第3373日目 〈東雅夫・編『文藝怪談実話』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 『新耳袋』が導火線役を果たした今日の怪談実話ブームは日本各地に埋もれる怪談奇談口承の発掘を活発化させ、いまでは沈静の様子を見せているようだ──というのは見せかけで実際のところは深化と熟成の段階に差しかかっており、と同時に〈温故知新〉の風潮も顕在化してきているようである。
 その風潮の好例が戦前まで文学・芸術・学問に携わる面々を主な出席者として頻繁に行われたという【百物語】や【怪談会】、或いは【怪異体験】の記録の掘り起こしではあるまいか。その音頭を取っているのが斯界にこの人ありと呼ばれるアンソロジスト、東雅夫だ。その氏が編纂した怪談実話アンソロジーとして特に名を挙げたいのが、『日本怪奇実話集 亡者会』と『文藝怪談実話』の2冊である。今回は後者の感想文を以下に稿す。
 本書『文藝怪談実話』(ちくま文庫 2008/07)は、明治大正昭和三代の文豪たちの心霊随筆にサンドウィッチされて開陳されるは田中河内介因縁談にかかわる談話の数々、遠藤周作と三浦朱門の熱海同時心霊体験記録、梨園の名優たちや歌手、民俗学者たちの幽霊見聞記など、古今の、筆に巧みな人物が綴った<こわい話、気味の悪い話、ぶきみな話、ふしぎな話>の逸品を一堂に集めた霊気濃厚、瘴気特濃の1冊と申してよかろう。
 ただ、そろそろ流石に佐藤春夫と稲垣足穂コンビの作品──佐藤の「化物屋敷」と「首くくりの部屋」(こちらは前述の『日本怪奇実話集 亡者会』に載る)、稲垣の「黒猫と女の子」──はこの手のアンソロジーのみでなく個々の全集等で読んできたこともあり、個人的にはもう敬遠したい。ただこれらの作品は怪談実話、怪談集に欠くこと能わざる所謂アンソロジー・ピースであるため、上の敬遠云々は個人の独り言と思うていただきたい。未読の方は名品だから絶対読め。1度しか読んだことのない人は行間や背景を読み解くつもりでもう一遍読め。何度も読んだという人はそれでも読め。
 あだしごとはさておき、怪談好きとしては思わず舌舐めずりしてしまったのが巻頭の遠藤周作・三浦朱門が経験した熱海での怪異遭遇記、遠藤によるその後日談である。初出は『文藝春秋 漫画読本』昭和32(1957)年1月号と『週刊新潮』昭和34(1959)年7月27日号。
 まだ2人が新進作家であった時分、示し合わせて旅に出たかれらは、熱海の山上にある旅屋で夜を明かす。そこで遠藤は怪異に遭い、三浦はそれを間近で目撃する。慌てふためいてかの旅屋から逃れたけれど、遠藤に拠ればソレはしっかり(定石通り?)付いてきた由。
 このあと遠藤は、自分が経験した恐怖の源を解明せんとして2年後、サイキック・リポーターの如く同行2人を伴って件の旅屋へ赴くのだが、そのときの作物が併載される「私は見た」であった。再訪の定石に則って何事もなく朝を迎えられたが実際は……。ゾワリ、とさせられる1編だ。
 申すまでもなく最初の同伴者なる三浦の「遠藤の布団の中に……」は併読必須。本編なくして<複数人による同一現象の目撃>てふ珍しい現象は確かめられないからだ。もっとも、遠藤の2編を読んで間に挟みこまれた三浦の文章を読み飛ばすなんて器用な芸当のできる読書人も、そうなかなか居らぬだろうけれど。
 この遠藤の遭遇記「僕はハッキリと感じた」は夜更け、寝られぬままに手にして読んでいるうち、淡々とした筆致で、特に作為も感じられぬ風に綴られているのが却って怖さを強く感じさせて、うん、この時間に読んだことを後悔したね。電気を消しても闇の片隅になにかいるような気がしたり、トイレに行っても何物かの黒い影が上から覆いかぶさっているような気がしてならなかったよ。
 ついでながら遠藤「私は見た」に、「その後一度、ふたたび熱海に行ったが」とある(P28)。これは遠藤の短編集『怪奇小説集』(講談社文庫 1973/11→『怪奇小説集 「恐」の巻』、『怪奇小説集 「怖」の巻』として2分冊・新装版 2000/02,06→角川文庫『怪奇小説集 蜘蛛』2021/08)に収められる「三つの幽霊」に再訪記事があるので、是が非の併読をお奨めしたい。
 田中河内介にまつわる因縁談のことは本稿では語らぬこととする。その因果の輪のなかに取りこまれることを恐れてではない。既に別に先行する形で書いていることに気附いたためだ。
 上記を除けばわたくしの好みはどうやら、第4部「学芸と怪談と──芸術家・学者篇」に集中している。わたくしがフリーランスのライター時代、行き詰まりを感じて芸能ライターの仕事を請け負っていた時分、劇場やスタジオ絡みの怪談をよく聞いていたせいもあろう。芸事の世界に籍を置く人たちの怪談奇談の類にを書き留めて馴染みを持っていたからでもあろう。
