第3532日目 〈秋の古本狂詩曲;素敵な活字中毒者たちによる、素敵な読書への讃歌。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日の『折口信夫対話』と同じように、古書店の通販目録を眺めているとなつかしい本を見附けると、矢も楯もたまらず注文を出してしまう。特に珍しい本ではない。大量生産の文庫本だ。古書店とて見向きもしないような類の。でも〈なつかしさ〉とは却ってそうした本の方に多いように思う。
 一昨日の昼に届いた椎名誠選・日本ペンクラブ編『素敵な活字中毒者』(集英社文庫 1983/09)はまさにそんな〈なつかしい〉文庫なのだった。
 文筆に携わる諸家による、書物に関する随筆、回想、評論、小説が全21編。収録作家でいちばん古いのは内田魯庵、他は夢野久作や植草甚一などわずかを除いて山口瞳や井上ひさし、開高健など出版当時の現役作家が並ぶ。アクの強い演技、文体で知られる殿山泰司のエッセイもある。
 わたくしがこの文庫を初めて手にした高校生時分は、『素敵な活字中毒者』のような読書にまつわる文章を集めたアンソロジーが幾つもあって、お小遣いの範囲内で買って読み耽ったという揺りかごのなかで微睡むように甘美な、あの時代の読書の思い出がある。
 当時はどんな同趣向の本があって、読んでいたか。文庫では『本とつきあう本』(光文社文庫)があり、新書では『読むことからの出発』(講談社現代新書)や『私の読書』(岩波新書)などがあって、いったい何10回読み返したか知らない。アンソロジーではないが同様の傾向を持つ新書に、笹川巌『趣味人の日曜日』や枝川公一『ペーパーバック入門』(いずれも講談社現代新書)があった。アルクからも藤田浩『PB(ペーパーバック)読快術:英語だって楽しく読みたい』という本が出ていた。『BOOKMAN』誌の特集・連載、就中荒俣宏の「ブックライフ自由自在」など(『マリ・クレール』誌に荒俣が「稀書自慢 紙の極楽」を連載するのはもう少し先の話だ)、日本語・英語の違いこそあれ、本──読書を巡るエッセイはアンソロジーでも単著でも雑誌でも多く新刊書店に流通しており、それらはみな、読書の水先案内人の役割を果たしていたのだ。
 翻って『素敵な活字中毒者』だが、これは上述したような〈読書〉本を読み漁るきっかけの1冊ではなかったか。記憶は曖昧というか錯綜しているが、高校の帰りに偶然寄った相鉄線の駅そばにあった古本屋でこれを、渡部昇一『知的風景の中の女性』(講談社文庫)とカバーのなくなったカットナー『ご先祖様はアトランティス人』(ソノラマ文庫)といっしょに買ったことだけは、鮮やかに覚えているのである──。
 今度こそ処分しない、と決意して購い、一昨日届いた『素敵な活字中毒者』のページをぺらぺら繰っていると、案外と内容や作中の記述でまだちゃんと覚えているものが目白押しだった。これは愉快な経験であった。記憶力は衰えていない、むかしの鮮明な印象・むかし受けた感銘は永遠である、それを追確認したからである。
 では、どんなところをよく覚えているか、例えば、──
 田辺聖子が女学生時代、お気に入りの文庫に千代紙などでお気に入りの装丁を施し、よく擦り切れてしまう本の角っこに薄いピンクのマニキュアを塗ったエピソード(「本をたべる」)。
 J.J.氏こと植草甚一が神保町の古書店めぐりをする際、最初に入った店で購入を迷う本があると思いきって買ってしまう、そうすると不思議とその日は収穫がある、というジンクスの披露(「J.J.氏と神田神保町を歩く」)。
 高田宏は若い頃、1日に3㎝分の本を読むてふノルマを自らに課していて、通勤電車や会社の昼休みに1㎝分しか読めないと、時に酔っ払った頭で下宿に帰ったあと2㎝分を読んだ(というか目を通した)、なんて厳しいのか緩いのかよくわからぬ読書法の紹介(「本の中 本の外」)。
 ──小説では、野呂邦暢の「本盗人」、野坂昭如の「万引千摺り百十番」、夢野久作の「悪魔祈祷書」が、後半に重みを加えている。どの作品も本書が初読で、そも作家の名もここで初めて知ったのだ。
 勿論、記憶違いもあった。若き高田宏は『富永太郎詩集』の家蔵版を持っていたが、人にあげてしまった旨上のエッセイでも触れている。「これ、あげます」と、恋した喫茶店のアルバイトの女の子に渡した、というエピソードはてっきり「本の中 本の外」にあると思うていたが、実際は『読むことからの出発』収録の「あげてしまった本」のなかにあった。殊更印象的だったので、斯様な間違いが起きたのかもしれない。
 夢野久作「悪魔祈祷書」については過去に触れたので省く。野坂昭如の小説は怠惰と猥雑がいっしょくたになっていて、高校生にはチト刺激が強かったっけ。
 野呂の小説は、主人公が営む古書店から盗まれた古書はなぜ数日後に棚に戻っていたのか、という謎を解く物語である一方、赤いブレザーコートの女子大生や三好達治の詩集を買ってゆく労務者の描き方に作者の優しさとあたたかさが覗き見えるように思うて、愛すべき一品と大切にしたく思うたことである。
 この「本盗人」は『愛についてのデッサン』という全6話から成る連作小説の第5話。全編はみすず書房とちくま文庫で読めるが、現在流通しているのはちくま文庫の方だ。
 咨、予想外に長くなってしまったね。とはいえ、昨日程ではないけれど。
 〈読書〉に絞って来し方を検めてみると、わたくしの読書生活の根っこには『素敵な活字中毒者』収録のエッセイや小説の存在があるようだ。この稿を進めるにあたって、記憶を基に本書を開いて、諸家の記したちょっとしたエピソードや本の買い方読み方、etc.、その断片が自分のなかで息を潜めて長く居坐り、その時その時に従って知らず影響を及ぼし、購い読む姿勢を作ってきたことを確認した。なんとなくでも自分のなかに残っているものは、その後の行動や考え方について無意識に作用する、ということなのかもしれない。ならばわたくし自身は、その格好のサンプルといえるのだろう。
 ところでわたくしは、この原稿のなかでただの一度も、自分を「活字中毒者」と呼ばなかった。──活字を読むことは好きだけれど……中毒者というにはなにか足りない気がするのである。◆

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