 第6回:ブルーサンダー
  洋書人登場 第3回:ある洋古書店のおじいさんの思い出
  PBブレンド 第6回:大久保新、三雲正博
  PBエッセー 鏡明 「ゲイシャダイヤリー」を知っていますか
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第6回:ペイターの『享楽主義者マリウス』
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第2回:翻訳の選び方
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第6回:夢のあとの女性たち
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第1回:目録から本を買う
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 第7号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第7回
  増木近夫、松坂健、平七郎、中原涼、白井久明 BMエッセー
 BMエッセー
  岩家緑郎 絵物語復活!?
 PB(ペーパーバック)ランド
  洋書人登場 第4回:英国の私家版に魅せられて インタヴュー=三浦永年氏
  PBブレンド 第7回:大久保新、三雲正博
  PBエッセー 浅倉久志 ぼくがカンガルーに出会ったころ
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第7回:林語堂と「北京好日」
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第3回:ボーダーラインの人々
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第7回:メンズ・シンドローム・マガジン
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第2回:ふたたび目録について
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 第8号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第8回
  増木近夫、松坂健、平七郎、中原涼、白井久明
 BMエッセー
  折原一 中国王朝史は冒険小説だ
 PB(ペーパーバック)ランド
  宅和宏 ペーパーバック映画館 第7回:スカーフェイス
  PBブレンド 第8回:三雲正博、嵯峨要、鏡明
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第8回:ドーデと『ジャック』
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第4回:ソビエト文学盛衰史
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第8回:クイーン・オブ・ノベルス
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第3回:エディソンに消された男
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 第9号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第回
  増木近夫、松坂健、平七郎、中原涼、白井久明
 BMエッセー
  長谷川卓也 フルムーンパスをフルに使ってフール旅
 PB(ペーパーバック)ランド
  深野有 ペーパーバック映画館 第8回:瀬戸内少年野球団と危険な年
  洋書人登場 第5回:ペーパーバック専門誌『CAT』 インタヴュー=西岡暉純氏
  PBブレンド 第9回:嵯峨要、三雲正博
  PBエッセー 藤田宜永 ネオ・ポラールを撃つ
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第9回:コルベンハイヤーと『神への愛』
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第5回:完訳されなかった『善意の人々』
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第9回:朝日ジャーナルが鳴るとき
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第4回:『聖地探訪』とピクチャレスク
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 第10号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第10回
  増木近夫、松坂健、平七郎、中原涼、白井久明、深野有、嵯峨要、三雲正博、塚田暁子
 BMエッセー
  鈴木淳二 トルコで働くの記
  景嘉 中国の古い読書法
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第10回:ゴールズワージの『フォーサイト家物語』
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第6回:国別・地域別全集の役割
 早川雅之 ペーパーバック映画館 第9回:アイスマンと影の私刑
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第1回:青色の研究
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第10回:偉大なる平均誌の誕生
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第5回:時は秋、奇書の舞い
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 第11号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第11回
  増木近夫、松坂健、平七郎、中原涼、白井久明、横佩道彦、三雲正博、深野有
 BMエッセー
  楢喜八 ぼくのイラスト修行
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第11回:藤沢清造と『根津権現裏』(上)
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第7回:フォンターネの時代
 早川雅之 ペーパーバック映画館 第10回:書評 / 梅本洋一『映画はわかってくれない』(フィルムアート社)
 『BOOKMAN』編集部 シリーズ探検 第1回:角川文庫の大森林を歩く(1/2)
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第2回:オヤハキザヤミ家の犬
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第11回:「いま、文化は、つくねVSカツオブシ戦争であるらしい」
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第6回:奇蹟は何度でも起きる
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 第12号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第12回
  増木近夫、松坂健、平七郎、中原涼、白井久明、横佩道彦、三雲正博、深野有
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第12回:藤沢清造と『根津権現裏』(下)
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第8回:案内書は食前酒である
 『BOOKMAN』編集部 シリーズ探検 第2回:角川文庫の大森林を歩く(2/2)
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第3回:四つの書名(1/2)
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第12回:「噂の真相の噂と、本屋さんに行かないで読む雑誌」
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第7回:西洋の愛書趣味に奥の深さを見た
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 第13号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第13回
  竹田青嗣、松坂健、平七郎、中原涼、白井久明、横佩道彦、三雲正博、深野有
 BMエッセー
  鈴木隆 フィロビブロンと『吾輩は猫である』
  松倉正夫 企業PR誌の「時間」と「空間」
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第13回:ズーダーマンと『憂愁夫人』
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第9回:E.M.フォースターとヒルトンの場合
 早川雅之 ペーパーバック映画館 第11回:バウンティ──愛と反乱の航海──(※6)
 『BOOKMAN』編集部 シリーズ探検 第3回:冨山房百科文庫は埋もれた名著の宝庫
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第4回:四つの書名(2/2)
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第13回:菊池桃子の夜の、平凡社大百科事典
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第8回:汎書籍データベースを夢見る
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 第14号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第14回
  富岡幸一郎、松坂健、平七郎、中原涼、白井久明、横佩道彦、三雲正博、深野有
 BMエッセー
  宮脇孝雄 私の『シネロマン』
  植松黎 ジョーク五百年
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第14回:森田草平の『煤煙』と『輪廻』(上)
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第10回:花の1960年代
 大塚明 ペーパーバック映画館 第12回:アグネス
 『BOOKMAN』編集部 シリーズ探検 第4回:「少年探偵」か「少年探偵団」か
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第5回:恐怖の兄
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第14回:「動物小説大陸ツアーへ、ようこそ」
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第9回:腐ってゆく収書家の肖像
―――

 第15号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第15回
  富岡幸一郎、松坂健、平七郎、中原涼、白井久明、ペーパーバック/横佩道彦
 BMエッセー
  内藤理恵子 ブロードサイドからチャップブックへ
 コラム
  持田鋼一郎 癖について
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第15回:森田草平の『煤煙』と『輪廻』(下)
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第11回:『ジャン・クリストフ』再読
 大塚明 ペーパーバック映画館 第13回:第5惑星、REMO/第一の挑戦
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第6回:宿敵登場!
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第15回:「神聖伝奇漫画帝国物見遊山観光案内」
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第10回:書物の謎、都市の謎
―――

 第16号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第16回
  富岡幸一郎、加藤宏、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
   藤原月彦 俳句とエロス
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第16回:サッカレーの『ヘンリ・エズモンド』(上)
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第12回:ジョルジュ・サンドと『ジョルジュ・サンド』
 宅和博 ペーパーバック映画館 第14回:L.A.大捜査線 狼たちの街
 『BOOKMAN』編集部 シリーズ探検 第5回:サンケイ文庫採点表
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第7回:読者への挑戦
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第16回:『日本民俗文化大系』の大森林を散歩する
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第11回:孤老、蒲原の海に立つ
―――

 第17号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第17回
  富岡幸一郎、加藤宏、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  玉木正之 1986年秋この国の全プロ野球ファンに対して提起された忌々しき問題
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第17回:サッカレーの『ヘンリ・エズモンド』(下)
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第13回:世界文学の大衆文学
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第8回:チャイナ橙の謎の謎
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第17回:現イ戦争、始まる
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第12回:日々是好日──ぼく、市民生活に復帰します
―――

 第18号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第18回
  富岡幸一郎、加藤宏、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  中村泰士 寄席はいいのに
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第18回:中戸川吉二の『北村十吉』(上)
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第14回:『即興詩人』の文体
 『BOOKMAN』編集部 シリーズ探検 第6回:「別冊宝島」は新しい教養新書だ
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第9回:赤ペン連盟
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第18回:「新潮カセットブックは、なんなんだ。」
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第13回:観光旅行はやっぱり日本!
―――

 第19号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第19回
  富岡幸一郎、加藤宏、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  吉岡道夫 切れば血しぶく言葉の屍
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第19回:中戸川吉二の『北村十吉』(下)
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第15回:こま切れのプルースト
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第10回:踊る人形
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第19回:「恐怖文庫」を私製でつくってみる
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第14回:京都の古本屋めぐり
―――

 第20号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第20回
  富岡幸一郎、加藤宏、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 山下武 忘れられた作家・忘れられた本 第20回(最終回):ブルワ=リットンの『ポンペイ最後の日』
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第16回:主体的な読者のこと
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第11回:恐怖の愉しみ
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第20回:『植物の神秘生活』の森を散策する
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第15回:盛り上がったインクと沈んだ心
―――

 第21号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第21回
  富岡幸一郎、増木近夫、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  植松黎 ガリ版文字創造
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第17回:『晩夏』にみる愛と生
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第12回:大空の怪
 荒川洋治 ひとりぼっちの本 第1回:新感覚派を寄り切った男
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第21回:「大恐慌症候群」
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第16回:「大野麦風」追跡が始まる!
―――

 第22号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第回
  富岡幸一郎、増木近夫、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  高見沢秀 本づくり中国探検行
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第18回:ファシズムの時代
 宅和博 ペーパーバック映画館 第15回:ザ・デッド
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第13回:古書殺人事件
 荒川洋治 ひとりぼっちの本 第2回:ふるさとは関係なしに思うもの
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第22回:水と花と落葉と
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第17回:比翼鳥洋書之夢買
―――

 第23号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第23回
  富岡幸一郎、増木近夫、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  平尾孝弘 もうひとつの銀河鉄道
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第19回:東ヨーロッパに眼を
 大内達也 ペーパーバック映画館 第16回:ディア・アメリカ
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第14回:パーフェクト・シールド・ルーム
 荒川洋治 ひとりぼっちの本 第3回:人間という地方
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第23回:ノルウェイの森を抜けて
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第18回:ああ自粛の秋、古書よいずこ
―――

 第24号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第24回
  富岡幸一郎、増木近夫、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  依田圭一郎 萬流が町にやってくる
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第20回:東南アジアへ
 宅和博 ペーパーバック映画館 第17回:魅せられたる三夜
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第15回:文庫本が多すぎる
 荒川洋治 ひとりぼっちの本 第4回:二階のない文学
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第24回:「漫画より面白い小説、下さい」
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第19回:市ヶ谷の<モルグ>より、愛をこめて
―――

 第25号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第25回
  富岡幸一郎、増木近夫、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  細谷正之 前夜の寝床で、逆転打
 瀬戸川猛資 for & against :ちょっとしたお知らせ
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第21回:はじまりとおわり
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第16回:恐怖の心霊写真
 荒川洋治 ひとりぼっちの本 第5回:”秋田街道”の怪
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第25回:「時代小説」の時代は来るか
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第20回:悪魔の物品引き寄せ術
―――

 第26号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第回
  富岡幸一郎、増木近夫、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  鈴木邦夫 とりあえず今ここにいる
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第22回:スイス文学叢書のこと
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第17回:天外消失
 荒川洋治 ひとりぼっちの本 第6回:路上のアン
 瀬戸川猛資 ブックマン物語 第1回:誕生編 創刊号をめぐる人びと
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第26回:第一次大辞典大戦、はじまる。
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第21回:あらかじめ失われた旧友
―――

 第27号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第27回
  富岡幸一郎、増木近夫、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  鷲田小彌太 読書がただの手段になるほどに読んでみたいものである
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第23回:スタニスワフ・レムの冒険
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第18回:かまいたち
 荒川洋治 ひとりぼっちの本 第7回:「東ヨーロッパ」燃ゆ。「高見順」を読む。
 瀬戸川猛資 ブックマン物語 第2回:誕生編 創刊号をめぐる人びと(2)
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第27回:『薔薇の名前』、謎の、売れゆき
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第22回:世の中に絶えて稀本のなかりせば……
―――

 第28号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第回
  富岡幸一郎、増木近夫、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  伊古賀明 恐ろしくもおぞましい伏魔殿への誘い
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第24回:ジャン・パウルはどこにいる
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第19回:XYZ殺人事件
 荒川洋治 ひとりぼっちの本 第8回:頭の上の誇り──マラマッド『レンブラントの帽子』
 瀬戸川猛資 ブックマン物語 第3回:誕生編 創刊号をめぐる人びと(3)
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第28回:君がこの本を読むのは、宇宙がそうさせている。
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第23回:世界の逸品が集まる哀しみ
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 第29号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第回
  富岡幸一郎、増木近夫、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  内藤里永子 キャロルの暗い絵
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第25回:海外文学の出版
 沼田直美 ペーパーバック映画館 第18回:フラットライナーズ、レナードの朝
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第20回:見えない凶器
 荒川洋治 ひとりぼっちの本 第9回:選者の情欲──石田正子『鎮魂歌』
 瀬戸川猛資 ブックマン物語 第4回:誕生編 創刊号をめぐる人びと(承前)、崩壊編 三号雑誌(1)
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第29回:ショッカーの原典、『サイコ』の製造法
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 第24回(最終回):大団円──幸せはいずこ
―――

 第30号
 BOOKSENSOR(読書探知機) 第30回
  富岡幸一郎、増木近夫、松坂健、白井久明、中原涼、松倉正夫、中谷紳、平七郎、横佩道彦、高見沢秀、萩尾なおみ
 BMエッセー
  長谷川卓也 最近奇天烈譚九編
  内藤里永子 ナンセンスの戴冠
  高宮利行 ケンブリッジの書物人
 矢口進也 世界文学全集のすすめ 第26回:言葉と文字表現
 長谷川並一 書痴エルロック・オルメスの冒険 第21回:最後の事件
 荒川洋治 ひとりぼっちの本 第10回:興味について知る時間
 瀬戸川猛資 ブックマン物語 第5回:崩壊編 三号雑誌(2)
 小田嶋伸幸 コピーライターのoh! めがね 第30回:本の虫と虫の本
 荒俣宏 ブックライフ自由自在 番外篇:稀覯書の美しさと楽しさ(雄松堂書店社長、新田満夫との対談 特集内)
 INTERVIEW デザイナー・矢萩喜従郎氏に聞く
―――

 疲れた。長いな。
 概ね各号目次の配列に従ったが、私意により順番の入替を行った箇所もある。ご了承いただきたい。
 「bookshelf」など不定期に掲載されるコラムについては、今回は煩雑を避ける目的で記載を省いた。同じ理由から瀬戸川猛資のコラム「for & against」も記載を省いたが、此方は失敗であった、と反省している。後日あらためて修正の筆を入れたい。
 精確な目次については企みの燠火が消えぬままな『BOOKMAN』各号の感想文と併せて載せることに決めている。

 顧みて『BOOKMAN』に匹敵する程にハードでハイ・クオリティな書評誌の存在することをわたくしは知らない。令和の時代にはもはや斯様な雑誌の誕生することは望めぬであろう。
 もはや時代の流れは電子書籍に映りつつあるから、という阿呆な理由からいうのではない。雑誌を支えるだけの能力を持った人たちが、どこにいるというのか。真似たものなら作れよう、が、凌駕するものを生み出すことはできない。
 
 なお、後日、本稿を補完する一稿を書いて、ここにお披露目する予定でいる。□


※1 「〝書評誌〟という一定の鋳型にはめられることを嫌い、さまざまな角度から書物の面白さにアプローチする雑誌にしたかったのである。本誌のサブタイトルに〈本の探検マガジン〉とあるのはその意味で、これは確か武谷氏の命名だった」(第28号 瀬戸川猛資「ブックマン物語」P62)
※2 第6~9号の背表紙にはイデア出版局とトパーズプレスが並記されている。ex;第27号 瀬戸川猛資「ブックマン物語」P61
※3 第25号 瀬戸川猛資「for & against」P54
※4 P25
※5 目次に記載なし。

※※下記に各号の発行年月を記載する(目次に拠る)。なに、記載漏れに気が付いてむりやりここに押しこんだのである。陳謝。
 第1号 1982年10月1日
 第2号 1982年12月1日
 第3号 1983年2月1日
 第4号 1983年4月1日
 第5号 1983年7月1日
 第6号 1983年9月1日
 第7号 1983年12月15日
 第8号 1984年3月20日
 第9号 1984年6月25日
 第10号 1984年10月20日
 第11号 1985年2月20日
 第12号 1985年6月20日
 第13号 1985年11月1日
 第14号 1986年2月10日
 第15号 1986年6月10日
 第16号 1986年10月1日
 第17号 1986年12月30日
 第18号 1987年4月10日
 第19号 1987年7月10日
 第20号 1987年10月30日
 第21号 1988年3月15日
 第22号 1988年7月31日
 第23号 1988年11月21日
 第24号 1989年4月15日
 第25号 1989年8月25日
 第26号 1989年12月25日
 第27号 1990年4月30日
 第28号 1990年10月20日
 第29号 1991年3月20日
 第30号 1991年6月10日◆

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第3043日目 〈最後まで希望は捨てるな、というお話。〉 [日々の思い・独り言]

 きっかけはどうあれ、いちど始めたことは結果を出すまで続けるべし。トレーナーについてラットプルダウンをこなしながらふと、そんなことを考えた。
 ジムに通う動機付けは既に昨05月26日18時23分を以て失われたけれど、それでも来月以後もパーソナル・トレーニングを週一で頼み、フリー・トレーニングを別の休みの日に入れることを継続することに決めているのは、偏に体を動かし、鍛え、絞り、追いつめることが楽しくなってきているからに他ならない。
 斯様にして本来の目的から逸脱したジム通いであるが、きっかけを作ってくださったことに感謝している(サンキー・サイ、という程のことではない)。
 希望は捨てない、というのは、自分の体をどのように持ってゆくか、最初にトレーナーに相談しながら決めた目標を実現するための希望は持ち続けますよ、という意味。時間が経つと、なによりも自分が勘違いを起こしそうなので、備忘として付記する。
 ──最後に一言;You’ve really crossed the line. Is it fun to torment?◆

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第3042日目2/2 〈やっほー、やっほー! ←くっすん風に〉 [日々の思い・独り言]

 なんの挨拶もできなかったけど、
 あなたが挨拶されることを望んでいたとは思えぬけど、
 これまでありがとーな。
 あなたが来てくれて、助かった。
 有能すぎて最後は座ってるだけに徹したけど、あなたが来てくれてよかった。
 本当に感謝している。◆

第3042日目1/2 〈未読の山を崩すのは、しかし遠い夢なのだ。〉 [日々の思い・独り言]

