第3495日目 〈アメリカの大学生を見習おう。──下村満子『ハーバード・メモリーズ』から。〉 [日々の思い・独り言]

 一瀉千里の勢いで、というか「身から出た錆」ゆえに、というかで、メルケル元独首相の伝記とプーチン露大統領論(各2冊)、約1,100ページを泥縄式に読了。ぐったり、であります。肉体の痛みにめげずよく頑張った、と自分で自分を誉めてあげたい(呵呵)。これでゴルバチョフ自伝と回想録も読み終えていれば文句なしなんだけれど──まァ、人生はそう上手くいくものじゃありませんな(再び、呵呵)。
 読了の心地よい疲れにこゝろ彷徨わせながらウトウトしていたら、《ラインの黄金》前奏曲が聴こえてきた。というのは冗談で、作曲者ワーグナーの逸話を遊び心から引いてみただけっす。
 真面目に話せば、上述の4冊を立て続けに読み終えて、内容を倩回想していたら唐突に思い出す本があったのだ。20代の中葉から終わりにかけて伊勢佐木モールの古本屋で購い、ともすれば挫折しそうな向学心を支えた(三度、呵呵)本である。

 インターネットが一般大衆の間に広まるにはまだ早く、電子書籍なんて絵に描いた餅でしかなかった頃。つまり1980年代中葉である。
 朝日新聞の下村満子記者(※)は当時、ハーバード大学ニーマン特別研究員(フェロー)として1年間アメリカに滞在していた。著者自身にそれがどんなものであり、どんな役割を果たしてきたか、語ってもらおう。曰く、──
 「ニーマン・フェローシップというのは、ハーバード大学がジャーナリストのために設けている特別研究制度」(P28)であり、当初は「全米のすでにかなりのキャリアを積んだベテラン・ジャーナリストのなかから毎年十数名を厳選し、フェローシップを与えてきた」が、1950年代初めから外国人にも門戸を開くようになり、「ジャーナリズムの質の向上は、ジャーナリストの質の向上なくしてはありえない──それがニーマン・フェローシップのめざすところ」(P29)で、「現在、アメリカのジャーナリズム界のトップあるいは中枢となって活躍している人びとの非常に多くが、ニーマンの〝卒業生〟であるという事実は、このフェローシップの果たしてきた役割の大きさを物語っている」
──と。
 『ハーバード・メモリーズ アメリカのこと・日本のこと』(PHP研究所 1989/02)はそのメモワール。社会と学生、教育と政治、そうした〈アメリカらしさ〉を鋭い眼差しとユーモラスな筆致で綴った、回想と観察の1冊だ。友情の記録、という側面も持つ。最後の点については、と或るジャーナリストの最期に触れた、文庫化に際して書き下ろされた章によって際立つことになる。というわけで、買うなら絶対文庫版がオススメ(PHP文庫 1990/10)。
 下村は同書のなかで、ハーバード大学生の読書についてこんな風に書いていた。要約して曰く、──
 かれらの読書量は1週1課平均200-250ページ、1学期中に無理なく受講できるのは4課目が限度といわれるから、毎週平均1,000ページを読むことになる。ゆえにかれらはどんな場所でも寸暇を惜しんで本を読む。
 教員が指定テキストを優しく噛み砕いて解説してくれる日本の大学と違って、ハーバードでは指定した文献を読んできていることを前提に講義を進められる。しかもディスカッションを中心とした講義スタイルだ。つまり、毎週平均1,000ページを読んでいないと講義についてゆけない。
⎯⎯と。
 毎週平均1,000ページ! これがどれだけの量になるのか、読者諸兄にはお手許の本でご確認いただきたい。ちなみにわたくしは本稿の第一稿をお馴染みのスタバで書いているが、リュックのなかには例によってゴルバチョフ自伝がある。これが目次・本文・索引で計571ページだ。厚さ、約4センチ。ほぼ倍の分量を(当時の)ハーバードの学生たちは、大学のある期間は毎週追い立てられるようにして、飛ばし読みや速読などあらゆる読書技術を援用しながら、読んでいったのである。
 荷物の多さに閉口した人は多かったろう。読むべき書物を収めたリュックやトートバッグの重さに肩や腰を痛めた人もあったろう。昼夜を押して読めば視力の低下やかすみを覚えた人はどれだけいたか。想像するに余りある。
 さて。
 大学生協で働きながら勤労学生をしていた当時のわたくしに、「毎週平均1,000ページを読む大学生」の像がどれだけ強烈に焼きついたか、ご想像いただけるだろうか。毎日毎日学生の相手をしていて、この人たち本当に大学生なんやろか、と小首を傾げていた者には些かショックでもあった。認めたくないが、これがアメリカと日本の根本的な違いか、と愕然となり、世界のエリートと日本のエリートの本質的差異に考えを巡らせて嗟嘆したりもした。どうあがいてもこりゃあ、「日本はアメリカの従属国」といわれても仕方ないか、と諦め半分の気分にもなったりしてね。
 しかし、件の下村の報告がわが身に、著しい変化を及ぼしたのも事実であった。内なる変化をもたらした、という方が正しいか。
 実はこれを読んだ当時というのは、勉学が停滞気味で、試験を受けてもリポートを提出してもなかなか単位取得につながらない、そんな時期だった。幸いなことに職場には、同じ大学で学ぶ人たちが何人もいたため相談相手に事欠くこともなかったけれど、結局は自分自身でどうにかするしかない問題でもあったので、余計に悩ましい時期でもあったのである。
 いまはドンキがテナントに入っているビルに昔あった古本屋で『ハーバード・メモリーズ』を見附けたのは、そんな頃だ。直前にスコット・トゥロー『ハーバード・ロー・スクール』(ハヤカワ文庫NF 1985/04)を読んでいたこともあり、ハーバードの学生たちがどんな生活をしてどんな風に勉強していているのか、そんな興味もあって下村の本に手を伸ばしたのだろう(と思う)。
 この報告に接して生じた内なる変化……単純な話だが、驚愕を与えられ尊敬を覚えると共に、興奮させられ、発憤させられたのである。いつの間にやら猛烈な勢いで大学のテキストを読み進め、仕事のあとには大学図書館に籠もったり神保町の古本屋街に駆けこんで資料を漁る日々が開始された。英語の勉強をやり直そうと大学併設の外国語学校に入学したのも、これとそう離れていない時期と記憶する。別のいい方をすれば、途端に学ぶことが好きになり始めたのである。
 あれはなかなか勉強が進まぬ時期でもあったし、中弛みした頃でもあった。それは1冊の本によってピリオドが打たれた。これが燃料になってその後、卒業までの歳月を突っ走る原動力になった。
 ──総括すればそんな感じである。倩当時を思い返せば、調べ事で多量の本へ目を通すことに抵抗を感じなくなったのは、その頃の賜物かもしれない。
 若いときの情熱や馬力、消化力って、まったく凄いですな……。いまの自分に当時の残滓がどれだけあるか、甚だ疑問でありますよ。
 ちかごろでは興味関心、知的好奇心をくすぐられる対象が多方面に渡ってしまったものだから際限がなくなり、収拾がつかなくなってしまっている。いまの状況に敢えて言葉を与えれば、〈知的息苦しさ〉とでもいえようか。その遠因が下村満子『ハーバード・メモリーズ』であったかもしれない、いや恐らくそうだろう、と思うと、「いやはや、やんぬるかな」と呻くより他にない。

