第3386日目 〈ブツブツぼやく。──読書感想文、進捗記録。〉 [日々の思い・独り言]

 【前口上】
 荒俣宏『平井呈一 生涯とその作品』(松籟社)の感想文をPagesに入力中。その進捗状況を記録してゆきます。進捗状況というより「ぼやき」とか「愚痴」かも。
 印刷した余白に書きこんだことも、記録、という名目で残しておきます。

 一、
【小説】のパートをPagesで入力しているが、われながら冗長と感じる。ここはかなり刈りこむ必要があるかもしれない。

 二、
 あのー、平井呈一の感想文ですが、Pagesでいま8ページ目。文字数にして10,000字を突破したんですけどぉ。あともうちょっとで終わるとはいえ、流石になんだか色々な意味で疲れてきた。
 第二稿完成後は印刷して赤ペン片手に溜め息吐きながら、推敲作業→第三稿の作成です。予定通りお披露目できるのかなぁ?
2022年04月30日 20時44分

 三、
 平井呈一の感想文は、書評でもなければ感想文でもない、というチト立ち位置微妙ながらもPagesでの第二稿は完成しました。刈りこむか、分載するか、ハムレットじゃあありませんが、悩んでおります。
 
 四、
 本書に正誤表はあるか? 少なくともHP上では公開されていない。

 五、
 全体を通しての希望。所詮は高望みの、製作コスト増、定価上昇は承知。でも、敢えて。
 本書には索引が欲しかった(人名索引、作品名索引)。調べる際に不便なこと、この上ない。
 平井事績と日本・世界の動きを対比した年表も欲しかった。各項目の掲載ページも記載して。

 六、
 近松秋江;タイトル失念、アレだ、アレ。長いヤツ。「水野越前守」だったか? 「三国干渉」ではない……。

 七、
 副本を作って、そちらで推敲作業を実施。
 これまで曖昧にしてきた「混ぜる」と「交ぜる」、「編」と「篇」の使い分けを徹底する。この機会に改めて、「残す」と「遺す」も。

 八、
 大場健治『シェイクスピアの翻訳』研究社 2009/07
 ピーター・W・M・ブレイニー/五十嵐博久・訳『シェイクスピアのファースト・フォリオ』水声社 2020/11
 ──平井は晩年、ディケンズ作品を翻訳する準備のため、大量のディケンズ研究書を購入した由(P183)。果たして手掛ける作品はなんであったのか? まさか『オリヴァ・ツイスト』だけ?

 九ノ一、
 「奇妙な墜死」、Ⅲ その夜──十一時 秋葉原駅、青果市場。

 九ノ二、
 「故郷」とは?

 十、
 俳句は生涯の情熱の捌け口。

 十一、
 第二稿のための推敲/2022/05/01 18:00〜

 十二、
 松籟社への質問メール、返信メールを印刷。(済み)

 十三、
 2022年5月3日現在、ようやく小説パート、朱筆入れ了。俳句と回想記、疑義Ⅰヶ所を残す。……終わるのかしら、この作業? お披露目できるのかしら、この感想文? 不安、不安。

 十四、
 逝去時遺されていた未発表の翻訳原稿が陽の目を見る(=活字に翻刻される)ことはあるのだろうか? ポリドリ『吸血鬼』第1章、サッカレー『黒髪珍譚(当世女房かたぎ)』、ポイス「左脚」……読みたい。自費出版物ではなく、商業出版された本で。

 十五、
 『ワイルド選集』購入。振込済み、到着待ち。

 十六、
 平井訳のミステリ(カー、ヴァン・ダイン、クイーン、デ・ラ・トーレ、セイヤーズ)も創元推理文庫や国書刊行会、論創社あたりからすべて復刊してもらえないだろうか。一部はKindleで読めるらしいが、紙の本で欲しいのだ、読みたいのだ、味わいたいのである。
 紙媒体で復刊の際はぜひとも中島河太郎の解説、乱歩の文章、付属の月報掲載文章(編集部からのお知らせ的なものも)、すべて欠けてはならぬ。現代の人の解説は、ミステリ評論家と、それぞれの作品を手掛けた経験のある翻訳者のものを。
2022年05月03日 21時49分

 十七、
 昨日はいちばん親しうするいとこ一家とその母、その姉が遊びに来たこともあり、感想文の推敲は一歩も進まず。初めての姪っ子、いとこを見せられて、良かった。
 今日は家事に専念、併せて感想文に補記する典拠捜しで1日、関係図書を創作。宿題残る。つまり、今日も感想文の推敲は一歩も進まず。
 予定通り、お披露目できるかしら?

