第2675日目 〈見通しのよい、生活しやすい空間を作るための長い休み、と考えよう。……腐らず、雨向きに。〉 [日々の思い・独り言]

 降って湧いてしまったこの、長い休みを使ってできることはなんだろう? そんなことを考えることの多い日曜日でした。午前中は近所の大型スーパーに歩いて出かけ、夕飯の食材に始まり野菜やら果実、魚や肉、飲み物や調味料、保冷食品など買いこんできました。すくなくとも食事については、毎日とはいえないけれど、週の半分ぐらいはわたくしが作ろうと思います。
 あとは……基本的には家へ閉じこもって、読書と部屋の片附けかな(だって暑いの嫌いなんだもん)。読書についてはまず太宰治を読了すること、未読の本の山の切り崩しの端緒が付けられること、ができればいいかな。それに伴って、ブログの原稿もちゃんと書き溜めないならぬ。読んだ本の感想で未だ手着かず、停滞しているものがずいぶんとあるから、それらに陽の目を見させてやりたいですね。
 そうしてなによりも──部屋の片附けはどうにか実行してしまいたいですね。正直なところ、紙屑屋の親父の住処もここまで非道くはあるまい、と思えてならぬ程、いまのわたくしの部屋の惨状は言語に尽くし難い。足の踏み場はあるけれど、フローリングの床の見えている面積が隠れているそれよりはるかに少ない、というね。はっきりいう他ないが、人間の生活する環境ではありません。
 溜めこむ性格が斯様に悲惨な環境を生み出したのだ。「環境問題」とは国家レヴェル、惑星レヴェルでの懸念事項などでは決して、ない。よりミニマムな、個人レヴェルでの問題でもあるのだ。わたくしは自分の部屋に於いてそれを実証したい気分でいる。もっとも、実証云々以前に部屋の片付けを強行するけれどね。
 たしかに自分以上に部屋に本が積まれてあふれて、文字通り足の踏み場のない空間に住まう人は大勢いる。が、その人たちに殆ど救い難い諦めがあり、むしろそれを愉しんでいる気配さえ感じられるのに対して、わたくしは人間らしい住空間で、蔵書が多くもなく少なくもない、あの本を読みたいな、あの資料はどこにあったっけ、と思うたときにさほど労を費やさずして探し求められる見通しのよい、生活しやすい空間が欲しいだけなのだ。
 ……溜め息まじりに本稿を書いている。今年中には或る程度改善の結果を出して、前後のレポートを本ブログにてお伝えできたらいいな、と企んでいるが、果たしてどんな結果になることか。◆

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