第3423日目2/2 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第01話を観ました。〉1/2 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 遂に、というか、ようやく、というか、ともかく始まったのである。今年いちばん待ちかねたアニメ作品、『ラブライブ!スーパースター!!』第2期が。過去にいろいろ批判、苦情、懸念等々述べることあったけれど、さて、そうした<疑惑>は一掃されたか? 払拭は出来たか?
 結論をいうてしまうと、一掃されぬまでも払拭は或る程度までされたかな、と思うている。
 他の作品もそうだが、第1話を観て今後の視聴を続けるか考えることにしていた。殊『ラブライブ!』に関しては『ラブライブ!サンシャイン!!』というわたくしのなかで著しく評価も好感度も下落して未だマイナス値の作品があることで、尚更見極めが必要だったのだ。
 そうして、その懸念は、まずは払拭されて、このあとも観てゆこう、という気持ちになった。やはり動いて喋っているところを観ないと、推せるかどうかの判断は、批判の矢を収めて期待に転じるか否かの判断は、出来ませんな……。



 第1話は桜小路きな子がスクールアイドルを知り、Liella!に勧誘されるお話でした(入部するまで、ではない)。
 北海道から高校進学を機に東京へやって来たきな子。なぜ結ヶ岡女子高等学校だったのか。きな子は如何にして結ヶ岡女子高等学校を知り、地元ではなく東京の高校を受験したのか。真意は明らかでない。いまはまだ「都会の生活に憧れて地元ではなくわざわざ上京してきた」という彼女の台詞を信じるよりないでしょう。
 第1期第12話での東京大会ステージが話題になった、というよりは、第1期終了から第2期開始までの時間軸のなかでサニーパッションが優勝者インタヴューを神津島で受けた際、いちばん心に残ったスクールアイドルはLiella!でした、と話す場面が動画やSNSで拡散されてその知名度・その活躍は全国区になったであろうこと、中国上海に住む可可の家族が知っていることも踏まえれば疑いなきこと。
 実際、結ヶ岡女子高等学校に新しく1年生として入学してきた生徒のなかにも、Liella!のことを知っており、その活躍を羨望視する人がいる様子。その最右翼は、後にLiella!に加入する、とされている赤髪口悪の米女メイを措いて他にありません。
 メイは入学以前からLiella!のことは知っていた。
 自宅を捜して東京を彷徨うきな子が偶然にも結ヶ岡女子高等学校の前に至ったとき、向かいの歩道から隠れるようにして校舎を見、屋上でLiella!が練習していると想像して、蕩けたような表情をしていました。
 入学からしばらく日が経ったと思われる或る日、きな子にLiella!がどれだけのグループなのか、結ヶ岡女子高等学校にとってどのような存在なのか、と説明していました(「ま、私はよく知らねーけど」と〆括るあたりは、シリーズ専攻作品の同じ赤髪のこのツンデレを)。
 スクールアイドル部の部員募集ポスターを見入っている自分の後ろに現れたきな子から、「かのん先輩からスクールアイドル部に誘われたっす」と聞かされたときの反応は、まさしく彼女にとってLiella!が、それを構成するメンバーが崇め奉るに等しい存在であったことを意味しましょう。終盤のLiella!のステージリハーサルを垣間見てしまったときの台詞からも、それは窺えます。
 そんなメイであれば、結ヶ岡女子高等学校を受験する理由は明白。が、きな子は?
 どうしてわたくしがこんなにまで、きな子が上京してきた背景と経緯等々を深く掘りたがるのは、──いやぁ、正直に白状しちまいますが、動いて喋るきな子を見た途端、「この子、おもろいやん!」「この子、かわええわぁ」「この子、推すわ!」となった次第でありまして。
 当初、公式サイトの自己紹介や動画で気になって気になって(≒気に障って)仕方なかった口癖、「〜っす」も実際に本編で見てみると、さして気になるものではなかった。考えてみれば、われらの世代は「〜っす」って普通に口癖だったこともあるから、そんな風に感じたのかな。『LLS』の国木田花丸の口癖「〜ずら」が、自分も子供の頃伊豆にいたから耳馴染みで懐かしく聞いていたそれだったので、同じような感覚だったのかもしれないね。
