第2908日目 〈遅ればせながら、狂騒の夏、終わる〉 [日々の思い・独り言]

 ──台風9号が温帯低気圧に変わり、小笠原諸島近海にて発生した台風10号の不穏な話を聞いた夕方に、これを書いている。既にカレンダーは9月となり、狂乱と騒動の絶えることなかった令和2(2020)年の夏、8月が終わった。
 大気の様子不安定で晴れていたかと思えば急に霧に包まれ雨が降る、そんな日にもかかわらずいつものスタバへ退勤後寄り道して、本稿の筆を走らせているのは(時々止まるのは仕方がない)なるべく早いうちに──記憶が細部までくっきりとしているうちに──、かの狂騒の夏をアルバムの1ページに昇華させておきたい、という願いからだ。要するに、本ブログのネタ、原稿のストックにしておきたいのである(※けっきょく本稿お披露目は12月に入ってからのこととなったが、ストックしていたのが役に立ったというよりも、唐突にお休み期間へ突入した本ブログ再起動のテコ入れに徴用した、というのが限りなく正解に近い)。徒し事はさておき、──
 先月はどうしたわけか、やたら本を買いまくった月であった。たぶん前月、前々月以上に。昨年同月比? 笑っちゃうぐらいに今年の圧勝である。なぜって昨年8月からは本代よりも診療費交通費の方が圧倒的にかさんでいたから。そうして今月9月は、8月の狂騒の反動で緊縮財政を自らに課すこととなる。まぁ、経済ってそういうものだよね。
 それはさておき、この企画、書名を曝して己への戒めとも警告ともする役割を担ってもいる……書いている最中に飽きが来て、抛たなければいいんだけれどなぁ。
 ──
 8月の購書の目玉は、主として2つ。1つは生田耕作先生絡みの書籍等を意識して渉猟したこと。もう1つは若かりし頃に好んで読んでいた雑誌を全冊買い揃えたこと。まずは前者から。
 定期的にわたくしは、生田先生に因んだ本をあれこれ見附けては検討して、買うている。「定期的」とは軍資金が或る程度潤沢にあるとき、の言い換えである。そうした意味では8月は軍資金が(それなりに)豊かにあり、また入手したい本が立て続けに目の前に現れたラッキー・マンスであったわけだ
 古本市でのマンディアルグ『満潮』『ビアズレーの墓』(共に奢灞都館)を振り出しにして、滋賀と愛知の古書店から、先生が主幹となって刊行された文芸誌『るさんちまん』全3冊を購入した。状態は皆、いずれも40年前の刊行物であるのを考えればそれなりに経年劣化はしているが、自分が当時読み馴染んでいた書目であるがゆえにそのあたりはまるで気にならない。考えようによってはそのまま所有し続けていたらいま頃は、今回購入した音同じ状態になっていたであろうかと想像する愉しみがあって、良い。状態の話はさておくとしてもそんなこと、知られざる作品、知られざる作家に触れられる幸福を思えばなにという程のものでもない……。
 咨、勿論、それだけに留まらぬ。入手の順番は異なるが、他にもわたくしはピエール・ルイスの、これが本邦初訳であろうと思われる「書庫の幻」を載せた『PAPER APPLICATION』第1号(続刊の有無不明。「編集後記」の類いっさいなく作品のみで勝負という潔い性格が却って個性的といえよう)、先生旧蔵のセリーヌの原書を購い、アスタルテ書房から刊行されたシャルル・ノディエ『愛書家鏡』もようやっと架蔵する夢がかなった。
 そうして今回の本丸というべきは、先生が晩年に教え子や知己の人らと運営(?)していた日本文化研究会会報の、ほぼ全揃いである。こんな曖昧な表現をしたのは、事実上の最終号と目されるキキメ中のキキメ、生田かをるさんの特集号を欠くからだ。
 実を申せばわたくしは第1号の、鴨川改修計画批判と第2号の木水彌三郎の号は持っている。勇を鼓してはじめて生田先生にお手紙差しあげた際、畏くも頂戴したご返書に添えられて第1号(献呈書名入り)と第2号が同封されていたのだ──内容と相俟ってわたくしには、加藤剛の献呈書名入りエッセイ集と共に大切な宝物だ──。
 わたくしは先生の、江戸漢詩や書画にまつわる話が大好きで、正直に告白すれば先生の主戦場たる超現実主義やオカルト、エロティシズムの著訳書などよりもずっとずっと、こちらの方に偏執狂的愛着を持っている。もっともその根っこには学生時代、本朝の古典就中近世文学に親近して国学者漢学者の著作伝記を漁り、読本黄表紙詩歌随筆を来る日も来る日も耽読し、書画への関心止むことなくまた茶湯花街遊びを覚えて耽ったあたりがあるのだろうことは必至。
