第3429日目 〈コラムを書き写す。〉 [日々の思い・独り言]

 先達て本ブログは無期限更新停止を宣言した。1カ月後に暫定的ながら再開できたが、その間は殆どなにも書いていなかった。そのツケが回ってか、お披露目するに足るものをなんとか書きあげられるまでは、もどかしさと苦しさと自棄しか感じなかった。
 まこと、1日サボれば回復までに何倍もの時間と労力を要すのである。復調へ至るまでのことを思い出せば、……咨、此度のような経験は2度としたくない、というのが本音。うん、もう経験したくないね。
 文章を書くのを1日サボったら回復までに時間が掛かる。そのためには「リハビリ」が必要だ。ひたすら書いて調子を取り戻すてふ徒労と事態の悪化を招くだけの行為はせず、他人の文章を書き写すことに没頭してひたすら書写して書写して書写しまくる。……人によって異なろうけれど、わたくしの場合はこれがいちばん効果があるようだ。
 今回テキストにしたのは、コラムニストやジャーナリストの作物(コラムニストとはこの場合、コラムも書いている人、という、とってもゆるい括りで考えてほしい)。気附けば400字詰め原稿用紙60枚分ぐらいは書き写したようだ。
 誰のものを書き写したか、なる問いに答えて具体的に名前を挙げてしまうと、竹内政明と池上彰、里美清一、石原壮一郎の4人。単著で親しんでいる人もあれば、雑誌連載のコラムでより親しんでいる人もある。
 竹内さんは読売新聞朝刊の「編集手帳」の執筆を長きにわたって担当した人で、池上さんをして「新聞を一面右下から読ませる」術に長けた人。里美清一は日本赤十字医療センターで化学療法科部長を務めており、現在『週刊新潮』で「井の中の蛙」を連載中。石原壮一郎はなかなか読ませる力と軽みと諷刺と時々ヘヴィな表現を織り交ぜた文章を物す人で、読んでいる間は気のゆるめられないのがそのコラムの特徴か。この石原氏、いまだ単著を手にしたことなく氏の文章を読むのは専ら(≒なぜか)雑誌媒体であるという不思議さが、わたくしの場合はある。──池上さんは、いわずもがな、紹介も不要ですね?
 とまれ、この人たちの文章を買いこむ週刊誌や架蔵の著書から任意に書き写して、改めて「読者が知らず引きこまれる文章とはどのようなものか」を教えられたように思うが、これが自分の文章には、どうしたわけか反映しないというのが、或る意味でもっとも悩ましい点かもしれぬ。
 これからわたくしは自分の文章を、意識して変化させてゆく必要がある。そのための修行としても先に名を挙げた諸氏の文章のみならず、「これは!」と思う文章を見附けたら切り抜いて手許に置くのみならず、時間を作って書き写してそのコラムのプロットや話題の転換や膨らませ方などを分析し、逆に文字数制限ゆえになにを書かず、なにを削ったか(圧縮したか)を、これまで以上に意識して考えてゆくことにしよう。
 各新聞一面に載るコラムを範とする一方で、池上さんたちのように「読ませる力」を備えた記事を書けるようになりたい、否、ならなくては……と強く願うのである。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。