 きな子の上京に関してずいぶんと書いてしまったようなので、ここらで止めにしたく思いますが、その前にこれだけ。──きな子はどうやって結ヶ岡女子高等学校を受験したのか。オンラインで高校受験できる時代なの、現代って? 受験のために東京に出て来るのが常道だろうが、北海道から出たことがないと推測される彼女がそれを行ったとは、どうにも考え難い。まさか結ヶ岡女子高等学校、Liella!の活躍で知名度向上させたのを良いことに、全国各地から生徒を集めるために北海道にも受験会場を設置した? いやぁ、それもどうなんでしょう。残念ながらわたくしの周囲には高校受験を控えていたり、その苦労から解放されて間もないような子を持つ親がいないので、昨今の高校受験事情を調べてみて、この〈きな子がどうやって結ヶ岡女子高等学校を受験したか〉問題に或る程度までの決着を付けたく思います。
 さて。話題を変えましょう。
 第1話はきな子を中心に進んだので他の新メンバーに尺が振られることは余りなかったけれど、それでも個々に爪痕は残したようであります。メイに関しては既に上で述べてしまったので、残る2人、若菜四季と鬼塚夏美を見てみましょう。
 若菜四季;公式サイトの紹介記事からは、この子がいちばん物静かそうで、クールな印象を受ける……が、第1話を終わったいまはいちばん印象の変わった子となりました。クールではあるのだが、たぶん物静かではない。というよりも、可可と同じぐらいに、ぶっ飛んでる子。そうして、可可と同じぐらいに手先が器用な子。
 根拠はこうだ、ワトスン。スクールアイドルに誘われたがLiella!の凄さを人から聞いて入部を迷うきな子に、鬼塚夏美がアドヴァイスを与えている。その隣りに突然、なぜか白衣姿で現れて、自分の左足首ときな子の右足首を謎のアイテムで固定する。本人曰く、「足関節神経ブロック」だそうですが、要するに二人三脚で互いの足首を結わったハチマキ代わりです。その直後から2人は階段を、殆どあり得ぬぐらいの全力疾走で駆けあがってLiella!が練習している屋上近くまで疾走する。その勢いがどれだけのものかといえば、階段を3階まであがったところで「足関節神経ブロック」を切り離されたきな子が、雄叫びをあげながら止まること出来ぬまま(器用に踊り場を曲がり、屋上への扉前を90度ターンして)走ってゆく、というあたりからもご推察いただけましょう……。20分57秒から21分06秒までのシーンです、──。
 (「足関節神経ブロック」を切り離されたきな子、後ろの若菜四季を振り返りながら)
 きな子;若菜さーん!
 四季;ファイトー。
 きな子;止まれない〜! と〜ま〜れ〜な〜い〜っ!!
 (階段を駆けあがってゆく)
 きな子;のわああああ! (4階到着、屋上への扉前で90度ターンして屋上へ飛び出す)アンギャー! ぐわ〜、死ぬう……。
──と。そうして顔をあげたきな子の前にいたのが、きな子の到着を待ってステージリハーサルを始めようとしているLiella!というオチ。
 ……なんだろう、この四季の得体の知れなさ。一人遊びが好き、ミステリアスな雰囲気で感情を口にすることは少ない、と公式からアナウンスされ、かつ自己紹介コメントでも「メイからは、発明や実験が得意だねといつも言われている。スクールアイドル部以外に科学部にも入っているし」とはいっているだけに、此度の二人三脚用「足関節神経ブロック」は彼女らしさが最初に視聴者に伝わるアイテムとなって、良かったのではないでしょうか。
 そうしてなによりも……あんた、かなり体力と持久力あるな! 凛ちゃん、曜ちゃん/果南ちゃん、愛さん並のアスリートっぷりではないか。むろん、この場面だけで判断するのは危険だけれど(こんな彼女もまさかのポンコツ堕ちの可能性があるのだ)、千砂都の体力と可可の物作りの両方を備えたキャラであるならば、今後の活躍が楽しみだ……脚本の不安はあるが、それはさておき。
 もう1点、加うるところあるとすれば、第2話予告、か。ランニングするきな子の後ろにチラリと四季の姿が映る。かなりスムースに横移動していることから自作のマシンにもで乗っているのだろうか。否、そればかりではない。同じ場面で四季が装着しているゴーグルの如き、どこかの映画で見たようなメガネ(?)が気になって仕方がない。んんん、なんだかこの子、マッドサイエンティストみたいだな。似合っているし、可愛いから良いけれど。
 鬼塚夏美は「オニナッツー!」にどうしても拒絶反応が起こるのだけれど、やがてすみれの「ギャラクシー!」と同じように聞き流すことの出来る騒音となってゆく日が来るのだろうか。自己紹介からしてもう受け入れられない要素がたっぷりな彼女だったが、今後多少なりともその印象がプラスに転じることを期待したい……きな子に諭していた台詞だけではまだその印象、プラスには転じないのだ。良い台詞、いってるんだけれどね。曰く、「向いていないことを幾ら頑張ったって、ダメなものはダメです。でも、やってもないのに向いているかどうかなんて、わからないでしょ?」と。
 まぁ、彼女に関しては今後の展開を静観して、改めて述べてゆくことに致しましょう。──それにしてもきな子がエルチューバー(Ltuber)を知っていたことに吃驚です。



