第2802日目 〈折口信夫『日本文学史ノート』を読んでいた頃。〉 [日々の思い・独り言]

 中央公論新社からの新しい全集が出るより前に架蔵していた折口博士のちょさく、ですか。そうですね、文庫版旧全集(ノート編は含まれず)が中核で、他は2冊か3冊ぐらいでした。
 角川文庫版『古代研究』全3巻は神保町や高田馬場の古本屋をまわっても容易に見附かる類のものでなく、運良く全巻揃いで発見できたとしても高嶺の花で、とうてい手の出る代物ではなかった。折口の著作で当時、新刊書店に並び、古本屋を捜してすぐに見附けられるのは、中公文庫の『死者の書』ぐらいではなかったでしょうか。ちょっと記憶を頼りにお話ししているので、遺漏や錯誤等あったらご指摘の上どうぞご容赦の程を。
 そんなわけだから新全集刊行以前に自分がどのようなルートで『日本文学史ノート』全2巻の単行本を入手できたか、よく覚えていないのです。目録を毎回送ってもらっていた古本屋の可能性がいちばん高いのだけれど、もしかすると日本文学専門の古書店や、或いは中学生時代から通っていた県下最大級の床面積を誇った古書店の一角で見附けたのかもしれない。そのあたりは本当に、よく覚えていないのです。
 それは後に旧全集ノート編第2−4巻に収められた本で、折口が慶應義塾大学で講義した内容を愛弟子、波多郁太郎が丹念に書きためた講義ノートを翻刻したもの。
 ざっと目次を一見しよう。「Ⅰ」では祝詞や歌垣、大歌や部曲の発生・特徴から始まり、風土記に古事記日本書紀、有力豪族の家に伝わる伝承について講義され、「Ⅱ」では万葉集民謡、古今集を振り出しに短歌文学の歴史と解剖、女房文学や物語文学の発展を内容とする。「文学史」といいつつ、われらに馴染みある古典文学史とは勝手の異なる部分多々ある、発生論から話を起こした折口信夫ならではの文学史講義の記録である、というてよいでしょう。
 わたくしもこの目次を一瞥したときは、思わずたじろいで「とんでもない本を買ってしまったぞ」と若干の後悔、それを上回る興味と向学心から家にいるときは巻を開いて、理解がおぼつかぬながらも「Ⅰ」のさいしょから「Ⅱ」のさいごまでまるごかしに読み進めたものであります。自分が関心あるテーマへ差しかかると俄然、読書姿勢が前のめりになって朧ろ気ながらわかったような気になれたのですから、就職浪人中の雑多な読書や恩師への親近、くわえてその恩師の勧めで三田の山にて学ぶようになったことはそれなりに、件の本を読むための基礎体力作りになったと思うのだが、それがそのまま折口学の理解に結び付くかというと、そう簡単な話ではないのが辛いところ。
 全集を読んだりこうした単著を読んでみても、わたくしはまだまだ折口信夫の学問を把握していないのだろうな、と諦めにも虚しさにも似た溜め息を吐いてしまう。日暮れて道遠し、そんな言葉がふと脳裏に浮かぶのでありました。正直なところ、折口の弟子たちが著したり編んだりした作物を読む方が、折口学を深いところまでわかったような気にさせられるのですよね。……あくまで「気になる」というのであり、そこに安住してしまうては当然、いけないわけですから、その点は自分を諫める必要がありますね。
 然り、講義という性格からか、全集に収録される諸論文よりもこちらの方が比較的敷居は低いように感じられてしまうのです。軽い気持ちで手にしてページを開くと、わたくしのように後悔したり目眩起こしたり、そんなふらち者が続出するように思います。注意していないとうわべを素通りするだけで、その口吻の裏に隠れた微妙なニュアンスを取り逃してしまいがち。逆説めくがそれだけに予断許さず腰を据えて文章を追ってゆき、時に出典にあたる労を厭わぬ姿勢が必要になるのだ。
 わたくしは機を見て再び(2度目、という意味でなく)『日本文学史ノート』を読んでみようと思う。その際は旧全集(ノート編含む)と新全集を傍らに侍らせることになろうから、その前に部屋の掃除を更に進めて空間作りに勤しまなくてはなりませんな……嗚呼!
 本書の元となった講義は、昭和6−8年度の慶應義塾大学で行われ、ノートの記録者である波多郁太郎は三田に於ける折口門下の一人。最も早い時期の教え子ということもあって折口は殊の外可愛がったようだ。歌人として『水の音』てふ歌集を持つが、これは早逝したかれを想うて編まれた遺稿集である。折口はその序文に、「私が隠居する日のために、何と言っても、郁太郎は、長男らしくとり立てておかねば、と思い思いしていた。(波多の死は)私の塾でした為事の一部が摧けてしまった。そう言う気持ちであった。」と書いた……。
 なお、池田彌三郎は著書『わが師・わが学』他で何度となく先輩・波多郁太郎に触れ、また波多の日記を『わが幻の歌びと人たち 折口信夫とその周辺』(角川選書 昭和53年7月)で全文翻刻紹介している。◆

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