 明日こそは、と思うのだ。どこにもお出掛けしないで家にこもり、未読の本の山を二、三冊なりとも消化してしまおう、と。しかしそれは遠い夢、見果てぬ夢、かなわぬ夢。それができた最後の記憶は昨年の八月、高宮利行の著した中世紀写本や近代の刊本にまつわる一連の書物に溺れたときだ。
 その夏は髙宮の著作だけでなく、<本に関する本>に淫した夏であった。雑誌『BOOKMAN』の全冊購入を始め、タングラムから復刻されたWilliam Blades著『THE ENEMIES OF BOOKS』(解説;高宮利行、岡部昌幸 10/480 1989/03)とAlexander Ireland『THE BOOK-LOVER’S ENCHIRIDION』(解説;由良君美 224/380 1986/07)及びリチャード・ド・ベリー『フィロビブロン 書物への愛』(吉田暁・訳 82/300 1985/08)を購い、Blazeは高宮利行・監修/髙橋勇・訳でも読み(『書物の敵』八坂書房 2004/10)、買うか迷っていた反町茂雄を偲ぶ『弘文荘 反町茂雄氏の人と仕事』(文車の会 1992/09)を注文し、版元から真田啓介『古典探偵小説の愉しみ Ⅰ フェアプレイの文学』と『古典探偵小説の愉しみ Ⅱ 悪人たちの肖像』(荒蝦夷 2020/06)を取り寄せて、然様、クーラーの効いた部屋で快適に暮らしながらこれらを読んだのである(※1)。この過程でしばらくぶりに生田先生の翻訳されたアンドルー・ラング『書斎』(白水社 1982/09 ※2)やポール・ヴァレリー『書物雑感』(奢灞都館 1990/08)、編訳『愛書狂』(白水社 1980/11)を繙き心遊ばせたのも愉しい思い出である。
 そのときに読んだ高宮利行の著作は、以下の通りである。即ち『西洋書物学事始め』(青土社 1993/01)『愛書家のケンブリッジ』(図書出版社 1994/08)『愛書家の年輪』(図書出版社 1994/11)、『グーテンベルクの謎』(岩波書店 1998/12)、『本の世界は変な世界』(雄松堂書店 2012/11)、監修或いは翻訳ではロッテ・ヘリンガ『キャクストン印刷の謎』(雄松堂書店 2006/09)と『初期イングランド印刷史』(雄松堂書店 2013/5)、前述のブレイズ『書物の敵』などなど……。立て続けにこれらを読んでことで、中世写本やインキュナブラ(西洋古版本/揺籃印刷期本)への興味が一気に沸点へ達した。前述した横浜タングラムの刊本を「日本の古本屋」サイトで注文、購入したりしたのもこの流れにある行為である。
 どれだけ散財したのか、問うことは簡単だ。しかし、愚かな質問でもある。わたくしは幸福と知識欲のためにのみそれらを購い、耽読して自らの糧としたのだ。そうしてそれは、かの夏の日々の甘美な思い出として残滓と雖も心の片隅に残っている……。
 明日は一日、読書三昧と洒落こもう。来月はこんな時間を過ごすことは難しそうだから。新しい部署での業務になるからね、精神的にそんなゆとりはない、と覚悟しておいた方が良さそうだ。その分、今月は……。
 昨夏のように今回も、テーマを設けて未読の山から該当しそうな本をピックアップ、然る後に午睡まじりにそれらを読み耽ろう。今回は……んんん、買ったまま殆ど読んでいない聖書絡みの本を片附ける? 否、その前にどこかに行きたい病を抑える努力にこれ務めなくては……。なんだか見果てぬ夢、遠い夢、かなうことなき夢でまた終わりそうだなぁ。……あ、明日はジムでパーソナル・トレーニングじゃん(13時〜)。□


※1:そうしてこのあと、平井呈一と長野県小布施のお寺目的で本来は購った菅原孝雄『本の透視図』(国書刊行会 2012/11)へ目を通し、鹿島茂『新・増補新版 子供より古書が大事と思いたい』(青土社 2019/07)と『愛書狂』(角川春樹事務所 1998/03)に手を伸ばし、図書出版社の<ビブリオフィル叢書>からジョン・カーター『西洋書誌学入門』(横山千晶・訳 1994/05)とアンドリュー・ラング『書物と愛書家』(不破有理・訳 1993/02)、イワン・スイチン『本のための生涯』(松下裕・訳 1991/11)デヴィッド・カスバートソン『書物の世界の三十三年間の冒険』(永富久美・訳 1991/11)を読み、狂騒の夏は終わった。
 <ビブリオフィル叢書>はバブル経済弾けて経済どん底時代の刊行物であったため、当時はⅠ冊も手に入れることができなかった。この夏の体験を契機に、すこしずつ買い集めているいまである。
※2:前所有者はこれを神保町の田村書店で購った様子である。「生田耕作の本は絶対に取り扱わない」と豪語していた主人の店だ。いったいどんな顔で前所有者はこれを購い、主人はどんな顔でこの本を受け渡ししたのだろう、そうしていったい売価は幾らだったのだろう。◆

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第3041日目 〈電子辞書があってよかったな、というお話。〉 [日々の思い・独り言]

 『日本史から見た日本人・昭和編』を読了したあとに読む本を迷うことはありませんでした。同じ著者の『かくて昭和史は甦る』(クレスト社 1995/05)を読む。そうあらかじめ決めて、斯く準備していたからであります。なお本稿では『日本史から見た日本人・昭和編』を以後、『昭和編』と略す。
 まぁ、読書が捗る、捗る。同じ時代を扱っていながらこちらには、切れば血が出るようなルサンチマンが稀薄であります。なんというかな、齢重ねて泰然自若たる構えをした昭和史の本、そんな印象を受ける。余裕綽々とまではいわぬが、ずいぶんと鷹揚な風で昭和史が語られている、説かれているのですね。
 『かくて昭和史は甦る』では征韓論やそれを巡る政府要人の思惑、日本が日清戦争に踏み切るに至るまでの経緯など、『昭和編』ではつぶさに綴られなかった出来事について、簡にして要を得た筆で書かれている。非常にわかりやすい。明晰な文章で語られる歴史はこんなに見通しが良く、するすると頭に入ってくる。或る意味で歴史書の文章のお手本の一と申してよろしかろう。
 『昭和編』と同じように往復の通勤電車、昼休憩、退勤後のスタバ、時に寝入る前に読んでいるのだが、一つだけ痛恨のミスを犯してしまったことをここに告白したい。
 ──『もういちど読む 日本近代史』と『日本史用語集』(いずれも山川出版社)を通勤カバンのなかに入れ忘れて過ごしてしまっているのだ。
 なんだ、そんなこと、とか言わないでほしい。不便をかこっているのである。気になった事柄へすぐアクセスできる(信頼に足る)ツールがないと、場合によっては「はて……?」と疑問を抱いたまま読み進めることになりかねないから。すぐチェックできないことの不安といったら!!
 スマホで調べればいいじゃん、ですって? 然り、その通りなのだが、Wikipediaはこうした場合の調べ事には情報過多で、その記述にどこまで信頼を置いてよいのか疑問である。その他のサイトに関しても、誤記や引用ミス、思い違い等によりWikiよりも更に信憑性への疑念がある。過半のサイトは正確な情報を提供していると承知はしていても、珠より石が目立つ。それらに限って検索上位に来るとあっては、眉に唾つけて閲覧するよりも上述の二冊にあたる方が余程良い。
 まぁそんなわけで『かくて昭和史は甦る』を読んでいて、それらのサブ・テキストがないことに「さて、どうしようかなぁ」と途方に暮れておった。が、リュックのなかをなにげなく漁っていると、直方体の固いなにかが指先に触れた。どうやらそれは掌サイズで、パカッ、と開閉するものらしい。まさか、これは……行方知らずになっていた”あいつ”では?
 期待九割で取り出したそれは、まさにわたくしが待望していたツールだった──CASIOの電子辞書がリュックのなかで眠っていたなんて! ちなみに購入先はジャパネットだ。
 電子辞書のキーボード、パソコンでいえばファンクション・キーの位置に「歴史大事典」とある。これで最初に調べた単語は「袁世凱」であった。続けて「日清戦争」。この二つの単語を調べてその説明は簡潔で的を射ている、出典もどうやら信頼できそうなところで満足すると共に、今後はこちらを持ち歩いて利用することにしました。『日本近代史』は別として、『日本史用語集』はカバンに忍ばせなくてもいいかな、と考えています。
 でも電子辞書って、電車のなかで立ちながら使うには不便かな……。完全無欠のツールはこの世に無し、か。◆

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第3040日目 〈え、いまごろAKBの恋チュンですか?〉 [日々の思い・独り言]

 はい、タイトル通りの反応を示した読者諸兄は正直に挙手。気持ちはわかる。でも、だいじょうぶ、安心して。わたくしもその通りの反応をしているから。
 何年前ですか、恋チュンって。2013年8月ですよ、八年前ですな。総選挙一位の指原莉乃がセンターを務めて、須田亜香里が初めて選抜入りした曲。最初、新曲のタイトルは「びっくり音頭」だった、なんて話を『SMAP×SMAP』かなにかで指原の口から暴露されたことも覚えている。
 シングルCDのジャケットがアナザージャケット仕様で、十六人それぞれのリバーシブルになっていた。これって初回限定盤だったっかな? 事実と相違していたらごめんなさい。
 タイトルだけれど、YouTubeに大量の「踊ってみた」動画が未だにアップされた状態で残っている。それらの紹介みたいな形でなにか一本、原稿を書いてみませんか、と付き合いの長い編集プロダクションのお偉いさんから打診された際の発言が、そのままタイトルになったのである。
 先日なにげなく対面飲み会(なんだろう、この違和感)でこの話をしていたら、無責任な人たちが「書ーけ、書ーけ」と手拍子まじりで煽ってきた。その場でMBAを取り出してYouTubeで幾つか観たんだけれど、やっぱり観ていると楽しくなってくるな、元気になってくるな、思わず笑顔になってくるな。COVID-19で逼塞しているいまの日本にこそ、この歌が必要なのではあるまいか、と考えてしまう。うん、この時代に必要なのはSMAPと恋チュンだよ。そんなわたくしの台詞でその日の飲み会は〆括られた。
 ──という次第で、公式含めて様々な恋チュン動画の紹介原稿を、近日お披露目させていただきます。即ち、編プロからの依頼はそのまま流れた、ということ。転んでもただでは起きない性分なのです。えへ。◆

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第3039日目 〈渡部昇一『日本史から見た日本人・昭和編』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 歴史が好きでよく本を読んでいるけれど、無意識に日本の近現代史は避けてきた。素養となるべき中高の歴史の授業でその時代を習うこと殆どなく、精々が駆け足で明治維新と帝国憲法発布、大正デモクラシーと関東大震災について説明を受けたぐらいである。自分の記憶違いかな、と念のため中高の友人知人に訊ねてみても、返ってくる答えは同じであったから、まずこの記憶は間違いないと考えてよかろう。
 最近になって近現代史の本を漁るようになったのは、「古代編」から読み継いできた渡部昇一の『日本史から見た日本人・昭和編 「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎』(祥伝社 1989/05)に触発されたことに由来する。事前に山川出版社の『もういちど読む 山川 日本近代史』へ目を通した上で渡部氏の本を読むようにしたのだが、それであっても本書を読むことは目からウロコが何枚も落ちる思いを味わったのである。
 どうして昭和初期、軍部が暴走して=内閣を蔑ろにして無謀な太平洋戦争(大東亜戦争)に突入していったのか。これが最大の疑問であった。海軍には若い頃にアメリカ留学をして、かの国の国力と豊かさを目の当たりにして帰国した山本五十六が中枢にいたにもかかわらず、どうして?
 多年の疑問として心奥で燻り続けた疑問が氷解したのは、実に本書を読んだことによってである。氏はそれを明治憲法の欠陥に原因を求める。即ち、内閣・首相についての記述がどこにもなく、第十一条、第十二条に規定される天皇の統帥権と編成権を軍部が利用したことである。後者は「統帥権干犯問題」としていまも日本史の教科書に載る。
 この統帥権の干犯によって政府と軍部は別々に行動し得る、むしろ軍隊は天皇直轄であるから政府の意向を自分たちの行動規範に反映させる必要はない、と陸軍は考えた。海軍や政党の要人を巻きこんで、時の浜口雄幸内閣を総辞職に追いこんでしまえば、あとはもう軍部の好き放題である。だって前例ができあがったんだもの。
 成る程、と読んでいて膝を叩きたくなりましたね。電車のなかだったから(スタバだっけ?)しなかったけれど、途端に視野が開けて近代史の流れが一本の大河となって目の前に浮かびましたよ。以後も、たとえば新しく内閣を組閣する命令が天皇から下った際、陸軍大臣を出さないことでその内閣を流産させたり、或いはちょっと都合の悪い制度改定案が出ると天皇の元に軍の大将が直談判に赴いて政府案を退けるよう訴えたりすることが出てきた。このようにして徐々に国政は政府の手を離れて、その実権を軍部が握るようになっていった──これを渡部氏は<昭和の悲劇>と呼んでいる。
 が、統帥権干犯問題だけが日本をアメリカとの開戦に走らせた理由ではない。否、理由ということになればもっと他のところに、日本を追いつめていった出来事があった。本書に拠ればそれは、以下の三点にまとめられる。曰く、──
 一、幣原協調外交の行き詰まったこと
 二、アメリカで「排日移民法」が成立したこと
 三、アメリカで「ホーリー・スムート法」(「スムート・ホーリー法」とも)が成立したこと
──である。
 幣原喜重郎は最近また注目されてきた近代史の人物の一人で、戦前は外務大臣として腕を鳴らし、戦後は内閣総理大臣を務めた。いまは外相としての幣原をのみ語ることにしよう。幣原協調外交とは国際協調を旨とした外交政策で、中国に対しては内政不干渉と主権の尊重を、英米に対しては西洋諸国との足並みを揃えるという意味で軍縮を基本方針とした。もっともこれゆえに「幣原外相は現地の事情を知らず、理想ばかり振り回している」と政界からも軍部からも非難が噴出したことから、幣原外交は「軟弱外交」とも呼ばれる。
 これが周囲からの、様々な思惑や利権が絡んだ横やりによって頓挫したことが、日本を孤立の道を歩ませることになる。あまりに時代を先取りしていたのだ……幣原の理想とした外交政策は戦後になって常識として通用するようになるのだから。
 排日移民法とはアメリカへ移り住んだ勤勉かつ器用な日本人の労働スタイルに恐れをなしたアメリカ社会が、一致団結して人種差別を行い、日本人の権利や安全を脅かすと共にこれ以上日本人移民を受け容れない、と宣言した法律である。
 最後のホーリー・スムート法は、1929年10月の世界恐慌の落とし子というべき(渡部氏の言を借りれば)<稀代の悪法>である。アメリカの保護貿易思想を背景に生まれたこの法律は、関税障壁を設けることで自国の産業を守ろうというアメリカ第一主義の色がよく現れた法律といえる(※)。各国は当然報復措置としてアメリカからの輸入品に高い税率を設定することで報復を図り……世界恐慌はより深刻化して、1930年代のブロック経済を生み出した。
 こうして開戦への下地はできあがった。陸軍はいつでも一戦交える気だ。しかし、海軍はなおも和平交渉に一縷の望みを託した。陸軍にはアメリカを知る者はなかったが、海軍には親米派とされる山本五十六・米内光政のコンビがいたからだ。かれらは本気でアメリカが戦争するとなったら、工業力の差は歴然としているところから、最初は有利であってもそのまま戦を続ければかならず日本は負ける、というシナリオを冷静に描けた人たちであった。が、そんなかれらも開戦止むなしの判断を下さざるを得なくなった──石油の輸出禁止が決められたのだ。
 斯くして日本は、望むと望まざるとにかかわらず、長引けば敗北必至な大戦争に突入してゆく。
 続く東京裁判と南京大虐殺についての氏の意見は、おおよそ今日では正論と見做されているようである。東京裁判はマッカーサー元帥の復讐心が絡んでおり、最初から完全なシナリオが容易されていた劇場型裁判であり、南京大虐殺は死傷者数最大三〇万人などあり得ぬ数字も含めて戦勝国側のでっちあげであり、「大虐殺」という程の出来事は実際になかった、というのが、著者の意見。これについて触れると長くなるので、稿を別にしてお披露目させていただく。
 われらの世代でさえ時折上の世代から聞いていた「日本は悪い国」、「日本は東南アジア諸国に侵略戦争を行った」、「日本は占領した先々で住民を虐待したり略奪をした」てふ暗い話、自分の国に愛情を持てなくなる話も、本書を読んでいると如何に東京裁判史観に国民が惑わされ、刷りこまれてきたのか、よくわかる。既に本書を読んだ諸氏が異口同音に言うところではあるが、日本は自分たちを守るために止むなく戦争をしたのだ、むしろ裁かれるべきは本当の無差別大虐殺を行ったアメリカであり、かれらの対日政策が日本を追いこんだのだ、と認識させられるのだ。
 日本人よ、生まれたこの国は美しい、この国に誇りを持て。正しい歴史認識を自分のなかに持て。渡部昇一は本書を通じて、繰り返し繰り返し読者にそれを訴えてくる。これに応えた人物を二人、挙げるなら田母神俊雄と安倍晋三がいる。殊安倍前首相の国家運営のヴィジョンは歴史認識も含めて渡部氏の薫陶の賜物のように感じられる程だ。
 正直なところ、教科書や書店で売られている通史を読んでも、このあたりのことを明瞭に伝えてくれる本とはこれまで出会えなかった。お前の探し方が悪いのだ、といわれればぐうの音も出ない。とはいえ、本当の意味での通読は刊行から(初めて本書を目にしたときから30年近く)経ってしまったけれど、却っていまこれを読むことができて良かった、としみじみ実感している。<いま>でなければ数多ある昭和史の一冊として流し読みしていたかもしれない。<いま>でなければこれを読んで昭和史の様々な事柄──満州事変や東京裁判、南京大虐殺などについて、関係書籍を購い漫然とではあるが目を通して全体像を把握しよう、然る後に検討して自分の意見を確立させよう、なんてことは考えることも実行することもなかったかもしれない(その意識を支えるのが経済であるのはいうまでもありません)。
 本書を皮切りに、渡部氏は続々と日本史の本を上梓してゆく。特に昭和史にまつわる本は他の時代を圧している。しかし、残念というべきなのか、やはりというべきなのか、『日本史から見た日本人・昭和編 「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎』程、国を愛するがゆえの<るさんちまん>が充満した著作は、終ぞ書かれなかった。□


※トランプ前大統領が就任早々アメリカ・ファースト政策を打ち出したが、ビジネスマンであったトランプ氏であればこの法律のことは知っていたであろう。トランプ氏も歴史に倣って政策を打ち出した人物であった。米中の関税戦争は約90年前の再現でもあったのだ。◆

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第3038日目 〈さあ、新居を探しに行こう!〉 [日々の思い・独り言]

