第3381日目 〈H.P.ラヴクラフト「読書の指針」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 高校2年の冬休みであったか。いまはもうない伊勢佐木モールの古書店で人生初めての「全集」と名の付く揃い本を買った。お小遣いとお年玉を貯めての購入で、当時の売価は18,000円であった、と記憶する(竹下内閣による消費税3%導入前)。『定本 ラヴクラフト全集』全10巻11冊がそれだ。
 既にHPLの洗礼は受けており、創元推理文庫の全集は既刊分すべて読んでしまったか、最後の1冊を読み進めている時分であったろう。どれだけの影響を被ったか、ここでは語らぬとしても、そのHPLに全集がある、それがいま自分の前にある──店頭に並んだのは夏頃だったか、毎週日曜日にその古本屋へ行くたびまだ売れていないことを確かめて安堵し、焦燥に駆られもし、落ち着かぬ秋と年末を過ごしてようやっとそれを購ったときの感動と興奮! いまに至るもそのときの感情を上書きする全集との出会いを経験したことは、ない。
 いちばん夢中になって読み耽ったのは、一に書簡集であり、二にエッセイ集であり、三に評論の巻であった。小説と詩以外の巻、といえばそれまでである。いまそれぞれの巻を開くと付箋が目立って貼られている。執筆を意気込んでいたラヴクラフト論のためだ。そうしてわたくしの心を強く捉え、いまでも時々読み返す1つが、第7-Ⅰ巻に収められた評論、「読書の指針」である。
 ラヴクラフトの評論といえば「文学における超自然的恐怖」が有名でいまや文庫で読める程だけれど、わたくしの心は「読書の指針」に専ら向いていた。
 「文学における超自然的恐怖」がラヴクラフトが足に任せて恐怖小説の歴史を丹念に辿った力作であるのに対して、「読書の指針」は古今の文学(恐怖小説ではない)を紹介するに留まらず、人文科学や自然科学の分野に於ける〈読むべき本〉を取りあげた表題通りの、いってみれば青少年のための読書ガイド、なのである。冒頭に簡単な読書論と図書館利用の奨めを配し、末尾に購入した本の収蔵法や百科事典類の利用案内など、至れり尽くせりな読書ガイドが本篇だ。
 現在巷にあふれる読書ガイドは勿論、そのジャンルの読書に(のみ)勤しむ人には有益だろう。わたくしだってこの手のガイド本は好きで、「おっ!」と思う箇所ある本に関しては購入してしまうことがよくある。但し、継続して架蔵するか否か、は別問題だ。しかし眺めわたしてみると全ジャンル──人類の叡智の結晶全般に(多少の洩れあるは仕方ないとしても)目の行き届いた読書ガイドというのは、実はそう多くない。現在流通するなかでどれだけあるか、腕組みして小首を傾げてしばし黙考しても思いあたる代物はない。
 ただ、得てしてその種の読書ガイドは教導的であらんと物言いが厳格になったり、押し付けがましい部分を孕むが、残念ながらラヴクラフトの本篇もその轍を踏んでしまっている、といわざるを得ない。
 いちばん明瞭なのは、「べし」の濫用だろう。冒頭末尾の総論を除けばほぼ1ページに1回、読者はその言葉を目にすることとなる。「〜は読むべきである」──咨、広く浅く通り一遍の知識を身に付けるためには、最低限の教養を持つ人となるためにはどれだけたくさんの、「べし」と指定される〈必読書〉の多いことかっ!
 ただ、これは勿論、理想を謳った読書ガイドに過ぎないので、その点に関していえばあまり悲観的になる必要はない。原文にあたって自分で訳してみたら、案外とこの単語は別の、もっと心的負担の軽いそれに置き換えることができるかもしれないのだ……。
 それはさておき。「読書の指針」で文学のパートはともかく、わたくしがラヴクラフトらしさを感じてならぬのは、人類学と自然科学の分野に於ける力の入れようである。
 テオバルト翁(HPLは書簡のなかでしばしば己を老人めかしてこう自称した)の自然科学への傾倒は幼児の天文愛好に端を発するが、「読書の指針」では長じて後までもこの分野に親近し、自然科学の様々な分野の本を漁読したラヴクラフトの面目躍如というべき(あ……)項目となっている。全集で上下2段6ページに及ぶ分量が自然科学の分野に割かれた。
 夢中になってこれを読んだ自分自身を思い返してみると、色々きっかけはあったがわたくしが嗜好の範囲外にある自然科学の書物をよう分からんながらも読み続けてきた要因の一つは、ラヴクラフトが手取り足取りその分野の良書を紹介して、「読んでごらんなさい」と手ほどきする姿勢にあったような気がしてならない。そう、兄の持っていた講談社ブルーバックスの何冊かを借りて読み、東口ルミネの有隣堂で『怪談の科学』や『脳の冒険』を購いとりあえず最後までページを繰り続けたのは、ラヴクラフトの「読書の指針」を読んでからのことだったな──。
 その自然科学の項目が天文学から始まるのはHPLらしいといわざるを得ないが、地質学や生物学の分野を渉猟する筆遣いには、怪奇小説を書きながら最終的には〈宇宙的恐怖〉をモティーフとしたSFの領域へ足を踏み入れた学究の側面を持ったHPLの姿がその向こうに見え隠れしているようである。
 かれの小説の発想の源泉を探る際、「文学における超自然的恐怖」がよく引き合いに出されるけれど、わたくしはむしろ「読書の指針」で取りあげられた書物の内容やそれについてかれがどのような言葉を残したか(それと並行して書簡集も精読して)、真摯に検討するようした方が余程有益かつ新たに見出す点が多かろう。如何か?
 上段に関しては人類学の項目でもいえることで、殊その冒頭部分を成す次の件りはHPLが執筆した小説群にかれなりの見解が提示された部分ともいえる。曰く、──