 崎陽軒のシウマイ弁当をじっくりゆっくり賞味した後、本稿アンコ部分を簡単に手直し。その作業の最中、あの頃の同僚や学生たちのことが思い出されて仕方なかった。
 1990年代後半は、社会的にはバブル崩壊と金融危機が日本の行く末を暗く覆い尽くしていた時期だったけれど、個人としては(勿論いま振り返ってみれば、だけれど)極めて充実して楽しい時期であった。社会人としてはまだまだ未熟者なせいもあり、うん、いろいろ勉強だってさせてもらいましたよ(サンキャー)。
 婚約者が逝った傷はまるで癒えていないし、基本的に下を見て歩いていた時代だったけれど、だんだんと世界が広がってゆくことが面白くて、毎日があっという間に過ぎていった。30代になったら1日が過ぎるのなんてあっという間だよ、と生協の先輩(最早、主だった)からいわれてもピンと来なかったけれど、それとは違う意味で毎日が過ぎてゆくのはあっという間だった。
 そんな、「あっという間に過ぎ去った時代」に読んだスティーヴン・キング研究書に紹介されていた、若かりし頃(メイン大学時代)のキングの写真を思い出した。正確には、写真とキャプションである。ヒッピースタイルで歯を剥き出して、こちらにショットガンの銃口を突きつける写真だ。キャプションは、「勉強せい、ガキども!」。なかなか迫力のある1枚だった。
 『ハーバード・メモリーズ』で生じた内なる変化から最近の己の自堕落までを顧みて、最後にこんな写真を思い出す始末。自分に気合い入れなきゃね、というところです。◆

※帰国した下村は朝日新聞編集委員や『朝日ジャーナル』編集長を務めた。
 『朝日ジャーナル』編集長時代の下村について、立花隆は「下村満子さんは記者としてはなかなかの人だと思っていたが、編集長としての資質をいささか欠いていたのではないか」(『ぼくはこんな本を読んできた』P242下 文春文庫 1999/03)、「どう考えても朝日ジャーナルをつぶしたのは、下村満子編集長である。彼女の編集長としての能力の欠如があの雑誌をつぶしたのである」(同P243上)と評している。□


ハーバード・メモリーズ―アメリカのこと・日本のこと (PHP文庫)

ハーバード・メモリーズ―アメリカのこと・日本のこと (PHP文庫)

  • 作者: 下村 満子
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 1990/10/01
  • メディア: 文庫




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