 それゆえにこそ、『鴨川風雅集』や『文人を偲ぶ』『江戸の世に遊ぶ』は(友どちからもらった、カバーがなくなった)『黒い文学館』を別にすれば、いちばん回数多く読み返して愛読したのだ。斯様な背景、根っこあってこそ、是が非にも日本文化研究会の会報は、絶対にコンプリートしてみせる、と意気込んでいたのである……しかも単品で売りに出されるのを買いこむ程の持続力はなく、欠号がいつ埋まるか不明なことからも完全揃い、もしくは可能な限り揃いに近い状態で購入できる機会を窺っていたのだった……。結果から申しあげれば既にお伝え済みのように、完全揃いまであと1歩、が、その1歩の達成がどうにもこうにも難しく。やれやれ。
 先生絡みの購書でもうすこし駄弁を綴れば、国書刊行会の《フランス世紀末文学叢書》に収まるオクターヴ・ミルボー『責苦の庭』と、中島棕隠の漢詩集『鴨東四時雑詞』を挙げておく。
 前者は若き生田先生が師・生島遼一宛葉書に、その残虐なる場面の数々より極めつきを書き写して、「先生も是非お読みください」旨添えたてふ<イタズラ>をやらかしたエピソードが妙に頭にこびりついて離れず、今般ようやくその気が起きて神保町の古書店の棚からわが家へお迎えした1冊。
 中島棕隠は生田先生が特に傾注した江戸時代中期、京都で活躍した漢詩人。棕隠について書かれた文章を読んでいるうちに、「生田耕作をして斯くまで夢中にさせて讃辞を連ねさせるとは、どのような詩人なのであろうか」と興味を抱いたのが、棕隠の詩に触れるきっかけであった。岩波書店の《江戸詩人選集》に収まる棕隠の巻を引っ張り出して一時、バイト先である大学生協の建物の屋上で寝転がって、ひなたぼっこしながら読んだのは、いまでも愉快な思い出である。まぁ先生の熱狂がこちらにも伝播して、註釈や翻刻を中心にぽつぽつと、無理ない範囲で買い集めていたらじきに”原書”が欲しくなり、その流れで『鴨東四時雑詞』を万札数枚を叩いて購った次第である。
 ──んんん、生田先生に因む本の購入記録を書き綴ってみたが、果たしてどれだけのお金を費やしたのか。冷静になって顧みるに頗る恐ろしいところであるが、気にするのはやめよう。一期一会の遭遇である。機はゆめ逃すべからず。出会いは大切にしなくてはならない。
 ところで自分でも忘れるところだったのだが、高校生のときはじめて買って、220代半ばの頃に終刊号を手にした雑誌を8月に、複数筋から買い求めて全冊を揃えたこともお話するのだった。当時の横浜駅東口ルミネ5階有隣堂にて買い、これまた当時、神保町は神保町交差点そばにあった岩波ブックセンター(現:神保町ブックセンター)入り口付近の雑誌コーナー──ミニコミ誌/タウン誌のコーナー/棚だったのかな、そこは。一緒に『谷根千』など置いてあった記憶がうっすら残っている──にて終刊の第30号を手にしてレジへ運んだ、あの雑誌──。
 焦らすのは趣味じゃぁないし、「さっさと書名をいえ!」とお叱りの声も聞こえてきそうなのでさっさと白状すると、その雑誌は『BOOKMAN』という。瀬戸川猛資が3代目の編集長を務めて巧みに雑誌を存続させ、トパーズプレスから1982年10月から1991年6月まで、隔月刊という触れこみで刊行され続けた読書の達人たちによる読書家のための雑誌であった。いまに至るもこれだけのクオリティを保った書物に関する雑誌もなかったのではあるまいか、すくなくとも或る程度の号を重ねたもののなかでは。が、この雑誌に関しては既に、稿を別にして書いてあるので詳細を述べるのは省こう。
 正直なところ、どうしてこれまで、本腰入れて『BOOKMAN』を買い揃える気が起きなかったのか、わからない。時間空間財布の余裕がなかった、といえばそれまでだが、それ以上に、先の日本文化研究会の会報のところでも述べたと同じく、買うなら可能な限り一度に、加えていえば一ヶ所の店で欠号あろうと他でそれが埋まり完全揃いを達成できるならば行動を起こすつもりが、なかなか欠号が埋まらないという事情がクリアできなかったのが、真の理由というてよい。間隔を置いたら、欠号が埋まるまでどれだけの歳月を費やすことになるだろう……!?
