第3541日目 〈必要な本(聖書)は、だいたい揃ったかなぁ、という話。〉 [日々の思い・独り言]

 まさに表題通りのお話でして。
 折に触れて、その気になったとき、まァ1年に1冊程度ではありますが、現在日本語で読めて、通常に流通している各種聖書を購入してきました。そう、ポツリ、ポツリ、とね。
 「塵も積もれば」なんとやらといいますが、今年の秋、これだけ揃えてあれば当座の用は為すだろう、というぐらいには聖書各訳を手許に置くことができました。これまで口語訳とバルバロ訳は架蔵していなかったけれど、昨日神田の本屋さんで購いまして、「うむ、だいたいこれでよろしかろう」と独り言ちているわけです。
 とはいえ酔っ払って帰宅深更となり、いつも通りに出社しているので、訳文の吟味などできていないのですが、購入直前にパラパラ店先で目繰っていて、文章に生硬な箇所や不自然な日本語の混ざっていない、そうして全体的にやわらかな印象を、口語訳にもバルバロ訳にも抱いたことは報告しておきたく思います。ただやはり馴染んだ表現、馴染んだ固有名詞というのはありますので、かりに2回目の聖書読書ノートブログを始めても、その際のテキストにこれらを採用することはないのではないでしょうか。
 取り敢えずいまわたくしのところには、現在、通常に流通している日本語訳聖書は、10種ある──初回読書時に用いた新共同訳と、その後に購うた新共同訳引証つきを含む──。ここ数日、時々名前の出る岩波書店刊旧新約聖書註解書全20冊は、10種のうちに数えていません。
 他に欲しい日本語訳された聖書、ですか? 何年も前に買い逃した(買い忘れた)共同訳聖書、実際は新約聖書のみだそうですが、元版と講談社学術文庫版、どちらでも構わぬから手許に置きたいですね。詳しい解説があった、と記憶しますから、後者の方が良いかな。こんなことを書いていると昨年のエウセビオスのように、年末あたり手に入るような気も致しますが。
 註解書は……図書館で借りること、岩波版に次いで多かったティンデルやケンブリッジ、DSB、バークリー牧師の新約など、あれば執筆や調べ事のとき便利でしょうが、しかし如何せん全巻揃いの美本が出ること滅多になく、或る日売りに出されて運良く買えても置く場所や無し。
 口語訳聖書を買ったお店で、来たる〈前夜〉執筆の役に立つか、用に足りるか、と思い、これまた図書館で借りたことのある「コンパクト聖書注解」シリーズの『ヨブ記』(A・ファン・セルムス/登家勝也・訳 教文館 2002/08)も購入しました。活字は大きく版面にゆとりあり、判型が中型聖書と同じなので、次はこのシリーズを揃えるかもしれません。
 ゆっくり、ゆっくり、急ぐことなく懐具合と相談しながらコツコツ買い溜めた各種日本語訳聖書や、必要に応じて買い揃える註解書、その他参考文献を繙きながら、やはり1日1章の原則で何年にもわたって、遅かれ早かれその時が来ると覚悟している2回目の聖書読書ノートブログを書くのでしょう。まだ実現のメド、まったく立たぬ夢想ではありますが、その日々の訪れが現実になったら──とワクワクした気分を覚えるのであります。◆

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