 新居選びに二人して電脳空間を逍遙し、時に現地の不動産屋を訪ねて、実際に物件を内見させてもらう。この繰り返しである。
 「帯に短し、襷に長し」とはよく言ったもんだね。物件を見たあとマイソクを間に挟んで、喫茶店で溜め息吐いたり、デジカメで撮影した写真をタブレットで見てみたり(心霊写真写ってる? と好奇心丸出しで訊いたら思いっきりハイヒールで脛蹴られたな。跡が残っておるぞ)。
 収納があと一坪広かったら使い勝手が良いんだけれどな。キッチンとリビングと洗面所をこんな風に迂回するとなると家事の動線が悪すぎて却って不便だね。リビング内階段って落ち着かないな、子供の友だちが遊びに来たらくつろいでいられないもん。その他諸々。むろん、良い面もちゃんと評価はしている。
 でも、踏み切れない。
 なまじこちらが不動産の営業なんて仕事に就いていたものだから、あちらは実家が建築デザイン事務所を営んでいるものだから(本人も建築士の資格を持っておる……某国立大の建築科を首席で卒業した子だからなぁ)、物件にはそれぞれ一家言がある。いい方を変えれば意見の相違が目立って、なかなか新居を決められない、ということである。
 不動産会社で働いていた当時、或る住戸を気に入り購入する気でいるのだが、あまりに高い買い物だから最後の最後で躊躇してしまっているお客様を、たくさん見てきた。そんな人たちは皆、誰かに背中を押してもらいたいのだ。為に契約直前の最後の商談はとっても時間が長くなり、かつ精神的な疲弊を極めてしまうのだ(これは特にお客様側である)。が、それを乗り越えて清水の舞台から飛びおりる覚悟を決めたらば、お客様の顔に不安の影をわずかなりとも認めることありと雖も後悔や失敗の色を見出したことは一度もない。それが営業担当のささやかな誇り。その後のかれらは皆々、とても幸福に暮らしてくださっている……。
 話は戻って、自分の新居の件。
 知人の横尾珠緖女史に言わせれば、じゃあ、みくらさんが終の棲家(予定)に購入した伊豆の家に引っ越せばいいじゃないですか、となる。然り、それも二人で検討した。が、実行に踏み切れない決定的な出来事があるのだ。……われらはまだあまりにこの土地に、東京と神奈川に魂を囚われすぎている。われらはここで生まれ、育ち、学び働き、人間関係を築いてきたのだ。様々なしがらみと縁と利権に絡みとられて、生きているのだ。互いにそれぞれの土地には戦前から住まっている者だから、未だ或る種の既得権益にも似た特権を享受して生きてきたのである。それらから逃れる術も理由も、われらにはない。そうして、母のこともある。
 それはさておき。
 あれだけの本を収納できる物件が、そう簡単に見附かると思う? と相手がいう。いえ、思いません。やれやれ、と頭を振る相手がおもむろに顔をあげて、片肘突いて拳を頬にあて、ちょっと首を傾げて覗きこむようにしてこちらを見ながら、いう。90坪ぐらいの土地を買って、家を建てよう、と。大丈夫、設計なら任せて。そうして自分の胸をぽん、と叩き、実家に電話をかけ始めた。
 そうか、土地か……横浜市内で約100坪の出物なんてあるのかな。疑問に思いながらお世話になっている不動産会社やリハウスの知り合いに電話したら──困りましたよ、読者諸兄、「蛇の道は蛇」とは誠であります。あったのです。今度の休みに見学に行く予定……。◆

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第3037日目 〈深夜、一人キッチンで愉悦の時を持つ。〉 [日々の思い・独り言]

 夜更けのキッチンで日本酒を呑みながら、時々ツマミを交えて、一心不乱に本を読む。これがここ数ヶ月の就眠前儀礼だ。夜中の一時から二時の間で切りあげて、翌日は寝不足をかこちながら眠い目こすって出勤。もはやテンプレというてもよい行動パターンである。飽きることなく反省することなく繰り返される、いつもの日常なのだった。
 家のなかがシン、と静まった時刻の読書はなににも代え難い至福の時間の一つ。邪魔されない、集中できる、良い具合に酒が回ってペースは快調──となれば、病みつきになるのも仕方ないね。一度だけ、わが家をよく知る人とキッチンからリモートで読んだ本のオススメ大会をしたこともあったっけな。
 夜更けのキッチンでの日本酒飲みながらの読書は、電車のなかでの読書、一部店舗に限られるがスタバと行き付けの神保町の喫茶店での読書、地元の市民酒場にて種々の日本酒、種々の料理に舌鼓打ちながらの読書、それらに優るとも劣らない読書の場所、読書の時間なのだ。
 が、一つだけ、これからの季節を迎えるにあたっての問題が。
 キッチンである。基本的に冷暖房機器は設置されていない場所である。ずっと飲んでいると体が火照って、熱くなる。この三つを掛け合わせるとどうなるか? イコール、汗をかく。付記すればわたくしは、スポーツと肉体労働以外で流れる汗は大嫌いだ。
 従ってこれからの季節はキッチンに除湿機を持ちこみ、ミニ扇風機を持ちこんだ上で読書に耽ることとなる。一升瓶とコップ出して、本を開くまでにこれだけの作業ですよ。読み始める頃にはどれだけの汗が流されていることか……。そこまでしてキッチンで読みたいんですか、と訊いてくる方があるやも知れぬ。お答えしよう、読みたいです、と。
 どうしてそこまでして読みたいか、というと、そこに小さな非日常があるからだ。ふだんそこは当然、読書のための場所ではない。そういう場所での読書は或る種のトリップ感覚を与えてくれる。いつもの日常からいつの間にか游離して、別の世界に彷徨いこんだ気持ちにさせてくれる。見馴れた場所は斯くしていつもとはちょっと違う性質を持った場所に早変わりして、そのなかに身を置いて本を開く、本を読むという行為もまたいつもとはすこし違った営みに感じられる。
 一冊を読みあげることもあれば、いま読んでいる本を何ページか進めるだけのこともある。どちらかといえば、前者の方が多いかな。新書がそのなかでも多数派かもしれない。深夜のキッチンでの読書って、積ん読本の消化に案外向いているんだよね。
 ──勿論、今宵も深夜のキッチンでの読書は催される。閉店間際のいつものスタバで本稿を書き進めながら、今日はなにを読もうかな、と思案に耽っているところだ。
 候補は三冊;戸田真琴『あなたの孤独は美しい』(竹書房 2019/12)、小泉純一郎『決断のとき』(集英社新書 2018/02)、八木正自『古典籍の世界を旅する』(平凡社新書 2021/01)
 どれを読もうか、迷うこの時間がすごく、楽しい。どの本をトリップの連れ合いにしようか、書架の前で悩む時間がとても愛おしい。このワクワクドキドキ感、誰にも止められないし、止めてもらいたくもない。帝の位もなににかはせむ……。◆

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第3036日目 〈満州国と東京裁判について自分は無知同然であった。〉 [日々の思い・独り言]

 新たな関心事への興味が、爆発的な勢いで伸びてゆく。知的好奇心が止まらない、といえばそれまでだが、或る本を読んでいて無知同然であったことを教えられ、架蔵する本のなかからそれについて書かれた箇所を検める一方で、それにまつわる文献をぽつり、ぽつり、と漁ったりしている。
 今回の場合でいえば、それは満州国と東京裁判である。
 満州についてはその成立前史から、自分はまるで不明であったことに愕然とした。満州の音楽事情に触れた書籍の書評のため、かの国の歴史をさらっとなぞった程度である。
 そこで今回は日本が如何にして支那東北部の広大な地域を手に入れたのか、というところから始まって、列強諸国による満州での利権獲得交渉、関東軍の暴走による満州事変の勃発と愛新覚羅溥儀の皇帝即位に伴う満州国成立、王道楽土の到来と日本や朝鮮からの入満者増加、敗色濃厚となり始めたことで日本軍の守備が手薄になった頃を見計らってのソ連参戦、敗戦を承けての国民引き揚げ、といった一連の歴史をまず押さえることから始めるつもり。
 このあたりを調べるきっかけになったのはご多分に漏れず渡部昇一『日本史から見た日本人・昭和編』だったが、もう少しこの国について──日本軍の傀儡国家と揶揄されること頻りな満州国について、歴史だけでなく経済や治安、生活や文化といった方面から広く浅く、或る程度までの知識を得たいな、と思うたのである。
 もう1つの東京裁判については、……もうこの件に関してはね、踏みこむと泥沼に陥る危険を感じているので、とりあえず基本資料となる文献に目を通すだけにするつもり。その上で今日まで日本人の意識に巣喰う(という)自虐史観、東京裁判史観を認めて、自分の考えをまとめてみたく考えている。
 東京裁判が連合国による、最初から結論ありきの茶番劇であった点は疑う余地がない。同時通訳が途中で途絶えた問題、恣意的に選択された資料の問題、保身から出た溥儀の証言の白々しさ、マッカーサーの報復証言、等々問題はここに書かなかった他に幾つもある。これを1点1点調べてゆくのは一人の身では到底至難ゆえ、あの裁判はなんであったのか、を客観的に捉える学びを優先してゆきたい。
 満州国にしても東京裁判にしても、たぶんドイツ参謀本部に関心を持ったときの渡部氏の資料の集め方、目の通し方と同じような姿勢になるのかなぁ。もっとも、それらについての本を書くつもりはまるでありませんが……まぁ、本ブログにてお披露目されるエッセイが精々だろうね。
 むしろわたくしはやはり、蛇のように蜷局を巻いて心の奥底に居坐るあの出来事──同時多発テロとその後のイラク戦争について、いつか小さくもまとまった本を上梓したい。これこそがまさに、怨霊調伏の手段となろう。
 さて、1年後には満州と東京裁判の参考文献、どれだけの量になっているかな。◆

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第3035日目 〈ぎっくり腰患者、ベッドまわりを要塞化する。〉 [日々の思い・独り言]

 10年以上ぶりに魔女の一撃を食らい、欠勤を余儀なくされて2日目。淋しいのは逢えないこと、憤慨するのは床から自由に起きあがって書架の前に行けないこと。嫌なことである。
 ベッドでおとなしくしてるのも限界と感じた昨日朝午前9時半頃(欠勤報告を入れた約50分後)、人に頼んで周囲を要塞化することにした。まずはベッドを10センチばかり、壁から離す。こうすることでコンセントタップが使えるようになり、WindowsとMBAのノート・パソコン2台とモバイル端末──iPhoneとiPad、iPodの同時充電が可能となる。では、それをどこに置くのか、ということだが、病院のベッドに付きものな両サイドに脚のあるテーブルを設けてそこに置く。その時点で不要な端末は脇のサイドテーブルや出窓で待機いただく。そのそばに、水のペットボトルが2本。
 次に忘れてならぬのが、モレスキンとダイソーのペンケースを始めとする筆記具である。そうして、本である。前者はいざ書くとなると結構腰に負担を掛けるため、書き物するというよりはむしろメモ帳であり、過去に書いたものの確認が専らとなる。では、本は、──
 現在読んでいる昭和史の本理解を助けるための補助テキスト、参考に購った満州国や大戦中・大戦間の戦記、他は軽い随筆集や漫画に週刊誌、国語辞典と漢和辞典、加えて朝夕は新聞、と、なんだ、これ? 一撃喰らって動けぬ人間の床まわりの光景なのか? 答えは、イエスである。
 むろん、これが一人でできるわけはない。前述のように出入りしている人に頼んで、こんな風にしてもらったのだ。その間は30分ぐらい掛けて階下に降りて、コーヒー飲みながらぼんやりパンを食べていたけれどね──いやぁ、今日もパンが美味い!
 掃除機の音がして、本の山が崩れる(崩した?)音がして、何だ彼だで1時間ばかし経った後、呼ばれてまたひぃひぃいいながら階段をあがり、部屋に戻ってみると、おお、そこにはなんと素晴らしい光景が広がっていたことか、事故後のキングのため夫人が屋敷の廊下に仮設した仕事場も斯くやといわんばかりの空間が、そこには出来上がっていた。
 わたくしの要望を十全に理解し、更にその上を行く床まわりの作業場を現出させてくれた人に、サンキャー。商社に勤めながら1級建築士の資格を取り、インテリア・デザイナーとしての実績を持つ人の仕事だ。本来なら謝礼を包まねばならぬが、まぁそれは別の機会に別の形で、本人へ還元することに致しましょう。
 それはともかく、この快適な空間に身を置いて最初になにをしたかといえば、恥ずかしながら午睡である。背もたれのクッションを増加してくれただけでなく、敷き布団も掛け布団も替えてもらい、横になった途端実に良い気分に襲われたのだ。時はあたかも食後、お腹は満たされ、まさに「余は満足じゃ」なのだ。樹木に真珠の露煌めき、雲雀は青空を翔け、窓からはそよ風が入りこんできてカーテンをゆっくり揺らし、雀の鳴く声が窓の下から聞こえ、幼稚園のお迎えの声が遠くから聞こえてくる。横になってすこししたら目蓋が重くなり、眠ってしまうのは自然の摂理だ。わたくしは生理現象に素直に従ったまで、だ……。もっとも、次に目覚めたら夕飯の刻であったのは、流石に寝すぎというべきかもしれないが(もはや午睡の域を超えている)。
 そうしていま、月曜日の午前3時。眠れない。眠る努力はこの際無駄と経験で知っているので、部屋の電気を点けて随筆を食前酒代わりにして、昭和史の本に取り掛かる。さて、いつになったら眠れるだろう? そういえば日本語で羊の数数えても眠れないのは言語の問題だそうですね。◆

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第3034日目 〈渡部昇一『文明の余韻』を読み返しています。〉 [日々の思い・独り言]

 原稿が消えた。ほええぇ、って某魔法少女みたく叫んでみる。MBAにその原稿は見当たらない、iMacにはある。ぎっくり腰の痛みを我慢して、iMacの前まで匍匐前進して強制同期を試みるか……。どうも最近、Mac間での同期が未完了のままな時がある。やれやれ、まったく、機械って奴ァ、と一言嘆きたくなるってものですよ、モナミ。
 それはさておき、探していたのは渡部昇一『文明の余韻』(大修館書店)のメモである。八重洲ブックセンターの棚にさりげなく刺さっていた、1990年刊のエッセイ集。すべていまでは広瀬書院の『渡部昇一ブックス アングロ・サクソン文明落穂集』に収録されているが、『文明の余韻』はテーマ毎に各編が分類されているので読む分にはこちらの方が楽なのだ。
 『知的生活の方法』だったかな、なにしろぎっくり腰でベッドから動くこと能わぬ身ゆえ参考文献をひょいと書架から取りだしてくるということができず無念なのだが、たしかその本の第1章、終盤も終盤で、『マージョリー・モーニングスター』(※)で英語で書かれた通俗小説を心から「面白い」と感じられたことを契機に、いまでは英米から取り寄せた小説を日がな一日、読み耽るのが定年後の楽しみである旨書いてあった。されど寡聞にして渡部氏がそうやって取り寄せた小説について感想なり書評なり認めていることを知らず、今日までぼんやり過ごしてきた。
 件の『文明の余韻』を手にして目次に目を曝して思わず唸ってしまったのは、まさにそこには渡部氏がペーパーバッグで読んだ小説についての文章が並んでいたからだ。多忙でありながら愉しみのために小説を読み、紹介の筆を執ったということだけで、わたくしには驚異かつ羨望。
 還暦を迎えた頃でも新作旧作取り混ぜて、好きな作家の小説を心待ちにして、或いはホテルでの売店での偶然の出会いを楽しんでいたのだな、『知的生活の方法』で描いた定年後の未来が実現できていたのだな、とちょっぴり嬉しくなった。そうしてあれだけ多忙を──講義に学生の指導、講演に対談、執筆、古本屋とのやり取り等々──極める身ながら、暇になった時間をすべて費やして買ったばかりの小説に耽読するその体力と集中力と確固たる意思に、わたくしは得も言われぬ感動を覚える。自分がどれだけ意志の弱い人間か、骨身に染みてわかっているからね、なおさらさ。
 ペーパーバッグの小説との出会いの場がホテルの売店、というのもなんだか渡部氏らしいな、と思う。ホテルの売店でラック回して1冊を選ぶなんてこと、もう15年以上していませんよ。わたくしの場合はいまや丸善一択だからなぁ。新宿まで足を伸ばせば紀伊國屋書店も出会いの場になり得るけれど、これは滅多にありませんな。やはり高校のときから使っている丸善のみ、か。銀座のイエナはなくなったし、神保町のタトル商会も東京泰文社も消えて、三省堂の洋書売り場は見る影なくなり、北沢書店はもはや往時の面影はなくなって入りづらい構えになっちまったからなぁ。2階のレア・ブックスなんて怖くて上がれませんよ、だってオーガスト・ダーレスやハーマン・サイガー・ホームズの古書を見たら財布の紐ゆるめず出てくる自信なんて、ないもん。
 そういえば村上春樹もジョン・アーヴィング『熊を放つ』との出会いは、友人の結婚式で行ったホテルのロビーの売店だった、と書いていたっけ。
 『文明の余韻』には小説の紹介の他、映画評、古書の話(ブリタニカ各版の特徴と相違という、著者十八番の話題もあり)、英語学、アメリカとイギリスにまつわるエッセイ、論争など、多岐にわたる短い文章が詰まっている。あまりに面白くて、夕食をはさんで一気読みしてしまったのだが、頭の鎮まった頃を見計らって今度はゆっくりと読み返しているところだ。□


※ハーマン・ウォーク著『マージョリー・モーニングスター』は本文で記したように、渡部昇一が初めて恍惚を覚えつつ読み終えた、最初の通俗小説である。これによって氏は現代英米の通俗小説に開眼した、という。これが『文明の余韻』で取り挙げられるジェフリー・アーチャーやエリック・シーガルなどの作家愛好につながってゆくのだろう。これらも渡部邸には収まるはずなので、ぜひ氏が愛読したペーパーバッグや単行本やが並ぶ一角も写真で拝見したいものだ。
 なお、『マージョリー・モーニングスター』の粗筋は氏の没後に出版された松崎之貞『「知の巨人」の人間学 評伝渡部昇一』に詳しく述べられている(P120-124 ビジネス社 2017/10)。◆

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第3033日目 〈皆藤愛子が突発性難聴を報告した朝、難聴者の僕が思うたいろいろなこと。〉 [日々の思い・独り言]

