第3391日目 〈眠れぬ夜、吉川忠臣蔵を読んで過ごすこと。〉 [日々の思い・独り言]

 5月の連休にあった独り時間を殆どすべて荒俣宏の労作の感想文に費やしたこともあり、この間は該書と参考文献以外に本を読むことが皆無というてよかった。感想文もどうにか仕上げたあとはひたすらグウタラして過ごし、録画していた映画を観たり、家族と同じ時間を過ごすことを楽しんだ。そのせいではないだろうが、日付が変わって時計の針が午前2時を優に越しても眠気が訪れない。
 やれやれ、である。様々な思い出や企みが千切れ千切れに脳裏をかすめてゆく。幸いとそれにより心騒ぐことはなかったけれど、とにもかくにも眠くならないその事実は変わらない。まさしく、いやはやなんとも、である。なんだかなぁ、である。
 眠られぬ夜のためにできることはなにか? 否、なにもない。
 ──いや、1つだけあったな、と、むくり、と起きあがって独り言ちた。この連休中、まるでページを進められなかった小説を読もう! そうだ、そうだ、この静寂に満ちた夜夜中、灯火の下に息をひそめて心たぎらせ史上最も有名な仇討ち譚の続きを読もう。つまり、吉川英治『新編 忠臣蔵』下巻を手に取りベッドから脱け、電気スタンドを点けて机の上に屈みこむようにして、巻を開いたのである……。
 高校1年生のときと記憶する、夜電気を消した部屋のなか、どうしても本が読みたくてならず布団をかぶって懐中電灯の明かりを頼りに1ページ、1ページめくった、あの心躍る経験は。それは赤川次郎や久美沙織の小説であったり、或いは友どちに借りた少女漫画雑誌であったりするが、どうやらそのときの悪癖が形を変えて断続的に、今日まで至っているようである。人間、根幹を成す部分はなかなか進歩もしくは改善されぬらしい。ゆえに悪癖は治らない、というのだ。この悪癖ゆえにいま目がどうかなっている、という懸念もあるのにね。
 斯くして愛飲する麦酒(名をバドワイザーという)を腹のなかへ流しこみながら、小説のページを満足げな顔で、満たされた心で目繰ってゆく。そうしてようやく午前3時18分、欠伸が立て続けに出、集中力も途切れて来、目もショボついてきた。ちょうどキリも良い場面だ(キリといえば桐乃は可愛いですね。でもわたくしは、あの作品ではあやせ推しです)。そろそろ本を閉じて寝に戻る頃のようである。
 吉良邸内の長屋の一部屋で三河生粋の吉良家臣、清水一学と、千坂兵部に仕える木村丈八が酒を酌み交わす場面に始まり、踏みこんだ赤穂義士たちの獅子奮迅の戦いから上野介の首を獲る場面で終わったのだ。これを「キリが良い」といわずになんとする──。
 それにしても、吉川忠臣蔵の誠よく物語の描かれていることよ。かなりの下調べを行い、それを消化しきった上で赤穂義士たちの行動を追い、吉良・上杉方の人物群像を編みあげた雄編と感じる。これまで読んでこなかった自分を恨めしく思い、然れどいまこのタイミングで読み得たことを天の配剤と感謝したい。
 この小説のいちばんの特徴は、上巻を読んでいるときにも書いたけれど、吉良方へ与する人々も等しく公正に描き、取りあげている点だ。どこまで史実か、というのではなく、歴史のうねるなかで人は自分の置かれた境遇や立場に恥ずかしくない行動をして命を散らせていった、その姿を捉えるのが時代小説の最も忘れてはならぬ【核】であろう。
 ゆえに吉良家中に人あり、就中一学と春斎、そうして義士たちを圧する程の丈八の立ち去り際の見事さに心動かされ、記憶に鮮やかな印象を残し、一方でイザという場面での上野介嫡子たる左兵衛佐のヘタレッぷりに呆れてしまうのだ。呆れてしまうといえば、炭部屋に潜伏していた吉良上野介をそれと確かめもしないうちに一太刀浴びせてしまった武林唯七には、〈吉川忠臣蔵版うっかり八兵衛〉の名を進呈したく思う。
 徳富蘇峰『近世日本国民史 赤穂義士』に拠れば、左兵衛佐が幕府に後日、報告した届のなかで自分は赤穂義士相手に奮闘したが遂に敗れた旨記してあるが実際は、「左兵衛義周は、長刀もて立ち上がったが、武林唯七のために、ただ一撃にしてやられ、たちまち却走し去った」(P251 「却走」は「逃げ去る」の意味 講談社学術文庫 1981/12)のだ。吉川英治は敢えてその場面で名前を出さないが、ちゃんと読んでいれば左兵衛佐とわかるよう書いてある(下 P286)。
 かつて金原ひとみは「上巻読むのに4カ月。一気に3日で中下巻!」と、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』新潮文庫版中巻の帯で曰うた(朝日新聞書評の要約らしいが)。読みつけぬうちは難渋するが、ひとたび物語の持つ力に首根っこ摑まれたらたちまちである、とい同義だ。これまでわたくしも何度となく同じような経験を分冊の小説で経験してきた。そうしていま、この言葉を吉川忠臣蔵にささげたい気持ちなのである。斯様な、良心的暴力とでもいいたい強い力を内在した小説を多く物すことができたことが、吉川英治を「国民的作家」と呼ぶ要因の1つだったのかもしれない。
 間もなく本書を読み終えるけれど、うん、先に読んだ立川文庫の『大石内蔵助』とはずいぶん趣が違うね、やっぱり。
 さて、それでは寝に戻ろう。朝刊がポストへ落ちる音が聞こえた。◆

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