第3561日目 〈過去のニュースを一定の期間置いて(寝かせて)新聞を読み返す/スクラップする。〉 [日々の思い・独り言]

 新聞記事をスクラップしていると、だんだん自分が気になる分野の傾向が見えてくる。それと同種の発言を著書のなかでしていたのは、さて、池上彰であったか、松林薫であったか、それともまったく別か。
 エビデンスはこの際不問とするにしても、スクラップを続けていると自分がふだん気にかけている情報がどのようなものか判別がついてくる、というのは至言であると思います。
 初めのうちはちょっとでも気になる記事が載っていると、バッサバッサと切り抜いてゆくが、「続けてゆく」とはいい換えればその分、スクラップするための時間と労力を要すということ。それを毎日でなくても定期的に、そうね、1週間に1度、なんて風にやってご覧。面倒臭くなって、スクラップ自体を止めてしまうか(勿体ない!)、立ち止まって自分の興味や嗜好を冷静に顧みて、スクラップという作業と並行して記事の吟味を始めて徹底するか、いずれかになるのではないか、と思います。自分がそうだった。後者のパターンでしたね。
 最初の頃に較べると、スクラップする記事はかなり減りましたね。それでも新聞の再読からルーズリーフに貼りこむまで、平均2時間は費やすことになりますが、それはそれで過去1週間のニュースが時系列で、まとまった形で頭に入ってくる(追いかけられる)ので、スクラップするしないに関わらず、この時期には全国で、地方でこういうニュースがあった、こんな投書が載っていた、日経平均はどれぐらいだった、など、なんとなくでも記憶に残るようになってきました。
 わたくしの場合をいえばたとえば、経済面では最近は報道が落ち着いたサハリン2とサハリン1の、日本企業の出資検討とロシア側の認可を巡る問題のスクラップだけが、最終的に、継続してファイルに収まっています。スクラップを続けることで自分がどれだけ医療記事や科学記事を以前から、製磁や国際面以上に熱心に読んでいたかを発見することが出来たのもこの作業を通してでした。そうして、これは母の影響もありますし、わたくし自身の性向もあるのでしょうけれど、新聞購読者の声、その体験をベースに書かれた記事が載ったページをいちばんよく読み、スクラップする切り抜きの量もけっして少なくないのです。
 新聞1紙に載る膨大な報道、情報のなかから
 過去のニュースを一定の期間置いて(寝かせて)新聞を読み返す/スクラップするのは、その時間、その作業すべて引っくるめてけっして無駄な行為ではない。『池上彰の新聞勉強術』(文春文庫 2011/12)を読んだときは頭でしか理解していませんでしたが、いまなら実感を持ってそれを理解することが出来る。
 スクラップする記事の取捨選択が出来るようになることは即ち、自分にとって関心の高い分野、深く興味を惹かれるニュースがどのようなものなのか、と知ることです。新聞を読み、記事を切り抜き、方眼ルーズリーフに貼る作業を通してそれと知ったことは、すこぶる幸せに思うのであります。◆

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