第3576日目 〈蘇峰「赤穂義士篇」メモ、お披露目手筈のこと。〉 [日々の思い・独り言]

 昭和天皇の侍従長を務めた入江相政氏の随筆にある。谷崎潤一郎が文化勲章を受賞した際のことだ。式後、会食の席での志賀直哉と吉田茂の会話が契機となり、中央公論社が『細雪』を昭和天皇に献上した。ご多忙中でも陛下がすこしずつ読み進めている様子が、栞の位置で分かった。──と(記憶で書いているので、事実関係に誤りがあったらご寛恕の程願う)。
 『近世日本国民史』「赤穂義士篇」をゆっくりと(否、のんべんだらりと)読み進めているのは、何度もここで話題とし、一部の読者諸兄には耳タコ状態であろうとお詫び申し上げる。正直な話、読まぬ日が何日も、何週間も続くと、「もう読むの止めようかな」と思うこと、無きにしも非ずで、幾度斯く思うたやら。
 しかし、──途中で抛つ程ツマラヌ代物を読んでいるわけでも、引用されている史料や蘇峰の漢文調の文章に辟易したり理解読解に悩まされているわけでも無し。
 前者については赤穂義士の巻ゆえに斯く思う部分あることを否定できぬが、実は是、他巻──わが故郷の歴史に深くかかわる黒船来航から開国、通商条約の調印、生麦事件までの数巻は勿論、その人物にはさしたる興味もない秀吉治世の諸巻についても、同様にツマラヌ代物を読んでいるてふ気持、わが心中には微塵も生じないのだった。
 後者に関しては特に言葉がない。学生時代からその後の続く数年間、恩師の下で、また独習で、古文漢文、史料の読解など徹底的にやっておいて良かったな、というのみだ。
 要するに中断する理由を探そうとしてもまるで見附からぬ、幸せな読書の時間を過ごしているのである。
 色々中断放置等間々ありと雖も抛つことなく『近世日本国民史』「赤穂義士篇」の読書は、(当初からは予想外に長引いてしまっているけれど)ゆっくりゆっくり、着実に進行中。冒頭の入江氏の随筆をわたくしは、蘇峰の読書中かならずというて良い程思い出し、読書の支えとしている。然り、毎日でなくても少しずつ、着実に、前へ進むが吉なのだ。
 いまはまだ極めて大それた望みで実現の時来たるや否やも不明ながら、それだけの時間を許されるならばその際は、『近世日本国民史』全100巻を始めの第1巻から終いの第100巻まで通読したく思うのである。

 さて、表題の件につき以下、謹言致し候。
 かの「赤穂義士篇」読了の暁には各章毎に書き綴った〈メモ〉を、整理の上ここにお披露目する。現時点で全18章のうち第11章まで、〈メモ〉は出来上がっている。
 年度内に始められれば、お慰み。◆

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