第3569日目 〈今日12月14日は、赤穂義士討ち入りの日です。〉 [日々の思い・独り言]

 細かな暦の問題はさておくにしても今日、12月14日は赤穂義士の吉良邸討ち入り日。それにあわせて『近世日本国民史』の再読を始めたわけでは、ない。というよりも、すっかり意識の外だった。過去に読んだ章のメモを書いていて、ああそうか明日か、と思い至った程。
 しかしですね、最後まで忠を尽くして最期に切腹して果てた四十七士を世間はとかく讃美し、討ち入り決行の直前までの間に脱盟した者らに不忠の輩と世間が白い眼を向けるてふ風潮には、なんだかなぁ……、と考えこんでしまいます。
 忠を尽くした者らは本懐達成で満足であったろう。が、脱盟組にも言い分はある筈だ。むろん、臆病風に吹かれて逃げ出した者もあれば、義の板挟みになって煩悶した末背反を決めた者もあっただろう。事情は人それぞれ、それを本懐達成の満足に酔い痴れて自分たちと行を共にしなかった衆を、不忠だの臆病だのと罵る権利があろう筈はない。
 徳富蘇峰『近世日本国民史』から「赤穂義士篇」を読んでいて、つくづく世間の判官贔屓の声は広範囲に届き、時を変えても残るに対して、不忠にも六分の義ありと擁護する声は社会の大勢に呑みこまれて埋もれて、却ってヘイトの対象になりもする、と感じ入ってしまった。
 なんだか現代のSNS全盛の時代に於ける、〈自分の考えを述べることへの抵抗と、意見を異にする徒党を組んだ匿名者たちによる謂われなきバッシング〉を想起させませんか?
 が、なんらかの理由あって道から外れて、結果歴史に葬られたた者たちの声や心の内に想像を巡らせることは、歴史からなにかを学び取るためには必要な行いではあるまいか。むろん、徒に想像するのではなく史資料に基づいた上で、エビデンスある想像を巡らせよ、ということだ。
 わたくしはどうも、道を外れざるを得なかった人たちへの共感が過ぎるな。◆

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