第3647日目 〈無味乾燥な政治家の本を書いたのは誰か。〉 [日々の思い・独り言]

 相も変わらず、性懲りもなく、本の話。
 政治家が書いた(とされる)本。政治家について書かれた本。政治について書かれた本。そんなのを、日中は読んで過ごしている。いつもじゃないが、外出した際に読むことが多い、という意味で。いまは前首相にして元官房長官名義で出版されている本だ。
 わたくしが声を大にするような話ではないし、そもそも冷静になって考えると自分に言う資格があるのか甚だ疑問であるが、要するに、政治家が書いた(とされる)本を読んでいると極めて退屈で、欠伸が出る。なぜならば、政治家名義で出版された本は数こそあれど、無味乾燥な文章がだらだら続き、読ませる技術が劣った本が、その圧倒多数を占めるからだ。
 これまで何人もの政治家の本──現役であれば政策や国益について熱弁したプロパガンダ文書、引退していればお決まりの自己擁護が跋扈する回顧録──を読んできた。好きでいろいろ読んできたのだ。それゆえ余計にかれらの著書を無味乾燥、平板稚拙、なんて思うのかもしれぬ。が、それも仕方のない話である。だって、これは……! と膝を打つような「読ませる文章」で書かれた本にお目に掛かったこと、今世紀に入って1冊もないんだから。
 文章のプロではない政治家が本当に自分でワープロなりパソコンなり万年筆やらなにやらで、つまり自分の手を動かして書いているなら、文章の稚拙や平板ヤマなしオチなし自慢と自己顕示がのんべんだらりと、果たしていつまで続くのか……と思うても仕方ないだろう。まぁそう考えると、元東京都知事で芥川賞作家でもあった某氏って凄いよな、と、その筆力に改めて頭を垂れる他ない。
 けれど、そんな政治家──実際に自分の手を動かして本を書いている政治家はいまの世にどれだけいるか。少数派であるのは間違いない。では、それ以外の人たちが自身名義で出した本は、誰によって本当は書かれたのか? むろん、ゴーストライター、である。
 政治家の周辺にいるスタッフなのか。フリーランスのジャーナリストなのか。長年その政治家を取材してきた報道機関の記者、或いは編集委員・解説委員の類なのか。まさか一般公募ではあるまい。いずれにせよ、第三者の手によって書かれて当該政治家の検閲を経て出版社に原稿が渡っていることは、たしかだろう。
 実際に書いたのが誰であるにしろ、その文章力には目を覆う。スタッフであればその情状、同情の余地は多分にあるが、その正体がジャーナリストであったり報道機関に所属する人物であったなら──なんでこんなに読ませる力の欠落した、生気の抜けた文章を書き殴ることができるのか。もし「如何にもその政治家が書いたように、文章はちょっと素人っぽく演出しました」なんて理由ならばそんなもの、トンチキの極みだ。その政治家の知力を愚弄しているように映る。
 政治家は自身名義の本を自分で書くべし、なんてことは言わない。言えないし、言う気もない。その時間を他の、自分の本業に費やしてほしい。が、政治家へのインタビューをまとめあげて1冊の本に仕立てる黒子役を担う人たちは、せめて自分が文章を書くプロである、文章を書くことでお金を稼いでいる、という矜恃を常に保ち、たとえ自分の名前が出ない本であっても文章を書くテクニックを存分に駆使して執筆に臨んでほしい。それは願いだ。
 人物インタビューを構成して読むに耐える本を仕上げる自由は、教科の参考書や資格取得のテキスト、住宅ローンや住宅購入の本などに較べれば、実はかなりあって融通も利くはずだから。せめて課せられた制限のなかで、自分自身を出すことなく、けれどそれまで自分が培ってきたテクニックや経験則を存分に叩きこんで、1冊の本を書きあげる時間を愉しんでほしい。◆

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