 人間全体を考えるときに問題になるのは、人間はどのようにして下等霊長類から進化したのか、なぜこれほど多くの人種に分かれたのか、さまざまの未発達な類人猿の頭蓋骨や骨の化石が世界各地で発見されているが、人間はこの類人猿とどのような関係があるのか、どのような段階を経てまとまった思想や言語を身につけ加工品を使うようになったのか、今人間が持っているような信仰や風習や好き嫌いはなぜ生まれたのか、有史以前にどのような経路を辿って移住し衝突し混淆したのか、どのような原理に基づいて集団を組織するのか、どのような法則に従ってその集団の中で資源を分配するのか、どのように個人の欲望を集団の欲望と釣り合わせ、集団の多数の構成員のために規則正しい相互扶助の方針を立てているのか、などといったことである。
(全集7-Ⅰ P74上 佐藤嗣二・訳 国書刊行会 1985/09)


──と。
 これらはなにかしらの形で、他の問題と合わせて小説に昇華された。「アーサー・ジャーミン」や「狂気の山脈にて」、「インスマスの影」などはその代表といえるだろう。純然たる想像の産物というよりも科学的根拠を援用して書かれたり、日進月歩の自然科学と人類学の領域にあって解明されていない未だ謎な点に、読書や文通などによって得た知識を出発点にして自分なりの解釈を当て嵌めて書かれたのがラヴクラフトの小説である。自然科学と並んでこの人類学全般の読書ガイドの項目を読んでいると、そう再認識させられるのだ。
 視点を変えて申せば、ここで紹介される書物の数々はHPLが、この分野であればこれらの本は読んでおくと良いですよ、この分野であればこの本は必読必携ですよ、と教えると同時に、かれが創作にあたって発想の源泉としたり参照したりする際利用したアイテムの数々である、ともいえるはずだ。フレイザーの名著『金枝篇』などはその格好の例ではないか。
 ただ一点、差し引いて考えねばならぬのは本篇の執筆が1936年、という時代である点。
 それはラヴクラフト晩年の作物であると共にまだまだ科学が百的な進歩を遂げる黎明期でもあった。忘れてはならない、HPLが子供の頃から存在を主張していた冥王星が遂に発見され、南極大陸の地質学的生物学的調査が行われた1930年代とは、今日われらが常識と考える発見や事象は、その端緒に付いたばかりの時代だったのだ、ということを。
 「読書の指針」は当時の出版状況を伝えるだけでなく、どのような書物が出版されていたかを通して当時最新の発見や出来事が如何なるものであったか、を自ずと浮かびあがらせる役目を担ってもいる、といえないだろうか。
 文学を除けば、1930年代の執筆時点までに刊行された書物がそのまま今日に通用することはないけれど読者はここから、どんな時代に於いても最新の書物を読む必要のある分野と、そうではない分野があることを知り、複数冊の入門書をまずは熟読して興味をそそられたらばもう1ステップ上のちょっと専門的な本へ手を出せば良いことを嗅ぎ取るだろう。このあたりは佐藤優の開陳する読書術とも相通ずる部分があるが、見方を変えれば古今東西、多岐多様な出版物であふれかえる時代にあっては共通の、いちばん手っ取り早く確実な読書術といえるのだ。
 また、あふれかえった本を収納するための本箱の話。可能な限り辞書を揃えて使いこなせ、という話。いま程良書が安価で提供されている時代はない、という指摘。いずれも皆、今日なお有益なアドバイスだろう。縁なき話題ではないはずだ。
 ──告白すれば一時、ここに載る本をすべて片っ端から読んでやろう、と企んだ。これを自分の手で訳し直して、書名や著者一々に註釈を付けて自費出版しよう、と意気込んだことがある。勿論取り掛かる以前に挫折したが、これ程にわたくしの心を奪い続け、いまに至るもその強い吸引力を感じるラヴクラフトの著作は他にない。比肩し得るは書簡集と各種エッセイぐらいだ。
 わたくしの読書の根幹を成す、というか作りあげたのは赤川次郎『三毛猫ホームズの青春ノート』(岩波ブックレット 岩波書店 1984/11)と、このラヴクラフト「読書の指針」だった。いずれにも今日まで恩恵を受け続けている。これは胸を張って斯く断言できることだ。◆

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