 この度、この狂騒の夏を語るにトピックとなるに相応しく、『BOOKMAN』はわたくしの手許に集まってきた。その経緯はこんな風である……或る日、なにげなく電脳空間に散在する古書店のサイトを覗いていたら、偶々愛知県内の古書店が2/3にあたる号を売りに出していた。むろん、興奮した。が、すぐに冷静になった。残りを他で、短期間で埋められるか? 至極真っ当な懸念である。されどその懸念はものの10分も経たぬうちに解消された──驚いたことに、2ヶ所と分散はするが欠号を埋められることが判明したのである。途端、わたくしの指は購入ボタンをクリックし、気附けば支払いも済ませてあとは到着を待つだけになっていた……。
 ──前述の通り、わたくしはこの機会を逃すことなく全30冊を買い揃えた『BOOKMAN』を材料に2つの、実質1つのエッセイを書いた(この時点でお披露目されているかはわからないけれど)。これも渡部昇一いうところの「本がある自信」が為さしめたことである、と、そう自負しているのだが。以て全号の総目次の作成とレヴューの作成なんていう企みを抱くのも宜なるかな。
 ──
 まだまだ本稿は続く。が、この先は簡単な購書記録とさせていただこう。特段の理由はない。加えて、以下に記すのが買い物のすべてではないことも、併せてお伝えしておきたい。
 8月1日(土)
  ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』『ユダの窓』『夜歩く』
  エラリー・クイーン『エラリー・クイーンの新冒険』
  コナン・ドイル『失われた世界』
  E.T.A.ホフマン『くるみ割り人形とねずみの王様』
  渡部玄一『明朗であれ 父、渡部昇一が遺した教え』
  玉川重機『西荻ヨンデノンデ』
 8月3日(月)
  真田啓介『古典探偵小説の愉しみ Ⅰ フェアプレイの文学』
      『古典探偵小説の愉しみ Ⅱ 悪人たちの肖像』
  クラーク・アシュトン・スミス『魔術師の帝国 《3 アヴェロワーニュ編》』
  猪場毅著・善渡爾宗衛編『真間 猪場心猿著作集』
 8月18日(火)
  『小説すばる』9月号
  村上春樹『一人称単数』
 8月27日(木)
  織田哲司・下永裕基・江藤裕之共編『学びて厭わず、教えて倦まず ”知の巨人”渡部昇一が遺した学ぶべきもの』
  渡部昇一『学問こそが教養である』
  レスコフ『レスコフ作品集1 左利き』
      『レスコフ作品集2 髪結いの芸術家』
  松本清張『随筆 黒い手帖』
      『実感的人生論』
──上述の通り、その他諸々である。山本弘『翼を持つ少女 BISビブリオバトル部 1』や清原紘・画/綾辻行人・原作『十角館の殺人』第2巻、綾辻行人・有栖川有栖他『7人の名探偵』等々……いや、上述の通り、まだまだあった筈だが、ちょっと思い出せない。
 それでは、読者諸兄よ、放り出すようであるが本稿、これにて幕となる。またいつかの再会を。◆

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