 遂にかのんたちも先輩になった。その喜びの程(「先輩」と呼ばれて身悶えるかのんちゃん!!!!)、ちぃちゃんの謎発言、相変わらずの可可とすみれの掛け合い(可可の帰国問題を含めて)、OPと挿入歌など、Liella!メンバーに関してお話ししたいのですが、それはまた改めて。本稿を改稿するか、別稿にするかはまだ決めていません。
 現時点でいいたいことはただ1つ。第2期は思ったよりも良かったので、やっぱり継続視聴することに決めました。
 第2話「2年生と1年生」は来週07月24日(日)19時から放送予定。◆

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第3423日目1/2 〈〈歴史を視る目〉と〈歴史を図る素地〉を備えたる歴史家、徳富蘇峰。〉 [日々の思い・独り言]

 徳富蘇峰『近世日本国民史』を読んでいる。「赤穂義士」の巻だ。藤沢周平から地滑りした読書であることは既にお伝えしているが、立川文庫、吉川英治、縄田一夫・編のアンソロジー、と来て、ようやく本丸攻略に着手したてふ気分である。
 わたくしにとって徳富蘇峰、と来れば、渡部昇一のエッセイである。始まりは『知的生活の方法』で買った本を置く空間に悩まされた若き日の回想、古本屋で戦前の版50巻を見附けたので来日中のアメリカ人日本史研究者に教えて買うよう奨めた、というエピソード(P96 講談社現代新書 1976/04)だ。十何冊も著者の本を読むとお目にかかる話題の1つでもある。
 そのエピソードの末に『近世日本国民史』に関しては『腐敗の時代』に書いた、とあるのでさっそく探したけれど、どうしてか見附けること叶わず、Web上で全国の古書店の在庫を見られるようになると今度は状態の良いものが見附からず、結局その全文を読んだのは、歿後刊行された『歴史への遺言 未来を拓く日本人へ』(ビジネス社 2019/11)に再録されたなかである。件のエッセイ、題を「真の戦闘者・徳富蘇峰」という。
 それに拠ればかつて蘇峰のこの本は戦後すぐの頃、一部歴史学者の間では古傷を抉るが如きアイテムだったようだ。
 というのも、渡部が田舎の恩師から依頼を承けて、『近世日本国民史』の信憑性について質問した相手、辻善之助は昭和11年11月05日、蘇峰の文章報国五十年祝賀会(於帝国ホテル)の席上で当時52巻(「文久元治の時局」昭和11/1936年08月刊)まで刊行されていた『近世日本国民史』に触れて、「徳富先生は史家の三長をことごとく具えられた方であるといってもよろしいかと思います」といい、林羅山・春斎『本朝通鑑』や水戸藩編纂『大日本史』と『近世日本国民史』を並べて絶讃の言葉を連ね、〆括り近くで『本朝通鑑』や『大日本史』が組織の後ろ盾あって為された事業であるに対して『近世日本国民史』は、「個人の仕事としては徳富先生の大業に及ぶものは絶無なのであります。更に識の点、及び才の点、つまり歴史に対する識見や史筆において徳富先生は新井白石か頼山陽に当ると思われます」とその大事業を寿ぐ(前掲書P203-205)。
 なお、辻の祝辞のなかに出る「史家の三長」とは、「学(学問)」と「識(識見)」と「才(才力殊に文章力)」、を指す。
 これがどうやら古傷となって、渡部の私意なき質問に不快そうな表情を浮かべてしまった背景になったらしい。間には大東亜戦争と敗戦、米軍による占領統治という有史以来この国が経験したことのない出来事が出来した。時代が変わった、といえばそれまでだが、斯くも価値観や思想の驚天動地を経験した時代も他にあるまいから、辻博士の不快も仕方ないことだろう。
 さて、肝心の渡部の質問に対する辻のアンサーは如何様なものであったか。曰く、──

