第3455日目 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。8/9〉) [近世怪談翻訳帖]

 よくよく見ればその老翁は、勝四郎も知っている昔からの住人、漆間の翁である。勝四郎は翁の長命を寿ぎ、長の無沙汰をわびた。そうしてこの7年間の顛末を語り、昨夜の妻との一件を語った。
 「なんでも家内の塚を拵えてくだすったり、水を替えるなどいただいているそうで、ありがたい限りです」
 そんなことを話しているうちにも自然と涙が零れてくるのだった。
 勝四郎の話を聞き、泣くのが収まるのを待って、漆間の翁は、勝四郎不在の間のこと、独り家に籠もってどこへも避難しようとしなかった宮木のことを語った(なんでも翁がここへ残ることになったのは、足が不自由で戦火を避けて逃げること困難だったため、という)。
 「そう、避難だ徴兵だ何だ、で、宮木殿と儂以外、この里に住む人間はいなくなった。当然、里はどこもかしこも荒れ放題となる。そうした場所には樹神(こだま)なんぞという妖怪の類が棲みつく、という。こんな風に変わり果てた里に、宮木殿のような美しきたをやめが独りして住まい、気丈に振る舞っている様子は、これまでの人生で見てきたもののうちでも、なんとも気の毒なものであったな」
 そこまでいって翁は一旦、口を閉ざして、ちらり、と勝四郎を見やった。勝四郎は俯いたまま、身じろぎもしない。翁は話を続けた。
 「宮木殿がお亡くなりになったのは、お前さんが都へ出発した次の年だったよ。夏で──8月10日だったな、あれは。亡骸をそのままにはしておけまいて。悲しみに暮れながら儂が自分で土を掘って棺に納め埋め、塚を拵えた。今際の際にでもお書きになったのだろうか、歌を書き留めた紙があったので、それを板切れ1枚に貼り付けて、墓石代わりにしてな。
 でも儂は字が書けんでの。亡くなった年月を書き添えてやることはできなんだ。おまけに寺は遠く、この足でもあるものじゃから、宮木殿に戒名を授けてもらうことも叶わんでな。そのことは本当に済まなく思うておる[28]。
 ──そうか、あれからもう5年も経ってしまったのだな。
 強気なところもあった宮木殿が、長年待たされたことへの恨み言の1つでもいいたくなって、お前さんの帰りに合わせて逢いに来たんじゃろう。一途でもあり、健気でもあり、可愛くもあるな。のう、勝四郎。そう思わぬかの?
 さあ、帰ってあげなさい。そうして奥様の霊を弔ってあげなさい」
 漆間の翁はそういって、勝四郎に帰宅を促した。が、かれの足はなかなか動こうとしない。そこで翁は促すだけでなく前に立って、勝四郎の家目指して歩き出した。「どれ、儂も行って、宮木殿の霊前に手を合わせるとしようか」といいながら。ようやく勝四郎も歩き始めた。
 ──葎が庭を埋め、蔦葛が壁を這い、屋根は?がれて床は落ち、梁も根太も丸見えになった家に着くと、2人は、宮木の塚の前に臥した。それから声をあげて、宮木の死や果敢無い生涯、夫へ寄せ続けた情愛の深さ、などを思って、嘆き悲しみ、彼女の霊を弔ったのである。
 その晩は翁もそこに泊まり、霊前で合掌して念仏を唱えるなどして過ごした。□



[28]「そのことは本当に済まなく思うておる」
 →これは亡き宮木に対する悔恨の台詞であろうか、それとも勝四郎への詫びであろうか。わたくしにはどうも前者のように受け取れる。◆

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