第2800日目 〈埋もれるを潔しとしなかった劇作家、池田大伍。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日書いたことに自ら影響されたか、また図書館へ出向いて池田大伍の戯曲が載った本を借りてきた。一緒に、どうやらずいぶんと前に処分してしまっていたらしい『元曲五種』も。
 図書館が蔵する大伍の作品集は、いずれも戦前戦中の出版物のため禁帯出扱いで、書庫から出してもらって閲覧するが精々だった。昭和17年11月刊『池田大伍戯曲選集』(武蔵書房)を兎にも角にも書庫出納してもらい、半日を費やしてざっと一読。専ら時代物に編を絞った1冊ゆえ斯く思うは当たり前かもしれぬが、登場人物は端役に至るまで瑞々しく描かれてその台詞もなかなかに粋で、読むだけでこうまで面白く、ページを繰る手の急くのを留めるのもやっとなぐらいだから、実際の舞台へかけられたところを観たらさぞかしさぞかし……と思うのだ。ダメ元で大伍劇の上演が近々あるか、様々な劇場のHPを検めてみたが残念、空振りに終わった。
 正直なところ、同時代を見渡せば岡本綺堂や小山内薫など、劇作のビッグ・ネームが控えて観客を愉しませていた時代の人ゆえ、池田大伍の作品なぞ初演終わりで幾度となく再演を重ねるようなものなど殆どなきに等しいのであろう、そうしてその程度の位置を占める劇作家なのだろう、と高を括っていたのだが、さてさてどうして。読み得た限りでいえば、どうしてこれらが舞台に掛けられないのだろう、と小首を傾げること頻りなぐらい、粋でいなせな、生命力に満ちあふれた作品なのだ。江戸っ子気質あふれる劇曲を書いた人、ともいえるだろう。思うに池田大伍、埋もれるを潔しとしなかった劇作家である。このあたりを梃子にして、池田大伍復権の足掛かりとできそうだ。
 現時点に於いて池田作品の最後の上演は新橋演舞場にて、2012年5月の「五月花形歌舞伎」での「西郷と豚姫」以来途絶えている様子(調査漏れの可能性は勿論、否定できない。識者よりのご報告を待つ)。たとい一部の作品だけであったとしても、然るべき時代に陽の目を見て上演されることは幸福なことである。
 同時代の戯曲作家たちの作物のなかにあって、池田作品がどのような地歩を占め、また群雄割拠する時代にあってかれの作品がどれだけ大衆にウケて、同業者たちから評価されていたか、そういった作家としての池田大伍をもっと知りたくなったのである。
 荷風が作者と一緒に観劇した「名月八幡祭」は幸い、前述の選集に収録されていたので慎重にコピーしてきた。週末、無聊を慰めるのも兼ねて読もうと思い、別に『名作歌舞伎全集』第20巻と第25巻を借りて来た。こちらには「西郷と豚姫」と「男達ばやり」を、利倉幸一の解説附きで収める。
 「名月八幡祭」と『名作歌舞伎全集』の収録作(綺堂作品が4作も入っているの!)を、太宰も荷風も脇に押しやってしばらく読み耽って楽しい時間を過ごすことを糧に、いまはもう休むとします(ここ数日、就寝が明け方なんだ)。◆

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