第3664日目 〈〝アフター・脳梗塞〟から〝ウィズ・脳梗塞〟へ──入院生活最終日の朝。〉 [日々の思い・独り言]

 2023年07月13日(木)06時39分。天候は曇り、いちおう空は明るい。鉛色ではないけれど、すっきりしない空の色だ。雨の降る兆しは認められないが、宵刻の頃に小雨という予報である。
 この天気は今週末まで続く様子。九州北部と中国地方西部にかかっていた線状降水帯はゆっくりと東に移動して、いまは北陸と東北の日本海側地方にかの大雨を降らせているという。太平洋側から日本海側へ一直線に突き抜けるようにして伸びている雨雲もあって、それは静岡から長野、群馬を経て新潟のあたりまで広がっている。こちらは梅雨前線だろうか。
 そうして本稿を書いているいまは──入院生活最終日の朝である。12日間をこの病院で過ごした。あと7時間程で退院となり、住み馴れたこの病室とも永遠にお別れとなる。
 入院翌日の朝、「第3657日目 〈脳梗塞の疑い有りで入院したわたくし。〉」を書いた。これは気持を落ち着かせるためにのみ書かれた一種の気晴らし──執筆療法とでも云うべき代物である。そのとき自分のなかに見出して確信したのは、「書くこと」は過去の出来事を冷静に順番に能う限り精彩に思い出すための手段であり、なにより最良最善の精神安定剤だった。
 これまでも様々な場面に於いて「書くこと」で過去の自分の言動を見直し、反省し分析する手段として用いたことはあった。直近で例をあげれば母の死と己の白血病に関する事柄が挙げられる。今回の入院中に書いた文章幾つかも変わるところはないが、リアルタイムで書かれている点が大きく異なる部分だ。
 白血病は既に一年以上の療養を経ているせいもあって、書いていて心乱すようなことはまるでなかった。むしろ改めて自分が患っている病気がどのような類のもので、発症起因等について調べて納得する点が多くあった。その理解に最も役立ったのは、一年以上にわたる治療生活を通して交わした担当医との会話や診察の都度渡されていた血液分析表である。具体的な数値の変化に関しては、この分析表なくして書くことのできない箇所だ。全3回のうちいちばん実の詰まっているのは、慢性リンパ性白血病についていろいろ調べて書いた第3回目となるのだろうが、医療機関のサイトや医学書、看護書籍を参考にして書いたが、経験が蓄積されていることもあって比較的書きあげるのに時間はかからなかった、と記憶している……。
 母の死にまつわる文章も入院中の文章同様リアルタイムの執筆と云えばその通りだが、ニュアンスはちょっと違うように思う。母の死の場合はゆっくりと現実を受け入れてゆく過程を綴ったものであり、入院中のそれは不安と恐怖と怠惰をどうにか抑えこむための手段という意識が強かったことが、違いと感じる要因かもしれない。そう自分では分析している。
 グリーフケア──〈喪のプロセス〉を取り挙げた本を偶然買っていて、それをたまたま読み出したことで心もそう乱れることなく、ひたすら自分の内面を見つめ、故人への想いを大切にしながら徐々に己を赦し癒やす過程を綴った文章が、2月から4月くらいまで断続的に執筆して、慰めていた思い出がある。これも入院中の文章同様リアルタイムの執筆と云えばその通りだが、ニュアンスはちょっと違うように思う。母の死の場合はゆっくりと現実を受け入れてゆく過程を綴ったものであり、入院中のそれは不安と恐怖と怠惰をどうにか抑えこむための手段という意識が強かったことが、違いと感じる要因かもしれない。そう自分では分析している。
 わたくしの場合検査とリハビリが午前中に集中して午後は消灯時間まで手持ち無沙汰だったことも手伝って、大抵は本を読んで過ごし、時にMacBookAirを立ちあげて、第3657日目以後の文章を綴った。
 入院期間の後半は、症状も軽い状態で済んでおり、介助なしで日常生活を営めるレヴェルであることから早期の退院を予告されていたこともあり、不安は付きまとっていたと雖も恐怖は薄らぎ、怠惰を克服するためにひたすら読書に耽ったわけだが、やはり最初の数日は不安と恐怖の方がずっと優っており、怠惰なんて感じもしなかったというのが正直なところである。それを抑えこむために、わたくしはひたすら文章を綴った。それも想像力を羽ばたかせるような無責任かつ現実逃避のそれではなく、いま自分が置かれた状況を観察する、思索(んん〜っ?)も交えた一種のレポートを。
 結果としてそれが良かった……功を奏したのだろう、わたくしの心からは徐々に、名前だけ知って実態は未知の病気への恐れはなくなり、それを受け容れて今後いかに共生してゆくか、を考えることに気持を切り換えられたのだから。〝アフター・脳梗塞〟ではなく〝ウィズ・脳梗塞〟、というわけだ。どっかで聞いたような文言だけれど、気にすんな。
 それでも今回緊急搬送されて斯く病名を診断されたことで、退院したあとまでも不安と恐怖がわたくしの心のなかから調伏される日は、けっして来ないだろう。ミスタイピングが目立ち、言葉がすぐに出て来ないときがある。出て来ない言葉は大概が名詞だ。幸いなことに本を読んでいても意味を汲み取ることに支障はなく(たぶん)、その出て来ない名詞も少し経てば思い出されるから気に病むことはないのかもしれない。リハビリを担当してくださった作業療法士の男性が仰ったように、病気に罹ったと云うことで自分の意識にバイアスを掛けてしまっているだけということもあり得よう。ただ述べたような症状が現実に存在する以上、いまから社会復帰への道程は思うた以上に困難で、これまでと同じ日常生活を営むのは簡単ではあるまい、と覚悟している。
 あらゆる苦難を克服して歓喜に至る、とは、高気圧酸素治療の最中ずっとカプセルで聴いていたベートーヴェンの第九交響曲の理念だ。これは今後の自分が生涯をかけて肝に銘じて忘れず過ごし、窮極の目標として心のなかに描き続ける己が理念となるのだろう。道は険しく、目的地は遠い。が、歩き続けるのを諦めなければ、〝ウィズ・脳梗塞〟の人生もいつか楽しいものにできるに違いない。◆


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