 蘇峰は多くの助手を使って書いた。資料編纂所の資料をよく使っている。そういうところは信憑性があるということで五十パーセントだ。(前掲書P202-3)

──と。つまり、史資料を引いた部分は信憑性あり、けれども蘇峰が書いた部分はねぇ……ということか。冷静に考えれば変な話であるが──この部分は自分が『近世日本国民史』を買い揃えて通読したらば、検討してみよう。
 話が若干横道に逸れたようだ。戻そう。
 その後、講談社学術文庫に収まった何巻かを、伊勢佐木モールの古本屋で購入した。真面目に読書に取り組み始めたのは此度の赤穂事件への関心からだが、実際に自分で読んでみて、これ程信頼を置くに値する近代以後に書かれた史書もそう多くはあるまい、と感じた。
 蘇峰の史料の扱い方は公平である。どちらか一方に与してそれを称揚し、もう片方を陥れるような資料の用い方はしない。蘇峰自身の筆も公正であることにこれ努め、両者の言い分を掬いあげて時に留保、時に両成敗の判断を下して、出来事の推移を見極めてゆく。提供された諸史料や三田村玄龍のような同時代人の著書をも参照・引用しながら事件の根本を冷静に見つめ、それらいずれに於いても検証の煩を厭わずかつ己の意見を明記して、歴史の必然たることを説いてゆく。
 〈歴史を視る目〉と〈歴史を図る素地〉なくして史書は書けぬ、史論は書けぬ。新井白石『読史余論』、頼山陽『日本外史』は近世期の作物だが、〈歴史を視る目〉と〈歴史を図る素地〉いずれも不足なき人によって書かれた史書、史論と申せよう。
 時代変わって、近代以後にそれに匹敵するものは果たしてあったか。挙げ得るは原勝郎と田中義成、竹越与三郎(三叉)を除けば唯一、この蘇峰のみであるまいか。──内、『近世日本国民史』こそは蘇峰の筆力とネームバリュー(執筆中の蘇峰の許には全国から資料の提供があった、という)が見事に融合して成った稀代の史書といえる。わたくしはそう固く信じて疑わない。
 現代? 個々の出来事について述べるは優秀でも通史を一貫した視点持って語り得る人物は学会にも在野にも皆無であるまいか。実際に書かれたものとなると殆ど玉砕でないか。もはや現代は通史を書くことに不向きな時代であるのかもしれない、余りに細分化され、余りに重箱の隅を突きまくって穴が開くまで突くことが慣習化しており、ゆえに水平方向の往来ができにくくなっているようだから。神話の時代からこの腐敗の時代までの歴史を俯瞰する自らの視点を持たぬ歴史家の絶えて少ないことこそ哀れなるべし。
 本稿でもたびたび名前を挙げている渡部昇一にも『渡部昇一「日本の歴史』(WAC 2010/02-11/02 「特別版 読む年表 日本の歴史」あり、WAC 2011/06)や『渡部昇一の少年日本史』(致知出版社 2017/04)といった、いわゆる日本史の〈通史〉を書いた著書がある。
 けれど、わたくしはあれは、絶えず疑義を差し挟みながら読み進めてゆくべき代物である、と考える。全体的には良い本なのだが、一つ一つを掬いあげてゆくと「え、ちょっと待ってよ。それは資料の読み違いも甚だしくはありませんか?」など亡き著者にツッコミを入れたくなってしまう箇所がある。たとえばだが『渡部昇一「日本の歴史』第4巻「近世篇 世界一の都市 江戸の繁栄」(2010/07)は読んでいて、多少知るところある他よりはある時代とあって琴線に触れて響く箇所も卓見と膝を叩く場面もなく、本当に退屈だった。得るところ、触発されるところが殆どない。そうして近代以後は既に他書で書かれたことの繰り返しが過半である。
 少なくとも日本史に於いて渡部昇一は、徳富蘇峰になろうとしてなれなかった人、とわたくしは捉える。
 ──蘇峰のこの本、『近世日本国民史』の赤穂義士の巻についての感想は、また改めてここにお披露目する。◆

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