第3436日目 〈蘇峰『近世日本国民史』を汚すことに葛藤あり。〉 [日々の思い・独り言]

 徳富蘇峰『近世日本国民史』〜「元禄時代義士篇 赤穂義士」の巻を未だに読んでいる。読むのが偶になら、読書メモはなお時間の感覚があいてしまう。
 おまけにその読書メモに割く時間、1章につき約3時間弱を要しているとなれば、もはや根本的になにかがいつもと間違っていることに。
 読了から程なくノート作成に移れる本もあれば、牛歩の如く1章を読み終える毎にノートを執るに適した本もある。前者は専ら小説やライフハック系の本で、後者は此度のような歴史書や社会科学──特に政経──の本が多い。わたくしの場合は、である。
 これまでの読書ノート、読書メモと今回のそれと、どこに相違があるのか。抜書き用のノートかモレスキンの方眼ラージノートかの違い? うん、使っているノートが違うのは事実だけれど、最大要因ではない。では、──?
 咨、自分でも答えはわかっているのだ。即ち、本を汚しているか否か、である。
 これまでは読みながらページの角を折ったり、シャープペンや水性ペンで、ちょっと引っ掛かった箇所にラインを引いたり、一言二言、意見を書きつけたりしていた。が、今回の蘇峰についてはそうしたことは一切していない。
 これが後々どんな事態を招くかというと、書きこんだり角を折ったりしておればその箇所だけ目を通せば良いが、それをしないと結局、最初より読むスピードは早めながら、目は活字を一字一字追ってしまっていること専らなのである──本人にその意識がなくても、だ。
 では如何にしてノートに要す時間を、も少しだけでも早くするか?
 書込み等しないでノートを作る、メモを取る、となると1章を読む度毎に作業するが最善。あまり汚したくない本ではあるけれど、角を折るなりシャープペンで薄くラインを引いたりするより他ないんかな……。
 時間の短縮を目指すなら上述の作業方法を採るのが最適だろうが、その本に関しては汚したくない、という気持ちの方が強いのである。要するに葛藤しているのである。──簡単に入手できるなら良いけれど、講談社学術文庫の『近世日本国民史』は決して安くないからね。
 正直な話、このままのペースでは読了までに、今年いっぱい掛かりそうである。それは避けたい、避けねばならぬ。果たして、どうなる?◆

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