第3518日目 〈新しいノートと新しい本を物色する。〉 [日々の思い・独り言]

 未だ感想文を書いていないと、抜き書きノートを作成中に思い出した遠藤周作『キリストの誕生』(新潮文庫 1982/12改版, 2011/02)です。「近日公開」でお茶を濁させてください。
 
 この抜き書きノートについては昨年あたり、本ブログで話題にした記憶がある。いまはようやっと2冊目が終わろうとしているところ。元日に書き始めて、10月もなかばのいま時点で残り12ページとはペースが遅い気もするが、読んだ本すべてについて抜き書きを行っているわけではないし、そんなことをするつもりも(まったく)ないから、こんなものだろう。うん。
 引用とコメント、所感を書きつけるノートも上述のように終わりに近附いてきた。最初のノートもそうだったが、もう1冊読んだ本の引用とコメントが残りのページで収まるかな、と不安になってくる。前回は藤沢周平『一茶』でそんな不安が片隅にあった。最後の紙が3分の2ばかし余ったので、一茶本人の言葉と俳句を引っ張ってきて、年の瀬迫った東京ビッグサイトそばの喫茶店でノートを終えたのである。
 では今回は? 『キリストの誕生』の引用とコメントを終えて残ったのは12ページ。『聖書のなかの女性たち』(講談社文庫 1972/11)は引用箇所も少なく、付すべきコメントもそう多くない。ゆえに2冊目のノートでじゅうぶん収まるはずだ。
 それでもページが残るようであったら……さて、どうしましょう。

 1冊のノートが終わろうとしている。そこでまたぞろ頭をもたげてくるのが、「次のノートはどれにしようかな」問題だ。3冊目のノートをそろそろ準備する必要が出た、ともいう。幸いとノートは、ある。部屋を片附けている最中あちこちから出てきた未使用ノート、中途半端に使用済みのノート、厚いのも薄いのも合わせて10冊超。
 迷っている。さて、どれにしようか、と。方眼ノートは却下だ。これだけは決めてある。他に使うシーンを、薄ぼんやりと想定しているせいもある。もうずっと使わないで放置してきたノートを優先して使ってあげたい、というセンチメンタルな気持も働いていよう。方眼ノートは昨年、仕事で使おうと買いこんで結局、使わず終いだったノートなのである。まだまだ今後、活躍の場面はあるだろう……。
 厚めのノートも、3冊目にはしないだろうなぁ。使い途が決まっているわけでもなし、普通のB罫ノートなのにも関わらず、3冊目にはしないだろう。抜き書きノートは雑多なジャンルの雑多な本の引用とコメントが満載なのだが、この厚めのノートはそういう用途に使いたくないのだ。使い切るまでに何年かかるのか。それまでに「抜き書きノート、もうやーめたっ」となって後半部分が真っ白く残ったノートを見るのは心苦しく、後ろめたい気分に駆られるだろう。これはむしろ、特定のテーマに基づいた読書の抜き書きノートにしたいんだよな、と倩考えている。特定のテーマがどのようなものになるか、まるで見当が付いていないけれどね。

 迷っている。3冊目のノートは、誰の、なんという本の抜き書きから始めようか、と。順当に考えれば、現在枕頭の書と化している遠藤周作『私のイエス』になるだろう。
 が、そのセレクトに二の足を踏んでいる。1冊目と2冊目、いずれもトップを飾ったのは池上彰の著書だったからだ。それも、池上さんと佐藤優、竹内政明の対談本であった。1冊目は佐藤氏との『知的再武装60のヒント』(文春新書 2020/03)、2冊目は竹内氏との『書く力 私たちはこうして文章を磨いた』(朝日新書 2017/01)という具合に。
 二度あることは三度ある、という。偶然という名の運命が作用した言葉である。これをわたくしは、自分の力で(意思で)この言葉を現実にしたい。そんな希望を抱くのだ。要するに、前例に倣って(架蔵する)池上さんの対談本で3冊目の抜き書きノートの始まりを寿ぎたいのである。それも、佐藤優を相手にした対談本ではなく(竹内政明相手の対談本は前述の1冊のみだから)。
 となると、自ずと候補は限られてくる。積みあげたなかには半藤一利・池上彰『令和を生きる』(幻冬舎新書 2019/05)、的場昭弘・池上彰『いまこそ「社会主義」』(朝日新書 2020/12)
、保阪正康・池上彰『歴史の予兆を読む』(朝日新書 2022/06)があって、このなかからどれかを選ぶことに。
 現在の世界情勢を鑑みれば『歴史の予兆を読む』になろうし、自分が生まれ生きた昭和を踏まえて令和を見るならば『令和を生きる』になろう。ゴルビー逝去に端を発した社会主義への改めての関心を持続させるならば、『いまこそ「社会主義」』だろう。
 既に自分のなかで、これを読もうかなぁ、と決めつつある1冊はあるが、本当にこれを読むかはまだわからない。書店に赴いて偶さか目についた対談本あれば、そちらへ鞍替えする可能性は、わが性格ゆえに全く以て否定できない(全く以て、という箇所、特大ゴシック体で表示したいものだ)。
 まぁ、この顛末がどうなったかは、お披露目されるだろう読書感想文でご確認ください。

 ──というて、退出。◆

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