第3522日目 〈蘇峰『近世日本国民史』の凄さを肌で感じる。〉 [日々の思い・独り言]

 著者蘇峰をして「近世日本伝記」といわしめた空前の大著、『近世日本国民史』をいま読み進めている。並行している本が他意に幾つもあるので進展をなかなか報告できないのが玉に瑕、か。
 残念ながら架蔵するのは、朝鮮総連に忖度したか秀吉の朝鮮出兵の巻を欠くなど元版全100巻を半分のみ刊行して終わった講談社学術文庫版であって、読書中のそれは元禄時代は赤穂義士の一巻というのは既に幾度となくお話したことだけれど、実を申せばもう一巻、4冊より成る「開国日本」にも別に目を通している。生まれも育ちも開国の地、故郷の歴史を知りたいと思うたら気になる一巻、市区編纂史誌、郷土史研究会刊行物に次いで手を伸ばすべきと思うがかの「開国日本」なのだ。
 「開国日本」は全4冊といささか大部なれど、そろそろ聞こえぬフリを通すも難しくなってきた外国からの声、開国迫る声の大きくなってきた頃、即ちペリー浦賀沖に来航すの以前の朝廷・幕府の関係など国内情勢を説くところから筆を起こし、江戸近海の防衛また諸家海防論に触れていよいよアメリカよりの使節現るるへ至り、外患に憂慮しながら神奈川条約を締結して一挙に鎖国から開国への道を歩むを、史料をふんだんに操りつつ自身の文章を混て維新前夜ののっぴきならぬ空気を伝えて見事というよりない。加えて日米にのみページを割くことせず、同時代に日本がオランダ・イギリス・ロシアからも交易通商を迫られ、各国との交渉の記録をも併記して、幕末期の日本がどれだけ揺れ動き如何に対処したか、詳しく語ってもいる点を以て重宝をし又貴重とやいはん。
 渡部昇一が指摘するが如く、歴史を綴る蘇峰の目、蘇峰の筆はすこぶる公正である。取り挙げる史料に自ずから種々の限界はあったろうが(提供の限界、博捜の限界)、入手し得たそれらについては自分の史観、自分のイデオロギーに照らして取捨することなく歴史を多視的立体的に再現するためならそれさえ一旦脇に置く、という態度を徹頭徹尾貫いて蘇峰は、『近世日本国民史』全100巻を、大正7年6月3日織田時代より起筆して昭和37年最終巻歿後刊行という途方もない歳月と途方もない精力を傾けて綴り、世に送り出したのだった。かれの後半生はただこの一著にのみ費やされたとしても過言ではない。
 蘇峰の目的は夙に知られる如く、「明治天皇御宇史」の執筆にあった。が、1つの歴史を語るためにはもう1つ前の歴史を語らねばならぬの信念からかれは明治天皇の御代を綴るに際して想は建武中興までさかのぼり、実際は織田信長の時代から執筆を始めた。本編ともいうべき「明治天皇御宇史」第一冊は昭和11(1936)年5月11日起筆、第17刷「新政扶植篇」執筆中の昭和14年5月に刊行せられて、それは講談社学術文庫版のタイトルに従えば、「明治維新と江戸幕府」全4冊、「西南の役」全7冊、「明治三傑」全1冊へ続いて、「明治天皇御宇史」全37巻を成す。斯くして蘇峰畢生の大著『近世日本国民史』、その最終巻「明治時代」(「明治三傑」元題)が世に現れたのは昭和3(1962)年8月であった。蘇峰逝って5年後のことである。
 わたくしは蘇峰の著書を、この『近世日本国民史』を除いて他には片手の指で数えて1本余るぐらいしか読んでいない。書名は控えるが、蘇峰がジャーナリストとして八面六臂の活躍をして、バンバン著書を世に送り出していた時期の、然程内容のあるとも思えぬ本である。古書店で安価が付けられていたのも納得がゆく。
 これまで『近世日本国民史』に拘泥していて、他の、蘇峰を代表する著作を読まずに来たことを悔やんでいる。また、かれの生涯についても紙・Webの別なくよく知らぬまま過ごしてきたことについても、同様に。せめて渡部も学生時代に愛読した『杜甫と彌耳敦(ミルトン)』(戦後、『世界の二大詩人』として復刊)は架蔵してじっくりと読んでみたく、生涯に関してはまずは偏りなく公正に、然れど書き手の識見・学問・才力(即ち、史家の三長なり)が発揮された伝記を捜して読んでみたい。それはおそらく、これまで渡部昇一のエッセイ2編でのみ蘇峰を知り、読む道標にしてきた態度からの脱却を促すことになろう。
 咨、『徳富猪一郎・蘇峰全集』なんていう代物が世に実在したらなぁ。月賦で買うのに。◆

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