 キャスターでタレントの皆藤愛子が突発性難聴を発症して、療養に努めるという。TwitterのTLに流れてきた各社のニュースで、それを知った。
 皆藤愛子をフジテレビの情報番組で初めて見たとき、ああまたフジは同じ系統の女子アナを採用しとるんだなぁ、なんてつらつら思うたことはよく覚えている。というのもその後しばらく経って彼女が局アナではなく元から事務所に所属するフリーのキャスターであることを、他ならぬフジテレビの人から教えられたからだ。そもそも、なんでそんな話になったのかは覚えていません。きりっ。
 突発性難聴はむかしからある病気だが、然程江湖に認知されるものではなかった。それが世人に知られるようになったのは、SNSで罹患した有名人たちが自ら(事務所発表含む)発信するか、ネットニュースのヘッドラインになるのが常態になってきてからだろう。それを正確に何年頃から、と特定することはしないが、肌感として2010年代前半あたりから顕著になり始めた気がする。
 というのも、その時期頃に小説家の有川浩が『図書館内乱』や『レインツリーの国』、『ストーリーセラー』を書いて、難聴という病気について正面から取りあげてそれがベストセラーになったことが、これまで耳の病気といえば中耳炎ぐらいしか知らなかったのが精々な人々にこの病あることを教えて、それが段々と広まって別の要因と混ざり合い世間に認知されていった、とわたくしは(個人的経験を踏まえて)この病気の伝播について考えている。
 だからというわけではないが、2010年代になってからというもの、本人/事務所からの発信或いはネットニュースのヘッドラインで突発性難聴やメニエール病の報告が増えたように思える。有名人でこれまでSNSでそれを報告した人物といえば、スガシカオや堂本剛がいた。坂本龍一がいて、椎名へきるがいる。自分と良く似た症状の持ち主として、感音性難聴と最終的に診断されて「治らない」と告知を受けた俳優/歌手の井上順がいる。そうして、ヒューイ・ルイスもそうだ(こちらはメニエール病だね)。他にも居られようが、ここまでにしておく。
 それ以前にも報告してくる有名人はあったが、世間の関心を呼ぶにはあまり訴求力のない病気であったこと、ほぼ疑いないだろう。偶然であろうと承知はしている。しかし、世間が、世人が突発性難聴やメニエール病という病気の存在を知り、その症例を多少なりとも知るようになったのは、上述した有川浩の諸作が認知に一役買ったことは否定できないだろう。
 わたくしも突発性難聴に罹り、こうしていま、右耳の聴力をほぼ失っている。遡れば子供時代の2年連続中耳炎罹患に辿り着く筈。ここ数年で自分の聴力が異常を来しているな、と実感することは多くなった。
 前の会社で別部署へ異動した(させてもらった)際である。出勤途中、乗換駅のホームにて突然周囲の音が遠ざかり、まっすぐ歩いているつもりが段々とホームの橋に向かってゆき、危うく線路に落ちかけた。異動したばかりの部署に迷惑掛けるわけにも行かないので、そのまま出勤して簡単に事情だけ話して、翌る日、病院にて斯く診断された次第。が、それはいま不調を来しているのとは反対の耳であったのだ。
 治療が始まり、勤怠不良が始まり、更なる異動を余儀なくされた。そこは地獄だった。鬱々とするなか投薬治療と療養に努め、東銀座の事業所を統括するマネージャーに拾われて、そこでオペレーターをしばらく経験して管理者業務に比重を移し、クローズの日まで安泰に過ごした。それらはすべて、左耳の罹患である。東銀座で拾ってもらう時分には左耳の聴力は戻って来、既に業務に差し支えないと判断できていたのでそんな日を過ごせたのである。
 が、次の金融機関の業務で最悪の出来事が起こった。悪性のウィルスに感染して右耳がほぼ全失聴したのだ。こちらもまた地獄であった。最前の地獄は職場環境を指すが、こちらの地獄は肉体的精神的生活全般を指していう。もうね、このとき程自分の存在に理由も価値も意味も感じず、いっそのこと……と思い詰めたことはなかったなぁ。結局怖じ気づいて行動に移すことはできなかったけれど、それで良かったと思うている。だって、逢えたから。結ばれることなき人だけれど、逢えて愛することができたから。それだけでテロ後の世界を生きた意味はある。むろん、それが正解であったのかどうか、問われれば間違いだったんじゃあないのかな、と答えますけれどね。
 かかりつけの医師の話に拠れば昨今は、これまで罹る率の少なかった職業の人までが突発性難聴を患うそうだ。一因として常に挙がるのが、イヤフォンの存在だ。わが身を顧みて思い当たる節はある。いう程の大音量ではないが、クラシックやジャズ、ロックをイヤフォン両耳に突っこみiPodで聴きまくっていた時期を経て、耳の調子がなんだか良くないな、と気になり始めたからだ。それからは努めてイヤフォンを遠ざけたが、何年振りかでイヤフォンを数時間使用していたら、……嗚呼、こうなってしまったのだ。つまり、ただでさえ悪いものに拍車を掛けただけ。
 スマホでもiPodでも外出先では、音楽であってもYouTubeであってもニコ動であってもゲームであっても、聴覚情報として取り入れるためのツールはイヤフォンとなる。それを日常的に使っている人は言い方を変えれば、日々時々刻々と突発性難聴或いはメニエール病という断頭台へ自らの意思で近附いていることに他ならない。
 哀れなるべし、その人。憐れむべし、その人。電車や街中でそんな人を見るたび、心底からわたくしは思う。
 突発性難聴は平衡感覚を狂わせ、それまで当たり前だった日常生活を制限し、時に楽しみも野心もさらいとってしまう。わたくしは音楽を失い、知己との会話を自ら制限し、奪う野心もなくしてしまった。心身に支障を来すことは即ち、いろいろなことを諦め、いろいろなことに臆病になるということでもある。否、勿論そればかりではないが……。
 いまわたくしの右耳は始終高い耳鳴りがして、時に地唸りのような音が耳介に轟く。ときどき自分がまっすぐ歩いていないことに気が付く。自分の声が相手に届いているのか、どれぐらいの声の大きさなのかわからない。外出するのが億劫で、怖い(その割には休みのたびにお出掛けしているけれどな)。
 突発性難聴やメニエール病はもはや現代病だ。そうして現在のわたくしはそこから何歩も進んだ地点にいる。ワハハ、どうだ、参ったか。あ、ぎっくり腰が響く……。
 とまれ、皆藤愛子には医師の処方に従いゆっくり静養に努め、心身共にやすらかな生活を送り、復帰報告をしていただきたい。同病者からのお願いです。◆

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第3032日目 〈飽きることなく読書の愉しみを語る。〉 [日々の思い・独り言]

 ワン・ナイト・ラヴならぬワン・ナイト・リーディングが止まらない。困った。浮気という程ではないけれど、本妻を蔑ろにして別のレディにウツツを抜かしているのは、まぁ、事実としか言い様がない。尻が軽くて、いや、困った。
 粛々と『日本史から見た日本人・昭和編』を往復の通勤電車で、昼のランチ時に、退勤後のスタバで、読んでいるのだが、その一方で買いこんだ本を流し読みしたり速読したり、或いは書架にささる内から1冊抜き取って、気の向くままに読んでいる。乱れ殺法なんとやら、だ。
 休みの日のたび新刊書店へ出掛けては節操もなく本を買いこみ、古本屋をハシゴしてお目当ての1冊を探しているうち類書に手を出し、新たに興味引かれた1冊を買い足しなどしていると、いつの間にやら荷物は膨らみ、同時に部屋はどんどん印刷物に侵食されて、いまや紙屑屋の親父の域を遙かに通り越してしまっている、とうずたかく積みあがった本の山の間に身を置きそれを見あげながら、ぼんやり溜め息を吐いている。
 それでも新たな知の領域に足を踏み入れることは、無上の喜びをこの身に甘受することをもそのまま意味しよう。経済学、人類学、史学、地学に生物学、勿論文芸と、広く浅く、テーマによってはやや深く読書していることで、仕事をしているとき以外の時間が無性に愉しくて仕方がない。
 1冊読む度毎にこれまで知らなかったことを知ってゆく歓び。これまで知っていても基礎がしっかり理解できていなかったことを偶さか読んだ本で補強できたときの感謝。ひたすらページをめくり続けて眼球をページに曝してゆくだけの速読対象本の或る一節に引っかかり、最初のページに戻ってじっくり腰を据えて読み直し始めるときの、あのワクワクドキドキ感。それまで十分に知っている事柄であってもそこに新たな視点、視座を与えられたとき胸の奥に生じた一種の「アハ」感覚。
 そんな感覚を抱くことのできる読書は、法悦に等しい。法悦とは官能である。官能とは肉から生まれるばかりでなく知性の充実からも生まれる。そんな読書は、この世でいちばんわたくしが淫することのできる趣味だ。
 たぶん本が読める間は、どれだけ耳の苦しみに悩まされたり泣き出しそうになったとしても、それらの仕打ちに耐えられる。耐えるだけの強靱な心を保ち続けさせてくれる。◆

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第3031日目 〈Twitterを有効に活用しろ、と奴はいう。大信州は美味かった、と我はいう。〉 [日々の思い・独り言]

 そんなこといわれてもねぇ、と思うことが生きているとさまざまな場面で出喰わすことになる。
 この前、水曜日であったか、久しぶりに管理者3人シフトで長期欠勤から明けて初めて会った日だから、うん、たしか水曜日。退勤後にスタバで昨日分の原稿を書きあげて、珍しくどこにも寄り道しないで帰宅した晩、翌日が休みなのを良いことに青森と長野と大分の知己に声をかけてオンライン飲み会を決行した。
 その際に長野のただいま絶讃引きこもり中の信州大学生(23歳)がわたくしに放った台詞を、今回のタイトル(の前半)とさせていただいている。まさしく、そんなこといわれてもなぁ、である。金田一耕助みたく頭をボリボリ掻いてフケの雪を降らせたい気分だ。石塚運昇さんのトーンで、「いや、マジで」とぼやきたくなる。
 Twitterは基本的にブログの更新通知でしか使っていない。予約投稿の際、公開されたらTwitterで通知するよう設定したあるからだ。他にTwitterを利用している場面といえば、フォローしている方のツイートを読んだりリツイートされた記事に目を通したり、或いはそこから毛の生えた程度でしか使っていない。そこを突いて件の引きこもり学生は、もっとTwitterを有効に活用しなきゃダメですよ、みくらさんの使い方はTwitterの機能を半分どころか1/4も活かしてないですよ、と管を巻いてきたのである。顔真っ赤だったなぁ。
 もっともだ、と首肯する。既に自分でも認めていることだからね。画面の向こうでは青森のサラリーマン(28歳)と大分のIT企業社長(39歳)が大学生をたしなめるというか、取り押さえていたけれど、わたくしがカメラの右斜め上を表情のない顔で見ていたものだからかれら、どうやら落ちこんだり軽くショックを受けてフリーズしていると思いこんだようだ──必死になってその後はフォローを始めてくれた。
 いや、別にそんな意味で黙りこんでいたわけじゃないんだけれどな、とかれらの声を遠くに聞きながら、そうか、ではTwitterを如何に<有効に>活用すればいいのだろうか、とそれだけしか考えていなかった。
 しばらく経ってからである。話題が他へ移って一段落したとき、大学生に訊いてみた。君のいう有効活用がぼくにできるだろうか、と。話の核心へ唐突に触れたものだから、かれらは一様に落ち着きをなくした。
 Twitterを中心に情報発信しているわけでもなし、不特定多数の誰彼に<いいね!>されたりリツイートされたりリプライもらうような呟きを垂れ流したこともないし……そんなわたくしにとって未だTwitterでバズるツイートを投稿できる人の才能はミステリのなかのミステリだし、そもどうやったらどんな呟きができるのか、小首を傾げてなお永遠に答えが出ない疑問に呑みこまれそうになったりする。
 逆に件の信州大学生は滅多に呟きこそしないし、けっしてバズるわけでもないのだが、わりとコンスタントに(ツイートするたび)なにかしらの反応がそこそこ短時間でそれなりの数返ってくる人でもあるので、かれがわたくしにした叱咤激励(?)にも納得できるのだ。
 が、彼女から返事はなかった。酔い潰れたわけでも、押し黙ってしまったわけでもない。「それはみくらさんが自分で考えること」という、無責任というか当たり前というか、そんな返事であったからだ。それもそうだよな、安易に答えやヒントを求めるな、まずは自分の脳ミソで考えろ、ということやな。
 わかった、とわたくし。「きっかけを与えてくれてありがとう、自分でも感じていたことだから、ちょっと考えてみるよ」と続けて。流石、といわれてちょっと赤面。青森のサラリーマンがその横で、おーい、といっている。見れば、画面の左下でIT企業社長が寝落ちしていた。
 お開きである。突然のオンライン飲み会召集にお付き合いくださってありがとう。
 われらの飲み会はそういえば、たいてい誰かが寝落ちするかフェードアウトすることでお開きとなる。いい方を変えればそういう人が現れない限り、それは明け方まで開催される場合なきにしも非ず、という意味でもある(前例あり)。吉田健一の名言を地で行くわれらなのだ。ワハハ。
 ──あしたジム行こう、あ、もう今日か。そんなこと思いながらベッドに入る。一緒に寝てくれる人は誰もいない。幻もゴーストも実物も、そこにはいない。独り寝か……。いや、それよりもTwitterだ。Twitterの有効活用とはどのようにすればいいのか、わたくしの場合? 真面目に考えたことがないので、答えが出るには相当な時間が掛かりそうである。出るとも限らないしな。
 床にはいつの間にそんなに空けたか、一升瓶が三本、空っぽになって立っている。大信州の夏のさらさら純米吟醸は美味しかった。信州大学生よ、届けてくれてありがとう。これがいいたかっただけの今回の原稿……では勿論、ない。◆

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第3030日目 〈語り継いでゆくことは年長者の役目と気がつく。〉 [日々の思い・独り言]

 先達てわたくしは「昭和から平成へ」という題のエッセイを書いて、本ブログでお披露目しました。書きながら当時のことが様々胸のうちを去来しました。懐かしい時代、であった。楽しい時代であり、暗い時代でもあった。そうして案外と記憶に焼きついていること多々な時代でもあった──それらは極めて生々しく、輪郭は多少ぼやけていると雖も鮮明で、その場の空気感と一緒に記憶の襞にこびりついて、離れることがない。
 それらを語ろうと思う。語ってゆかねばならない、と思う。そんな風に、前述のエッセイを書きながら、書き終えてから、自分の役目のように思うようになったのです。
 とはいえ、それは勿論、かねて伝えた自分が生まれてから以後の昭和史をそのまま指すのではない。申しあげているのは、自分が覚えているあの時代の出来事、些末なものに終始するが昭和と平成に自分が経験した出来事を、日向ぼっこしながら縁側で孫に語って聞かせるような昔話みたく文章にして本ブログにお披露目してゆこう、ということである。
 終わってみれば昭和と平成は好対照の時代であった。どちらも暮らしやすいが、どちらも脛に傷持つ時代であった。だれもが未来に希望を抱き、同時に不安を飼った時代であった。そんな時代の出来事を、あの時代にあったどうでもいいような小さな出来事を、これから時々書いてゆきます。
 どうぞよろしく。◆

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第3029日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」あとがき 〉 [小説 人生は斯くの如し]

 顧みるまでもなくGW中はひたすら、この小説の改稿に心血を注いでいたように思います。それを人は時に、現実逃避、というようですが、そんなこと気にしない。
 日中はやるべきことに全神経を注ぎこみ、ふと落ち着いたときに無理に食事し哀しみ紛らせの情事に耽り、時計の針が日付の変わるのを知らせる頃にMacの前に坐って小説を書き直し始める……それは明け方まで続き、終わると睡眠導入剤代わりの日本酒を呑んで烏の鳴き声を遠くに聞きながら眠りに落ちる。数時間後に起きたら再びやるべきことに全神経を注ぎこみ……の繰り返し。
 改稿のピークであったGW前半は、まさにこんなサイクルで生きておりました。後半は自分の入院/手術の準備で大わらわとなり、派遣会社の対応に不審を抱き、憮然とした状態で病院の入院患者となった。検査と投薬と休息とで時間の感覚が殆どなくなり、手術の記憶もわりかし飛んでいる。気附いたら迎えの人が退院手続きや支払いを済ませてわたくしは待合室の片隅で呆けて坐り、そのまま夕刻帰宅した。
 そんななかでよく時間をやり繰りして、全9回の改稿を無事終わらせられたな、と感心しています。久しぶりに小説を書く難しさを痛感し、物語を紡ぐ喜びに法悦を覚え、あの頃から今日まで自分はどれだけ成長したのか悩んだりして、1回分が書き終わるたびに簡単な推敲を済ませて予約投稿すると、もう精も根も使い果たしてそのまま(アクセス数の解析すらしないで)電脳空間とMacから離れて、あしたのことを考える。
 第7回を書き直しているときかな、唐突にスピンオフとでもいうべき短い会話劇が思い浮かびました。本編から数年後の或る晩の一コマではありますが、案外とこれが本当の結末というべきものなのかもしれません。誰も不幸にゃならないよ、予定調和のハッピーエンドを書くのが好きなんじゃ。お披露目予定はありませんが、ネタ切れになったら唐突に公開するかもね。呵呵。
 書誌的なことを最後に、備忘として記します。本作は2011年2月に初稿が書かれ、それがほぼそのまま本ブログにお披露目された。その後、印刷したものをベースに朱筆を入れた版があったが、そちらは未完である。今回お披露目したものはそれとは異なり、2011年版を基に新たに書き直したエディションだ。いわば本作には2011年版を基にした2つのヴァリアント──未完の朱筆入れ版と今回の2021年版が存在している。出来映え等に関しては個人の印象としては、断然2021年版に軍配を挙げたい。
 まぁバックグラウンドとかいろいろ情報の提供不足はあるかもしれませんが、すべてが提供されたら読んでいてもツマラナイでしょ? と詭弁を弄して去り際に一言、最後までお読みいただきありがとうございました、と謝意をささげて作者、遁走。◆

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第3028日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」 〉9/9 [小説 人生は斯くの如し]

