第3614日目 〈われ、死者を愛する者なり。〉 [日々の思い・独り言]

 優先すべき役所や金融機関での手続き、書類請求が一段落。いまは「小休止」の時期なのだろうが、本人としてはそんな気持にまったくなれない。先を思えば、まだまだ沢山やることはある。四十九日までは気の休まらない毎日だ。
 なんの予定もない日が週に1日くらいあるけれど(たいてい日曜日)、むりやりにでもやることを見附けないとそんな日は却って、悪しき思いに囚われて、喪のプロセスに異常を来すようなことばかり考えてしまう。先週はかなり、まずかった。
 作品名は忘れたが、故人の思い出を訪れた人と語り合う場面のある古典を読んだ。いまではその場面を、心の底から羨ましく思う。まぶしく映って仕方ない。そんな人、わたくしにはいないからだ、そんな人。故人の友なる方らにそれを求めることは出来ぬ。母の属した友らのいるコミュニティに、わたくしは属していないからだ。いや、まァ、そういうものだとは思うけれど。
 それゆえか、独りし摂る食事の時は遺影や骨壺のある部屋であったり、遺影を居間に持ってきて坐っていた椅子にそれを置いたり、そんな風にして一緒に摂ることがもっぱらだったりする。
 われながら、狂っている。さう思はぬでもない。が、四十九日が済むまで故人の魂は、だんだんと冥府への道を辿っているとはいえこの世に留まっているのだ。ならば故人を惜しんで、故人を愛おしんで、生前と同じような時間を過ごして果たして何の咎もあるまい。
 われ死者を愛す。顧みるまでもなくわたくしが愛した人たちは皆、もうこの世からいなくなってしまった。10代で婚約者が逝ったのを皮切りに、今世紀になるや途端に父が逝き、恩師が逝き、友らが逝き、こうしていま母が逝ってしまった。われ死者を愛す。このうつしよにいまや愛する生者は一人としていない。愛してはいけない人なら二人、いるけれどな。
 たとい冥府の人と完全になろうとも、愛する死者の魂は永遠にその人を想う者のそばにいて、慰め、助け、導き、包み、見守ってくれる。魂の永遠は信じて良いことだ。死者はいつもそこにいる。死者は心友である。
 われ死者を愛す。仍て件の如し。◆

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