第3505日目 〈きのうの、アンドロポフとチェルネンコについての訂正です。〉 [日々の思い・独り言]

 本来であれば当該日のエッセイを修正して、その旨Twitterで報告すれば済む話なのだが、なんだかすっきりしない気分なので新稿を認める次第。昨日の訂正と補足である。
 わたくしは昨日のエッセイで、世界史用語集/用語事典でアンドロポフとチェルネンコの名前を見たことがない、と申しあげたが、それは誤りと知ったのである。
 数日前、メルカリで出品されていた『世界史用語集』を購入して、今日到着した。奥付には1989年10月第1版、1992年03月第1版13刷とある。高校時代に使った『新世界史 改訂版』と同じ時期に配布されたものだ。ということは……そういえば、表紙もなんだか見覚えがある。
 この『世界史用語集』が到着してさっそく索引に目を走らせたのは、昨日のエッセイに記したアンドロポフとチェルネンコの記載があるか否か、確認するためだった。そうして、それは載っていたのである。
 どう書かれているか、参考までに引用する。曰く、──

 アンドロポフ Andropov 1914〜84  1982年11月、ブレジネフの死で政治局員から昇任、ソ連共産党書記長となる。

 チェルネンコ Chernenko 1911〜85  1984年2月、アンドロポフの死去によりソ連共産党書記長に就任。4月、最高会議幹部会議長を兼ねる。(いずれもP288)

──と。
 各用語には、1988年度に全国の高校で使用された世界史教科書(17冊)での記述頻度が示されており、アンドロポフは10冊、チェルネンコは7冊の教科書に記載がある旨明記されている。当時は共通して習うべき、知っておくべき人物の1人だった、ということだ。
 1988年当時、まだソ連邦は健在でアメリカとの冷戦が続いていた。緊張緩和(デタント)が模索されていたとはいえ、「東西陣営の対立」という構図が崩れるなんて夢にも思わぬ時代だ。そんな背景を考え合わせれば、解説がどれだけ簡素でもソ連の国家元首を記載するのは当然至極であったろう。めまぐるしく変わる世界の構図を知っておくため最低限の知識は載せておこう、という編集委員や出版社側の思惑を感じ取ってしまうのは、独りわたくしだけではあるまい。
 国語事典と歴史の用語事典(と地図)は「これっ!」と決めたら入手し得る限りの版を手許に置いておくと、読んだり書いたりする際の心強い参考文献となることを、昨日に続いて実感した。改めて今日、それを報告する。
 参考までに申しあげると、別件で書架から引っ張り出してきた『広辞苑』第三版(岩波書店 1983/12)はフルシチョフ、ブレジネフを項目立てしているが、やはりアンドロポフとチェルネンコの名前はない。ゴルバチョフも同じだ。手許にある第三版は第6刷だが、1988年10月発行とあれば納得である。
 教科書/用語事典にまつわる話は今回で一旦終わりにしますが、今度は書肆の性質や時代情勢なんかも見ながら、『広辞苑』各版で特定の事項がどのように記載されているか、調べてエッセイを書いてみましょうか。◆

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