 ──世事雑事に紛れて立ち止まる暇もないまま、一年半があわただしく過ぎてゆきました。会社は取引先に吸収合併されて、多くの社員がリストラされました。周りの人たちを見ていると、既に新しい会社への転職が決まっていて、退職から日数を置くことなくそこでの勤務初日を迎えられたわたくしは、幸運だったようでした。
 あの喫茶店があった場所は閉店から約八ヶ月後、蕎麦屋になっていました。外観からして既に喫茶店の面影はなく、もはや往時の構えを思い出すのにも時間が掛かるようになりました。オープン日時を記した貼り紙が貼られた扉を矯めつ眇めつ眺めているうち、なんだかとても長い、長い時間が経ってしまったように思えて、深い溜め息を知らず吐いてしまいました。
 とはいえ、気を紛らせる嬉しい知らせもあったのです。その蕎麦屋の主人はなんと、かつて管理部にいて一緒にリストラ対象になっていた石田さんだったのです。驚きました。前の会社にいてその知らせを聞いた人たちも皆、一様に驚きの声をあげた、と聞きます。一緒に息子さんが働いていると聞いたとき、なんだか心がほっこりしましたね。
 残念なことに蕎麦屋には開店記念の際に訪れたきりで、以後はいまの会社が忙しいのと、早く上がれてもこちらへ帰ってくる頃には暖簾が仕舞われているので、まったく客になることができていません。けれど石田さんとは、時に息子さんも一緒に近くの居酒屋で楽しい時間を過ごすことが、そうですね、平均週一のペースでありますね。
 それでもわたくしの心はぽっかりと穴が開いたままでした。からっぽの心を抱えたまま、世間様と無難に付き合うための仮面を被り、毎日毎日をやり過ごしているのです。独りしコテージのポーチでバドワイザー(King of Beers.)やスタウトを腹の奥へ流しこんでいると、あの子のことを否応なく思い出します。小柄な体躯と涼しげな目元、ほどけば肩の下まで伸びた黒髪、色素の薄い肌、あのかわいらしい物言いとほんわりとした喋りがかいま見たベッドの上の姿態と一緒に、封印しようと努める記憶の蓋をこじ開けて甦ってきます。なお、それは戦場での経験よりも更に辛い思い出でした。生き地獄と称すより他ない苦しみでした。もはや慢性PTSDです。
 それでも生きてゆかなくてはなりません。生きてゆくにはいまの会社でさざ波立てることなく勤めなくてはいけません。判で押したような生活にむりやり自分を嵌めこみ、感情を殺して仕事に勤しむことにしました。やってみるとこれが案外と楽で、大抵の厭なこともやり過ごすこともできます──もっとも<厭なこと>というような出来事ともほぼ無縁ではありましたが──。
 そんなこんなでどうにか、新しい職場にも馴染んできた或る日の夜でした。
 雑木林を切り拓いて作ったでこぼこ道に車で乗り入れるとすぐに、あれ、と声をあげてしまいました。コテージの一階の電気、そうして玄関の電灯が点いているのです。可笑しいな、と思いました。二階なら過去に消し忘れたまま寝てしまい、そのまま気附かず出勤したことは何度もあります。が、一階でそのようなことは一度もありませんでした。
 泥棒か? 近隣の家からはただでさえ距離がある上、その間には雑木林がある。隣の家の灯りなど、木立の陰から余程目を凝らさないと見ることはできません。しかし、留守宅の主人がいつ帰ってくるかわからない以上、どんな泥棒だって電気を点ける愚など犯したりしないでしょう。では? 車を停めるまでの時間で結局いちばん正解に近いと思われる結論が出ました。即ち、消し忘れです。
 また電気代が上がるなぁ。そうぼやかざるを得ませんでした。先月など電気代がふだんの一・五倍にまで跳ねあがった程です。電力自由化の時代でもありますし、新電力の検討も真剣に考えなければいけません。特に携帯電話の機種変のときは相手の口車に乗らぬよう注意しましょう。
 静かにドアを閉め、落ち葉を踏みしめながらポーチへの階段へのアプローチを歩いてゆきました。ドアノブの鍵穴に異常は見られません。なかに誰かのいる気配が、ドア越しにも伝わってきます。さもしい期待をしてしまいました。ここの鍵の在処を知っている人など、自分以外に一人しかいないではないか……。ついでにいえば、鍵は開いていたのです。
 頭を振って脳裏に一瞬浮かんだ期待を振り捨てて、ノブへ手を掛け、こちら側へ引こうとしたときです──同時になかからもドアが開かれて、わたくしの額と鼻の頭はドアの角に思い切りぶつかる仕儀となりました。
 「ごめん、大丈夫?」けっして忘れられない声が、顎の下あたりの場所から聞こえてきました。「まさか同時とは……私たち、気が合うね、ウッド氏?」
 これを気が合うといえるような人物を、わたくしはこれまで生きて知り得た人たちのなかでたった一人しか知りません。その人物が、いま目の前にいる。目が合った途端、その場にへなへなと坐りこんでしまったのは、或る意味で当然のことであったかもしれません。
 ──彼女が、そこにいました。一年前と変わらぬ容で、あの懐かしいメイド服も着ていました。「おかえり」と片手をあげて、にっこりと出迎えてくれました。「遅くまでお疲れ様。でもさ、鍵の場所、変えた方がいいと思うよ?」
 ただいま。そう小さな、震える声でいうと、わたくしは彼女を、正面から抱きしめました。抵抗にも躊躇いにも遭いませんでした。考えてみればこうして彼女を、自分から抱きしめるのは初めてであるように思います。まぁ、そんな状況になったこともないので当たり前ですが……。
 斯くして円環は再び開く。「おかえり……」
 「ここにいて、いいよね?」
 もちろん、とわたくしは頷きました。よかった、と呟いた彼女がわたくしの背中へ腕を回し、体をより強くすり寄せてきました。
 「人生は斯くの如し、だよ。ウッド氏?」◆

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第3027日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」 〉8/9 [小説 人生は斯くの如し]

 「こんなときに限って客が重なる……」
 メイドは一頻り涙を流したあと盛大に鼻をかみ、赤くなった目蓋をティッシュで押さえながら奥のトイレへこもりました。ドアはけっして薄いわけではありませんから気のせいなのでしょうけれど、向こう側から彼女の嗚咽がまだ聞こえてくるような気がしてなりません。
 戻るのを待ちながら、空になったマグカップを覗いていました。底に残るコーヒーのシミの形をじっと見ているうち、そういえばコーヒー占いってのがあったな、カップの底のシミの形で……なにを占うんだっけ? 全体運であったか、恋愛であったか仕事であったか、或いは金運だったか、思い出せません。これをわたくしに教えてくれたのは、いま席を外しているこの喫茶店のオーナー即ちメイドなので、戻っていたら聞いてみることにしよう──が、それは結局果たされないまま、われらは別れの時を迎えます。
 それにしてもお腹が減りました。コーヒーこそ出してもらえましたが、肝心のオムライスはまだです。仕度しているのかさえ不明です。が、コーヒーを入れてすぐにこちらに来たところから察するに、まぁまだ取り掛かっていないのでしょうね。
 するうち、チャイム・ベルが鳴って近くの大学に通うここの常連三人組が入ってきました。彼らのひとりとは知り合いということもあり、いまも、あウッド氏こんにちは、と声を掛けて来、カウンターのなかを見やると怪訝な顔つきで、あれ奈々子さんは? と訊いてきました。
 無理もありません、いて当たり前の人物がそこにいなかったら、訝しく思うのは自然なことでありましょう。しかし、どう答えていいのか、わかりません。返事に迷っていると、おお今日も来たねぇ小銭の集団、とメイドの声が背後から聞こえてきました。
 小銭の集団は非道いや、と件の大学生が口をとがらせました。他の二人は苦笑しているだけです。メイドは大学生の台詞に耳傾けることなく、三人ともランチのカレーでいいかい? と訊いています。
 今日のランチ/カレー;牛すじ肉ときのこのカレーのセット(サラダとコンソメスープ付き 九八〇円也)
 勿論、というかれらの返事をわたくしも聞いて、あ、と口のなかで呟きました。カウンターのなかのメイドに、そっと視線を向けます。小首を傾げて彼女はこちらを見てきましたが、彼女はわたくしの行動に思いあたることはなかったようです。──さっきオムライスを頼んだときにメイドの目に浮かんだ冷たい色はきっと、ランチ・メニュー以外のもの頼みやがって、こっちはご承知のように一人でやってるんだからウッド氏、ちょっとはオーダーの内容についても気を遣ってよね、という無言の抗議/要望だったのでしょう。が、もう遅いですね。次から配慮することにしましょう。でも、メイドよ、わかってくれ、いまのわたくしはカレーよりもオムライスが食べたいのだ。
 「あのさ、僕のオムライスは……どうなってるかな? あ、勿論ランチのカレーが先でいいよ」
 「ちょっと話したいことがあるの、二人っきりで」大学生たちに気附かれないように顔をわたくしに近づけたメイドが、囁くようにいいました。「だから、もうちょっと待ってもらっていいかな。代わりに、はい」
 そういってメイドがカウンターの上に差し出したのは、二杯目の<晴れの日ブレンド>と千切りにした大根の上に鰹節と刻み海苔を乗せたサラダでした。ランチ・メニューとして用意してあるからとて三人分となると、流石に時間も若干要すことになります。お前のオーダーはそのあとに取り掛かるから、それまでこれを食べて空腹を紛らわせててよ、という意味でしょう。これを優しい言い方に意訳すれば、これぐらいならお腹に入るでしょ、となります。
 何年か経って件の大学生とお酒を飲んでいたら、あのときウッド氏と奈々子さん、なに話してたんですか、なんだか凄く親密な関係に映りましたよ、と訊かれました。覚えてないよ、そんなことあったかな、と返すのが精一杯でしたが、その直後、相手に気が付かれないよう連れ合いの横顔をチラ見しましたが、その人はいまの会話を聞いていたか聞いていなかったか、まるで悟らせずにひたすら白ワインを口に運んでおりました。
 ──メイドがカウンターの向こう側でカレーを作りながら、鼻歌を歌っています。聞き覚えのある歌でしたが、バロック音楽に紛れてすぐにはわからなかった。
 が、特徴あるフレーズを摑まえてみれば、それがなんの歌であるか思い出すことができました。わたくしの好きなオペラの第三幕で歌われる、有名なアリアだったのです。〈誰も眠ってはならぬ〉”Nessun dorma”、プッチーニ最後のオペラ《トゥーランドット》で王子カラフが朗々と歌いあげる愛の告白の歌でした。Ed il mio bacio sciogliera. Il silenzio che ti fa mio! (わたしの口づけは沈黙を打ち破り、あなたはわたしのものとなるのです)
 バロック音楽を背景にプッチーニとは、なんと面妖な組み合わせでしょうか。それでもわたくしは、これを聴きながら、少し安堵していたのです。最前までしとどに泣きじゃくっていたメイドが、鼻歌をハミングできるまでに気持ちが回復したように映ったからです。後年になって問わず語りに話すと、まったくあなたは女をわかっていないよねぇ、と蔑みの目で、憐れむような眼差しで、見下されたものですが。
 やがて大学生たちは会計を済ませて出てゆきましたが、それと入れ違うようにして喫茶店の隣に店舗を構える不動産会社の社長と向かいの古本屋の主が連れ立って入ってきました(なんでも二人は幼馴染みだそうです)。席に着くやランチのカレーとパスタを注文したかれらは、メイドがお冷やを置くのを待って、テーブルに書類を広げてなにやらひそひそ話を始めました。
 「こんなときに限って客が重なる……」
 わたくしの後ろを通り過ぎ様に放った彼女の愚痴が、耳朶の奥に谺してしばらくの間消えませんでした。なぜかはわかりません。ただ、普段の彼女が口にしそうもない類のそれであったこと、そうしてその台詞に苛立ちと諦めの感情が含まれていることを感じ取ったからです。
 出来上がったカレーとパスタを運んでようやく、わたくしのオムライスの番になりました。「これから作るから、待っててね」
 うん、とサラダの皿を殆ど空っぽにしたわたくしは答えて、手持ち無沙汰にコーヒーを飲みながらカバンから読みかけの文庫本を取り出して、読みさしのページを開いて読み始めました。が、心ここにあらずで、視線がページの表面を撫でているだけなのがわかります。まるで頭に入ってきません。というよりも、そこに書かれている単語の意味さえわかりかねる思いだったのです。
 彼女はどんな意図があって、わたくしの注文を後手に後手に回して、ようやくいま取り掛かったのか。しかも、ドアの脇にかかる札を裏返して「準備中」にしてきたのを、わたくしは視界の片隅で認めています。二人きりで話したい内容とはなんなのか。期待したいけれど、それはとらぬ狸のなんとやらです。もっと他のことである、と考えた方が無難です。話したいことがあるといわれて舞いあがるような年齢ではありません。期待するな、愚かになるな。そう自分にいい聞かせて、わたくしは本を読むフリを続けました。幸いなことにメイドも、なにを読んでいるの、とか訊いてくることはありませんでした……。
 <女性は男性の偉大な教育者である>(アナトール・フランス)といいますが、様々な意味でその言葉は事実である、と、そうわたくしは信じて疑いません。
 客二人の会計を済ませて送り出してカウンターに戻ったメイドが、ねえ、と呼びかけてきました。「ケチャップでなにか書いてほしい?」
 やけに静かな口調だったのが気になりました。なにか伝えたいことがあるんだな。そう思うとリクエストを出すのは慎んだ方がよさそうです。それに、もうお店も閉めたわけだし、われらの他に誰かがいるわけでもない。ならば、──
 「任せるよ。もうなにを書くか、決めてるんでしょ?」
 えへへ、と笑いながら器用になにかをオムライスの上に書くメイドの横顔──実際は前髪が垂れて表情までは殆ど窺えなかったのですが──を見ながら、自分の前に皿が置かれるのを待ちました。店内にはあいかわらずバロック音楽が流れていましたが、オーケストラから室内楽に切り替わったためか、さっきよりもずっとゆっくりと、静かに時間が流れているように感じられました。
 ふとドアの方を見やると、自転車に乗ったパトロール中の警官が、窓から店内を覗いていました。かれもこの喫茶店の常連です。ようやくお昼ご飯にありつける、と思って来てみたら準備中の札がかかっているとあっては訝しく思うのも当然でしょう。実際、かれはドアノブに手を伸ばしかけたようです。そのときにわたくしと目が合ったのです。そのままドアを開けてメイドに事情を聞くかと思いきや、目が合った瞬間に合点のいった様子でその場を離れていってしまいました。余程メイドにいおうかと思いましたが、なんだかそれも憚られていうことができませんでした。
 ようやく運ばれてきたオムライスにケチャップで書かれたメッセージが否応なく目に飛びこんできます。否、メッセージというよりは日附という方が正確です。人間、悪い事態についてはよく勘が働くようであります。とっさに最悪というてよい出来事が脳裏に、電光石火の如く浮かびました。
 スツールを半回転させて、カウンターから出ていまは傍らで寄り添うように立つメイドへ疑問をぶつけました。「これって、まさか……。違うようね?」
 ややあって、ごめんねウッド氏、と囁くような、吐き出すような調子で、薄く開かれた唇の間から声が洩れました。これまでに見たことのない、思い詰めたような表情をしています。まだ少し赤い眼が、再び濡れてきていました。
 「その日にね、お店を閉めることにしたの」と、事情をかいつまんで話してくれました。「これまで来てくれて、ありがとうね。ウッド氏」
 ──それからは無言の時間がわれらの上に垂れこみました。スプーンで食べる分だけ切り込みを入れたオムライスを機械的に口へ運ぶ最中もメイドは、わたくしの後ろに控えるように立ったままでした。彼女から伝わってくるものはなにもありませんでした。
 日附は一週間後を示していました。その間に何度来られるかわかりません。何度来られるかわからないけれど、無理をしてでも来たいと思いました。ひとたび席を立ったら、もう二度と彼女に逢えないような気がしてならなかったのです。ならばそれまでの日々を、彼女と一つでも多く会話を交わし、その姿を見、記憶に残しておきたい。そう思うのは可笑しな話ではないでしょう。
 食べ終わるとナプキンで口許を拭い、ごちそうさまでした、といって、改めてメイドの方に向き直りました。そうして、訊きました。
 「昨日今日で決まった話じゃないんだから、一昨日家に泊まったときに聞かせてほしかった」
 「それこそ」とメイド。「いいたかったけど、いえなかった。楽しい空気に水を差したくなかったからね」
 悪いと思ってるよ、と呟いて彼女の台詞は終わりました。
 なにかいおうと口を開きかけたときです。
 メイドが、正面からわたくしをかき抱きました。とてもあたたかかったのを、あれから何年も経ったいまでも覚えています。まだわずかに残ってこのまま陰府へ持ってゆくであろうと思っていた亡き婚約者への想いは、そのときのメイドのあたたかさに取って代わられ、すーっ、と消えてゆくのを感じました。この人を手放したくない、と思いました。ずっと一緒にいてほしい、と思いました。年齢差がどれだけあろうとそんなものはただの数字だ、といってやりたかった。この人と最後の瞬間まで一緒に暮らしていたい、と思いました。でも、もうお別れの日はそこまで来ているのです……。
 ──それから一週間後、喫茶店は予定通り閉店しました。商店街の人々や商店街の入り口にある交番勤務の警官、それ以外の喫茶店の常連たちが最終営業日の閉店後に集まって、お別れ会が催されました。深更に至るまでそれは続いた、と仄聞しております。
 わたくしも呼ばれていたのですが、取引先の上役に引きずり回されて行くこと叶いませんでした。残念ではありましたが、行かなくてよかったかもしれません。行けば淋しさは増すばかりで、互いに気まずい思いを抱いたまま、話すことも目を合わせることもしない時間を過ごすことになったでしょうから。それに、……自分の気持ちはもう彼女に伝わってしまっているのです。が、メイドの方はといえば──もう止めましょう。円環は閉じられたのです。□

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第3026日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」 〉7/9 [小説 人生は斯くの如し]

