第2801日目 〈痕跡本をこそ愛おしむ。〉 [日々の思い・独り言]

 おそらく今年最後の発掘作業を、本日より開始した。正確には「昨日」からなのだけれど、まぁそのあたりの詮索はご遠慮いただくとして……。
 先達てさわいだ清水幾太郎の『この歳月』(中央公論社)だが、ちょっと想定外の場所にて発見、慎重なる発掘作業の末に陽のあたるところへ運び出し、清掃を済ませていまは机上にあって視界の端で他の書物と一緒に、十数年ぶりに読書のためのページが開かれるのを待っている。いや、まさかこんな場所にあったとは。こんな場所とはつまり、紐で括られた東京古典会発行『古典籍大入札会展観目録』の山の下を指す。
 これもまた火事をくぐり抜けて処分するに忍び難いの一念から煤や粉塵を簡単に払って、後日の再会を約してダンボール箱の蓋を閉め、自宅の解体作業の傍らそのまま倉庫で眠りに就いた数多の書物の内であるが、流石にいまこうして再会を果たしてみるとなんとも無念な気持ちに襲われる。一緒に発掘した古典や民俗学にまつわる種々の書物が、なおさらその感を倍増させるのだ。
 たとえば前述の清水の本。函入りであったはずだがそれが見当たらぬところから察するに、おそらくわたくしは解体を控えた自宅の退去日の迫るなか、不安ばかりで希望の一欠片もないあの夏から秋にかけてのどこかの日に、泣く泣くそれを棄てて顧みることをしなかったのだろう。当然だ、感傷に後ろ髪引かれ続けていては前に進むことはできなかったのだから。<進むべき道はない、しかし進まなければならない>というノーノの曲のタイトルを実感として噛みしめたのは、このときこの経験が最初である(最後、といいきれないのが残念だが)。
 裸本で発掘された清水の件の本は、というわけで背表紙にのみ煙を浴びた痕跡が残っている。むろん本体の天、花ぎれに近い箇所にもわずかながらそれは認められるが、簡単な拭き取りで黒い煙の跡はどうにか薄まってくれる。
 が、背表紙はなかなか難しい。完全なる原状回復は到底不可能なレヴェルだ。それでもノンアルコール・タイプのウェットティッシュで丹念に、根気よく、さっと拭いたり軽く叩いたりを繰り返していると、どうにか煙の跡も薄まり、見えなかった金箔押しの書名と著者名が見えてくる。いちどの作業では難しくても、二度、三度と同じ作業を続けていれば、もう少し綺麗になってくれるだろう。
 とはいえ、金箔押しされた書名は、高熱を孕んだ煙の前には抗いようのないが本来で、書棚の上に鎮座坐していた岩波新古典文学大系の、テレコにして本体の背表紙をこちらへ向けていた巻は軒並み箔が剥がれ落ち、おまけに煙がもう拭いようのないぐらい本体へこびり付いてしまい、これを見る度あの日の惨状をつい先程の出来事のように思い出してしまうのは、どうかもう勘弁してほしい。
 以上は本体に残る痕跡のお話だったが、もう1つ、今回の発掘で別に思う無念があったので、それについて簡単に触れて終わるとしよう。清水の本についてそれはかつて函入りであって、当時処分したことを上に書いた。今度は函入りで発掘された或る本にまつわるお話だ。
 池田彌三郎『わが師・わが学』(桜楓社)と坪田譲治『新百選日本むかし話』(新潮社)──両方とも函入りの状態で再会した。本体に火事の痕跡は認められない。あってもさして気にならない程度だ。もとより古い本で天や小口が茶色くなっているせいで目立たない、というのが本当のところであろうけれど。煙や熱に曝されない場所にあったのかもしれない(すべての本が火事の痕跡を留めるわけでは、まさかあるまい)。が、それ以上に本体へわずかのダメージが見られない理由が、──
 函の存在である。上の2冊はいずれも函入りであった。函が火事から本を守ったのだ。それが証拠に、この上部にははっきりと煤を拭った形跡が見られる。喜ばしき也、どちらもわたくしには大切な本なるがゆえに。されど手にした途端、函はもろくもばらけてしまった。書名の印刷された背の部分と天地の部分が、表裏の表紙部分から見事に剥がれて、大黒柱や構造壁を失った戸建のように崩れて無残な姿を晒している。哀しい光景だ。胸が締めつけられるような思いがする。どうにか修繕しようにも、素人技では遅かれ早かれいまと同じように瓦解するのがオチだろう。プロの修繕業者……? 引き受けてくれますか、この程度であっても。
 昭和30年代40年代に出版された本の函はもろいな、と、視界の端にある無残な姿をちらちら見つつ、斯く思うのでありました。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。