第3491日目 〈『機動戦士ガンダム ピューリッツァー』から、オムル・ハングの台詞。〉 [日々の思い・独り言]

 オムル・ハング「お前に足りなかったことが/あるとすれば/それは才能じゃない/その才能を/開花させようとする/情熱だ」
(『機動戦士ガンダム ピューリッツァー』第1巻P100 才谷ウメタロウ/漫画・脚本/大脇千尋 角川コミックス・エース 2022/08)

 漫画を読んでいて久しぶりにグサリ、と来る台詞に出会った。
 オムル・ハングは『機動戦士ガンダム』でホワイトベースのメカニックマンだった。安彦良和『機動戦士ガンダム ジ・オリジン』にも度々登場する。
 『機動戦士ガンダム ピューリッツァー』は、『逆襲のシャア』ラストでアクシズの地球落下を防ぐべくこれに立ち向かったアムロ・レイが消息を絶って、1年半後から始まる。元ホワイトベース乗員のキッカ・コバヤシは、幼き頃に船で行動を共にし、間近で接していたアムロと、世間からは英雄視され“撃墜王”と呼ばれるアムロの間に感じる「ズレ」「ギャップ」を抱いていた。
 時まさに第2次ネオ・ジオン抗争から2年を経た宇宙世紀0094。アムロが正式に戦死者扱いされ、戦没者慰霊碑に名前が載ることが決まった頃。
 そうした現実を前にキッカは、「彼の足跡を辿って/彼がなにを思い/何に悩み/何のために戦い続けたのかを/記して伝えたい/それが私なりの/アムロさんとの/お別れになると/思うから」(P36)と、義母から紹介された、やはり元ホワイトベース隊のパイロットでいまはジャーナリストのカイ・シデンに紹介された人物を訪ね歩いて、かれらの見た/感じたアムロ・レイ像を取材してゆくのだ。
 冒頭のオムル・ハングの台詞は、そうしたなかで接触できたかれの口からキッカが聞いた言葉だが、実はこれ、オムルがキッカに、アムロについて語った台詞ではない。最初キッカは他クルーの許を訪ねたのだが、そこに偶々居合わせたのがオムル・ハング。そうしてオムルの台詞は、その元クルーに向けてのものだった。
 元クルーの名前をジョブ・ジョンという。こちらもガンダム世界には不可欠の存在(キャラクター)で、オムルにいわせれば「ホワイトベースの何でも屋」だった。
 モビルスーツにも乗れば整備に携わることもある。対空銃座に坐ったかと思えば、白兵戦では先頭に立って身を投じる。オムルにしてみれば評価の台詞だが、ジョブ・ジョンにはそうではなかった。正規兵にもかかわらず、アムロやセイラ他民間出身の乗員、パイロットに活躍の場を押され、戦後はそれがかれを縛る呪縛となったそうだ。
 そんな風に燻るジョブ・ジョンに、オムルがいったのが上述の台詞、曰く、「お前に足りなかったことが/あるとすれば/それは才能じゃない/その才能を/開花させようとする/情熱だ」と。
 小手先が器用、というか、「何でも屋」の表現がいみじくも語るようにジョブ・ジョンはどんな作業でもそれなりの能力を発揮し、現場に貢献できる人物だった。器用貧乏、そういうても良かろうか。
 尾籠(不敵)な話で恐縮だが、わたくしも似たようなものだ。どの仕事に就いても、余程場違いなジャンルでなければ、それなりにやってゆける自信はあるし、それなりの立場に昇る自身もある。しかし、器用貧乏と腰の坐らなさ、持っている才能を開花させるための情熱と持続力を欠くから、いまでも燻り、憧憬の想い断ち難く、もしかしたらその世界で活動していたかも知れぬ自分を諦めきれていない。
 件の台詞は、そんなわたくしの気持ちに突きつけられた匕首である。多芸なれどそれが恒久的収入と仕事受注の継続につながらないならば、才能は却って罪だ。いつか身を滅ぼすに決まっている。

 さて、みくらさんさんか……これからどうする?◆






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