 十八、
 著書も編書もある著名な文筆業者から誹謗と嘲笑と侮蔑のメールを受信する。
 うん、そうね、ジェイムズのことは指摘されている。ただわたくしは、小説を読んで想起したことをそのまま書いた。これのどこが剽窃等に値するというのだろう。
 読んでいようと読んでいまいと、その小説を読めば必然とジェイムズの作劇術を、ジェイムズを読んだたことのある人なら大概の人が思い浮かべるのではないだろうか?
 急ぎの原稿に忙殺されていると聞いたが、その作業を放り出してなにやってるんだろう、暇なんだろうか? 感想文とはまったく関係のないところで、私の仕事について物申されておられる部分もあったが、社会人経験のない人がよくいうよな、とつくづく呆れ、感心する。
 耳を傾ける必要、一切なし。とりあえず定型文で対応させてもらうたわ。

 十九、
 上記とは全く別の理由から、果たしてこの感想文をお披露目する価値はあるのだろうか、と疑問を抱く。中2日で朱筆入れの作業から遠退いたことで、幾分か冷静になれたかも。作業はとりあえず続けて完成させるし、第二稿の作成も行うが、そのまま破棄する可能性も出てきた。
2022年05月06日 02時29分

 二十、
 谷口の項を一部、情けにより削除。蒸し返しは誰も望まぬ。

 二十一、
 本夕(05/06 18:53)、感想文への朱筆入れ完了。明日から第二稿作成に取り掛かる。

 二十二、
 【削除した文章】
 生田耕作先生が粗相を働いた教え子、高藤冬武(「生田耕作先生のこと──思い出すままに」 『KOUSAKU IKUTA』P127-8  騎虎書房 1997/12)に、秋江でも読んで頭を冷やせ、てふ意味合いで『情話新集 第十篇 葛城大夫』を渡したというエピソードがある。
 『平井呈一句集』に解説を寄せた高藤武馬は、昭和8年春陽堂から平井の初訳書『メリメの手紙』とホフマン『古城物語』を編集した人で、後年昭和34年に無花果会で平井と再会した。
 この高藤武馬と、生田先生から秋江の初版本を頂戴した高藤冬武に血縁関係はあるか。webでしか調べていないけれど、誰か調査してくれていないだろうか。

 二十三、
 朱筆を反映させた第二稿、2022年05月07日 23時03分に擱筆。12,306語……400字詰め原稿用紙に換算して約31枚。
 このあと、どれだけ手を加えるか分からないけれど、数日に分載かなぁ。1日はさすがに躊躇われる。読む側に忍耐強いるよね。

 二十四、
 4回分載 案
 第1日目;オープニング〜エッセイ/近松秋江まで
 第2日目;エッセイ/サッカレー〜小説/「奇妙な墜死」まで
 第3日目;小説/「顔のない男」〜俳句まで
 第4日目;回想〜クロージングまで。
 ──3,100字程度をメドに。最終日は2,800字強。
 →第4日目翌日;尾上町の件。

 二十五、
 さっき手を加えたら、12,693語に増えてしまった。いったんは削除した段落をまるごと復活させたのだから、それも当たり前なのだけれど。
 このあたりで仕事納めにしようか。
 早く吉川忠臣蔵の続きに戻りたいし、偶にはウッドハウスで平安と駘蕩を満喫したいのだ。

 二十六、
 第二稿に手を加えて4分割した原稿を作成。お披露目日も決定。
 アゝ、ヲレハマウ自由ダツ!!◆

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