 店の前を行ったり来たりしているうちにメイドに見つかり、店内へ連行されたわたくしはカウンター席に坐らせられ、しばらく放置されました。といいますのも、店内には先客が一組あり、そちらの接客が優先されたからです。
 順番を追ってお話しましょう。
 午前中の外回りを速攻で終わらせると、会社に戻らず足を喫茶店へ向けました。昨夜のメールの件もありますし、それ以上に彼女に会いたかったからでもありました。
 マイアミ・デイド署CSIチームの主任ホレイショ・ケインは犯罪捜査に取り掛かるに際して、いまの自分を動かしているのは科学だ、と所信表明しておりましたが、その伝で行くならばさしずめいまのわたくしをして仕事をさっさと片附け帰社することなしに喫茶店へ足を向けるその原動力になったのは他ならぬメイドの存在である、メイドに会いたいその一心からである、ということができるでしょう。まぁ、それはさておき。
 喫茶店のオーニングが視界に入るまでは、心浮き立ち足取り軽かったにもかかわらず、それを目にした途端、足取りは一気に重くなり、彼女に会える喜びよりも一方的な気まずさが優ってきたのです。両の足首に鉛の錘でもくくりつけられたように、歩調は重くなりました。喫茶店まで十メートルもないのに、一キロ以上も離れた場所まで歩いているような気分です……一歩足を前に踏み出す毎に、不安と躊躇いが成長してゆくのがわかりました。
 窓下の花壇の植栽が、店内からも外からも視線を遮り、あまり見通しは効かないはず。しかし、さすがに何分もその場に突っ立って動こうとしないシルエットがあるとお店の人はそれを怪しみ、確認しようと手筈を打つもののようであります。人の動く気配がして、ドアが開きました。同時にチャイム・ベルが、からん、と軽やかな音を鳴らす。メイドが顔だけ覗かせて、お、来たね、といいながら、手招きしてきました。
 なおも突っ立ったままでいるわたくしを、爪先から頭のてっぺんまで観察するような眼差しで見たあとでメイドがいいました。「お客さんいるからあまり長いこと、扉開けていたくなんだよね。入ってくれると嬉しいな?」
 斯くしてわたくしは無抵抗で連行される犯人の如くメイドの言いなりになって、店内の客となったのです。「とりあえずいつもの席に坐っててよ、あとで話したいことあるから。あ、お水はセルフでね」というメイドの声に操られるようにして、カバンを隣の椅子に置いてコートを脱いだあとカウンターのスツールに腰をおろしました。
 ギシッ、ときしむ音が聞こえましたが、なに、気にすることはありません。通い始めて五年、このスツールに坐るようになって四年強、ずっとわたくしの体重を、そうしてそれ以外のお客さんの体重も支えてきたのだから、きしむ音がしたって不思議ではないでしょう。ふと、キングの小説『スタンド・バイ・ミー』のエピローグで、エース・メリルがダイナーにある特定の椅子に座り続けている、という描写があったのをふいに思い出しました。いえ、それだけのことです。
 メイドがいったように、店内には先客がありました。男女のカップル、といえばそれまでですが、あまりにちぐはぐな二人でした。
 女性の方は二〇代前半でしょうか、対して男性は既に頭髪に白いものが目立っています。でも髪の量は豊かで、しかもその総髪を後ろに流しているものですから一見、江戸時代の素浪人、いえ、もっといえば由井正雪のように映るのでした。体格のしっかりした人でした。とても良い顔をしています。古武士、という表現が相応しく思えます。召し物が紬の着物に羽織というのが、またよく似合っている。一方で女性はといえば、線が細くて色が白く、黒髪を肩まで伸ばして化粧の薄い人、という以外は特に記憶に残るような人ではありませんでした。まぁ、地味ではあるけれど可憐な女性、というのがわたくしの印象です。でも、声のほんわりしたところや一つ一つの言葉遣い、笑い方には、育ちの良さを感じられます。
 かれらはちょうど席を立って、ごちそうさまでした、とメイドに声を掛けてレジへ向かうところでした。改めて見ると、二人の身長差も相当なものでありました。おそらく男性の方は一九〇センチ近くはあるでしょう、女性の方はといえば一五〇センチあるかないか、というところ……ちょうどメイドと女性の身長はほぼ同じなようでした。
 メイドは、ありがとうございました、といいながらカウンターの内側にまわり、会計を済ませて、かれらを送り出しました。またどうぞ。つられてわたくしも同じ言葉を口にしました。男性はちょっとこちらへ頭を巡らせ、微笑を浮かべて肩越しに小さく頷き、女性の方はちょっとびっくりした表情でこちらを見つめました。メイドはといえば、……扉を閉めたときに横目で、呆れがちに睨んできました。
 ──わたくしとメイド以外、誰もいなくなりました。それを認識した途端、視界が灰色に染まるような感覚に襲われました。これから始まるであろうメイドの尋問を思うと、天井のスピーカーから流れているバロック音楽は、やけに皮肉たっぷりのBGMに感じられます。まさしく<いびつ>としか言い様のない組み合わせでした。
 「では、ウッド氏──」
 彼女は隣りに腰をおろすと、カウンターへ背中をあずけ、こちらを横目で見てきます。自ずと上体を反らす形になりましたから、否応なくお胸の豊かなラインが強調されて、目のやり場に困ります。昨日ベッドで見た下着同然の姿にはなんの助平心も沸かなかったのに、いまは視線を外すことさえ必死にならざるを得ない。いや、まったく男というのは不思議な生物です。
 「来てもらった理由、わかるよね?」
 ああ、とわたくしは頷きました。説明の前に落ち着こうと思いました。コップに並々と注がれた水をがぶり、とあおって口を湿らせると、スツールを四分の一回転させてカウンターに片肘つく格好で彼女を見ました。視線は前述の理由から、額から髪の生え際あたりに固定させました。そうして弁明を始めようとしたのですが、──
 「おっと、その前に」とメイド。「注文もらって、いいかな」
 気勢を削がれました。出鼻を挫かれる、というのは、こんな場合をいうのでしょうね。おたおたしながら、オムライスと<晴れの日ブレンド>を注文しました。なぜだかそのとき、メイドの表情が険しくなったようでした。それはさておき。
 「あなたの口から聞きたかったな」と、カウンターの向こうに回った彼女がぽつり、といいました。「ウッド氏の会社の内情なんて知ってるんだから、隠す必要なんてなかったのに」
 「隠したわけじゃない。いうのを忘れていたんだ」
 「同じことよ。その話があったとき、私たち一緒に夜を過ごしていたんだから、そのときにだっていえばよかったじゃん」
 「あのときは本当に忘れていたんだよ。それにね、──楽しかったから、水を差しそうで言い出せないよ、かりに忘れていなかったとしても」
 鼻を啜る音がかすかに、でも確かに聞こえました。
 「非道いよ。──まぁ、わたしもあなたに言っていない大事なことがあるけれどね」
 え、と思いました。それはいったいなにか。椅子から腰を浮かして、訊こうとしました。でも、すぐに坐り直した。コーヒーを淹れている彼女が「あっ」と小さく声をあげたからです。再び鼻を啜る音。
 ねえウッド氏、と呼びかける彼女の声がわずかに震えているのに、そのとき気が付くべきだったかもしれません。「失敗しちゃった。すぐに淹れ直すね」
 ──ややあってカウンターの上に置かれたコーヒーは、少ししょっぱい味がしました。<晴れの日ブレンド>ってこんな味したっけ、とは思いませんでした。そんな風に思うのはきっと、さっきのメイドが鼻を啜る音を聞いていたからです。それゆえに味覚は印象操作されたのでしょう、きっと。
 隣りに坐り直した彼女は先程と同じようにカウンターに背中をあずけていましたが、こちらを見たりはしませんでした。俯いたまま指先でエプロンをいじくっています。それは際限なく続く作業のようでした。
 どれだけの時間がそのとき流れたのか、よくわかりません。無限にも等しい時間が、われらの間にはあったような気さえします。その間、なにも言葉を交わすことはありませんでした。そんな二人を野次るように、やたら明るい曲調のバロック音楽が天井のスピーカーから降ってくる。
 一つの楽章が終わり、次へ映るまでのわずかな無音の時間のことでした。
 ふいに彼女がわたくしの肩へもたれてきて、しばらくそうしていたかと思うと、さめざめと涙を流し始めた──斯くしてかの無限に等しく感じられた無言の時間は終わりを告げました。その代わりわれらの間に訪れたのは、理由定かならぬメイドのむせび泣く声。それは一時ながら音楽を退けたのです。□

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第3025日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」 〉6/9 [小説 人生は斯くの如し]

 昼過ぎ。メイドを見送って玄関扉を閉めた瞬間、淋しさに襲われました。重いものが両肩にのし掛かってきたような気分です。どうにかリビングまで戻るとそのままソファに倒れこみ、深い溜め息をついてしまいました。また今日から独りぼっちか。昨夜から先程までの、一日にも満たない時間でしかないとはいえ、彼女と一緒に過ごした楽しい時間は普段の独り住まいの侘しさ淋しさを払拭してあまりあるものでした。それは時間が経ってみると、時に残酷な思い出となり、苦しみの原因となります。わたくしのまわりの誰も知らないでしょうが、当事者であるわたくしはそれをよく知っています。
 ソファからふと座卓へ視線を向けると、マグカップが二脚、肩を寄せ合うように置いてありました。洗濯と掃除を手際よく済ませた彼女が帰る前の一刻、コーヒーを淹れてくれたのです。そのときの居心地の良さは、やはり何事も代えられぬものがありました。
 コーヒーを飲みながら交わすとりとめのない日常会話や特定の話題についての論議は勿論ですが、ふだんの生活で当たり前のようにこなしている諸事、たとえば掃除や炊事などですが、一緒に暮らす相手がいたら、同じ所作であっても斯くも潤いのあるものになるのか、と改めて実感させられたことであります。
 今朝だって隣で寝ているメイドを見ていて、まぁ驚きはしましたが実はそれ以上に、心がとても安らいだのです。このまま彼女がいてくれたら、と考えたりもしましたが、どうやら一歩を踏み出す勇気を欠く男というのは、こんな場面に於いても積極的な行動には移れないもののようです。据え膳食わぬは男の恥──これはきっと、わたくしに向けられた言葉でありましょうね。結局、メイドがどうしてわたくしのベッドに夜中、潜りこんできたのか、その理由は聞いてもはぐらかされてしまいました。
 コテージのなかを見廻すと、室内のあちこちにまだメイドの気配がはっきりと、濃密に刻印されていました。キッチンで朝食を準備し、コーヒーを淹れる彼女の後ろ姿が、脳裏から離れそうにはありませんでした。耳を澄ませば、どこかから不意に、彼女の声が聞こえてくるような、そんな錯覚さえしたのです。
 マグカップを洗い終えてリビングに戻ってくると、サイド・ボードの上の、例の婚約者の写真に自然と目が向きました。……そろそろ、前に進んでもいいのかな? そう口のなかで呟いてみましたが、踏ん切りが付くには至りませんでした。
 夕食の仕度に取り掛かるまでの間、ネットの求人サイトで見附けた企業に応募したり、キングの小説を読んで過ごしました。そのとき、唐突に思い出したのです。メイドに自分のリストラを伝えていなかったことを。なんたる失態。が、その日が来るのはまだ先です。次に会ったときにいえばいいか、と軽く考えて、小説に戻りました。
 カツレツと自家製ポテサラの夕食をはさんで読み終わりましたが、『アウトサイダー』はたしかに面白い小説でした。ご多分に漏れずわたくしもほぼ一気読みに近い状態で読了したクチです。ミステリー小説の殻を被ったオカルト小説、というのがいちばん妥当かと思いますが、そうした意味ではウィリアム・ヒョーツバーグの『堕ちた天使[エンゼルハート]』(アラン・パーカー監督、ミッキー・ローク主演で映画化もされました。わたくしはこれをカナダの映画館で観た覚えがあります。地元の小さな映画館でよく上映されたな、とこどもながらに思うたことをいまでも覚えています)をどうしても想起してしまったことを申し添えておきます。むろん、どちらが良いとかそんな話しではございません。
 (幸いなことにこの日見附けて応募した九社のうち、二社から内定をいただきました。最終的に車で三十分程行った海辺の街にある、病院向けに家電をリースしている企業へ転職を決めました。給料は少し安くなりますが、家賃を払うわけでもなし、払わねばならぬローンがあるわけでもなし、かつがつ生活ができて、貯金もできるだけの額であれば異存はありません)
 読了して興奮した脳ミソを鎮めるべく、昨夜彼女が飲み残したワインをちびちび飲んでいたら、メイドの肢体が脳裏に浮かんでしまいました。むろん、実際に見たわけでなく想像の肢体でしかありませんが、そこに昨夜から今日にかけての姿が重なり、なかなかベッドへ入る気分とはなれなくなりました。思っていた以上の存在感を、どうやら残しているようです。
 ──欠伸が連発して、出ました。時計の針は10時を回ったばかり。が、どうしようもなく眠気が襲い来たって抵抗するも空しい状態です。ぼんやりする頭で部屋へ戻った途端、携帯電話が鳴りました。慌てて取ると、誰あろう、かのメイドからのメールでありました。
 文面はシンプルに、「あした、店に寄ってね」とのみ。本来ならちょっと浮き足立つ場面でしょうけれど、却ってその素っ気なさに不安を覚えたのも、事実であります。要件がなんとなく思いつくから、尚更でした。□

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第3024日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」 〉5/9 [小説 人生は斯くの如し]

 座卓の上に握り合わせた両手を投げ、上体を屈めて彼女の顔を覗きこみながらわたくしは、重ねて、どうした? と訊ねました。「話せることだったら、聞かせてほしい」
 刹那、われらの目が至近距離で合いました。やはり、彼女の目はうっすらと濡れています。それが未遂で終わった欠伸とかそんな類のものでないことは間違いありません。こみあげてくる涙をどうにか抑えている、という風にしか、わたくしの眼には映りませんでした。
 「ウッド氏はさ、……」
 続く言葉は発せられませんでした。
 メイドはゆっくりと頭を振り、なんでもないよ、と小さな声でいいました。それはまるでわたくしにではなく、自分にいい聞かせているように聞こえます。ボックスティッシュを座卓の上に置くと彼女は無言で二枚、三枚と抜いて目を拭い、頬を拭き、鼻をかみました。
 そうして短い吐息をついた後、まわりを見回していた彼女の顔が、わたくしの肩越しに視線を向けて止まりました。その視線を追って、彼女の目がなにを捉えたのか察したとき、今度はわたくしが俯く番になったことを悟りました。
 メイドの視線の先にあるのはほぼ間違いなく、一個の写真立てです。壁際のサイドボードに置かれたそれに収まる写真とは、──
 「どなた? あの方が、その……?」
 そうだよ、と頷いて答えます。そちらに背を向けたまま、座卓に視線を落として、「あの女性が僕の婚約者だった人だよ」といいました。
 メイドも、わたくしにかつてそのような女性がいたことは知っています。が、大人の女性としての最低限の礼儀とデリカシーは持っていますから、写真見せてぇ、とか、どんな人だったのぉ、とか無神経な質問はしてきませんでした。当たり前のことではありますが、わたくしがメイドに好意を持っている理由の一つは、こうした他人への配慮がきちんとできる点にあったのです。
 見せていただいてもいい? と極めて自然な声で訊いてきます。わたくしも自然と、どうぞ、と答えることができました。
 彼女は立ちあがるとサイドボードまで歩いてゆき、写真立てのなかの婚約者を見つめています。わたくしはなにげなくそれを見ていたのですが、そのあとメイドが取った行動には正直、心を打たれるものがありましたね。写真立てに向かって目を瞑り、静かに合掌して、一分近くの間、祈りをささげていたのです。
 あざとさとかとはまるで無縁の、真に死者を悼む行為でありました。この光景を目の当たりにして、ああ、この人は人のつながりというものを本当に大事にして、生者死者の区別なく縁に結ばれた人たちを大切に想える心の持ち主なんだな、と感銘を受けたのは事実であります。おそらくこの一件なくして、<いま>これを書いているわたくしがいる未来の実現はけっしてあり得なかったことでしょう……。
 やがて静かに息を吐き、祈りを止めたメイドはこちらを向くと、深々と頭をさげて挨拶してきました。わたくしも姿勢を正して正座すると両腿に手を付き、頭をさげて返礼としました。「ありがとうございます」と言い添えて。
 メイドは元いた座卓のまえに戻ると、ちょっと仕事していい? とこちらを見ることなしにいいました。わたくしは勿論、と答えると立ちあがり、お湯がどれだけ張れたかを見に、風呂場へ足を向けました。すると間もなく規定容量までお湯が張れたことを知らせる女声のメッセージが流れました。
 リビングへ戻る途中で、彼女の寝床を用意していないことに気が付いたので、二階の客間のベッドを急いで整え、エアコンを付けて部屋を暖めると、廊下の本棚からジュンパ・ラヒリとウッドハウスの短編集を持ってきて、サイドテーブルに置いておきました。古き良き英国のマナーに従ったつもりです。そうしてこの行為とセレクトした作家に、わたくしは自分の気持ちをこめたつもりでおります。
 大の字になって寝転ぶメイドと階段の上で目が合いました。肩の下まで伸ばした黒髪が床へ扇形に広がり、顔がやけに紅潮しているのが、何メートルか離れている場所からでもわかります。なにげなく座卓の上に目をやるとそこにあったのは、鋭意取組中の原書の他に……一本の赤ワイン、そうしてグラス。──え?
 どうしたものか、と頭を振りながら寝転がる彼女のかたわらにしゃがむと、ふいに彼女が体を起こしてヘラヘラ笑いながら、ウッド氏ぃ、と首に手をまわしてしがみついてきました。嬉しい行動ですが、唐突にやられると却って不審です。それに問答無用で押し付けてくるものですから、いつまでこちらも自制を保てるか、まったく自信がありません。とりあえず、両肩に置いた手に力を入れて痛くしない程度に彼女を引き離し、ちゃんと坐らせました。
 「どこから持ってきたの……いや、答えなくていい。テンプレの質問しただけだから。答えを求めていない質問だから。でも、この短時間でどんだけ飲んだの──あーあ、こんなに。ボトルの半分もよく飲んだね。僕がここを離れてまだ十分ぐらいのものでしょ。まったくもう」
 ボトルとグラスとメイドを順番に見ながらそんな風にいうわたくしを、メイドは頭を左右に揺らせて見ているばかりです。かなり眠そうな顔をしています。もうこれまでだな。そうわたくしは思いました。Let’ call it a day.
 もう寝なさい、ベッドは用意してあるから。
 そういうとメイドは、あー、わたしのこと襲おうとしてるぅ、ウッド氏のエッチィ、と背中を仰け反らせて、こちらを指さして笑い転げています。
 こいつ、案外酒癖悪いな、しかもたったこれだけの量で……と、なにげなくキッチンの方へ視線を投げると、自分の認識が甘かった、否、甘すぎたことに気附かされました。そこには確かに、先程までは存在していなかった赤ワインの空瓶が一本、転がっていたのです。つまり、彼女はこの十数分でボトル一本半を開けていたわけで。
 ベッド? メイドは色素の薄い肌を染めながら上目遣いで、そう訊いてきました。「ベッドに行くの?」
 「ああ、そうだよ、この季節にいくら屋内だからってここで寝かせるわけにも行かないでしょう。風邪引かせたくないんだよ」
 「優しいー。じゃあ、連れてってー」そういいながらまたもや、今度は全身の体重を掛けて、メイドがしがみついてきました。「ねぇ、一緒に寝るの?」
 酔っ払いの言葉です。真に受ける必要はありません。そうでもしないと、本当にわたくしの理性は完全崩壊するでしょう。
 「連れてゆくだけ。ほら、おんぶ」
 「やだ」とメイド。「お姫様抱っこがいい、ウッド氏は鍛えているからできるはずだ。命令。ウッド氏、わたしをお姫様抱っこしてあの階段を登り、わたしのために用意してくれたベッドに連れてゆけ」
 わざとらしく大きな溜め息をついて、はいはい仰せのままに、とメイドをお姫様抱っこして二階へ上がり、ベッドに寝かせました。
 「僕の部屋は廊下の反対側だからね、なんかあったら呼んで。あと、トイレは下にしかないから。いい?」
 「うん、わかった」と答えるメイドの声が、さっきと違ってやけにはっきりしたものに聞こえます。が、短い返事ですから、その程度は呂律が回っていなくても普通にできるでしょう。
 メイドはサイドテーブルに置かれたラヒリの短編集をパラパラ目繰っていましたがそれはすぐに閉じて、ウッドハウスに手を伸ばしました。「ウッドハウス、面白いよねぇ。イギリスに留学してたとき、古本屋で買った『The Code of Woosters』がとっても面白くってさ。イギリス人の笑いには若干付いてゆけないところがあったけれど、そういうの抜きにしてでもお話としてとっても面白いんだよね。古本屋漁って、ずいぶん買い集めて読んだよ。いまでも家にあるけれどね。でも、ジーヴス物やエムズワース卿だけじゃなくて、ユークリッジまで日本語で読めるようになるとは思わなかったよ」
 ──熱い話を聞きました。ウッドハウスが日本語で多量に読めるようになる以前から好きで、原書を読み漁っていた、と公言する人と、わたくしは出会ったことがありません。それにしても、赤ワインをボトル一本半開けた直後の人の口から出たとは信じられぬ話の明瞭ぶりではありませんか。この子が素面の状態で改めて、ウッドハウス談義をしたいものです。
 じゃあお休み。そういって踵を返そうとしたとき、メイドがわたくしの腕を摑んで、自分の方へ振り向かせました。
 ねえ、聞いて。そうメイドはいいました。ベッドのかたわらに両膝ついて耳を傾けるわたくしを、とろんとした目でまっすぐ見つめながら、彼女の語りて曰く、──
 「私はさぁ、かなえたい夢があってずっと働いてきたのね。その夢も翻訳家の肩書きをもらってからはどこかに忘れてきちゃったようでぇ。ひっく。で、んーと、あれ、なんだっけ? 私、なに話そうとしていたのかなぁ、わかる? わかるわけ、ないか。ウッド氏だもんなぁ」
 ウッド氏だもんなぁ、とはどういう意味だ。そう、ふだんなら返しているところですが、今夜は彼女の話すべてに耳を傾けていたい気分です。ツッコミはやめておきました。
 だけどね、とメイドがいいました。「いまの私があなたに伝えたいことは一つだけなの。聞いてくれる?」
 ああ、とわたくしは頷きました。どんなことでも聞いてやる。腹を括りました。
 「ううん、やっぱりいいや。この関係が壊れちゃいそうだから」と、背中を向けてしまいました。「──忘れてね、今夜の私のこと」
 その台詞に一瞬、怯みました。「どういう……」というのがやっとでした。
 ずるいよ、ウッド氏。こんなに──、
 そこで言葉を切ると、彼女は寝息を立て始めました。嘘寝であるのがわかります。でも、これがいまの彼女の意思表示です。電気を消してドアを閉めて出ていってね。わたくしは彼女の望みに従いました。
 風呂には結局浸かりませんでしたが、いつ目を覚ましてはいる気になるかわかりません。ちょっと電気代が勿体ないですが、そのまま自動湯沸かし機能は点けておくことにします。わたくしはシャワーで済ませました。
 晩酌でもしようかな、と思いましたが、もはやそんな気分になっていないことに気附くと、それは見送って早々に部屋に引っこむことにしました。廊下の反対側のドアをしばし見やり、そこで眠るメイドを思いましたが、誰かと一つ屋根の下に一緒にいるだけで幸福を実感できることを思い出せてくれた彼女には、もう感謝の念しかありません。だからこそ、さっきの彼女の言葉ではありませんが、この関係を崩すような行動も発言も慎まなくてはならないのです。
 宮台のスティーヴン・キング『アウトサイダー』をベッドのなかで開きましたが、いつものように物語に入りこむことができません。生活を大きく揺るがすような体験を二つ、今日一日で体験したことが原因なのでしょうか。リストラの知らせと、メイドの来訪/泊まり。<プラスマイナス・ゼロ>──否、プラスがマイナスを上回った日でした。至福、という表現は大仰ですが、間違ってはいないでしょう。一つ屋根の下に誰かが一緒にいる幸せ。それを噛みしめながら、満ち足りた気分でわたくしは休みました。
 だのに、夜が明けて朝を迎えてわたくしの眼に映ったこの光景を、いったいどのように説明すればいいのでしょうか──。
 カーテンの隙間から太陽の日射しが部屋に細い光の帯を作っています。ベッドから降りてカーテンを開けると、寝ている間に降り積もった雪に朝の陽光が照り返していました。そのせいでかカーテンを全開にした室内は、ふだんよりだいぶ明るく感じられます。
 明日のことを思い煩うな、と、いわれます。が、一日はまだ始まったばかりです。いまは土曜日の午前7時前です。「明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタ6:34)。有名な福音書の一節を敷衍すれば要するに、いま眼前に広がるこの情景について一日たっぷり思い悩みなさいな、ということなのか?
 そうです、まったく記憶にないのです。意味がわかりません。
 なぜメイドがわたくしの寝床にいるのでしょう。なぜ彼女はすやすやと小さな寝息を立てて、薄手のキャミソールとショーツだけという斯くも無防備な姿を曝して、幸せそうな横顔を見せてぐっすり寝ているのでしょう。
 嗚呼、わたくしには、まったく記憶がないのです。□

