第3512日目 〈安倍さん県民葬での反対デモに思う。〉 [日々の思い・独り言]

 令和4/2022年10月15日(土)、山口県下関市で安倍元首相の県民葬が行われた。ようやく安倍さんは、地元というか故郷へ還ったのだ。ふるさとの土の下で眠る日もいつか来る、と考えていたろうが、まさかこんなに早くとは……ご本人にも青天の霹靂であったろう。
 安倍家の私的葬儀、物議をかもした国葬、そうして今回地盤での有志による県民葬。しめやかに行われた、とはどれも言い難い。静かに故人を送る席であるはずの葬儀は、今回もアベガー共の非常識な振る舞いによって、その静謐は乱されたからだ。
 国葬のときも思うたし、いいもしたけれど、どうして連衆はわざわざ故人を見送る催事を自らの騒音で台無しにしたがるのか。それ程自分たちの存在を主張したいのか。自分たちが注目を浴びることに快感を覚えているのだろうか。
 公人であれば、自分たちが「否」と思う政治家相手であれば、どんな類の葬儀であっても邪魔する権利がある、声を張りあげて阻止を訴える資格がある、とでもかれらが思うているのならば、それを「愚の骨頂」という。お前たちは何様だ。
 「県民葬に高額な税金を使うのではなく、支援を必要とする人たちのために役立てるべきだ」という声がある。確かにそれは税金で賄われた。が、有志による献金のみで執行されていても、こうした人は論旨をすり替えて糾弾できる材料を、鼻をクンクンさせて探して回るのでは。
 税金を使うな、というならば、なにかしらの税金を財源にした一切の国事行為や公共事業を否定しなくてはなるまい。挙行の際は、そうした場にかならず出向いて、「反対、反対、ハンターイ!!」と声を嗄らして叫ばなくてはならない。なんと愚劣で、浅ましく、暇な行いだろうか。
 税金を用いた県民葬に反対を唱える人のうち、いったいどれだけが故安倍晋太郎氏の県民葬(平成3/1991年6月17日)でも抗議集会に参加して、県民葬反対、を叫んだのか? それとも、安倍元首相が対象だから周囲の同調圧力に呑みこまれて、反対の声をあげている〈いまだけ〉の人なのか。当然、投票もしていないはず。
 税金の問題は棚上げしても葬儀にお金をかけることに疑問を呈すならば、自分の葬儀は出さず、葬儀代として用意しているお金の全額を、食事も教育も満足に受けられていない子供たちや、貧困世帯に全額を寄付するなどされる「べきだ」。それこそが、「支援を必要とする人たちのために役立てるべき」という主張に叶う話ではないか。言葉ではなく、行動で、道を示せ。
 かりに税金の使い途について反対派市民団体が納得できても、他のすべても納得するとは限らない。それぐらいおわかりのはず。
 葬儀を邪魔して憚らない、自らの人品を卑しめることに終始するアベガーにいいたいことは、国葬と同じでただ1つ。葬儀の間ぐらい黙っていろ、遺族や関係者が弔意を示しているときに、その気持ちをかき乱すような下劣な真似をするな、馬鹿者! というだけ。
 此度の安倍元首相の一連の葬儀を見ていて、つくづく情けなく思う。日本人の品性は、ここまで下劣になったか。日本人の知性は、ここまで堕ちたか。安倍さんはこんな連衆のために、日本を良くしようと奮闘されていたわけではあるまいに。◆

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