 読んでいると梨園の役者たち──六代目尾上梅幸と六代目尾上菊五郎──が語るここへ収められた怪談は、「死に行く人たちの思いが幻となって、暇乞に来る」(P249 鈴木棠三「怪異を訪ねて」)類の話が幅を占める。これが最も人の口に上りやすい種類の怪談といえるし、また体験談としてもこの種の話が多く採取できるようで、わたくし自身も体験がある”怪談”だ(しかし、会いたいと願う相手の訪問でないことが無念である)。
 菊五郎の父、というのはつまり五代目尾上菊五郎で、六代目梅幸は六代目菊五郎の義兄にあたる。菊五郎が語るのは五代目が経験した幽霊の話で、菊五郎は生前こそ会うことなかったが出生に際して縁あった女性の話。五代目と相思相愛であった吉原の船屋の娘、お若さんが懐妊したがお産のときに落命して生まれた赤子も一緒に死んでしまった。その後五代目は六代目の母と結婚したが、そこにたびたびお若さんの幽霊が現れる。やがて新妻は懐妊。お若さんは六代目が生まれるのを見届けるようにしてその後は姿を現さなくなった、という。
 良い話ではないか。いじましい、というよりも、死して後まで家の継承が果たされるか心配でたびたび姿を現すもけっして五代目の寵を被った女に手出しはせず、じっと見守る、そうしてぶじ男児が生まれると姿を消してもう二度と夫婦の前に姿をみせない、というのがなんともいえず好ましい。六代目も語るように、「死んだ後までも私達のことを心配してくれていた」(P209-10)のだろうが、なんだか雲泥の差だな……。泣かせられるよ。
 その対極にあって思わず身震いさせられたのが、〈ブルースの女王〉淡谷のり子の「私の幽霊ブルース」だ。幼き頃より他にくらべて”カン”が鋭い方だったそうだが、昭和24(1949)年頃というから40代に差しかかった淡谷がと或る会社の慰安会に出演するため、山口県宇部市の旅館に泊まったときの挿話が殊に怖い。
 宿の離れで寝ていると、自分の首まわりが妙に苦しい。目を開けてみると、蚊帳の上からなのか、なかからなのか、わからないが確かに自分の首に手をあてがって絞めつける者がいる。その姿を見て彼女はびっくりした、むかし結婚の約束をしてご破算にした相手の男だったのだ。明らかに殺意のある絞め方だったそうである。どうにかそれから逃れたが、なぜ宇部の宿の離れに男が現れたのか。宿の女将がサインを請うて差し出したサイン帳を見て、淡谷は愕然とした。その男──画家だったのだが、かれのサインがそこにあり、離れは男が宿泊するたび使っていた場所だというのだ。その後かれの描いた小品を人伝に入手して飾っていたが、それを見た占い師が良くないものだから仕舞ってしまえ、と忠告した。それは画家が淡谷を想うて描いた作品であったが、強烈な恨みの念が籠もっているのだそうである。
 本書随一の最恐実話、であるまいか。読んでいる最中もだが、読み終えた後も思い出すとゾワゾワする。なんというか、奈落の底へ突き落とされて全身を冷たい風が通り抜けてゆくような気分がしてくる。絵画であれ文章であれ音楽であれ、とかく文芸のジャンルに於いては、誰かを想うて作られた作品には良くも悪くも念が籠もって、引き金役を担うなにかと触れ合うことでその想いが作品から流れ出て時に悪意という形で牙を剥き想う相手に取り憑く、という作品がある。淡谷のり子が経験したこの画家の挿話はそんな一例にして好例であるように思う。
 他にも鈴木棠三「怪異をたずねて」が面白かった。早川孝太郎の逝去に際して、遠くにいてなお異変を感じて手紙を寄越した「三河の某氏」とは、加藤守雄のことであるまいか。また、片山廣子の「うちのお稲荷さん」も好ましい。わたくしの家にも長くお稲荷様を祀ってあったせいか。わが家に居られたお稲荷様も、もしかするとこんな可愛らしいお狐様だったのかもしれない、と思うと本篇への愛着は一入なのだ。
 本書と、『日本怪奇実話集 亡者会』や『文豪たちの怪談ライブ』、『百物語怪談会』、ひびきはじめ氏の『野辺おくり』など怪談実話を意図せずまとめて読んだこともあってか、自分もこれまで幾つか怪談奇談というべきものを聞いたり見たりしたことを思い出している。そのうち書いてみましょう。
 長くなってしまったので、ここらで筆を擱く。◆


文藝怪談実話―文豪怪談傑作選・特別篇 (ちくま文庫)

文藝怪談実話―文豪怪談傑作選・特別篇 (ちくま文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2008/07/09
  • メディア: 文庫




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