第3501日目 〈30年前の世界史教科書は、証言記録である。〉 [日々の思い・独り言]

 廊下の本棚、上から2段目の左から2冊目。高校時代に使っていた世界史の教科書です。山川出版社、1989年03月刊。
 ナイトキャップ代わりに読み始めたら、これが頗る面白い。30年でどれだけ世界が変わったか、30年前の世界がどんな枠組みにあったか、その証言記録ともいえる、この世界史の教科書。
 まず以てわたくしの世代までは当然だった国名が、いまはもう消滅しているのがわかる。然り、この教科書にはロシア連邦も統一ドイツも登場しないのです。アフリカのナミビアを始め、今日では独立を果たしている国のいくつかが、非独立国として記載されています。
 ソビエト(ソヴィエト)連邦があるということは、ウクライナの名前も、ベラルーシも、バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)も巻末の世界地図にはなく、本文にも索引にも登場しない。ゴルバチョフはまだ書記長で、ペレストロイカもグラスノチも出てこないわけです。当然冷戦も、まだ終わっていない。
 ソ連ついでにいえば、旧東欧諸国は社会主義国家であり、ワルシャワ条約機構もユーゴスラヴィアもベルリンの壁も健在です。同様の国家システムを持つ国に中国がありますが、文化大革命の記事はあっても天安門事件の記述はどこにもない。
 それらの多くは、まさにわたくしがこの教科書を使って世界史を習っていた1989年に発生した出来事だったのです。
 件の世界史教科書を証言記録と呼んだのは、こういう理由です。即ち、世界が今日われらが知るような枠組みに変貌しつつある「慌ただしい」時代の出来事が妙な生々しさを持って記録されている点で、いまでは数行で片附けられてしまうことがすこしく詳しく記述されていたり、今日の教科書には記述のない事柄が載っている場合もある点で、証言というのであります。
 まこと、1989年──平成元年度は戦後、〈世界〉の枠組みが大きく──というか、なかば根本的に──作り替えられた時代でありましたよ。
 歴史を学ぶ・知るにあたって、近過去の扱いは案外と厄介である。なによりも、自分が生きてきた時代にもかかわらず、近過去についてわれらの記憶は曖昧なのです。知ろうとすると、大部の専門書や分厚い新聞の縮刷版を繙かなくてはならない(まさかWikipediaを全面的に信頼している人は、よもやいないでしょう)。
 その筋道をつける意味でも高校生の自分が使っていた、30年前に発行された世界史教科書の存在は貴重かつ重要、そうして重宝すると思うのであります。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。