第3399日目 〈また見附けちゃった、また発掘しちゃった。〉 [日々の思い・独り言]

 諦めきれぬ古典文法書、飽きることなく捜索中。──今日は廊下のダンボール箱数箱を開梱、中身を徹底捜索したよ。
 そうしたらさ、また見附けちゃったんだ、また発掘しちゃったんだ。処分を免れ、そこにあることもわかっていたけれど、実際に手にしたのは何年振りか、って文庫の群れをね。うん、それは岡本綺堂と久生十蘭の文庫だったんだ。
 綺堂は高校時代から読み継ぎ読み継ぎしてきたが、いまは読むことを中断しているせいで買ってもさっと目を通したあとダンボール箱行きになったものが、ずいぶんと溜まってしまった。十蘭については岩波文庫の短編集2冊と河出文庫の数冊、現代教養文庫から出ていた『魔都』以外はどうしたわけか手着かずで、ダンボール箱の住人になってしまっている。
 なんだか悲しいね。なんだか虚しいね。なんだか苦しいね。中途半端な読書の形跡を見せつけられると。咨、もうマジでイヤんなっちゃう。
 とりあえず今年は赤穂義士関連の小説と記録を架蔵分だけ読み終えたら藤沢周平に戻り、秋あたりからはシェイクスピア──まずは処女作『ヘンリー6世』3部作から──に取り組みたい、と思うて、サブ・テキストを買いこんだり翻訳家たちのエッセイを繙いたり、ファースト・フォリオの研究書に目を通したりしている。
 綺堂と十蘭、どちらも自分好みの作家で、生涯握玩してゆくのだろうが、いつ、読み残しに取り掛かれるかはまだ不明である。
 人生なんてホント、一寸先はわからぬから赤穂義士を明日にでもほっぽり出して、綺堂を読み耽る可能性だって否定できないけれどさ、自分の性格や仕事のこと、家庭のことなど考慮して慎重に、現実的に考えてみても、まぁ、しばらくは無理かな、と。読書のときだけ体が分裂してくれたら良いんだけれど。あとで分裂した自分たちの考えや感想など集約できたら良いのだけれど。
 ──生きている間は見果てぬ夢ですね。◆

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