第3463日目 〈驕るな、無礼者。〉 [日々の思い・独り言]

 08月28日(日)朝日新聞の投稿欄〈声〉に載った投書である。投稿者29歳は「老害」に出喰わした。中華料理店で高齢の客が外国籍店員に怒鳴っている。原因はタブレット端末で注文する方法だった。「注文方法がわかりづらい、口頭で伝えた方が楽ではないか!」と店員に怒鳴ったのだ、という。珍しい光景ではない。
 自分は時代に適応できないと満天下に自ら暴露した、と投稿者は客を断ずる。続けて、件の客にこんな疑問を投げるのである。時代に適応する努力をしているのか、と。
 こんな軽々しい上から目線の台詞を、よくも吐けた。客が怒鳴るまでの店員とのやり取りや、店員が客に対してどのように説明したのか、投稿者は全体像を把握して斯く述べるのか。果たして投稿者に客の立場に立って物を考える配慮が、この人物にあったろうか。
 「努力をしても時代についていけない、というのではない。彼のあの態度は人にお願いをするそれとしてふさわしいだろうか。だから若者から『老害』と言われてしまうのではないか」という。論旨が飛躍してはいまいか。引用箇所とその前後を読んでも、努力をしているか、なる疑問から、だから「老害」といわれるのではないか、に行き着くまでの投稿者の思考の跡を追うことができない。
 その中華料理店が投稿者にとって、馴染みの店なのか、初めての店なのか、文章からは判断できない。馴染みの店ならば、その客がいつも見掛ける人でいつも怒鳴っているのか、オーダーの仕方以外の場面ではどんな振る舞いをしているのか、など背景情報を盛りこんだ方が、投稿者の意見はより鮮明になったのではないか。初めての店ならば、偶々目にした光景を見て湧きあがった感情が鎮まるのを待って、論旨を整理した上で投稿するよう心掛けた方が良かったのでは。
 投稿者は、デジタル化が高齢者に無理を強いていることをじゅうぶん承知していながら、あたかも「無理であっても時代に取り残されぬよう、適応する努力を最大限にせよ」というているように読める。個人の能力や環境を蔑ろにしているように、読める。
 いったい投稿者がどんな職業に就いているか、勿論知るところはなにもない(いや、知ってたらコワイっすわ)。願わくばかれがサービス業や医療現場、コールセンターなど他人の気持ちを慮り、寄り添わねば成立しない業種に籍を置いていないことを祈る。
 さて、投稿者氏よ。貴方は中華料理店で遭遇した高齢客に対して、「時代に適応する努力をしていますか?」と訊ねる。貴方が件の客と変わらぬ年齢になったとき、29歳の「若者」から同じ疑問を呈されることなく、かつ「老害」といわれぬよう努めてほしい。できますよね?◆

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