第3548日目 〈ただいま、音楽。〉 [日々の思い・独り言]

 病気が完癒したわけではない。未だ後遺症(?)はある。が、これを感謝したく思わずしてどうしようか。
 この3週間ぐらいのことかしら。流す程度ではあるが、iTunesやiPodに取りこんだ音楽を、聴いている。自殺行為に等しいゆえイヤフォンではなく、iMacに繋いだスピーカーもしくはBluetooth接続した別のスピーカーから。
 耳鳴りが耐え難い程大きいときもあれば、殆ど意識せずに過ごせる日もある。馴れのせい、あるやもしれぬ。否、無関係ではあるまい。為、音楽を聴くことのできる日もある。そうでない日もある。然れどもう諦めていた音楽を再び聴けるようになったことを、わたくしは喜ぶ。新しい主治医をまるで役に立たぬと切り棄てて自己療養にこれ努めた結果だ。ハレルヤ。
 が、流石に好んで耳を傾けるジャンルには変化が生じた。クラシックは元より愛好すれどオーケストラは無意識に遠ざけている。以前にも増して室内楽に、古楽に、声楽に惹かれ、沼に落ちてゆく自分を感じる。
 ジャズも、洋楽も、また然りで好んで聴く中心は変化してゆく。洋楽はひたすら過去に、オールディーズに、プロテストに。ジャズはひたすらリラクシングな、メディテーショナルなものへ。ウィンダム・ヒルのLPをまだ持っていたら、聴力の許す限り聴いているかも。
 何年か前、わたくしは『それを望む者に』という、本ブログでもお披露目した小説の続編を書いてその終盤、突発性難聴を患った主人公が再び音楽に──ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番──向き合う場面を書いた。この頃自分の難聴は改善の兆しがなかったので、せめて小説の主人公にその希望を託したのである。咨、何年も経ってそれが現実になろうとは! ハレルヤ。
 病気が完癒したわけではない。発症前の状態に戻れるなんて愚か者の発想だ。未だ耳鳴りはあって、それと永遠にお別れできるなんて夢のまた夢。
 が、わたくしの生活に再び──その割合は著しく減ったとはいえ──音楽が帰ってきた。これを喜ばずして、神に感謝をささげずして、医療に、家族に感謝せずしてどうするのか。
 ただいま、音楽。◆

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