第3560日目 〈黄金の1カ月を使って、みくらさんさんかはなにを読んだか?〉 [日々の思い・独り言]

 黄金の1カ月をどれだけ満喫できたか、と訊かれると、甚だ心許ない返答をせざるを得ぬ。怠けて過ごしたわけでは、ない。普段より読書に徹する時間は多かった、と記憶する。
 もっとも家のこと、家族のこと、仕事のこと、諸々やりながらの読書ゆゑ、本人だけがそう思うだけで、俯瞰すればけっしてそんなことはなかったかもしれないけれど。
 顧みるとこの間の読書は、大きく3つの柱を持っていたように思う。
 1つは、萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読みながら、モレスキンにメモをして。
 2つは、聖書及びそれにまつわる諸書を、ふしぎと敬虔な気持になりながら。
 3つは、上に含まれない雑書の類を読み散らして、部屋の片隅に積みあげて。
 ──2つ目の柱はその成果の一斑として、『ハイデルベルク信仰問答』の拙い読書感想文に発展した。昨日までは寝る前の時間、ジョン・クゥアン『ホワイトハウスを祈りの家にした大統領リンカーン』(小牧者出版 2010/02)を読んでいた。信仰の面からリンカーンを捉えており、有益な読書体験であった。今日からは片柳弘史『何を信じて生きるのか』(PHP研究所 2022/07)を読もうと、宮台に待機させてある。これらいずれも2つ目の柱に包含される書物だ。
 本当ならここで、神学書や旧約聖書成立史を読んでいます、といえば格好も付くのだろうが、うん、見栄張っていうのもね。虚しくて、情けない気分になるだけじゃ。
 とはいえ、それっぽい本も読んでいるのだよ──〈前夜〉執筆の準備を兼ねての読書になるが、いま、頭ごちゃごちゃになりつつも丸ごかしに、泥縄式に読んでいるのは、A・ファン・セルムス『コンパクト聖書註解 ヨブ記』(登家勝也・訳 2002/08)。併読して加藤隆『旧約聖書の誕生』(ちくま学芸文庫 2011/12)を、旧約聖書に収まる「ヨブ記」(新共同訳)は当然として。
 ……おかしいなぁ、ぼく、非キリスト者なんだけれど。真言宗豊山派に属する家の者なんだけれど。それがどうして聖書を、都合15年近くも読んで途切れることがないんやろか?
 答えのない質問ゆゑここから先は続けぬが、異教に惹かれてそちらを覗くはむかしからこの国の民の習性。別に弾圧を喰らったり迫害されるわけじゃないから、咨、まったく良い世の中である(新興宗教という名のアレとアレは弾圧されて然るべきと思うけれど)。
 ──萩原朔太郎『恋愛名歌集』については上述の通り、メモを作っている。『恋愛名歌集』を読んで思うたこと感じたこと、或いは朔太郎の主張などだが、特に整理立てて書いてはいないので、そのまま本ブログに載せられはしない。残りの六代集、新古今集選歌を読み終えたら短くまとめて、読書感想文のお披露目としよう。年内にできるか? いやぁ、お約束はできかねる。
 雑書? ああ、雑書ね。3つ目の。ここは内外諸氏の読書エッセイ・書痴小説、県内及び縁ある府県の怪談実話本、民俗学や文化人類学の本などを含む。そういえばこの前、古本屋で購入した永田守弘『官能小説の奥義』(角川ソフィア文庫 2016/04)を寝床で読んでいたらとても面白くて巻を閉じるにはなかなか勇気が要った。これについてもいずれ、読書感想文を……と考えているが、こちらは果たして実現しますかどうか。
 心理学にカテゴライズされる本もまとめて机上にあって、ポツリポツリと読んでいるが、こちらはまだ柱と呼ぶべき程でもないので、触れるのは止めておく。
 要約すれば「黄金の1カ月」と銘打ったこの時期、それなりに読書は捗り、幅も広がったのです。◆

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