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第3023日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」 〉4/9 [小説 人生は斯くの如し]

 帰宅してみるとメイドはポーチのいちばん奥、風をしのげる場所にうずくまっていました。わたくしがそばまで来ると、きっ、とこちらを睨むように見、色の薄くなった唇を横一文字に引き結んで、無言で抗議の色を表情に浮かべています。鍵の場所を教えたのにどうしてなかに入っていなかったの、と玄関を開けながら訊いても、彼女は答えようとしません。
 大急ぎで鍵を開けて、取るものも取り敢えず彼女にシャワーを浴びてくるよう促すと、わたくしはもともと作る予定でいたボルシチとビーフストロガノフの仕度に取り掛かりました。手間や時間が掛かりそう、と及び腰になる方もおられるようですが、作り馴れると案外短い時間で、然程の手間を掛けずに出来上がってしまうものです(世界のどこでも家庭料理ってそんなものだと思います)。もっとも、彼女がだいたいどれぐらいの時間でシャワーからあがりそうか、あらかじめ訊いていたから時間配分ができたことは否定できません。
 持参したTシャツとショートパンツに着換えた彼女が、お先にいただきましたぁ、といいながらスリッパを履いた脚をペタペタさせてこちらへやって来ます。食卓の上に乗った料理を見て歓声をあげてくれたことが、頗る嬉しかった。誰かのために、誰かを思って食事を作る喜びなど、もう何年も経験していませんでしたから……。バスタオルで髪をわしゃわしゃ拭いてひょい、とこちらを見やった彼女はすっぴんでした。当然初めて見るすっぴんですが、あまり普段と変わらないな、とぼんやり思ったことを覚えています。
 いただきます。どうぞ、お口に合えばいいけれど。
 「ロシアにいるときに覚えたの? 自炊しているのはもちろん知ってたけど、こんなに美味しいものが作れるなんて思わなかったよ。もっと簡単に済ませてると思ってた」
 「え、どんな風に?」
 「んー、まぁ、いいじゃん」
 「なんだ、それ」
 「でもね、なんか本場の味、って感じ。行ったことないから想像でしかいえないけれど、ロシアの家庭で日常的に作られているボルシチとかってこんな風にシンプルだけど、素朴な温かみがあるんだろうなぁ、って思うよ。ほんと、美味しいとしか言い様がない」
 お代わりでもしかねない勢いで口に運ばれてゆく料理を眺めていたら、ああ、もうすこし多めに作ればよかったかな、と思わざるを得ませんでした。別に餌付けするつもりはありませんが、こんな風に美味しく食べてくれるなら、幾らでも食べてほしいと思うのが作り手の本音ではないでしょうか。
 メイドとのこのやり取りが、わたくしの心に触れてこれまで抑えていた気持ちがむくり、と鎌首もたげさせたのは、いまにして思うとまったくふしぎなことではありませんでした。むしろ、自然な成り行きであったかな、と思うことであります。
 「ねえ、転職先が見附からなかったら、うちの喫茶店で働きなよ。給料はいまより安くなっちゃうけど、どうかな?」
 「ロシア料理専門のシェフとして? それだけで? 人件費に見合わないと思うんだけどな」
 「いや、結構本気でいってるんだけれどね。ウッド氏がいつもお店にいてくれたら嬉しいな?」
 え……。いまの台詞、どんなつもりでいったんだ? 気のせいではないと思います、心臓の鼓動が耳の内側ではっきりと聞こえたのは。
 口が開いては閉じ、を繰り返しているのがわかります。手が不自然な動きを始めたのもわかります。が、メイドはこちらの様子など気に掛ける様子もない風で、──
 「ウッド氏が来てくれたら、うちのメニューにロシア料理とカナダ料理のレパートリーが増える。それに加えて私が翻訳の仕事に集中できる時間が増える。Win-Winじゃん?」
 いや、Win-Winの使い方、間違ってるぞ、といいたかったのですが、その気も失せました。
 「じゃあ、そうなった暁には是非宜しくお願いします。雇用主様」
 ウィ・ムシュゥ、と頷いて、再びビーフストロガノフを食べ始めたその表情には、得も言われぬ幸福感が貼りついていました。どれだけ満足しているかは、彼女の表情がすべてを物語っています。この表情を至福とか法悦とか表現せずして、なんというのでしょうか。
 ふだんは見ぬ服装、ふだんは見ぬ化粧を落とした顔、普段は見ぬ下ろした黒髪、普段は見ぬ誰かとご飯を食べているときの満面の笑み。これらすべてを総合して、可愛いな、と改めて思わざるを得ませんでした。この子と結婚した人は、きっとどれだけ生活が窮乏していたり世間から理不尽な目に遭ったりしても、毎日を笑って過ごせるんだろうな。そう思うと途端に、まだ現れぬ(見ぬ?)彼女の結婚相手が羨ましくなり、同時に嫉妬と殺意を(わずかながら)覚えたのは致し方のないことだと思います。
 あのまま婚約者が生きていたら。家庭を持てていたら。でも、それはもうゆめ叶わない出来事です。どれだけ希求しても、どれだけお金を積んでも、死んだ人間を甦らせることはできないのです。技術云々ではなく、偏にそれは禁忌です。どれだけ才能と技術があっても、わたくしはフランケンシュタイン博士にはなれないのです。
 いつもここに亡き婚約者がいることをつい夢想しますが、いまぐらいそれが空しい行為であることを、目の前のメイドが証明しています。あまりに落差があり過ぎる。わたくしの心は淋しすぎる。どんどん内側にこもって闇のなかへ落ちこんでゆくわたくしを、メイドの台詞が引き戻してくれました。感謝。
 「いやぁ、食べた、食べた。ごちそうさま、ウッド氏。とっても美味しかった。ありがとう。また食べさせてね?」
 「いつでも」と答えた気持ちに偽りはありません。メイドと、あの喫茶店で、2人で同じご飯を食べる。きっとわたくしが望む日常とはこういうことなのだろうな、と今日程実感した日はありません。そうして、彼女をいつしか想うようになっていることも、この2時間弱の間に気附かされました。とはいえ、自分の恋心に自覚はあってもそれは、胸のうちに仕舞っておくべき感情であることもわかっているのです。
 けれどもメイドはといえば、こちらの気持ちを知ってか知らずか、昼間喫茶店で見せたと同じ小悪魔じみた笑みで、ウッド氏がうちに来たらどんなメニューを加えようかな、と算段しています。ロシアの家庭料理は大概のものは作れる、カナダのそれも子供の頃に祖母がよく作ってくれたモンティクリスト(モンテ・クリスト伯でもなければモンティ・パイソンでもない)やメープルマッシュルーム、スモークサーモン、ジビエ料理、シェパーズパイ、アップルクランブル、そんな辺りであればいまでも作れる、と伝えました。但し、材料の関係で日本風にアレンジしなくてはならない場合もあるでしょうが。
 「まぁ、それは仕方ないね」と彼女。
 「向こうと同じものを使おうと思ったら、仕入れも在庫管理も大変になるからね」
 彼女は腰をあげ、洗い物は任せて、といって空っぽになった2人分の食器を片附け始めました。ありがとう、じゃあお願いね、といいかけて、口をつぐんでしまいました。食器を運んでゆく彼女の横顔に、一瞬間とはいえ、似合わぬ影が射しているのを認めたからです。その影の理由については、あとでわかりました。たぶん、もうこの晩には決めていたのでしょう。でもそのときのわたくしには理由についてあれこれ考えを巡らすよりも、誰かと一緒にプライヴェートな食事をした、という数年ぶりに経験した喜びの方が、ずっと優っていたのです。まったく、非道い男です。
 蛇口から水の流れる音に負けじと、メイドが鼻歌を歌っています。それはザ・ロネッツの「Be My Baby」でした。Oh,since the day i saw you, I have been waiting for you, You know I will adore you ’til eternity. (ああ、あなたを見たあの日から、ずっとあなたを待っていたのよ。わかるでしょ、わたしはあなたをいつまでも好きだってこと) ──ああ、メイドよ、そんな歌をうたってわたくしを惑わせないで。あなたの声がわたくしにはサイレンの魔女の歌声に聞こえてならないよ。
 そんな風に悶々としているうち、いつしか鼻歌はやんでいました。水音も然り。洗い終えた食器を拭いてくれているのでしょう。「ねえ、ウッド氏?」
 「なんだい?」努めて声は平静を保ったつもりです。
 「さっきシャワー浴びさせてもらったんだけどさ、やっぱりお風呂に入りたい。いいかな?」
 段々理性が崩壊してゆくのを感じます。でも、まだ理性は死んだわけではありません。「お、おう。じゃあお湯、張ってくるね」
 「うん、お願い。ごめんね、わがままいって」
 ──風呂場に行くと換気がされていませんでした。まだ湯気がこもり、彼女の甘ったるい残り香が鼻孔をつきました。お前はいったいなにを考えているんだ、なにを望んでいるんだ、お前が求めるものはなに一つ手に入らないとわかっているだろう。そんな風に自分に言い聞かせて、湯沸かし器のスイッチを入れました。
 戻るとメイドはリビングの座卓に原書を広げて(彼女がライフワークにしている、20世紀中葉から後半に掛けて活躍したアメリカの作家、オーガスト・ダーレスが数多書いた郷土小説の1冊だそうです。タイトルは『Return to Walden West』だったと記憶します)、終わりの方のページに目を落としていました。でも、読んでいるのでない、というのはすぐにわかりました。そう、ただ目を落としていただけなのです。
 なんだか落ちこんでいるような、悩みを抱えているような、そんな雰囲気です。食事中の彼女とは打って変わった様子が、妙に心に引っかかりました。
 わたくしは座卓の反対側に腰をおろして、そっと訊ねました。「なにがあったの?」
 しばし無言、やがて彼女が小さく顔をあげました。垂れた前髪から透けて見える瞳が濡れているように見えました。気のせいかな、と思いましたが、後日になってそれが気のせいでないとわかったときは、もう手遅れだったのです。□

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第3022日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」 〉3/9 [小説 人生は斯くの如し]

 その日、会社に戻ると、リストラされていました。正確にいうならば、例のSDF社──北朝鮮の核開発に一役買っているらしいって噂だよ、とあのあとメイドがいっていました──がわが社を吸収合併することとなり、従業員770名余のうち、8割近くの社員が解雇されることとなったのです。そのリストに自分の名前を見出すのは容易でした。3ヶ月の猶予を与えられていたのは、他の会社にくらべれば寛大な処置であったのかもしれません。
 その日の午後の社内は誰も彼もが皆顔寄せ合う度毎に吸収合併の話で盛りあがっていたようであります。正直なところ、わたくしもその話に混ざって皆の意見など聞いてみたかったのですが、管理職に果たして誰が胸襟を開いて、いや実は……など述べたりするでしょう。もっとも、夕方になろうという頃から管理者会議に参加しなくてはならないため、そんな時間を割くこともできなかったのですが。
 珍しく会議が短い時間で終わり(当たり前です、決定したことについて唯々諾々と従うより他ない経営状態だったようですから)、定時で退勤できる部下はすべて帰して自分も残業を1時間ばかりしたあと、ロビーで憂さ晴らしを兼ねて商店街の居酒屋へ行くという連中と出喰わし、誘いを断り、街灯がぽつん、ぽつん、とあるばかりの上り坂(いちおう、バス道路)を歩いていました。
 ときどき脇を通ってゆく車に注意しながら、わたくしは行く末について結論のなかなか出ない考え事をしていました。こんなとき、独り身であること、家のローンが完済済みであることは、強いなぁ、と実感します。税金や光熱費等々を支払うだけのお金も、貯金とは別に用意してある。けれど、働かなくてはならない。どれだけ稼いでも出てゆくものは出てゆくのです。否応なし。でも、それが現実。Huey Lewis&The Newsではありませんが、”Simple as That”なのです。ふと、メイドの顔が脳裏を過ぎりましたが、そのときはまだ彼女が自分の人生に如何程の存在になっているか、しかと認識することはできていませんでした。
 そのとき、ウッドさん、と後ろから声をかけられました。足を停めて振り返ると、管理部の石田さんが息を弾ませて小走りに駆け寄ってきます。彼も、リストラ対象として挙げられた人物でした。
 「行かなかったんですね、ウッドさんらしい」
 「誘われたんですけれどね。石田さんはてっきり……」
 そこまで飲んべえじゃありませんよ、と苦笑いしながら、石田さんは頭を振りました。そうしてからやっと、そういえば一昨年の秋に入院したんだよな、と思い出して、すみません、と謝りました。
 「いや、いいんですよ。でも、急でしたね。まったく噂もなかったのに」
 「事前にそれらしい気配があるものなんでしょうけれど……」わたくしはそういって、まだ半分ほどある坂道を見あげました。人生常に急な坂道の繰り返し、上りもあれば下りもある、と歌っている演歌があったように思います。「リストラなんて初めてだから、どうにも実感が湧かないですね」
 いや、たいていの人が初めてだと思いますよ、という石田さんのツッコミは、かたわらを行くトラックのエンジン音で掻き消されてしまいました。まぁ、返す言葉も思いつかないので、苦笑することで返事に代えました。
 「ウッドさんは独身ですよね、まだ?」と石田さん。「あれ、ご結婚されてましたっけ?」
 わたくしの過去については既に申しあげたとおりです。改めてそれを説明すると、ああ、そんなことがあったんですか。石田さんはぽつり、と呟いて、頷きました。「すみません、知らなかったこととはいえ。じゃあ、私がこの会社に来たのは、その直後だったんですね」
 そうかもしれません。
 「石田さんはご結婚されていますよね。確か、息子さんが夏休みに倉庫のアルバイトに来られていた?」
 「そうです。あれも来年、大学を卒業ですよ」
 「お一人ですか?」
 「ええ、そうなんです」と石田さんがか細い声でいいました。「女房がね、息子を産んだあとはもう駄目な体になってしまって」
 でも、石田さんの御子息からは育ちの良さが感じられました。一昨年の夏に倉庫の棚卸しでご一緒したことがありますけれど、そのときのハキハキした様子、キビキビした行動、物事の理解力の早さに感心する一方で、まぶしささえ覚えたものです。きっと石田さんと奥様がきちんと育てたのだろうな。それを伝えたときの石田さんのはにかんだ表情が、あれから何年も経ったいまでも思い出されます。
 そうこうするうちにようやく、坂を登り切った場所にあるバス停へ着きました。どうしてバス会社は乗降客の多いこの坂の下にもバス停を設置してくれなかったのだろう。就職してから今日まで何百回となく抱いた疑問が、またむくり、と湧きあがってきました。
 さて、石田さんはここからバス、わたくしはまだもうちょっと歩きです。バスを待っているのは、石田さんを含めて3人だけ。時刻表を見ると、到着予定時刻はもう過ぎている。それをいうと彼は笑って、そんなのしょっちゅうですよ、たいてい3,4分遅れてくるんです、と教えてくれました。
 ほら、見てごらんなさい。
 石田さんが指さした方、つまりわたくしが歩いていく方向を見ると、宵闇のなかからバスがのっそりと姿を現しました。大寒を過ぎたばかりの街の闇に浮かぶ車内からもれる灯りは、どういうわけだか、子供の頃に祖国の祖母に見せてもらった浮世絵に描かれた狐の嫁入りを思い出させました。さすがにそんなこと、石田さんには──というより、相手が誰であっても話すのは憚られました。というのも、この街が他ならぬ狐の嫁入り伝承の色濃く残る土地だからです。
 「今度、一杯やりましょう。約束ですよ?」と石田さんが、バス待ちの行列が動き始めたときにいってきました。
 勿論、お誘いに乗りました。「約束を守るのが営業の唯一の美点です」
 笑いあって、別れました。その場を去るのがなんだか名残惜しくて、わたくしは石田さんが乗ったバスの去ってゆくのを、視界から消えるまでずっと見送っていました。寒さに頬や耳が冷たくなり、髪の毛が固くなってくるまで、厚着しているにもかかわらず全身がひんやりしてくるまで、その場に立ち呆けていました。
 携帯電話がどれだけの時間、鳴っていたのかわかりません。かじかむ手でコートの内ポケットから苦労して出すと、液晶画面にはメイドの名前と(勝手に自撮りされた)写真が表示されていました。昨夜のメールで明日の晩、つまり今夜泊めてほしい、とおねだりされていたのをすっかり忘れていました。さっき、喫茶店を出るときに念押しされていたにもかかわらず、です。断っておきますが、色恋が絡む話ではありません(少なくともこのときは、そう信じて疑いませんでした)。
 しまった。舌打ちついでに口のなかでそう呟くと、通話ボタンを押して受話口を耳にあてました。メイドの声は、震えていました。どうやらポーチの階段に坐りこんで長い時間が経っているようです。玄関周りは風に当たらないように設計されているとはいえ相応の時間、外にいればこの季節なら震えて当然。どうして鍵の在処を教えておかなかったのか、と自省しました。……いますぐ帰ります。鍵の場所を教えるから、入っていてください。「あと、暖房つけておいて──」
 「当たり前でしょ!」
 すこぶる怒り気味な調子でメイド。電話はがちゃり、と切られました。明日、鍵の隠し場所を変えよう。そんなことを考えながら、帰途を急ぎました。
 雲が重く垂れこめ、いまにも雪が降り出しそうな空でした。□

