第3671日目 〈読書ノート、4冊目が終わり5冊目へ。〉 [日々の思い・独り言]

 たぶん4冊目の読書ノートが終わった。読了した本の感想や粗筋をそのたびに書いているわけではないでもなく、「これは……!」と思うたり必要ありと判断した本の抜き書きと自分のコメントを記しているだけだから、読書ノート、というてよいのか迷うのだが、それはともかく、たぶん4冊目のノートが昨日終わった。
 片柳弘史『何を信じて生きるのか』に始まって萩原朔太郎『恋愛名歌集』を経、六法から日本国憲法と芦辺信喜『憲法 第六版』から9条と96条に絞って抜き書き、或いは自分でまとめたところで、ノートは終わった。自2023年1月 日至同年8月10日。
 たった4冊? 一冊からの抜き書き量ってどれくらいなの? 疑問はご尤もだ。過去の3冊では平均して10冊程度の書名が簡易的な目次に列挙され、それぞれ数ページの抜き書きとコメントが記されているのに比較したら、4冊目のノートがわずか4冊の本で終わっているのは疑問でしかあるまい。
 タネ明かしをすれば、『恋愛名歌集』は抜き書きに非ず、読んでの感想と意見也。即ち過日本ブログで分載した感想文だかエッセイだか付かぬ代物の基になった文章が、4冊目の読書ノートの過半を占めているわけである。そのあとに、朔太郎が八代集から選歌したうちわたくしのお気に入り歌であるのを示す斜線を引いた一首一首を、専ら岩波書店の新日本古典文学大系に収まる八代集を底本にして書き写したページが続く。
 『恋愛名歌集』がノートに占める割合は、5割、というところだろう。それが原因で芦辺『憲法 第六版』96条についてのまとめや抜き書きが表3にまで及んでしまったのだのかもしれぬ、とは(流石に)考えすぎであろうか。
 とまれ、4冊目が終わった。憲法前文の抜粋と付箋に書き写して六法のページの余白へ貼りつけて(今し方のことだ)、さて、ノートは5冊目に突入する。
 部屋を片附けたりしている際に見附けた未使用もしくは殆ど使っていない大学ノートの山(という程の数ではないか)から適当に見繕って、それを5冊目にした。ついさっきまで、近所のワークマンとスーパーの帰りに立ち寄ったドトールでこの5冊目のノートを開いて、ページの左端の方へ30センチ定規をあてて2本の縦線をシャープペンで引く作業を、20ページ程進めてきた。これは抜き書き対象になる書物のページ数を記入する欄と、1行目1字アケを指示するガイドラインだ。これを怠ると、見た目が非常によろしくないのである……抜き書きやコメント書きが進むにつれて、各行がだんだんと右側へ右側へと寄ってしまってね。斜面の断面図を逆さにした格好になってしまうのだ。まァこんな地道な作業をあらかじめ済ませておかないと、新しくノートを始められない性分なのです。どうぞご遠慮なく笑っておくんなまし。
 さあ、5冊目の読書ノートの仕度はこれですっかり整うた。次は抜き書きとコメント、ときどきまとめ、だ。否、その前に対象書物の選定か。
 今度のノートはA罫、80枚というボリュームだ。いったい何冊の本の内容がこのノートに記録されるだろう。想像しているいまからもうワクワクしている。最後のページに至るまでの時間を思うと、なにもしていないいまから軽い疲労を覚えること無きにしも非ずだけれど。
 うーん、でもホント、なにを1冊目にしようかしら。現在読んでいる(含、目を通している)のが北岡伸一『自民党 政権党の38年』(中公文庫)と池上彰『池上彰の憲法入門』(ちくまプリマー新書)、川井龍介『社会を生きるための教科書』(岩波ジュニア新書)、中央公論新社ノンフィクション編集部『『安倍晋三回顧録』公式副読本 安倍元首相が語らなかった本当のこと』(中央公論新社)、渡辺秀樹『芦辺信喜 平和への憲法学』(岩波書店)、の5冊だから、このなかのどれかになる可能性が高いのだろうけれど……現実はどうなるかサッパリ分からぬ。案外と日本国憲法を全文、書き写していたりしてね。呵々。(※後日の報告)
 でも、手を動かしてノートへ抜き書きする、単純に書き写す、という作業を当たり前のようにやっていて思うのは、たしかに目ン玉動かして「読んだだけ」の時以上に内容は記憶に定着する、ということだ。ぼく、それらの本に関しては空で内容をいえたり、トピックを説明できたり、どのあたりにどんなことが書いてあったか、など「読んだだけ」の本に較べて鮮明に覚えていますもん。たしか、鹿島茂や佐藤優も同趣旨のことを書いていたなぁ。あ
 あらためて、知識の獲得の古典的手段にして王道なることを実感している。◆

 ※後日の報告
 上の本文初稿執筆から5日が経過した。初稿は8月11日17時26分稿、この報告は8月16日16時28分を以て棚上げした文章の冒頭部分に手を加えた上で転用している。
 さて、上で、5冊目の読書ノートは日本国憲法全文の書き写しに始まるかもしれない、と中葉冗談で書いた。結論から申せばそれは、冗談というか絵空事で終わった。が、件の戯れ言は或る意味で現実になったのだ。
 即ち、ノートの冒頭を飾ったのこそ鹿島茂『成功する読書日記』だったが、その次に書き抜いたのは日本国憲法前文となったからである。前文の抜粋は既に4冊目で行っていたが、最初から最後まで前文を全文書き写したのは初めてのことである(ややこしいな)。
 これを後日の報告とさせていただき、──擱筆。□

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