第2972日目 〈司馬遼太郎はどこが面白いんだ?〉 [日々の思い・独り言]

 時代小説? 歴史小説? 好きですよ。そう答えると8割ぐらいが「じゃぁ司馬遼太郎読んでますか? 面白いですよね/オススメ教えてください!」と返してくるのは、どうしたわけか。なんでシバリョウ読んでる、って決めつけるのさ。自慢じゃぁないがこのみくらさんさんか、シバリョウの歴史小説に感銘を受けたことなんて、ただの一度もないのだ。えっへん。
 どうして、どうして? とか阿呆なこと訊くな。趣味の問題である。嗜好の問題である。品性の問題である。わたくしはシバリョウの小説に、自分の好みとはあきらかに断絶した<なにか>を感じる。後年になればなるだけ、物語の柔軟性を失って、資料に立脚したリポートを読まされているように感じられてならない。
 はじめは小さな違和感だった。『梟の城』(新潮文庫)を読み進めながら、なんだか心のなかが段々とささくれ立ってくるのを感じた。これが物語に起因するのか、当時の自分の環境によるものなのか、或いは……。回答を見出せぬまま、わたくしは有楽町にあるコンベンション・ホールで副業のアルバイトを始めた。GWに開催されるクラシック音楽のイヴェントにスタッフとして朝から晩まで働いて、最終日の打ち上げのとき隣に坐った男がシバリョウ崇拝者で、なにげなく『梟の城』を読んで感じたことをバカ正直に打ち明けたものだから、そのあと「それはダメでしょ、みくらさん!」といきなり叫ばれ、「僕がいまから挙げる作品を読んでください。後日感想を訊かせてください!」と何作かのタイトルを列挙したメモ紙を渡された。恐るべきことにこのとき、かのイヴェントスタッフにはシバリョウ崇拝者がかれの他にもいて、いつの間にやらネットワークを作りあげていたのだ……
 シバリョウの小説の出来映えの素晴らしさ、そうしてあの<司馬史観>を誉め讃える衆がまわりに湧いて出たせいで、古本屋の見切り棚で何冊か、ご意見賜りながら購い休みの日など読んでみたけれど、「これは面白くない」と心の底で呻く自分がいた。とはいえ、読むね、感想いうね、と約束してしまったばっかりに──まぁ、かれらとの人間関係もあったしな──ただ機械的にページをめくり、眼球は1行1行舐めるようにではなくページの右上から左下まで対角線上に動くことが専らで。
 生田耕作先生は、著者への最大の侮蔑は読んだ本を途中で抛り投げることである、なんて仰っていたように記憶するが、わたくしも司馬遼太郎の本を抛り投げたかった。できればそのまま資源ゴミに出してしまいたかった。が、いちおうは書物への崇敬を持つ身ゆえ、それはしないで砂を噛む思いで読み終えた……そのときに感じたのは、もうこれで読まずに済む、という大いなる開放感! その当時読んだのはなにか、と訊くのだね、君は? 教えてあげよう、偉そうだけれど。順不同で『坂の上の雲』『龍馬がゆく』『燃えよ剣』(いずれも新潮文庫)『この国のかたち』(文春文庫)、あとは『街道を行く』(朝日文庫)を何冊か……。
 どれもこれも、シバリョウファンたちに当たり障りのない感想を伝えて疎遠になった瞬間に、馴染みの古本屋へ売り払った。二束三文で引き取られたけれど、わたくしはそれで満足だった──天邪鬼のようだけれど、これは事実なんだ。
 とはいえ、それから十数年。わたくしもだいぶ角が取れて丸くなった。読書の趣味にも変化が生じた。『ビブリア古書堂』を契機に、何作か久しぶりに読んでみた。そのとき、ちょうど長野県小諸市にまつわるエッセイを書いていたので、『街道を行く』で小諸が取り挙げられている巻を購い相も変わらぬ(あたりまえか)資料の羅列に閉口しつつ参考文献としてありがたく拝読したり、新聞記者時代に本名で刊行された『サラリーマン論語』を読んだりして、むかしとは違う味わいを楽しんだ。『サラリーマン論語』は『ビブリア古書堂』人気からか、『ビジネスエリートの新論語』(文春新書)として復刊された。これはとても面白かった。まだ無名時代のシバリョウが等身大で語りかけてくる、或いは自分の感情を生のまま吐き出してきた、優れたエッセイ集であった。わたくしが読んだのは勿論、復刊されたものだけど、これは一時期相当に耽読しましたよ。これをきっかけに、またシバリョウ読んでみようかな、と思って購った幾冊かのなかでは、『ペルシアの幻術師』(文春文庫)が特に面白かった。なんだろう、シバリョウらしからぬこの優れたるエンタメ小説は。その後、例によってシバリョウは気持ち良く処分させてもらったが、ここに挙げた2冊だけはいまだ書架に収まり、しばらくはこのまま居坐り続けるだろう。
 でも、やはり司馬遼太郎は嫌いです。あの人が書いているのは小説ではない。怨嗟が塗りこめられた紙の束にしか過ぎません。だれている。読んでいて、厭味を感じる。そこに人間はいない。時間は流れていない。
 歴史小説・時代小説であればわたくしは、学生時代から愛読する岡本綺堂/野村胡堂に横溝正史を加えた<捕物帳三羽がらす>を鍾愛する。松本清張や池波正太郎、葉室麟や朝井まかての小説に読み耽るときが、わたくしはいちばん幸せだ。シバリョウは……いいや、別に。◆

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