第3433日目 〈電車に揺られて、本を読む。〉 [日々の思い・独り言]

 こんなわたくしでもまとまった時間を作って、何冊かの本を集中して読まねばならぬことがある。大抵は近所のドトールか行きつけのスタバを回遊して済ませるのだが、時に馴染みの場所を離れてプチ旅行を敢行、電車に揺られて本を読み通す。
 プチ旅行とはいうても所詮は日帰り、家を離れている時間は会社に行っているのとそう変わりはない。その内容、単に電車に乗って坐れたら持ちこんだ本を読み始め、適当な駅で折り返して帰ってくるまでひたすら読み通す、というに過ぎぬ。
 家人は「現実逃避」と苦笑するけれど、独身時代からの習慣ゆえこちらも適当に受け流している(というか、何度か一緒に同じことをやった覚えがあるのだが?)。
 ずっと坐っているからとて、特別に腰痛対策をしているわけではない。ときどき体を動かして姿勢を変え、坐ったままできるストレッチを試みたりするが精々。
 ──腰よりも背中かな、わたくしの場合、痛みと疲れが溜まってきて時に耐えられないぐらいになるのは。そうなったら思い切って、荷物を持って電車を降りて、ホームをてくてく歩いて体を動かし、人目に付かぬ場所を見附けて軽く体操する。気分転換だ。こんな程度でも背中、就中肩甲骨に溜まった疲れや痛みは軽減する。
 大概は地元のJRの、始発駅から終点までを2回ぐらい往復して、途中山手線や総武線各駅停車に乗り換えて、自宅最寄り駅まで帰ってくるパターン。たまに京浜急行で三浦から北総線直通の電車で印旛まで往復してみることも、ある。
 でもそれ以上に多いのは、東海道本線に乗って静岡方面まで行って帰ってくるパターンかな。あちらには土地勘もあるし、多少の冒険もできるのだ。気が向いたら伊豆で下車して美味しいものを食べたり地元の図書館や古本屋に行ったり、知己を訪ねたり、バスに乗って観光してきたりね。ここまで行くと、完全に気分転換の域を通り越して、本来の目的を忘れているような気もするが、これで良いのだ。体も心もリフレッシュできた、脳ミソには新鮮な空気が取りこまれた。良いこと尽くめではないか。
 稀に北関東や山梨・長野・富山・石川まで行ってしまうこともあるけれど(誰だ、後者は北陸新幹線の通過県ではないか、と発見してしまったのは)、これは本当に1年に1回、あるかないかだから。
 それはさておき。
 物理的な書物を何冊も運んでいるのだから、荷物は重い。手帳2冊とノート、クリアフォルダ、MBAとスマホにバッテリ、財布、などなどが加わるのだから、確かに荷物は重い。先述の背中就中肩甲骨の痛みや疲れの原因は、むしろこれらを詰めたリュックを背負っているからではないか、という気もするが、でも仕方ない。仮に読む本が電子書籍に化けて紙の本を持たなくなったとしても、その分なにかしらの荷物が増えるような気がしてならぬ。
 肝心の、そうした時間を作って読んでいる本はなにか、という話だが、ここ数年はフィクションをそうやって読んだことがない。専らジャーナリズムの本であり、キリスト教(聖書・ユダヤ教)の本であり、法律と経済──投資は含まず──の本であり、科学や医療の本である。それらがブログの原稿に反映するか否かはさしたる問題ではない。自分自身のための読書でもあり、提出レポートや他媒体の原稿のための読書でもあるからだ。最近はジャーナリズムが多く、新聞関係の下調べのための読書を、電車のなかでよくしている。
 家だとなかなか頭に入ってこない内容も、電車に揺られて読んでいると不思議にするする入ってくるのだよなぁ。やはり適度な振動は脳を活性化させ、普段と異なる環境は意欲を高め、内容を把握する能力を覚醒させるのだろうか。──問題は、それがきちんと記憶に留められているかどうか、ということですが、これはまぁ、先人賢人の言葉に縋るとしましょう。
 とまれ、こうした夫のわがまま──というか気紛れ同然の行動を容認してくださっている奥方様に、感謝。◆

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