第3553日目 〈トイレ読書のお伴は?〉 [日々の思い・独り言]

 時々ふと、あれは誰だったかな、と考える。
 その人物は自宅のトイレでカントの『純粋理性批判』を、何年も費やしてとうとう最後まで読んでしまった、という(『実践理性批判』だったかもしれないが)。驚きである。あのカントの代表的著作を、まさかトイレで読み通した人がいるとは!?
 気になりだしてから2年か3年になるが、未だそれが誰だったのか、なにで読んだのか、全く思い出せない。可能性のありそうな本を開いても、すべて空振りに終わっている。見落としているのか、探す本を間違えているのか、定かではない。
 とまれ、トイレでカントを、何年も掛けて読了した、というのが大事なのである。

 いやぁ、カントというのがまた良い。遠大な内容ながら或る程度こま切れで読めて、そうしてがっつり取り組む価値あり、読んだことを周囲に自慢もできる書物。こんなことを思い立ち、継続し、継続させられる強固な意思と、家族からもあっただろう苦情の類を馬耳東風でやり過ごせる無神経ぶりに、敬意を表す。
 ──わたくしはもうすこし砕けた内容、ジャンルを選んで読み通したい。カントが鎮座坐すWCなんて想像したくないよ(呵呵)。
 自分がトイレ読書をするなら。
 あらかじめそこに置いておくのは当然として、入ったついでに何ページかずつ読み進めるとしたら、……実話怪談かな。古今東西のね。隣接するジャンルとして柴田宵曲も柳田國男も佐々木喜善も、良い。
 いちばん大切なのは、読む時間もこま切れなら自ずと本も細かい単元に分かれていること。ショートショートみたいな感じでね。
 いろいろな場所でする読書がある。ただ、足が痺れて立とうとしたら転んだなどないよう気をつけよう。くれぐれも痔にはならぬよう注意しよう。トイレ読書に耽っていたら痔になりました、なんて、洒落にならない。◆

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