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第3021日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」 〉2/9 [小説 人生は斯くの如し]

 「あれ、ウッド氏だ」
 いつもの衣装を纏ったメイドがカウンター席から顔をあげて、こちらへ視線を向けました。意外なものを見たという風な言い方です。よっ、と席から立つと、ぶふふ、といまにも笑い出したいのをこらえられない様子で近づいてきました。ご丁寧に目尻まで下げています。「なに、サボリ?」
 サボリじゃないってば。そういって、いつものテーブルに座を占めました。「商談が終わってね、会社へ戻る途中の息抜きですよ。──コーヒーをくださいな」
 「<晴れの日ブレンド>でいいよね? ちょっと待っててね。……あ、水、自分でお願い」
 うん、と返事して腰をあげると、さっきまで彼女が坐っていたカウンター席に広げられたハードカヴァーの洋書と辞書、レポート用紙とシャープペンがあるのに気が付きました。「邪魔したかな?」
 気にしないで、と彼女。「ちょっと急ぎでレジュメの依頼を受けたからさ。喫茶店の仕事の合間にやってるの」
 本業はどっち? といまさら訊くまでもない質問を投げると、「翻訳に決まってるじゃん」と予想通りの答えが、ほんわかした口調とふにゃりとした笑顔で返ってきました。
 ああ、やっぱりこれなんだな、と思いました。このやわらかい雰囲気と春の陽光を感じさせるあたたかさに惹かれて、わたくしはここに通い詰めること多々なのであろう、と改めて実感したのです。商店街の店主たちがランチ時でもないのに、そうしてけっして暇なわけでもないのに集まってきて数十分を過ごしてゆくのも、同じような理由からなのだと思います。
 一部に熱狂的なファンを持つ音楽評論家の故能生芳巧がこの町を偶さか訪れた際、この店に寄って彼女の煎れたブレンド・コーヒーとダブルレッグカレーを絶讃し、帰京して後はレコード雑誌のエッセイで彼女に触れて「店主(兼メイド?)のやわらかな口調と心蕩けさせられる笑顔が、この喫茶店が今日まで営業できた秘密といえよう」と曰うた。以来県外からもお客が来るようになったが、もともとそれより前からwebではちょっとした有名店だったようで、喫茶店マニアが作るHPで紹介されている程なのです。でもなぜか雑誌の取材は、彼女、頑として断り続けています。まぁ、わたくし共のような地元の常連にはありがたい限りです。
 「ハイ、お待たせ」
 彼女お気に入りの香蘭社のカップに淹れられたコーヒーが置かれました。湯気が立ちのぼり、鼻腔をかぐわしい香りがくすぐります。「心して、ありがたく飲み給えよ」
 いつものままです、何も彼もが。このままなに一つ変わることなく、永遠にいまと同じ時間が流れ続ければいいのに。そう思いながら、反対側の椅子に坐りこんだ彼女を見て、口許が弛みました。「頂戴いたします」
 「どうぞ。でもさ、見附かっちゃ駄目だよ、ウッド氏。ただでさえあんたの会社、傾いてるんだからね」袖のカフスをいじくりながら上目遣いで、彼女はそういいました。「クビになっちゃうぞ?」
 彼女がうちの会社の内情に通じているのはなぜなのか、という点は不問に処すとして(リーク先は誰か?)、まったくこの子は……どうしてこうまでわたくしの進退を気に掛けてくれるのか。前にも何度か同じようなことがありました。いつであったか、どうしてそんなに気に掛けてくれるの? あなたの心の真ん中に僕がいるのかい? と冗談で訊いたら、途轍もなくこちらを蔑むような眼差しを投げながら、ウッド氏がいなくなったらその分うちの売り上げが減るんだよね、と言われました(確かそのときは同僚も一緒で、ビールを数杯呷ったあとであった、と記憶します)。
 でも、うれしいのです。ありがたくて、涙が出そうなのです。笑われてもいい、敢えて言いますが、<純真>とか<天真爛漫>という言葉は、いま目の前にいるメイド服姿の喫茶店の若きオーナーのためにあるに違いありません。
 しばらく無言の時間が続きました。こんな無言の時間さえなんだか当たり前の風景に思えてきて、とても心地よいものです。彼女も、わたくし以外に客はいないのだから翻訳の仕事に戻ってもいいのに、そうしようとしないのは、彼女なりの気遣いであったのかもしれません。
 やがて、彼女が、チラッ、とこちらを見ました。刹那の後、あ、という小さな声がしたかと思うと、口がOの字の形になり、こちらを見据えるのです。
 「ウッド氏、ちょっとそのままでいてね……」
 彼女はテーブルの上に乗り出して、両の眼を細めてこちらへ顔を近づけてきます。唇に塗られたラメ入りの口紅が妖しく艶を放ち、色素の薄い肌が薄桃色に染まっていました。そうなると気のせいか、眼も潤んでいるように映ります。一瞬、亡き婚約者の顔が浮かびましたが、形のない圧倒的な衝動の前に雲散霧消してしまいした……む、むろん、想いが消えたわけではありません、が……なのですが……。
 彼女の両手が、すっ、とこちらへ、頸元へ伸ばされました。しゅるしゅる、なにやら覚えのある感触が喉元でします。やがて、溜め息混じりに彼女がいいました。
 「相変わらずネクタイの結び方が雑ですなぁ。これでよく営業部長が務まってるね」
 「寛大なのさ」と短く答えたのは、彼女の行動からやましいことを脳裏に思い浮かべたからです。ごめんなさい。
 「早いとこ、ネクタイ結んでくれる女性を探しなさいよ?」
 そんな人、いません。わたくしは頭を振るだけで返事としました。
 お礼をいって、あとはしばらくテーブルの木目から目を上げられませんでした。おわかりいただけるでしょうか、この居たたまれなさを? 
 どれぐらいの時間が経ったのか、好い加減会社に戻らないとな、と思い至ってカップをソーサーの上に戻したときです。彼女が、そうだ、と、左掌を拳にした右手で打ちました。
 「ねえ、ウッド氏。ウッド氏の会社ってさ、半導体メーカーのSDFって会社と取引、あるよね?」
 わたくしは頷きました。もちろん、知っています。知っていますが、同時にどうしてうちの会社の取引先を知っているんだ……と、疑問が湧きましたが、それはすぐに解決しました。『会社四季報』を見れば一目瞭然です。
 それはともかく、SDF社はいちばん大切な取引先です。もっとはっきりいえば、SDF社空取引が中止されたら本当の意味で、うちの会社は経営不振に陥るに相違ありません。それに、今日ここへ寄る前に商談で赴いていた会社というのが、まさしくこのSDF社だったのです。
 でも、なぜ彼女がSDF社のことを訊くのでしょう? 
 問い質すと、うんうんもっともな質問だねぇワトスンくん、とパイプをくゆらす仕種をして、しばしホームズを気取ってから彼女はぐっと、わたくしへ顔を近づけました。不覚にも、またドキリ、としました。
 「あの会社ね、裏でとんでもなく物騒なことやっているらしいよ」□

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第3020日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」 〉1/9 [小説 人生は斯くの如し]

 除隊してから流れ流れてこの北陸の地に根を下ろして、もう15年になります。
 いまは、と或る電器部品のメーカーで営業部長です。偉そうな肩書きですが、そんなのはただのレッテルに過ぎません。仕事の軋轢や楽しみなんて、肩書きに関係なく身に降りかかる出来事なのですから。
 給料はそこそこの額をもらっています。散在する理由も趣味もないので貯金していたら、いつのまにか独りで住むにはちょっと広くも感じるコテージの頭金ぐらいにはなり、残りのローンは先々月に完済しました。しかし、15年前と同じようにわびしい毎日を送っております。
 トイレで社長の恋人(男)と隣になったとき、図らずも相手の口から会社の経営状態が良くないことを知らされました。曰く、次の仕事を探し始めていた方がいいかもしれない、いつ他の会社に売却されたりしても可笑しくないから、だってうちはこの手の会社じゃ国内トップレヴェルだからね、狙っている会社はごまんとあるよ、と。
 そんなわたくしの楽しみといえば、仕事帰りに馴染みのパブでギネスを2パイント、フィッシュ・アンド・チップスかミートパイを腹に入れることと、5年程前にオープンした商店街の喫茶店に立ち寄って、なぜかいつも(正統派の)メイド服を着ているオーナーとしゃべること(勿論飲食も)、でしょうか。あとは、そうですね、主に人文学系の本を読むことぐらいですが、そちらはちかごろご無沙汰で、何年か周期で巡ってくるロシア文学熱に、いまは浮かされています。
 恋人で婚約者だった女性とはロシアで出会い、彼女の曾祖父が一部のロシア文学史に名前を残す方であるとを教えられたことから、段々とこの摩訶不思議な文学の世界に囚われていったのです。その彼女は、もうこの世にいません。
 2度目の告白でようやくOKをもらいました。わたくしが日本に戻って除隊手続きを済ませたあと、彼女も帰国して式を挙げる予定でした。が、帰りの飛行機のトラブルで亡き人となりました。その直前に届いた手紙には、喜びと希望に満ちあふれたわれらの未来展望が、端正な筆跡で綴られていました。訃報と新聞記事と一緒にその手紙は筐底奥深くに仕舞ってあります。
 わたくしのラキシス、わたくしのアルウェン、わたくしのイゾルデ、あなたはいま、そちらでなにをしているんだい?
 ときどき、会社の帰りなどにふっと、星が瞬くこの田舎町の夜空を見あげます。あれ以後誰かに好意こそ持っても愛に変化することはなく、これから誰かと一緒になる未来は想像できませんでした。これからもそうなのでしょう。彼女を心のなかから消すことのできる人が果たして、自分の前に現れることなどあるのだろうか。いつまで自分はこの地にいられるのか、いつまでいまの会社で働くことができるのか、これからの自分の未来がしかと見通せぬことに苛立ちを覚えます。
 「この空しい人生の日々に/わたしはすべてを見極めた。/善人がその善ゆえに滅びることもあり/悪人がその悪ゆえに長らえることもある。/善人すぎるな、賢すぎるな/どうして滅びてよかろう。/悪事をすごすな、愚かすぎるな/どうして時も来ないのに死んでよかろう。」(コヘレトの言葉7:15-17)
 ──コテージのポーチに置いたロッキングチェアに体をあずけて、ぼんやりとエールを飲みながらクラッカーを食べていたら、丸テーブルの上のスマートフォンがブルブル震えて、メールの到着を知らせました。その相手というのは……。□

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第3019日目 〈GW中の本ブログについて。〉 [日々の思い・独り言]

 GWは身内の葬儀と自分の手術で全日が潰れてしまいます。その間、新しくブログ原稿を書き続けてゆくことは至難であると判断しましたので、継続策として、10年前に本ブログで見切り発車的に連載した小説を、再掲載することに決定致しました。
 この決定に基づき今回は発表当初のままの再掲載とさせていただきます。朱筆で元の字が読み取れないぐらいになった改稿中の原稿も手許にはございますが、如何せん最後まで作業が完了しておりません。こちらのお披露目にはまだ数年を要すことでしょう。
 明日(第3020日目)から上述の小説を公開する理由を併せて、お伝えさせていただきます。

 なお、かつて知己の人々との、酒席という名の懇談のなかで話題に上った安倍前首相による戦後70年の談話、所謂安倍談話についての所感を述べたエッセイが、此度必要あって徹底サルヴェージしたHDD3台のなかから発見できました。今後検証・検討の上、可であれば本ブログで公にさせていただきます。
 結論だけ先に申し述べますと、安倍談話はなんら非難批判されるものではない、と断言致します。◆

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第3018日目 〈大きな悲しみに打ちひしがれたとき、〉 [日々の思い・独り言]

 大きな悲しみに打ちのめされたからとて、呆然とすることも泣き明かすわけにも潰れるわけにもいかない立場である。
 目の前の不幸に涙を流す暇もないまま、近隣の知己と縁ある方々(団体)に連絡を入れ、その後の手筈を整える。幸いにして20年以上にわたって続いた<お家騒動>は一昨年に決着させて安堵してもらえたし、わたくし自身の進退も向こう25年の見通しが付いて安心させることが出来た。
 が、ふとした拍子に心の隙間から<空虚>が土足で入りこんでくる。剣持て退けんとしてもそんな状態だから初動が遅れ、それの侵入を許してしまう。土足で上がりこんできた<空虚>はそのままあぐらを掻いてどっかり腰をおろし、なにを語ることもないままこちらに流し目をくれている。
 手伝いに来てくれた人が昼間、壁の一点をぼぉっ、と見ているわたくしの姿に震えあがり、それでも隣にずっといて手を握ってくれていたことに感謝。その人が来るまで、自分がそんな状態でいたことも知らなかったし、どれだけの時間そうしていたのかもわからない。
 ただ、その人の体温を左肩に感じたとき、ああ本読みてぇな、小説じゃなくて教養書やノンフィクションや伝記を読みてぇなぁ、と切実に思うたのである。人でなし? なんとでもいえ、自分の物差しでしか他人を測れぬ愚かなる子供らよ、己が蒙昧を知れ。
 どんな言葉を掛けられたか覚えていないが、こちらが対応せねばならぬ用事は一旦終わっていたので甘えて万事を一任、部屋にこもって心の上に覆いかぶさる悲しみと虚しさから逃れるためだけに、歴史の本と人物録を読んで午後を過ごした。今夜は悠希、あなたが泊まってくれて助かる。
 読んだ本は例によって渡部昇一『日本史から見た日本人 昭和編』(祥伝社 1989/05)と石橋文登『安倍晋三秘録 「一強」は続く』(飛鳥新社 2020/11)、谷口智彦『誰も書かなかった安倍晋三』(飛鳥新社/文庫版 2020/11)の3冊。時間があれば伊勢佐木モールのブックオフで買った中曽根康弘『自省録』(新潮文庫 2017/05)も読みたいが……さすがに無理か。最近は政治家の伝記/論書や地政学に興味があるんだよね(ここに後者は入ってないけれど)。
 大きな悲しみに打ちひしがれたときは、過去の事実を綴った本がいちばんの慰み。対象がどれだけ功罪相半ばする人物であろうと、怨嗟を抜きで語られた本ならどれだけメンタルがやられていてもそこに描かれた人々の決断と言葉が救いになる。
 趣味・(ガチの)読書、で良かった。◆

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第3017日目 〈タイムリミットまであと30分。〉 [日々の思い・独り言]

 それは魔の時間なのである。刻限が定められたがゆえの、魔の時間。大概この時間帯に良くない連絡が集中する。過日も然り、以来この時間帯になると怯え、神経質にスマホのチェックに勤しんでしまう。……勤しむ、って言葉の使い方、間違っているけれど気にすんな。
 よろしからざる連絡の話はともかく、いまの時間帯はもう1つの意味で<魔>なのである。コーヒーを頼んで席に座り、本を読んでMacを開き、一気呵成にブログ原稿を書きあげる。この間、平均1時間10分。本を読んでいるときはともかく、Macを開いたあとの集中力は凄いんですよ、わし(第三者による証言あり。タイピングの音がうるさいと怒鳴られたこともあり)。
 だってねぇ……いまここですべてを終わらせないと、安心して飲みに行けないじゃないか。それが愉しみでなかば生きているようなものなのに。原稿書きあげたあとの足取りはあたかも『マイ・フェア・レディ』のフレッドの如し、心のなかで歌うも勿論「君住む街で」。時に《こうもり》第3幕から<シャンパンの歌>だったりするけれど。要するに、足取り軽く、美酒美食に招かれ雨のなかでも歩いてゆくのです。これぐらいの愉しみがなくては……とは、チトくどいか。
 こんな戯れ言が頭に浮かび、それをほぼ同時にキーボード叩いてワープロ・ソフトに文字化してゆく。本気になったら相当なタイピング・スピードだが、如何せん能力の持って行く先が根本的に間違っているものだから、データ入力は大っ嫌いだ。なにが楽しいのか、なにが喜びなのか、どこに法悦があるのか……会社の仕事ならともかく、やらずに済むならやらずに済ませたい。
 ──タイムリミットまであと30分を切った。この原稿の行き着く先、着地点はさっぱり見えてこない。書いて書いて書きまくれ、叩いて叩いて叩きまくれ、Macのキーボードが音をあげるまで、書け、そうして、叩け。
 そういえばむかしむかし、3.11の年であったかその前年か。いまと同じスタバで旧約聖書の読書ブログ書いていたときも、同じような状況だったなぁ。あのときは21時終業の仕事だったから、そのあとビルを出て信号渡りここに来て、お代わりしたコーヒー飲みながら聖書を読んでノートを認めた(当時はノートPCを持ち歩くことがなかったから、このあと帰宅してWindowsPCで一太郎使って清書、予約投稿していたんですよね。懐かしい)。これで約1時間10分程度である。
 殆ど現在と変わりませんね。ただ、いまの方が勿論シビアであります。追われている、という感覚は当時よりも現在の方がはるかに優る。あの頃はあくまで自分のなかでのタイムリミット、ここで書けなければ他の店に移って書けばよい、とまで思っていましたからね。
 が、いまはまったく事情が違う。然り、COVID-19であります。退勤から閉店までの約1時間20分で、原稿については結果を出さなくてはならない。仕事ある日にブログに関して自宅や友人宅、或いは20年近く通うクラブで行える作業は、精々がわずかな推敲と投稿ぐらいのものだ。
 ところでわたくしがいま自分に(リアルタイムで)いいたいことがある、原稿書くのにタイムリミットがあるんですよ、この時間は<魔>の時間なのですよ、なんて焦っているかたわら余裕ぶっこいてLINEしているんじゃねぇよ、と。まるでちぐはぐだ。正反対の行動を取るのはあなた、禁忌ですよ。
 ──と、ここまで書いていちおう決着は付いた様子である。脳ミソが、ぶしゅっ、と音を立てて活動停止要求をしてきた。従おう。もうここまでだ。Let’ call it a day.◆

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