第3668日目 〈入院中に見た夢は、記録あるがゆえに残酷さを増す。〉 [日々の思い・独り言]

 入院の間はずっと夢を見ていた。現実ではないのが無念に思われる夢だった。
 スマホで入力し、PCで修正補訂をしていた日記を開くと、その折々に見た夢の内容が綴ってある。何日も経ついまでも場面場面を鮮やかに思い出せるのは、そのおかげだ。
 とはいえ、それゆえにこそ残酷である。なにもしなければそのまま忘却してゆくか、解像度の低い断片的な映像がしばらく残るのが精々なのに、日記の存在がそれを阻んでいるのだから。
 よみがえってくる夢は、生々しい。リアリティがある、を通り越して、現実そのものだ。
 皮膚に触れる空気の涼やかさ、肌を撫でてゆく風の感触、鼻腔をくすぐる匂い香り。記録はそんな細部までも精彩によみがえらせる、
 誰かとかわした言葉、触れ合い重ね合った肌のぬくもり、どこでなにをしていたのか。記録を媒介にしてあの夢を、書かれていないところまで再現して追体験することができる。
 いろいろな人が、夢に現れた。会ったこともない有名人や一般人、とてもよく知る人、亡くなった人々、逢うことは最早できない人。頻繁に現れた人がすなわち想いの深い人であるならば、おはらななかは生ある人のなかではその唯一となる。いつでも、どこでも一緒だった。互いの指に光るものがあった。
 咨、入院の間はずっと夢を見ていた。現実ではないのが無念に思われる夢だった。◆

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